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金大中も朴槿恵も苦しんだ「慶尚道vs全羅道」1000年の恨み

이강기 2015. 11. 5. 22:02

なぜ韓国の大統領の出身地は異常に片寄っているのか

金大中も朴槿恵も苦しんだ「慶尚道vs全羅道」1000年の恨み

SAPIO 2015年11月号掲載) 2015年10月19日(月)配信

 

 

文=岸建一

韓国大統領の出身地は、大半が慶尚道で不自然なほど片寄っている。背景には、長い歴史を持つ地域差別があった。

 

 ソウルの居酒屋でテーブルを囲む同年代の男たち。焼酎やマッコリを酌み交わし、すっかり酔いも回ってそろそろお開きとなったとき、1人の男がトイレに立った。それを見届けた別の男が、皆に向かってこう言った。

 

「会計はオレがやるよ。(トイレに立った)あいつにやらせたら、割り勘をごまかすに決まってるからさ。なんたって、あいつは全羅道(*1)の人間だからな」

 

 それを聞いた残りの男たちは、にやけたような顔で笑った。トイレに立った男以外は、日本人の筆者を除いて、全員が慶尚道(*2)出身だった。

 

 筆者が10年ほど前に体験したエピソードだが、韓国社会には、こうした出身地をめぐる「地域差別」が、現在も根強く残っている。自国や自民族に対する差別には非常に敏感な反応を示す韓国だが、国内に目を向けると学歴信仰や男尊女卑など、さまざまな差別意識がはびこっていることに気付かされる。中でも地域差別は、その代表格だ。

 

*1 韓国の西南部に位置。1896年に全羅北道と全羅南道に分かれた。
*2 韓国の南東部に位置。慶尚北道および慶尚南道。

 

韓国では、全羅道が、長く地域差別の対象となってきた。とりわけ、木浦や光州などの全羅南道エリア一帯は「湖南」と呼ばれ、気候温暖な米どころとして豊かな食文化を持ち、歌舞音曲にも秀でていることで知られ、著名な料理家や芸能人を輩出してきた。だが、韓国内では「湖南の奴らは信用できない」と疎んじられる対象でもあった。

 

 そのルーツをたどっていくと、後百済(*3)を滅ぼし、朝鮮半島を統一した高麗(*4)の王建(太祖)が、全羅道からの人材登用を厳しく戒めた歴史にあると言われている。そうした中で培われた差別意識は、現代にも引き継がれて、1961年の軍事クーデターで朴正熙が政権を掌握してから顕著になる。

 63年の大統領選挙に当選した朴は、出身地の慶尚道を優先したインフラ整備を行い、官庁人事では同郷の出身者を優遇した。朴が主導した地域開発運動「セマウル運動」(*5)でも、モデル地域を慶尚道に置いている。一方、全羅道は開発が後回しとなり、中央官庁でも出身者が冷遇されるなど露骨な差別にさらされた。朴への強い不満が、慶尚道に対する対抗心につながっていったのだった。

 

*3 892年建国。全羅道地域を治めていた。
*4 王建が建国した朝鮮王朝。918~1392年。935年に新羅を、936年に後百済を制圧して、朝鮮半島を統一。
*5 韓国語で「新しい村づくり」の意。農漁村の近代化、所得拡大などを目的に、72年から開始された。

 

そうした長年にわたる全羅道の鬱憤を晴らしたのが、98年の金大中の大統領就任だった。民主化運動のリーダーとして知られる金だが、生まれ故郷は全羅南道で、差別にあえいできた歴史を肌で知る政治家でもあった。

 大統領として南北首脳会談など国際的に注目される政治活動を展開するだけでなく、金は地域差別の解消を訴えるとともに、鉄道や道路など全羅道への開発にも力を注いだ。

 

 全羅道の人たちにとって、金に対する尊敬の念は格別のものがある。08年に筆者が木浦を訪れた際、タクシーの運転手に「金大中の出身地はこの近くですね」と話しかけると、いきなり激高し「呼び捨てとは何だ! 金大中先生と言いなさい!」とまくしたててきた。

 

 そうした反応には面食らったものの、差別を受け続けてきた地域から大統領を輩出したというカタルシスに裏打ちされていると思えば理解しやすいだろう。

 

互いの「陣地」に入っての
選挙活動はできなかった

 しかし、金が大統領まで上り詰めても、地域差別の根を解消することはできなかった。韓国の政界には、そうした地域間の感情を選挙戦で利用する傾向があり、金が地域差別解消を訴えても、政治的な利害関係もあって必ずしも浸透しなかったのだ。

 

 日本でも沖縄の小選挙区で共産党の候補が勝利するなど、地域によって政治的な特徴が存在する。だが、韓国の慶尚道と全羅道にみられる政治的な「偏向さ」は、日本とは比較にならないほどはっきりとしている。

 大統領や国会議員などの選挙ともなれば、全羅道では「進歩」と言われる左派・革新系候補が圧倒的な票を集め、逆に慶尚道では右派・保守候補が大勝を収める。

 

 金大中が勝利した97年の選挙では、全羅道エリア(光州広域市を含む)での金の得票率は実に94・7%。保守陣営の李会昌はわずかに2・7%だった。

 

 それぞれが強固な地盤を確立しているだけに、以前は全国区の大統領選挙でも、互いの「陣地」に入って選挙運動をすることすらできなかったと言われている。

 

 金大中の後継者となった盧武鉉は、慶尚南道出身の弁護士で、政界入りした後も釜山市長選挙や、釜山の選挙区からの国会議員選挙に出馬するなど、「進歩」の民主党所属ながらソウル以外では「保守」の地盤である慶尚道で政治活動を行っていた。

 

 盧は金大中政権の00年に海洋水産相として閣僚入りを果たす。これには、慶尚道の出身者を大統領にしようとする金の思惑があった。右派と左派の垣根を越えた韓国政治を実現しようとしたのだ。

 

その狙いどおり、盧は党内の予備選挙で、慶尚道出身ながら全羅道内でも勝利を収めて正式な候補者となり、大統領に当選する。だが、政治的基盤は不安定で、地域差別の解消を実現するまでには至らなかった。

 08年大統領に就任した保守政権の李明博は、父母が慶尚北道出身だが、出生地は大阪で、韓国内では「日本の血を引いている」とささやかれた。李は、その噂を打ち消すかのように慶尚北道出身であることを強調し、同郷の官僚を優遇するなどした。政権を守るための「先祖返り」だった。

 

 ちなみに、かつて慶尚道の道都だった大邱広域市を出身地とする朴槿恵(保守)も大統領選挙では苦しんだ。

 

 12年の選挙では、全羅道エリアにおける朴の得票率は10・3%だったのに対し、左派の文在寅は89・2%と圧倒的な支持を受けている。一方、朴が最も支持を集めた慶尚南道で約8割を獲得したのに対し、文の得票は2割以下だった。

 

 韓国社会に深く根ざす地域差別は、2つの地域が激しくいがみ合う形で存在してきた。政治の場では「進歩」と「保守」の草刈り場となってきたが、結果としてマトモな政策論争が行われず、片寄った感情論の横行を許すこととなった。それは政党政治の否定でもある。地域差別解消は、韓国の抱える大きなテーマだが、実現する見通しはない。