──いま振り返ってみて、研究者へのスタートラインはどこにあったと思われますか。
海部陽介氏(以下、海部氏):小学生のときから研究者になろうと、うっすらとですがイメージしていたんです。父は天文学をやっていて(国際天文学連合会長の海部宣男先生)、その影響は間違いなくあったと思います。
趣味の範囲がとても広い人だったので、たとえば化石探しに連れて行ってくれたり、家族で野尻湖(4万5000年前のナウマンゾウやオオツノシカ化石が出る場所)の発掘に参加したり……。
研究者になりたいといっても具体的な分野は決めていなくて、ずっと自分のテーマを探し続けていました。天文学も面白そうだけれど、父と同じことはやりたくない、ぼくは「人間」のことをやりたいと、意識していたように思います。
父はたいへんな読書家で、家に本がたくさんあったんです。子どものためにも、全集や図鑑を揃えてくれたり。ただし、きちんと読めとか、強要はしませんでしたよ。ある意味とてもよい環境。それを十分に活かさなかったけれど(笑)。
子どもの頃、私はあまり読書家ではなかったのですが、歴史系の本はわりと読んでいたと記憶しています。小学校の図書室で本を選ぶときには、必ず伝記が並んでいる棚へ向かいました。
よく覚えているのは、伊能忠敬(1745~1818)。日本中を歩きまわって地図をつくる──。なんでそんなことをするのか不思議で、しかし「どうやらすごいことをしているんだ、この人は」、と感心しながら読んでいましたね。もうひとりは、ハインリッヒ・シュリーマン(1822~1890)。トロイアを発見した考古学の人ですが、信念をもってそれを探り当てたという事実に感動しました。つくられた物語よりも、実話にひかれていたんでしょうね。
それから地球の形成のようなことにも興味があって、家にあった鍾乳洞の図鑑がすごく面白かった。不思議な地形がどのようにできるのか、その内容がつよく印象に残っていますね。
やがて人間の進化へ興味が向かうのですが、その1つのきっかけとなったのが『キネズミさんからヒトがでる』なんです。
──これは1980年に刊行された漫画(井尻正二作/伊東章夫絵)で、人間の進化を描いたじつに味わい深い作品ですね。
海部氏:この本に出会ったのは小学校高学年のときで、なんども読み返しましたね。ユーモラスな漫画ではあるけれど、へんてこりんな人間の先祖たちの中に、実在の古生物学者や地質学者が出てくるあたりが面白かったんじゃないかなぁ。当時、本格的に人類進化学の世界へ足を突っ込んでいる研究者は、日本にまだいなかったんですよ。もちろん、そのときにはそんなこと分かりませんから、こういう世界にあこがれながら、だんだん現実を知っていったという流れですね。
これ、いま見ても面白いんですよ。研究者が興奮している様子やがっかりしている様子が描かれていて。研究者って、発見がいちばんエキサイトする瞬間ですが、それが認められなくて落胆したり──。あらためて見ると、教科書が教えてくれることよりずっと豊かな内容なんですよね。古代人たちの描き方が、もちろん原始的だけれど、解説的な本とちょっと違ってたのしそうなんですよ。じつに生き生きとしている。
──人類学は「人間について探求する学問」であると、御著書の『人類がたどってきた道』(NHKブックス)にもお書きになっています。その探究の道へ、いよいよ進んでいくわけですね。
海部氏:そのために何をするか、それほど意識して進んできたわけではないんですが、大学は人類学教室のあるところを選びました(東京大学理学部生物学科人類学教室)。研究者になることは決めていたけれど、様々な分野の科学書を読み、たとえば脳科学などのオプションも考慮しながら、いろいろな分野の先生を訪ねてみたり……。後悔はしたくなかったですから。
ぼくは人間そのものを探究したい、進化を軸にして人間のことを探りたい、そう思っていた。長い時間軸で俯瞰するような研究をやってみたい、という気持ちを、ずっともっていたんです。実験データの中だけで解釈していくよりも、自分はモノを見たい。それから、フィールドにも出たいし。
大学の教養課程のとき、『日本人の骨』(1963年)を読んだんです。人類学に進もうかどうしようかまだ悩んでいた時期だったのですが、じつに刺激的でしたね。
ぼくがいま研究しているのはホモ・サピエンス(現生人類[=私たち]の学名。賢い人、の意)になっていく過程ですが、この本にはホモ・サピエンスになってからの、日本の古代から現代までを「骨」でたどっていく話が書かれています。スケールが大きく、日本の縄文・弥生時代から現代までを貫いて人骨の変化を追えるというのが驚きでした。
著者の鈴木尚先生(人類学者。1912~2004)は、ご自身で収集した膨大な資料をもとに本書の内容を構築していて、ちょっと圧倒されましたね。実はこの資料があるおかげで、ぼくらはいま研究ができているんです。
──そして人類学へ進もうと決断するわけですね。
海部氏:はい。ちょうどその頃に『ルーシー:謎の女性と人類の変化』(ドナルド・C・ジョハンソンほか著、1986)と出会ったんです。アフリカで行われている人類の祖先の調査の様子がすごく生々しく描かれていて、具体的なイメージを掴めたので、「これだな!」と。『日本人の骨』と『ルーシー』は、進路を決める大きなきっかけになりましたね。
1974年にエチオピアでルーシー(320万年前の猿人の女性の化石)を発見したドナルド・ジョハンソンら、ここで活躍していたのは、博士号を取得したばかりの若い人類学者あるいは大学院生たち。若い世代がアフリカというフィールドに出て、自分たちの手でチャンスをものにしていく。研究者を目指す者にとって、大いに参考になりましたね。
──人類学というのは、どうやらとても広く深い分野のようですが……。
海部氏:おっしゃる通り、人類学って得体がしれないところがあるんです (笑)。人間は生物学的存在であると同時に文化的存在でもあるわけです。人類史において、文化を切り離して考えることはできませんから。
ぼくの専門は人類進化学で、さらにいえば化石形態から考察するので形態人類進化学でもあります。人骨の化石──その形態から、我々がたどってきた進化の道を解明していくというのがぼくのアプローチですね。もちろん、そのアプローチだけで、人類が何をしてきたか分かるわけじゃない。ぼくは人骨の化石とともに出てくる考古遺物の解釈にも興味があって……。いろいろな分野が複合して、学術的成果が得られるんです。
いまは進化を軸に原人の研究をしていますが、行き着くところはサピエンス。いつもそれを意識していて、原人のことをやりつつ「いまの自分たち」のことを考えたいんです。そういう視点をもっていると、さまざまな着想を得られるのです。
──研究者になられてから衝撃を受けた本の一冊が、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(2000年刊)とのことですが。
海部氏:なぜ衝撃を受けたかというと、じつはぼく自身、このような本を書きたいと思っていたんですよ。国立科学博物館の研究員として仕事をし、人間のことをさらに深く考えて、良い着想を得たと思ったら『銃・病原菌・鉄』が出てしまった(笑)。もっとも、ぼくが想定していたよりもずっとスケールが大きくて、こんなふうに描けるのかと、つよい衝撃を受けました。
ぼくらが歴史で習うのは、発展した文明ばかりです。しかし、そうじゃない世界も実際に存在する。それをぼくらは忘れているんだなぁと、人類学をやっていて感じたんですね。どうしてそうなるのだろう……、著者のダイアモンドと、とてもよく似たテーマを考えていたわけです。
人類学を探求している意味を、さらに強く意識しだした頃で、そのときに出てきたひとつの軸ですね。文明だけじゃなく、人間とその文化の多様化の背景も理解したいと。
──フィールドワークというのは、その多様化の背景を探る営みでもあるのでしょうか。
海部氏:フィールドワークでは、まず現地の人たちとの人間関係の構築が重要です。稀少な資料を扱っているので、許可がなければまず仕事はできない。また、現地の人と一緒でないとできない。人類の化石って、どこの国でも国宝級に大事なんですよ。ぼくらだけで勝手に掘るなんて絶対にありえない。交渉事はたいへん多いのですが、ぼくはそういうことは、あまり苦にならないのです。もちろんストレスもいっぱい溜まることがありますが、あとになって振り返るとそうしたことも含めて面白かったなぁと思えます。
それから観光客はまず行かないようなところへ足を踏み入れるということ。普通じゃできないような経験ができるのもフィールドワークの醍醐味ですね。
そんな中で、発達した文明だけでない、それ以外の人類のあり方というものも感じてきた。人間の生き方は、じつに多様です。
同時に人間って、環境によって相当変わりえるものという実感もあります。いまはモノに溢れた世界が当たり前になっているけど、三万年前に生まれたら、三万年前の世界のスタイルに満足して人生を送れるんじゃないか。逆に、三万年前の祖先がもし現代に生まれれば、現代人として立派に生活したと思うんですよ。
──次代の研究者たちへ、いま伝えたいことはなんでしょうか。
海部氏:ぼくは大学生に教える機会もあるのですが、ひとつのことをもっと深く考えてほしいですね。たとえば、ある事象を説明したらあっさり納得してしまうとか、それに対してほとんど疑問を抱かないというのは損だと思うんです。教授が言うことに対し「そこはちょっと違うんじゃないの」という突っ込みがもっとあっていい。自分の頭で考える、という習慣ができていると、もっと未来が開けると思う。
疑問をもつ、小さなことにこだわる、ネチネチとしつこく考える……。それは研究にとって、基本的なことで、かつとても重要なことなんです。その繰り返しのその先に、素晴らしい発見があるかもしれないのです。
ぼくは人類学を選んで、当初思っていた以上に面白いことを探れてきているという実感があります。自分のミッションとして、やり遂げたいことはまだいくつもありますね。たとえば過去200万年間のアジアの人類史。『人類がたどってきた道』では世界の話を紹介していますが、次はアジアにフォーカスして、ホモ・サピエンスがアジアにどのように現れ、どうやって広がっていったのか、どうしていまのぼくらになったのか……と明らかにしていきたい。
人類学は、未来を考えるための材料を提供する立場にあると思っている。これからの私たちの行く末をどうしていくのか、皆が考えるときに役立つ、有効で的確な情報を、人類学の研究を通じて提供していきたいんです。
──とても貴重なお話をありがとうございました。
海部陽介(かいふ・ようすけ)
国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻進化多様性生物学大講座・准教授。理学博士。化石の形態解析とフィールドワークを通じ、アジアにおける人類の進化、拡散史の解明に取り組む。著書に『人類がたどってきた道』(NHKブックス)、共著に『人類大移動』(朝日新聞出版社)、『絵でわかる人類の進化』(講談社)などがある。第9回(平成24年度)日本学術振興会賞受賞。