4.使節団の時代 |
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日本の情勢
使節団を送り出した当時の日本では、新政府が、版籍奉還や廃藩置県といった中央への権力集中を目指した政治制度改革をはじめとして、経済、法律、社会などあらゆる面で文明開化の政策を進めていました。しかし、こうした政策に対して不満をもつ士族は多く、民衆も血税一揆や新政反対一揆などのかたちをとって反発や抵抗を見せました。一方で、政府内部においても、めざすべき国家のあり方についての考えや出身藩の違いによる意見の隔たりが存在していました。 このような情勢の中で、政府の有力者である岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らが欧米を歴訪し各国を視察したことによって、ヨーロッパの国家をモデルとした国づくりの方向性に具体的なイメージがもたらされました。その一方で、長期にわたり日本を離れた使節と留守政府との間の隔たりは大きくなり、それが岩倉らの帰国後、西郷隆盛の朝鮮への派遣をめぐる意見の対立として表面化し、ついに明治6年の政変を迎えることになりました。 |
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使節と留守政府との約定(大臣参議及各省卿大輔約定書) |
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使節と留守政府との約定(欧米派出大使御用留三) |
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「約定書」正本 |
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「約定書」草稿 |
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日本の情勢 年表 | |
世界の動き
■アジアの情勢 19世紀のアジアは、欧米列強の進出に直面していました。インド・東南アジア地域では、シャム(タイ)を除く各地が列強の植民地にされていきます。また、清はイギリスとのアヘン戦争に敗北。その戦後処理としての南京条約をはじめとして、列強と不平等条約を締結するなど、東アジアにおいてもそれまで長年にわたって維持されてきた体制が揺らぎ始めていました。
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アジア年表 | |