「動けない大国」アメリカの行方
第1回:“弱腰”オバマ外交 覇権は終焉か
上智大学・前嶋和弘教授
2014年8月21日(木)16時18分配信
The PAGE
「内向きになったアメリカはもはや“世界の警察官”ではない」「オバマの弱腰外交で、東アジアも中東も不安定なままだ」「アメリカの覇権は既に終わった」――。こんな言葉が世界の論壇を頻繁ににぎわせている。では実際、アメリカの外交政策はどこに向かっていくのであろうか。本稿では5回にわたって、アメリカ外交の現在を分析し、その変化の可能性を展望する。
(1)シリア危機での“弱腰”対応
アメリカの政治外交を長年見てきたものとすれば、ここ1、2年のオバマ政権の外交を見ると、いらだってしまうことが少なくない。
昨年2013年8月末から9月はじめのシリア危機への対応はその典型的なものだった。自国民に対して化学兵器を使ったとされるアサド大統領に対して、ケリー国務長官は8月30日の記者会見で目をはらして「殺人者」と激しく非難した。
化学兵器の使用はオバマ政権が事前にアサド大統領につきつめた「レッドライン(越えてはならない一線)」であったはずだった。そのため、アメリカのシリアへの攻撃が秒読み段階であるようにみえ、中東をめぐるアメリカ主導の長期戦の開始を世界はかたずを飲んで状況を見守った。
しかし、その翌日の8月31日、一気にトーンダウンする。オバマ大統領が「シリアへの攻撃は事前に議会の承認を求める」と会見で述べたためだ。米軍は既にシリアの化学兵器使用を受けて攻撃準備段階だったが、極めて現実味を帯びた介入が一気にしぼんでいった。その後、ロシアのプーチン大統領が介入することで、アサド政権は現在まで延命している。
(2)当初は斬新だったオバマ外交
オバマ政権の外交姿勢を一言で表せば、「プラグマテック」という言葉になろう。外交交渉を重視し、イデオロギーにこだらず、状況に合わせて柔軟に変化に対応するというこの姿勢は、国際政治でいうところの「現実主義(リアリズム)」に通ずるところがある。
「独裁政権の体制変革(レジームチェンジ)」という大きな理念を掲げたネオコンが主導したブッシュ前政権の外交姿勢の記憶が強く残る中、オバマ政権の一期目の間は、オバマ外交が目新しかった。
『背後からの指導(leading
from
behind)』という言葉がある。2011年のリビアへの軍事介入の際に代表されるような、攻撃の前面にアメリカが出ようとしないオバマ政権の外交戦略を揶揄した言葉だ。この『背後からの指導』にしろ、ドローン(無人偵察機・爆撃機)の多用にしろ、批判は多いものの、いずれも米軍の負担を最低限にするという意味ではアメリカにとっては現実的な政策だった。2012年の大統領選挙で再選を果たした際も対抗馬だった共和党のロムニー候補に世論調査で大きく勝っていたのは、現実的なその外交手腕だった。
(3)シリア危機以降の迷走
ただ、現実的な外交は、どうしても受け身型となりがちだ。特に冒頭にふれたシリア危機の宗派対立のように、複雑で長期化するような背景を持つような国際情勢に対しては、オバマ外交は弱腰外交に映ってしまう。
このシリア危機のオバマ政権の対応こそ、もしかしたら、数年後に「あのときが節目だった」といわれるようになるのかもしれない。
実際、その後のオバマ外交は迷走する。今年2月末のロシアのクリミア侵攻以降のウクライナ情勢への対応でも、後手に回り、ロシアのプーチン大統領に押し切られ続けている。さらに、今年春から本格化してきたイラクでのISIS(イラク・シリアの「イスラム国」)の台頭になかなか手を打てず、オバマ大統領は今年8月に入ってからようやくISISの拠点であるイラク北部への空爆を命じたが、遅きに失した感がある。
「2011年のイラク撤退がそもそも拙速すぎたのではないか」という批判がアメリカ国内だけではなく、世界中からあがっている。オバマ政権1期目の国務長官だったヒラリー・クリントンが「オバマ政権が早い段階で穏健派のシリア反政府勢力を積極的に支援しなかったことがイスラム過激派の台頭につながった」と雑誌『アトランテック』のインタビューで述べたように、“身内”からの批判も出てきた。
「動けない大国」アメリカの行方
第2回:これまでの米外交から見たオバマ外交
上智大学・前嶋和弘教授
2014年8月22日(金)14時0分配信
The PAGE
アメリカは第二次大戦直後から積極的に国際社会の中心としての役割を果たすことで覇権国としての地位を築いてきた。しかし、オバマ政権の現実的な外交でいま、アメリカは次第に「動けない大国」になりつつあるようにみえる。第二次大戦以降のアメリカ政治をふりかえると、「動けない大国」となった理由が明らかになる。
(1)国際秩序の構築と「冷戦コンセンサス」
第二次大戦中から、アメリカは明確に覇権国の地位を意識し、国際連合の形成やドルを基軸通貨とすることを念頭に置いた「ブレトンウッズ体制」などを作り上げていった。大戦後は映画や音楽といったアメリカの文化が世界を席巻する中、広報施設の「アメリカンセンター」を世界各国に配置し、積極的な文化外交を世界的に展開していった。それが外交上のソフトパワーの基盤となっていく。
“世界のリーダー”としての意識はアメリカ国内世論にも浸透し、国際社会のためにアメリカが積極的に関与していくことを期待するようになった。その国民世論を反映したのが連邦議会の動きである。東西冷戦の中、大統領の外交政策に対して、連邦議会はできるだけ対立を避けようとする傾向(「冷戦コンセンサス」)が顕著となった。一方で、大統領の国内政治について、議会は強く反発する状況が続くという、興味深いパターンを示すようになった。
時間がたつにつれ、外交政策をめぐる大統領と議会とのめぐる駆け引きも変貌していった。特に、1960年代後半に泥沼化するベトナム戦争の惨状はアメリカ国民の意識にも大きな影響を与え、大統領の外交政策に対する議会の反発が目立っていく。外交における「大統領のフリーハンド」は消えていく。議会内でと大統領は外交政策についても激しい対立する時代になった。
この延長線上にオバマ外交がある――。
(2)オバマ政権の「2つの不幸」
ではなぜオバマ外交で特にアメリカは「動けなくなった」のか。その原因としてよくあげられる議論は2つある。
1つ目は、オバマ政権の歴史的なタイミングである。冷戦後はそれまでの二極対立構造から、アメリカを中心とする単極構造に転換したが、ナインイレブン(2001年)以降の長期にわたる対テロ戦争は、単極構造が決して安定的でないことを露呈させた。アメリカ国民は疲弊し、厭戦気分が非常に強くなる中、米軍のイラク撤退を掲げて、さっそうと登場したのがオバマ大統領である。
2009年の政権発足時において、さらなる他国への介入は好まざるものであったため、オバマ政権はアフガニスタンとイラクからの撤退を最優先に外交を進めた。それ自身は、世論に合わせたプラグマテックな対応であったといえる。
ただ、同時にこれまでの対テロ戦争のために急激に増えた国防予算のツケを議会は大統領に求めることになったのは大きな誤算だったかもしれない。議会は2013年3月から国防費を含む、歳出一律強制削減を発効させたため、その後のオバマ外交は、軍事費を効果的に使う必要性に迫られてきた。“やりくり”を考えながら、外交戦略はどうしても受動的なものになりがちである。
2つ目は、オバマ大統領自身の性格そのものに起因する。熟議を好み、現実を重視する姿勢は指導者に欠かせないものの、第二次大戦時のフランクリン・ルーズベルト、あるいは過去30年ではレーガンやクリントンのように、アメリカ大統領には国民を理念的にまとめあげていくような強い信念が必要である。現実的な選択を重視することは、どうしてもリーダーシップに欠けてしまうようにみえてしまう。
歴史的なタイミングにしろ、プラグマテックな性格を「不幸」と呼ぶのは、言い過ぎかもしれないが、国際的な秩序維持に影響するとしたら、少なくとも幸福なことではないのかもしれない。
「動けない大国」アメリカの行方
第3回:「議院内閣制」化するアメリカ政治
上智大学・前嶋和弘教授
The PAGE
タイミングやオバマ自身のプラグマテックな性格で、オバマ政権の外交が「動けない」ものになったとするなら、それでは、オバマ政権が変われば、アメリカにリーダーシップは戻るのだろうか。話はそんなに簡単ではない。というのもいわゆる“内向き”の原因は、国内政治の「議院内閣制」化という構造的な問題が絡んでいるためだ。
(1)権力分散という“DNA”
アメリカの政治は、大統領と連邦議会、さらには連邦裁判所が互いに「抑制均衡(チェック・アンド・バランス)」を保ちながら運営されている厳格な権力分散制度である。他国との比較のためにアメリカの政治制度を便宜的に「大統領制」とは呼ぶが、大統領に権限が集中しているわけではない。憲法には「大統領制」という言葉はなく、権力分散の仕組みが規定されている。
言い換えれば、大統領にしろ、連邦議会にしろ、特定の期間に権力が集中しないようにしようとする仕組みが“アメリカ政治のDNA”である。外交政策の場合、どうしても瞬時の対応が必要なため、「三軍の長(コマンダー・イン・チーフ)」である大統領の権限は大きいが、それでも大統領が行う外交政策に対して、議会は予算権限をちらつかして、にらみをきかしてきた。「冷戦コンセンサス」が消えていったのも、権力分散という“DNA”に立ち戻ったとも解釈できる。
(2)激減した民主・共和の政策的妥協
しかし、過去30年間で、権力分散という“DNA”を超える新たな政治的潮流が顕著になり、「大統領」対「議会」の「パワーシェアリング」の形が崩れてきた。政党間の対立が激化し、アメリカ政治の全てのアクターは「大統領とその政党(与党)」対「対立党」というプリズムで政策過程を眺めるようになってきたためだ。この動きは同じ政党の議員や大統領は、政策案件について政党ごとに行動するという議院内閣制に近い状況が目立っている。
議院内閣制とは、行政を担当する内閣が立法府の信任に依拠して存在する仕組みであり、立法と行政が部分的に一体化する。日本の憲法では「国務大臣の過半数は、国会議員の中から選任しなければならない」(68条)と規定されているが、実際には民間からの登用はほとんどない。それぞれの国の制度にもよるが、一般的には政党の影響力が強く、議会の多数派の政党(与党)、今の日本なら自民党が内閣を組織する。アメリカは前述のように厳密な権力分散制度であり、本来なら議院内閣制とは全く相いれない。
しかし、この議院内閣制化は、政党に対する長期的な支持態度の変化が状況を大きく変えつつある。かつては民主・共和両党ともに中道保守的な傾向があり、民主党と共和党のそれぞれの支持者の間でも特定の争点や政策に対する意見は分かれていた。1970年代には主要法案の投票で同じ政党でも賛否が半数に分かれることもざらであり、政党の党議拘束もないに等しく、法案をめぐっての両党の間の妥協は比較的容易だった。しかし、この30年間で大きく状況が変わった。民主党と共和党という2つの極でイデオロギー的凝集度が高くなり、そのために両党の立ち位置も大きく離れていった。この傾向を「政治的分極化」という。
「政治的分極化」の理由は様々あるものの、その最大の一つが、南部の政治的変容である。共和党が保守的な南部の民主党支持者をターゲットにし、鞍替えさせることで勢力を拡大し、「共和党=中西部、南部の党」「民主党=北東部、西部の党」という色分けが鮮明化になっていく。世論も議会のイデオロギー勢力図だけでなく、官僚、利益団体、シンクタンク、市民団体などの様々なアクターが「2つの政党」というラベルで再編成され、政治参加からガバナンスのあり方までが変貌したのが、過去30年のアメリカ政治の最大の特徴である。
特筆したいのは、「政治的分極化」現象が一気に進むことは、かつては頻繁にあった両党の間の妥協の機会も決めて少なくなっている点である。重要法案の賛否で両党は自分たちの立場を譲らず、法案審議が膠着してしまうことも頻繁に起こっている。現在のアメリカの連邦議会における共和党と民主党とのイデオロギー対立の激しさは未曾有といっても過言ではなく、議院内閣制の国家と大きな差はなくなりつつある。
外交政策でも「政治的分極化」が進んでいる。例えば、オバマ外交を「現実的」とみる民主党支持者が少なくないのに対して、共和党支持者の多くは「弱腰」とみる。両者の間の共通理解は少ない。
(3)「統一政府」と「分割政府」
政党で政策の方向性が決定的に決まるため、大統領を擁する政党が上下両院で多数派を占める「統一政府」なら、大統領の政策にとって大きな追い風が吹く。イラク戦争開始(2003年3月)、医療保険改革法成立(2010年3月)というブッシュ、オバマ両政権の最大の政策が進んだのも、それぞれ共和党と民主党の「統一政府」の時期だったのは偶然ではない。
しかし、「統一政府」はむしろまれである。というのも、そもそも、国民世論がちょうど2つに分かれているため、共和・民主の支持が拮抗し、議会の議席数の差も比較的大きくないためである。大統領と同じ政党と議会の上下両院のどちらか(あるいは両方)の多数党が異なることを「分割政府」と呼ぶ(日本的にいえば「ねじれ」だが、その「ねじれ」は大統領と議会との関係にある)。「統一政府」よりも「分割政府」の期間が圧倒的に多く、南部の保守化が顕著になりだした過去30年間で「統一政府」は8年間しかない。上にあげた「統一政府」の期間も、前者はナインイレブン直後の危機感、後者はブッシュ前政権に対する強い反発という、世論の例外的な盛り上がりを背景にしている。
「動けない大国」アメリカの行方
第4回:新しい覇権国と「アメリカ後」の世界
上智大学・前嶋和弘教授
2014年8月26日(火)16時55分配信
The PAGE
アメリカの外交が構造的に動けなくなった背景に議会の「議院内閣制化」があり、「分割政府」が恒常化する中、外交に限らず、政治の様々な過程で膠着状態(グリッドロック)が目立っている。議院内閣制に近い状態に至るまでは多くの年月を経た。逆にいえば、“オバマ後”のアメリカが直面する国内政治の力学もすぐには変わらないだろう。もちろん、大統領が誰になるかにもよるであろう。ナインイレブンのような有事があれば別だ。だが基本的には、大統領がどんな外交政策を展開しようとしても、ブッシュ、オバマ両政権後半のように対立党からの恒常的な強い反発が予想される。
内政の対立が外交に大きな影響を与えるとすると、実際、現在日米で協議されている環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉がまとまったとしても、議会が批准をする際の審議は大きく難航する可能性もある。北朝鮮の核問題にしろ、尖閣問題をめぐる日中関係にしろ、アメリカがさらに強力な姿勢で臨むことを日本としては期待したいものだが、大統領の強いリーダーシップは国内政治の構造上、難しくなっている。
(1)新しい「覇権国家」の誕生
アメリカの外交上の信頼感が揺らぐ中、アメリカはもう「世界の警察」ではないのかという例の議論に行きつく。実際、「アメリカ後の世界」の覇権や国際秩序についての議論がここ数年盛んになっている。
その代表的なものが、アメリカと中国の2国が覇権を担う「米中G2論」である。いうまでもなく、過去20年間で大きく台頭した中国は、国際政治でも大きなプレゼンスを占めるようになった。経済的にも軍事的にも急拡大を続ける中国に対しては、アメリカは強硬策(ヘッジ)でいくのか、あるいは融和策(エンゲージメント)でいくのか、そのスタンスはまだ固まっていない。
一方、中国の方は習近平国家主席の唱える「新型大国関係」のような米中の二大大国時代を渇望している。2014年7月上旬に北京で開かれた米中戦略・経済対話では、習主席は米国代表団を前に「広い太平洋には中米両大国を受け入れる十分な空間がある」とまで主張した。中国の覇権願望は言葉だけにとどまっていない。中国は、中国中心の新しい国際金融秩序を作るという目標のもとに「アジア・インフラ投資銀行(AIIB)」の設立を急いでいる。
一方で、第1回の冒頭で触れた昨年のシリア危機、今年のウクライナ危機などを通じてロシアも国際政治の中心に返り咲いた感が強い。このロシアと中国、ブラジル、インド、南アのBRICSの5か国は、発展途上国支援の「新開発銀行(BRICS開発銀行)」を作ることで今年7月末、合意した。世界銀行と国際通貨基金の向こうを張り、アメリカ主導の国際金融秩序に新興国5か国が挑戦する動きである。
新興国5か国とアメリカ、そして欧州、日本などが分立して国際協調を進める「多極化論」が言われて久しい。主要国の国際協調機能しない主導国のない「無極化(Gゼロ)論」を唱える識者もいる。ただ、混迷する国際秩序の中、いずれのシナリオもまだ先が見えない「仮説」ばかりである。
(2)アメリカの「晩期覇権システム」
長期的には確かにアメリカの外交的な威信は揺らいでいるようにみえる。それでも、アメリカが第二次大戦以降に作り上げてきた国際秩序が崩されたと断言するのは、もちろん時期尚早である。
地域秩序が少しずつ変わっていったとしても、アメリカが作り上げ、長年維持してきた国連を中心とする第二次大戦後の各種国際制度はいまだに有効である。対テロ戦争という消耗戦はこれからも続いていくため、それに対応した安全保障戦略は常にアメリカの政策担当者の念頭にあり続けるだろう。アメリカの「シー・パワー」の比較優位は当面は健在だ。
アジア太平洋地域についていえば、アジア太平洋の安定化をもたらすのは、日米同盟や米比同盟というアメリカを軸とした同盟関係であるというアメリカ側の認識は当面は変わらない。一方、アメリカの同盟戦略は海洋進出を進める中国にとっては中国の「封じ込め」であり、アジア太平洋を不安定化させる元凶に他ならないという見方はさらに強くなり、米中の視点は食い違ったままであろう。
さらに、新興国による国際開発金融秩序の再編の動きはあっても、アメリカというキープレーヤーはなくならない。中国やロシアが生み出す文化的なソフトパワーもまだ、極めて貧弱である。そもそも、中国やロシアのような権威主義的な政治・社会よりも、民主主義を基盤とした国家体制の方が、控えめに見ても、圧倒的な求心力がある。
「金融資本主義」「カジノ資本主義」といったアメリカの金融システムの変化には批判も非常に多いが、それでも新しい経済発展のパラダイムはまだ見えない。アメリカの覇権は「晩期」を迎えているのかもしれない。ただ、「晩期」なりのアメリカの戦略の意図を見つめる必要がある。
「動けない大国」アメリカの行方
第5回:米国復活のカギは「移民」
上智大学・前嶋和弘教授
2014年8月27日(水)16時0分配信 THE PAGE
これまで論じたように「アメリカの覇権は終わった」というのはあまりにも拙速な議論にみえる。ひるがえって、アメリカ国内の政治や社会を見てみると、「アメリカの復活」を示すといえば言い過ぎかもしれないが、少なくとも脱「膠着化」といったきざしもがみえつつある。
(1)移民増加と「新しいアメリカ」
今後のアメリカ社会を考える上で欠かせないのが、人口動態的な変化である。アメリカの人口の増加は先進国の中で抜きん出ている。1980年の2億2654万人から2010年の3億874万人と40年間で36%も増えているといえば、いかにアメリカ社会が急変しているかが分かるであろう。人口増の主な要因となっているのが、ヒスパニック系(ラテン系)やアジア系の移民増である。
移民増は政治過程にも大きな影響を与える。例えば、移民政策や所得再分配的などに関する政策争点は両党にとって利害が共通する重要な争点に変貌していく可能性がある。そうなると、政治過程における政党間の協力が一気に進んでいくというシナリオも考えられる。
また、ヒスパニック系やアジア系の移民はいまのところ民主党支持が多いのも注目したい。第4部でのべたように、近年は民主・共和両党が議会内の議席数で拮抗する傾向にあり、両党の対立が膠着状態をもたらしているが、移民増は民主党や支持者にとっては朗報である。ただ、移民人口が国籍を持つまでには時間がかかるほか、共和党側も移民にすり寄った政策を間違いなく打ち出していく話は単純ではないが、いずれにしろ、移民が「新しいアメリカ」を作り出し、移民政策が今後のアメリカの政治過程を大きく左右するのは間違いない。近年の移民改革法案をめぐる熱い議論などをみると、既にその兆候は顕著である。
(2)国民の不満と新しい選択肢
また、現在のアメリカの政治過程そのものに対する国民の不満は非常に強く、変化がうまれるきっかけになるかもしれない。議会としてはここ数年、民主・共和両党の対立で膠着状態が続いているため、議会に対する国民の支持率が史上最低レベルまで落ちている。
国民の支持がこれ以上、離れることは議会としては立法活動に対する国民からのマンデート(委託権限)がないことを意味する。また、候補者にとっては再選を目指すのに悪影響である。両党いずれも新しい選択肢を提示するか、対立を超え、何らかの形で妥協しながら政治を動かしていく必要にいずれは迫られるであろう。
(3)アメリカの底力
近年の「政治的分極化」現象は非常に顕著だが、このように「ポスト議院内閣制化」となる目は既に生まれている。長期的、短期的に見た外交への影響はまだ、見えないが、変化の兆しがあることは注視すべきであろう。
繰り返しになるが、移民増でアメリカ社会は大きく変わりつつある。人口そのものが国力であるとしたら、アメリカは衰退しているのではなく、再生しつつあるのかもしれない。
公民権運動に代表されるように、人口が増え、社会が多様になることの困難さこそ、アメリカの歴史であった。一方で多様性が生み出す底力は、現在のアメリカの国際的地位の源泉となっている。もし、新しい移民のもたらす多様性を十分に国力に昇華できたとしたら、アメリカの底力はすさまじいのかもしれない。
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