「なんで、ここまで大きな騒ぎになってるの?」

 韓国の朴槿恵大統領を巡る騒動で、こう聞かれることが多い。今や疑惑が次から次へと報道されているので支持率下落は当然としても、日本的な感覚では、ここまで急激な動きには戸惑いを覚えるということだ。

文書流出よりも問題とされたのは……

 韓国の方が、何事においても日本よりスピーディーだということは前提として考えていいだろう。朴大統領のクリーンなイメージを裏切られたことへの反動や、韓国人が最も敏感な大学入試での不正まで出てきたことへの反発、格差拡大で閉塞感が漂っているという社会背景などが、合理的な理由として挙げられる。ただし、こうした理由だけで今回のような激烈な反応を生んだようには思われない。


 クリーンなイメージ以外の要素は、過去の政権でもありえた話である。しかし、過去の政権末期のスキャンダルはここまで激しい反応を呼ばなかった。今回、韓国世論が燃え上がったのは演説草稿などの流出が分かった段階だ。この問題が出た時を境に大統領支持率は底を割ったように急落した。過去の政権と同じようなタイプの疑惑が拡大する過程では、朴大統領の固い支持基盤である保守派の支持が徐々に失われていったが、この日以降は保守派も一斉に背を向けた印象だ。

今回の機密漏えい問題で捜査を受け入れる意向を示した朴大統領 (写真:YONHAP NEWS/アフロ)


 本当に問題にされたのは文書流出そのものではなく、大統領の背後に崔順実(チェ・スンシル)容疑者がいたというイメージである。実は、文書の重要度がさほど重視されていないように見えることからも、その点は明らかだろう。現段階で流出を指摘されているのは、演説草稿や外国使節を迎える時の応答要領といったものが中心だ。南北秘密接触に関する内容と言われるものも、「秘密接触を行った」と書かれていた程度である。いずれも「機密文書」ではあろうが、政策決定そのものとどれだけリンクしていたかは疑問を持たざるをえない。人事介入については状況証拠としてかなりあやしいと思われているが、現段階ではあくまでも疑惑である。


 疑惑の内容は日本でも詳しく報道されているので、詳細には踏み込まない。ここではむしろ、全体の流れを振り返ってみたい。



「大韓民国の国民であることが恥ずかしい」
感情面での衝撃の大きさ

 財団設立の問題が最初に報じられたのは7月下旬である。保守系大手紙・朝鮮日報系のTV朝鮮が報じた。ただ、この時は崔容疑者の名前は出ていなかったし、しつこく追求するわけでもなかった。他メディアも後追いせず、財団を巡る報道はしばらく消えた。


 財団設立への崔容疑者の関与に関する報道が出始めたのは9月20日ごろ。もともと朴大統領に厳しい進歩派のメディアが中心になって疑惑を次々と報じていった。崔容疑者の娘の不正入学疑惑も大きく取り上げられたから、子育て世代や若者たちは怒った。


 この段階で、「コンクリート」と称された朴大統領の支持基盤も若干の動揺を見せた。朴大統領の父である朴正煕大統領を慕う高年層を中心に「コンクリート支持層」は少なくとも3割と言われていたのに、10月に入ると世論調査の支持率で3割の維持があやしくなってきたのだ。この時の原因は、朴大統領のクリーン神話が崩れたことだとされた。朴大統領には妹と弟がいるが、ずっと疎遠なので不正を働く身内はいないと思われていた。そのために支持者たちは「裏切られた」と感じたのだという。一方で、子育て世代や若者たちからの支持はもともと低いから、政権の危機とまでは言えなかった。


 ところが、10月24日に中央日報系のテレビ局「JTBC」が夜のニュースで大統領の演説草稿などを崔容疑者に見せていたと報じたことで一気に流れが変わる。最初に系列局が財団問題を報じたのに、その後は疑惑報道を避けようとしていると進歩派から批判されていた朝鮮日報も25日付け紙面にJTBC報道を基にした社説を掲載し、「封建時代にもありえなかったことが起きているというのか」と嘆いた。そもそも他社が夜のニュースで報じたことを基にして翌日朝刊に社説を載せるというのは極めて異例の対応であり、それだけ衝撃が大きかったことを物語る。


 朴大統領は25日に演説草稿を崔容疑者に見せていたことを認めた。これが、火に油を注ぐ結果となった。朝鮮日報が26日付けで朴大統領の談話を論評した社説のタイトルは「恥ずかしい」という一言である。社説は「朴大統領はいまや国民を説得しうる最小限の道徳性を失い、権威は回復が難しいほどに崩れた」と断じ、「多くの人々がいま、大韓民国の国民であることが恥ずかしいと言っている」と締めくくった。理性より感情の面での衝撃が大きかったように読める。


 大統領支持率も、この日を境に急落を始めた。韓国ギャラップ社の世論調査は3日間の平均値を最終日に出す形なので、24日夜の報道や25日の談話発表の影響が全体的に出るのは「25〜27日」の調査となる。これが一気に17%にまで落ち込んだのだ。25日までの3日間平均が24%、26日までは21%だった。この流れはその後も続き、1週間後の「11月1〜3日」には5%。まさにつるべ落としである。



根強い「序列意識」の影響

 なぜ、文書流出の件で一気に反感が強まったのか。韓国の知人たちに聞くと、多くの人は「まったく専門性のない人間が国政の指南をしていたなんて信じがたいことだ」と拒否反応を示した。さらに「大学教授や元政治家ならともかく、ムーダンだなんて」と話す人も多く、基本的には同じことではあるものの別の表現で「エスタブリッシュメントの人たちは、自分たちと同じ階層ではない人間が大統領を操っていたということに怒っている」と指摘する人もいた。朴大統領の対外政策に関するブレーンと言われた人は「法律的には問題なくても道徳的に許されない」と話した。そのために、多くの人が「虚脱感」や「裏切られたという感覚」を抱いているのだという。


 やはり、疑惑の中心にいる崔容疑者という人物に持たれている「エセ宗教」や「ムーダン」というイメージが決定的なファクターとなったようだ。ムーダンとは「職業的宗教者。クッとよばれる祭儀をつかさどり、激しい歌舞の中で憑依状態となり神託を宣べる」(『大辞林第3版』)という存在だ。ムーダンは朝鮮社会の中では下層に位置付けられる存在だった。そんな人間が大統領の背後に隠れていたというイメージが、さまざまな理由で積もり積もっていた朴大統領に対する不信感を爆発させる最後の一押しになったのである。そこには、韓国社会に根強い序列意識の影響も強いようだ。


 崔容疑者は新興宗教の教祖だった父とともに1970年代、凶弾で母を失った若き日の朴大統領と親密な関係を築いたとされる。そして、1979年には朴正煕大統領も殺された。独裁者の娘にこびへつらっていた多くの人たちが手のひらを返す中、崔容疑者一家はずっと朴大統領に寄り添った。深刻な人間不信に陥った朴大統領が、年齢も近い崔容疑者に心を許したことは自然なことだ。他に信頼できる人脈がないから、政治家になってからも崔容疑者に近い人物が周囲を固めることになった。大統領だとしても私的な友人に相談すること自体を悪いとは言えないはずなのだが、今回は、崔容疑者と彼女の父のマイナスイメージに全てがかき消されている。


 一方、朴大統領が検察の捜査を受け入れるという11月4日の談話を発表した直後に韓国の民間調査会社リアルメーターが行った世論調査では、談話を「真摯なものではなく受け入れられない」が57.2%、「不十分だが受け入れる」が28.6%、「十分だ」が9.8%だった。保守層や60代以上で「不十分だが受け入れる」が40%を超え、「受け入れられない」より多かったという。評価が難しい数字である。依然として朴大統領への逆風は強いものの、「コンクリート支持層」は再び同情し始めている可能性もある。あるいは、コンクリート支持層を中心にこれ以上の国政混乱を嫌う心理が出てきてもおかしくはないだろう。


 ただ、耳の痛い意見を言う人たちと意思疎通をしないという意味で「不通」と呼ばれる朴大統領のスタイルは、こんな状況になっても依然として変わっていない面がある。このスタイルを押し通したまま根本的な打開策を導き出すなどということは想像しがたく、先行きは全く不透明だ。


 文化的背景の違う社会に住む人々の琴線に訴えるものは、それぞれ違う。それは、米国大統領選におけるクリントン氏の私用メール問題を見ても分かるだろう。米国では大統領選の情勢に大きな影響を与える重大問題だが、日本人の何パーセントが米国社会の感覚を肌で理解できるだろうか。朴大統領を巡る韓国社会の動きも同じことである。良い悪いの問題ではなく、感覚というのは違うものだと考えるしかないだろう。その点は忘れないようにしたい。