中國, 韓.中關係

中国言論의 裏面

이강기 2015. 10. 18. 10:38

中国メディアの裏側

 

 

 

 


 

 

 

ジャーナリスト。
大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、 2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。著書に『潜入ルポ 中国の女―エイズ売春婦から大富豪まで』(文藝春秋)、
『中国のマスゴミ―ジャーナリズムの挫折と目覚め』(扶桑社新書)、『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版刊)など。日経ビジネスオンラインで「中国新聞趣聞~チャイナ・ゴシップス~」連載中。

 

 

 

(1)官僚記者と新聞民工

 

共産党中央宣伝部によって、メディアのすみずみまで言論統制が敷かれる中国。中国で記者として活躍後、フリージャーナリストとして中国の裏側を報じ続ける著者が、そのカラクリを明かす。

 

 中国の報道統制は、今年、特に厳しくなりそうだ。中国共産党創立90周年であり、辛亥革命100周年であり、政権交代が行われる2012年秋の第18回党大会の前年という政治的に敏感な一年であることから、当局は報道が与える世論の動向に神経をとがらせている。香港誌・亜洲週刊なども報じたが1月早々に北京で行われた全国宣伝部長会議では、今年から記事を検閲する「閲評員」を全国各地のメディアに2人ずつ送りこみ、より厳格な記事検閲を行う方針を通達したそうだ。すでに南方都市報や南方週末、新京報など影響力のある地方紙には、「閲評グループ」が編集局内に送り込まれて、出稿前にすべての記事が検閲を受ける体制になっていたが、これから全国に約2000ある各新聞でもやっていこう、ということらしい。

 

 また、その会議の場では、10項目におよぶ非常に細かい禁令も通知されたという。「全人代前に株や不動産市場、就職や教育衛生などと庶民の関心の高い社会問題については、うまく世論誘導しておけ」「事件・事故については他省から記者が越境して現場取材を行うな」「土地収用強制撤去などにからむ自殺や集団事件を報道するな」「報道賞や人物選評などは中央紙以外主宰するな」…。中国の新聞社の編集長には、党中央や省レベルの宣伝部からの具体的な報道統制通達メールが毎日数本のペースでくるそうだが、年初にここまで厳しい禁令を言い渡されたことは珍しいらしく、報道関係者の間では「文革時代に逆戻りか?」という声まででている。

 

 ところで、こういう厳しい報道統制を受けながら、中国の新聞記者はどうやって仕事をするのだろう。こんな通達を真に受けて、新聞を作ることなどできるのだろうか。こういった報道統制のもとで、彼らのジャーナリズム意識はどうなっているのだろうか。

中央紙は政治宣伝の拡声器

 まず中国の新聞について簡単に説明しよう。民主集中制をいまだに掲げる中国共産党政権下の報道機関は『党の喉舌』(宣伝機関)と呼ばれている。国営新華社通信や人民日報、経済日報、光明日報など党中央宣伝部直轄の新聞に書かれている内容は、ニュースというより政治宣伝だ。各省の党委員会も機関紙を発行しているが、それらはやはり宣伝機関としての任務が勝る。しかし、90年代から新聞社経営が独立採算制の移行が進み、売れない新聞は生き残れないという時代に入ってからは、政治宣伝だけを担った新聞だけでは経営が成り立たないので、各新聞社は機関紙以外に、読者の期待にこたえる記事を掲載する都市報や夕刊紙なども発行するようになってきた。

 

たとえば党中央機関紙の人民日報社もタブロイド版京華時報を北京地域で出し、そこに掲載されるのは庶民に身近な事件、小さな汚職や不動産や物価のような社会ニュースが中心だ。同じく人民日報社が出す国際時事紙・環球時報は、党の宣伝的内容に沿いながらも、庶民受けする反日的論調などで部数を稼ぐ人気紙となった。人民日報は公称250万部と中国では参考消息につぐ大量発行部数紙だが、この部数は党機関や学校、国有企業の半ば強制的な公費購読で支えられているので、人民日報社発行の本当の意味で読まれている新聞は環球時報や京華時報といえる。

 

 北京市の市場では、北京市党委機関紙の北京日報系の北京晨報や広東省党委機関紙の南方日報(南方報業メディアグループ)と光明日報社が出資した新京報などの50万部前後の新聞がしのぎを削っている。こういう競争は地域ごとにあるが、南方日報系の週刊紙・南方週末のように広東紙でありながら全国的に販売されている新聞もあり、インターネットの発達で地方紙ニュースが全国どこでも見られる今の時代は、中央紙より地方紙が全国的影響力を発揮することも多い。現にオバマ大統領が初訪中(2009年11月)したときに、単独インタビューを受けたいと指名したメディアは人民日報ではなく、広東紙の南方週末だった。党中央はこれが悔しくて、中央宣伝部を通じてオバマ大統領インタビュー記事に干渉し、それに反発した南方週末が意地になって記事を載せずに紙面に空白をあけたまま発行した事件は日本でも少し話題になった。

統制とジャーナリズムの
はざ間で生きる記者たち

 中国の新聞記者、とくに都市報の記者や編集者たちは、こういう市場競争と宣伝部から下りてくる報道統制通達のはざまで取材をしなければならない。

 

 強制的な党機関への割当購読で部数を維持している中央宣伝部直轄紙の記者や編集者の意識は、市場よりも宣伝部の方を向いており、政治的ミスを絶対してはならないとびくびくしている。普通のミスは一つにつき最高50元の罰金が課されるが、万が一それが政治的に大きな影響をもたらすものであったら、更迭や解雇もある。編集長クラスになれば部下の記者のミスによって出世の道を断たれることもある。中央宣伝部直轄紙の総編集長(社長)の権力は閣僚級であり、中央紙の出世コースに乗った記者ほど慎重になり書かなくなるし、部下の記者には「書いてくれるな」と懇願する。こうなると、彼らはもはや記者というより官僚なのだ。

 

 その一方で、売上至上主義の地方の都市報や週刊紙(誌)の記者たちは読者受けを狙うために、統制すれすれの現場突撃取材や調査取材を行い、多少挑発的なエッジの効いた原稿を書かねばならない。というのも、読者が望むのは社会の中にある不条理や不正を告発してくれる記事であり、そういう記事というのは突き詰めてゆくと権力側、体制側の批判に繋がってゆくからだ。

 

記者の給料はだいたい基本給プラス原稿字数に応じた歩合制なので、書かねば給料はあがらず、書いても掲載されなくては給料がもらえない。しかも、無難な識者インタビューや会見原稿の単価は安く、危険な現場突撃取材、へたをすると体制批判に向かいかねない調査取材は単価が高い。彼らはジャーナリズム意識も多少あろうが、生活の切実な問題として、報道統制を超えるか超えないかくらいのエッジボールを狙ってゆく。

 

 私が日ごろ付き合うのは、どちらかというと、そういう突撃型、挑発型の記者が多い。彼らは自らを「新聞民工」と自嘲気味によぶ。民工とは農村からの出稼ぎ者の、どちらかというと蔑称なのだが、そう言いたくなるほど、危険・きつい・保障のないわりには低賃金労働だ、という意味だ。もちろんエース記者になれば、月給1万元は軽く超すのだが、自分の書いた記事が政治問題になったときには、記者一人に責任を負わされることもあるし、更迭や解雇はもちろん、ひどい場合には二度と新聞業界で働くことを禁じられる場合もある。

 

 そこまで危険を冒さなくても、たとえば取材し、苦労してまとめ上げた原稿が掲載直前になって「政治的理由」でボツになることもしばしばだ。広東省の雑誌記者の友人は、昨年初夏に広東省で広がった日系企業のストライキ原稿の深いルポを書いたが、掲載される直前に宣伝部からストライキ関連の独自原稿の掲載を一切禁じる通達があり、編集長からボツを言い渡された。原稿が載らないと給料はもちろん、それまでに使った取材費も自腹なのだから切ないことこの上ない。

 

 彼は「宣伝部と常に“短距離競走”している。ある事件が発生して宣伝部が反応するまでのタイムラグに、ダッシュで取材し急いで掲載しなきゃならない」というのが口癖だった。今年の報道統制は従来に輪をかけて厳しいが、それでも、新聞を売るためには、統制ぎりぎりを狙っていかねばならない。記者はつらいよ、と笑うが、それでも「書けない中央紙官僚記者にはなりたくない」とも言うのだった。

 

 

 

(2) 危険な職業

共産党中央宣伝部によって、メディアのすみずみまで言論統制が敷かれる中国。中国で記者として活躍後、フリージャーナリストとして中国の裏側を報じ続ける著者が、そのカラクリを明かす。

 

 

報道統制の厳しい中国で、新聞記者をやってゆくとすれば、官僚記者となるか、新聞民工となるか。実はこの二者択一だけではない。

 

 多くの記者は、与えられた役得で満足し適当に仕事をながす記者となる。彼らにはあまり報道に対する情熱も出世欲もない。ただ金のために働く。そういう記者の中には、自分のもっている株や不動産に有利なインサイダー情報を取るために企業取材をし、汚職や腐敗のネタをつかめば、報道して宣伝部に睨まれるよりは腐敗の隠ぺいに協力して賄賂を貰う方を選ぶ人もいる。新商品宣伝の記者会見でお車代を包んだ封筒を貰うくらいは、数年前はほとんどの記者が特に罪悪感もなくやっていた。また日系企業批判や反日歴史記事などは載せれば売れるドル箱ネタであり、宣伝部から比較的文句が出にくいテーマなので、日中関係が何がしか波だったときはお決まりのように書かれる。そういう記事の中で識者コメントの捏造などもしばしばある。しかし、バッシングされる日系企業側も、コメントを捏造された識者側も内向きには文句を言っても、中国メディアを訴えるわけでもなく(訴えても無駄だが)、黙って耐えるだけだ。そういう日系企業批判記事を書いたことのある記者を直接知っているが、本人はたいてい、日本ブランド好きであったりするのだからあきれてしまう。

 

 そういう意味では全体的に中国のマスコミの報道倫理は低い。しかし、これはまともに取材すればするほど、宣伝部に睨まれ、報われないという中国の報道統制下ゆえの、記者の堕落だと私は思う。

つかんだネタでゆする記者と殺される記者

 記者の倫理問題でこの10年の間何度も大きな事件として報道されてきたのは「封口費」事件だ。「封口費」というのは、文字通り口止め料の意味で、炭鉱事故などが発生して現場に取材に来た記者に「お車代」だの「辛苦費」(お疲れさん手当)といった名目で金を渡し、事故原因や死者数を隠ぺいするのに協力してもらう。こういう賄賂に慣れてくると、そのうち炭鉱事故がおきると、すわ現場にとんで「封口費」をたかるようにもなってくる。

 

 たとえば、山西省霍宝乾河炭鉱で2008年9月に事故がおきたとき、60人ほどの記者が続々と現場に“取材”にやってきて、炭鉱事務所オフィスで「封口費」を受け取るために行列をなしていた、という事件があった。この60人の記者のうち28人は記者のふりをしたニセ記者だったという話だが、それでもたかり体質の記者がそれほどいたのは驚きだろう。この事実をすっぱ抜いたのは西部時報の山西省駐在のアルバイト記者だった。彼は「封口費」欲しさに行列をなす記者たちの写真を撮影したのだが、それを新聞ではなく、匿名でブログに掲載した。この匿名記事は何度も削除されたが、そのつど掲示板に再投稿し、抵抗するうちにネット世論が騒ぎ出し、中央メディアなども取り上げるようになった。このアルバイト記者はこの特ダネの功績が評価され正規採用の記者となったが、もし新聞紙面に記事を掲載しようとしたら記事は握りつぶされ彼は解雇されていたかもしれない。そう判断したからネットに投稿したのだろう。そのくらい、中国のマスコミも腐敗している、ということだ。

 

このマスコミ全体の腐敗に抵抗して記者倫理を貫こうと正攻法で闘おうとする記者ももちろん存在する。しかし、じつはそれはかなり命がけの仕事でもある。

 

 2010年7月3日に発生した福建省の紫金山銅山(紫金鉱業集団)の有毒廃液漏れ汚染事件は事件発生から8日たって漸く公式発表され、中央紙も報じた。日本でも重大な環境破壊事件として報道された。実はこの事件は当初、「封口費事件」によって隠蔽されかかった疑いがある。しかし中国青年報と第一財経日報の記者が、「著名経済誌の記者らが紫金鉱業側から封口費を受け取った」と告発した。中国の銅の生産量の3分の1を産出する大企業の紫金鉱業を告発するのだから相当な勇気だ。紫金鉱業側はこれを全面否定し、今も主張が対立している。この2人の記者は告発後、それぞれが家族が交通事故にまきこまれるなど、身の危険を感じる嫌がらせや脅しを受けた。

 

 さすがに、共産党エリートの育成機関・共産主義青年団機関紙の中国青年報という中央の大新聞記者なので、殺されるまではいかないだろうが、こういった告発記事は戦う相手が巨大であれば、記者の方が「捏造記事」を書いたとして返り討ちにされかねないのだ。

 

 地方記者が報道の正義を貫こうとして殺されてしまうケースも本当にあった。

 

 2010年12月初旬、新疆ウイグル自治区トクスン県の建材工場で4年に渡り知的障害者を奴隷的な強制労働に従事させていた事件を取材し、関係者の逮捕に寄与した敏腕記者、北疆晨報の孫虹傑記者は12月18日に暴漢に襲われ、その3日後に脳挫傷で死亡した。クイトン市公安当局は容疑者6人を逮捕し、酒の上のケンカが原因として処理した。しかし、孫記者の友人たちは、孫記者が10月に地元の新疆ウイグル自治区クイトン市当局の不正強制立ち退き事件を報じて以来、身の危険を感じていたと漏らしていたと訴え、地元権力の不正を暴いたことに対する報復の可能性があるとしている。死人に口なしで、真相は闇の中なのだが、中国における記者稼業はかくも危険を伴うのだ。

命がけの記者にしか
中国を変えることができない

 封口費を受け取って堕落した記者になるか、記者の正義を貫こうとして口封じに殺されてしまうか。殺されなくとも刃向う権力が大きければ捏造記者のレッテルをはられる、あるいは身に覚えのない経済事件で逮捕されることも本当にありうるのだから、実に厳しい環境だ。

 

 ある友人の記者は、もともと中央紙エリート記者だったが、結局書けない官僚記者より新聞民工を選んで、売上至上主義の雑誌記者となった。彼は私にこう言った。「少なくとも主要中央紙の記者になろうと思えば、北京大学、清華大学、復旦大学といった名門の大学を出て、国家新聞出版総署が発行する記者証の取得試験もパスしなければならない。そういう頭のいい人間なら、早々に記者をやめて、記者時代に築いた人脈を利用してビジネスをやった方がよっぽど安全で、正しい生き方ができるよ」。

 

 もし中国のメディアで、権力の不正を暴いているような鋭い記事を見かけたら、その背後には記者の倫理や命をかけた攻防があった、あるいは続いていると想像してほしい。

 

 

 

(3) ネットの力を味方に

今年は例年にまして報道統制の網の目が細かくなり、編集局に宣伝部から「閲評員」まで送り込まれるのだから、いかに挑戦的でやる気ある記者や編集者たちも苦労させられるだろうと想像する。だが、同時に昨年あたりから微博(マイクロブログ、中国式ツイッター)を活用して、統制の網の目をすり抜ける記者も出てきた。中国国内は、いわゆるツイッターが禁止されネット統制でアクセスできないようになっているが、そのかわり中国当局が管理できる微博が新浪など数社の大手ポータルサイトにより運営されている。その国内限定の微博ユーザーですら昨年10月段階で1億2500万人に上るので、この影響力は実は馬鹿にならない。もちろん、中国当局が管理しているので、敏感な言葉は削除され、検索もできなくなっているし、敏感な発言をする人物はアカウントが抹消される。ちなみに私も最近、新浪微博のアカウントが抹消された。別に大して書き込みもしていないのだが。

 

 しかし敏感な言葉を削除したとしても、その削除までに数分あれば何百、何千人に情報を拡散できるこのネットツールは、新聞記者にとっては「神様からの贈り物」というぐらい便利なものらしい。たとえば2010年9月に発生した江西省宜黄県の強制立ち退きに抵抗する焼身自殺事件も、当初は県政府が隠ぺいしようとしたが、鳳凰週刊誌記者が微博に短い記事を発信したことで、瞬く間にして広まり、世論が記者や被害者の味方になれば、もう簡単には隠ぺいはできなくなり、県の書記らが免職となった。

 

 話はそれるが、ツイッターといえば先日、「中国版ジャスミン革命」の呼びかけが流れた。ジャスミン革命とはチュニジアでおきた政権交代で、ツイッターなどのソーシャルネットワークシステムを通じて広がったことから「ツイッター革命」とも呼ばれている。「中国版ジャスミン革命」は2月20日午後2時に中国13都市の指定された場所に集まりスローガンを叫ぼう、という内容で、最初は米国を拠点におく反共的華字ニュースサイト博訊の掲示板に投稿されたものが、ツイッターでリツイートされながら広がった。ツイッターは中国国内でアクセス禁止されている。とはいえ、20万人くらいは大陸からネット統制よけのソフトを使ってアクセスしているユーザーがいるので、すぐに国内のネットでもこの呼びかけは転載された。

 

当局の反応も早く、国内の微博ではすぐ「茉莉花」(ジャスミン)も「革命」も検閲ワードとして検索ができなくなり、書き込みも削除された。だから、いったい国内にどれくらい、この呼びかけが広がったのかは定かではない。結果からいえば、この呼びかけは不発に終わった。しかし、中国当局側の凄まじいばかりの「ツイッター革命」への警戒感を垣間見ることもできた。現実は、北京でも上海でも呼びかけられた場所は大量の制服警官や私服警官が配備され、集会が起こる余地もなかった。だが、公安当局は反体制的書き込みをしたネットユーザーや主だった国内の人権活動家ら約1000人に禁足命令を出し、広州市では集会に出かけようとした人権派弁護士・劉士輝氏が、何者かに暴行を受けた。台湾中央通信社によれば、逮捕、拘束された市民は100人に上るとも。黒竜江省ハルビン市ではネットの呼びかけに応じて指定の広場に出かけ中国共産党の腐敗を訴えた35才の女性が「国家政権転覆罪」などの容疑で逮捕された。ツイッターで流れた、たった出所の分からない集会の呼びかけで、これだけの警察を動員し、逮捕者を出し、治安担当の周永康・政治局常務委員はあわててインターネット検閲強化の指示を行ったのだった。

まるで文革再来 
サイバー空間にも当局の目

 これほど、ツイッターの影響力を警戒している中国当局がなぜ2009年8月、国内で微博というソーシャルネットワークを許可したのかは不思議でならない。そのような質問を複数のIT業界関係者に投げかけたところ、こういうような答えが返ってきた。ひとつは「微博のユーザーのほとんどは、他愛ないおしゃべりや好きな歌手やアイドルをフォローするのが目的で革命やデモの呼びかけを拡散するツールとしてはあまり関心をもっていない」。または「多少、社会の不条理や不満を訴えるツールを与えた方が、当局としては社会管理しやすい」。さらには「当局としては微博を含むインターネット上の世論誘導に十分な自信を持っている。ネットは当局にとっても情報発信の重要なツールである」。

 

 もちろん、これは業界関係者らの見方にすぎないが、中国当局の世論誘導の手腕は2008年3月のチベット騒乱事件のときに目の当たりにした。胡錦濤政権の危機とまでささやかれた事件だったが、人々の怒りをうまく欧米メディアの偏向報道批判にすりかえ、愛国心の掲揚につなげた。その後に発生した四川地震のときも、ネット世論を国内団結の方向にまとめることができた。いくつかの大事件の経験をふまえてネット世論の対応に当局が自信を持ってきたのは間違いないだろう。加えて中国には世界で一番洗練されているといわれるネット統制システム「金盾工程」がある。中国はこの技術を中東の専制国家に輸出する準備をしていたところだったが、その前に“ツイッター革命”が中東で始まってしまった。

 

 こういった意見を聞いて想像するに、厳しい報道統制通達や洗練されたネット統制で記者や編集者には“文革時代並”の圧力をかけつつ、市民には多少の不満を吐露する自由空間を与えつつ、うまく世論誘導していく、というのが目下の宣伝当局の方針ではないだろうか。

ネットメディアに微かな光
内側から殻を破れるか

 宜黄の焼身自殺事件を微博で報じた鳳凰週刊誌記者は私にこう言ったことがある。「微博には官僚も警官も記者も普通の会社員や商売人や出稼ぎ者もいる。皆が平等に140字で情報発信をする。僕らも監督されるかもしれないけれど、僕らも官僚や警官を監督できる。相手の意見に自分のコメントをつけて拡散できるのだから、同等の立場で世論に影響をあたえることができる」

 

 「確かに、今の状況では体制批判や民主化や言論・報道の自由を求める発言・報道はできない。でも、微博のようなツールがあれば、いつか欧米の国のように自分の国の政治の悪い部分を正面から批判できる時代がくると信じているよ」

 

官僚記者でも新聞民工でも堕落した記者でもなく、体制の中にあって報道統制に妥協しつつも、いつか本当の報道の自由を勝ち得る日がくるのだと信じて、ネットを駆使し可能な範囲で報道の使命を果たそうと努力する、彼のような記者も少なくないのだ。私は彼のような体制内記者こそが、中国の報道環境を変えてゆけるのだろうと思う。

 

 中国の厳しい報道統制を見ると、日本は本当に大きな自由のある国である。体制批判をしても逮捕されることもなく、現場で警察に殴られる心配もほとんどなく、企業の不正を暴いたことで家族が交通事故にあう心配もめったにない。しかも取材費や給与水準は素晴らしく高い。それが世界報道の自由ランキング11位の日本と171位の中国との差だ(2010年国境なき記者団調べ)。私を含めて日本の記者たちは、この自由を十二分に使って、本当に果敢な報道ができているだろうか。中国の記者たちの苦悩と苦労を見れば、そういう反省に立たざるを得ない。