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韓国で時ならぬ建国論争 「1948年」が一般的だが…「1919年」推す文政権の思惑は?

이강기 2017. 10. 28. 16:37


【黒田勝弘の緯度経度】
韓国で時ならぬ建国論争 「1948年」が一般的だが…「1919年」推す文政権の思惑は? 

 いつも映画が何かと話題の韓国で、中秋節の「秋夕」の大型連休後も人気が続き話題の映画がある。李朝時代を舞台にした歴史ドラマ「南漢山城」。李朝時代というと、日本(豊臣秀吉軍)相手に「勝った、勝った」という“愛国活劇”が韓国映画界ではもっぱらだが、今回は相手は日本でなく中国(清)で、しかも朝鮮が惨めに降伏させられる「屈辱の歴史」を描いた異色のドラマだ。


 背景は17世紀前半、中国で明に代わって清が勃興したころ。明に義理立てする朝鮮は満州から興った清を“蛮族”として拒否したため、清は10万の大軍で攻め入り朝鮮朝廷はソウル南郊の「南漢山城」に立てこもる。


 朝廷内部は和戦両論でもめるが最後に王・仁祖は「大義と名分」を捨て、民を生かし朝廷存続のため和平を決断し城を出る。そして漢江のほとりの「三田渡」で清の皇帝にひざまずき、頭を地にこすりつけ「臣下の礼」をとる。


 清の侵攻は「丙子胡乱(へいしこらん)」(1636-37年)といわれるが、映画は苦渋の決断を権力内部の論争で描き、降伏・和平の選択を「生き残ってこそ新しい道が開けるのだ」と語らせている。屈辱の歴史を淡々と内省的に描いたいわば真の愛国映画だ。とくに荒唐無稽な反日愛国映画ばかり見せられてきた日本人には心洗われる(?)思いがする。


話題の背景には、中国にいじめられている最近の世論の鬱憤のほか、国際社会から厳しい制裁にさらされている北朝鮮の実情、さらには「大義や名分」にこだわり実利を失いがちな韓国外交など、現状への不満や懸念があるようだ。


 「三田渡の屈辱」から今年は380年。その清(中国)のクビキから朝鮮を解放したのが日清戦争(1894-95年)である。日本に敗れた清は朝鮮への支配権を失い、朝鮮は“独立”して大韓帝国(1897年10月)になる。中国に気兼ねすることなく独自の国号と年号を持ち王は皇帝を称することができた。


 大韓帝国は1910年の日本による併合で13年間しか存在しなかったが、今月がその「建国120年」ということで展覧会など記念のイベントが行われた。


 ところで韓国では「建国」をめぐって今、新たな論争が起きている。きっかけは文在寅(ムン・ジェイン)大統領が今年の8・15演説で再来年の2019年を「大韓民国建国100周年」といい、これまで保守派を中心に戦後の李承晩・初代大統領に始まる1948年の大韓民国のスタートを「建国」としてきた一般的な見方を否定したからだ。


文大統領の建国100周年説は、日本統治時代の1919年3月1日を機に起きた抗日独立運動を背景に中国・上海にできた亡命者による「大韓民国臨時政府」を起点にしている。この亡命政権は政府としての実態はなく、国際的にもその存在は認められなかった。しかし北朝鮮に対抗する戦後の韓国を認めたがらない左翼勢力は「1948年建国」説には反対で、1919年を代案にしてきた。


 「朴槿恵(パク・クネ)弾劾」のロウソク・デモで誕生した文政権は、1919年の「3・1抗日デモ」で生まれた「上海臨時政府」をルーツにしたいようだが、こうした建国論争では、歴史的に最も大きな意味を持つはずの中国のクビキを脱した「大韓帝国の建国」のことはどう位置付けられるのだろうか。(ソウル駐在客員論説委員)