自ら野党にあいさつ 低姿勢で融和模索
毎日新聞
朴槿恵(パククネ)前大統領の罷免に伴う韓国大統領選で、当選確定と同時に大統領に就任した文在寅(ムンジェイン)氏は初日から、異例づくしのスタートを切った。就任宣誓式出席のため国会議事堂に直行するとみられた大統領の車列が10日午前、ソウルの永田町と言われる汝矣島(ヨイド)で寄り道したのだ。向かったのは約9年ぶりに野党に転落した自由韓国党本部。ビルの壁面には、9日の大統領選で文氏に次ぐ支持を得た洪準杓(ホンジュンピョ)氏の顔写真が入った大きな横断幕がかかっていた。
「我々は文候補の安保観を批判してきたが、国民が安心できるようにしてほしい」
文氏を迎えた鄭宇沢(チョンウテク)院内代表(日本の国会対策委員長に相当)がこう要請すると、文氏は「安保に関する重要な情報は野党とも共有する」と応じ、国政運営への協力を求めた。
文氏を勝利させた「共に民主党」は国会で過半数に満たない少数与党。野党4党の協力なくては安定した政権運営はできないため、就任初日に大統領自らあいさつ回りを始めたのだ。
国会に到着すると、今度は「共に民主党」から分裂した中道系「国民の党」の朴智元(パクチウォン)代表と面会。今回の選挙戦では激しい非難合戦を展開したが、文氏は「根っこは同じ政党だ。特別な協力を期待している」と朴氏の顔をのぞきこむように呼びかけ、和解を演出した。
朴前大統領が国民の支持を失った最大の要因は、親友の崔順実(チェスンシル)被告ら一部の限られた人だけで国政を私物化していたかのような手法。朴前大統領が国会を訪ねて野党側に協力を要請したことはほとんどない。カメラの前で野党幹部と談笑する「低姿勢の大統領」は、権威主義の脱却を目指す新政権誕生を国民に印象づけた。
就任宣誓を終えた文氏は続いて「国民に申し上げる言葉」を読み上げ「今回の選挙に勝者も敗者もない。今日が国民統合が始まった日として歴史に記録されるだろう」と社会の対立解消に全力を尽くす考えを強調した。青瓦台(大統領府)で首相人事は自ら起用理由をブリーフし「これからも大統領が直接説明する」と国民とのコミュニケーションを最重視する姿勢をアピールした。
新政権最初の関門となる首相人事は、国会議員を4期務め、保守政党との関係も良好な李洛淵(イナクヨン)氏を文氏が指名したことで、「自由韓国党も反対できない」(大手紙政治記者)とみられている。当面、激しい与野党対立は回避される見通しだ。
選挙期間中、文氏は保守政権9年間の積み重なった弊害をただす「積弊清算」を公約のトップに掲げ、排他的との批判も浴びた。低姿勢で歩み寄れば、しこりは解消し、融和ができるのか。文大統領の国民統合に向けた道のりは一歩を踏み出したばかりだ。【ソウル大貫智子】
南北緊張緩和が悲願
「朝鮮半島の平和定着のためなら、私ができることは何でもやる」。10日の大統領就任宣誓後の演説で文在寅(ムンジェイン)大統領は、南北関係改善への強い意欲を示した。朝鮮戦争で分断された南北間の緊張緩和は、望郷の念を抱く文氏の両親の悲願であり、文氏にも強いこだわりがある。
両親は北朝鮮中部・咸鏡南道(ハムギョンナムド)の工業都市、興南(フンナム)の出身。文氏の自叙伝によると、興南には「文」姓の人々が集まる村がある。しかし、1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると生活は一変。同12月、中国義勇軍が参戦すると、米海軍は艦船に多くの一般市民を乗せて韓国側に撤退した。文氏の両親はその中にいた。父は北朝鮮で共産主義組織への協力を拒否し続け、体制への拒否感もあり南行きを決意した。貧しい避難生活が始まった韓国南端の慶尚南道(キョンサンナムド)巨済島(コジェド)で文氏は生まれた。
朝鮮戦争休戦から約20年たった72年。南北対話が活発化し、北朝鮮から代表団が訪れると父は「統一されて離散家族が故郷に行けるようになったら」と歓喜したという。だが、故郷訪問は実現しないまま、父は他界した。
盧武鉉(ノムヒョン)政権で青瓦台(大統領府)市民社会首席秘書官を務めていた2004年、文氏は母とともに北朝鮮の金剛山(クムグァンサン)で行われた南北離散家族再会事業に参加し、叔母と初対面した。文氏は今年1月出版の対談集で「平和統一がなされたら、まず90歳の母をふるさとに連れて行きたい」と統一への思いを語る。
母は十数年前から事業参加を申請し、ようやく妹と再会を果たした。文氏は公約集で、約6万人とされる離散家族全員の参加を目標とし、北朝鮮に対価として病院設立などの人道支援を行うと明記した。
文氏の対北朝鮮政策の基本スタンスは、経済交流を通じた南北間の緊張緩和だ。公約集では、盧政権時代に南北間で合意し、その後韓国で保守政権が誕生して協議が中断した、南北軍事境界線近くの西海(ソへ)での「経済協力ベルト」建設構想を掲げた。
ただ、南北統一政策のトップに掲げたのは北朝鮮核問題の解決。4月27日の韓国メディアの討論会で文氏は「北朝鮮に強く警告する。6回目の核実験を強行したら、かなりの期間南北対話が不可能になる」と述べ、開城工業団地の操業再開も困難との考えを示した。
北朝鮮の核放棄が交流の前提だと強調しても、常に保守層の攻撃の的となってきた。4月19日の討論会では、保守系候補から「北朝鮮は主敵か」と問われ、「そんな規定は大統領がすることではない」と明言を避けた。
文氏の外交ブレーンの金基正(キムギジョン)延世大教授は「文氏は避難民の息子であり北朝鮮に良い感情は持っていない。北朝鮮の人権問題には大変批判的だ」と話す。核、ミサイル開発を進める北朝鮮と対話の糸口をどうつかむか。文氏の手腕に周辺国は注視している。【ソウル大貫智子】
帝王的大統領権力分散へ
「歴代政権を振り返り反省すべき点は『帝王的大統領制』だ。歴代大統領の不幸な姿は三権分立をちゃんと守らなかったためだ。私は権限の分散をさらに進める」。韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は就任直後の10日、国会で行われた国会議長や最高裁長官らとの会合でこう語り、大統領の権限を弱める形での憲法改正に意欲を見せた。
韓国では1987年の民主化で、憲法改正により16年ぶりに直接選挙による大統領制が復活。軍事政権が長期化した反省から、任期を1期5年再任禁止とし、国会解散権を削除するなど大幅に大統領権限が縮小された。
にもかかわらず、文氏が仕えた盧武鉉(ノムヒョン)元大統領を含め、歴代大統領は政権末期に大統領側近や家族の金銭スキャンダルに見舞われるパターンが続いていた。再任禁止規定により、政策の連続性が持ちにくく、政治対立をより深めるという指摘もあり、憲法改正論はいつもくすぶっていた。
こうした中で朴槿恵(パククネ)前大統領が収賄や職権乱用の罪で逮捕、起訴されたことを受け、「政経癒着」や職権乱用の背景に、人事や立法、予算に関する権限が集中している構造に問題があるという世論が一気に高まった。文氏が「帝王的大統領制」にメスを入れると宣言したのは、韓国大統領は不幸な末路を繰り返すという歴史を断ち切る決意の表れとみられる。
文氏は4月12日、大統領候補として出席した国会の憲法改正特別委員会で「来年前半に改憲案を国会で通過させ、その年の6月の地方選挙に合わせて国民投票を行う」と公約。大統領の権限を分散して議会や司法とのバランスを取ることや、現状では大統領の補佐役に過ぎない首相に実質的な権限を与える「責任首相制」などを訴えた。2022年以降の大統領から4年再任制を導入する案も示した。
現行憲法は87年以降約30年間、一度も改正されていない。この時の憲法改正で、国会議員の3分の2の賛成、国民投票で過半数の支持が必要と手続き的なハードルを上げたためだ。与野党間の調整で膨大な政治的エネルギーを使うことを恐れ、歴代政権は改憲論を提唱しては、挫折してきた。
ただ、国会の憲法改正特別委で共同諮問委員長を務める金炯〓(キムヒョンオ)元国会議長は「今回は改憲される可能性が高い」と見る。朴前大統領のスキャンダルで国民の間にも改憲を望む声が強まっているうえ、少数与党「共に民主党」にとっても議会の権限を強める改憲は、野党の協力を引き出すカードになるからだ。
金元議長は「大統領の権力が強すぎるために、反対勢力も必死かつ徹底的に反対するのが韓国政治の特徴だ。国内の分裂を和らげるためにも改憲は必要だ」と指摘する。
民主化以降、どの大統領もなし得なかった改憲。「大統領の帝王的権力を最大限に分散する」と宣言した文氏が実現させるのか。「来年6月に国民投票」という日程を考えれば、残された時間はそれほど長くない。【ソウル米村耕一】