藤原帰一の映画愛
密偵 日本の植民地支配に協力した悲しみ、怒り
每日新聞, 2017年11月12日 04時02分(最終更新 11月12日 04時02分)
韓国を考えるときに避けることのできない問題が植民地支配の歴史です。1910年に大韓帝国が日本に併合されてから、日本が第二次世界大戦に敗北し朝鮮総督府が降伏する45年まで、35年に及ぶ植民地統治が続きました。
植民地統治の終わりから70年余り、サッカーのワールドカップを両国共同で開催した2002年から数えても15年になるというのに、暗い過去は今もなお日韓関係に影を投げかけています。そして、現在の日韓関係を過去が左右し続ける理由の一つには、韓国では植民地支配のもとに置かれた苦しみが繰り返し語られ、共有されているのに、日本ではその経験が広くは知られていないことを挙げなければなりません。そこに見られる大きな認識の隔たりが、日本人は過去の歴史から目を背けているという批判が繰り返される背景となってきました。
では、韓国では「日帝35年」がどのように語られているのでしょうか。それを探る手がかりを与えてくれるのが、この映画です。
舞台は、日本植民地時代の京城(現在のソウル)。武力に訴えてでも日本から独立しようとして活動する団体、義烈団が、日本の警察と熾烈(しれつ)な対決を続けています。対決といっても力では圧倒的に日本が勝っていますから地下活動に走るほかはない。それを押さえようとする警察は、義烈団のなかにスパイを送り込もうと試みます。おかげで警察の監視をかいくぐるばかりでなく、自分の仲間も疑わざるを得ない。まさに疑心暗鬼という状況です。
で、この映画の主人公は、日本人上司の警務局部長ヒガシの指揮の下で義烈団の監視と摘発に従事する、イ・ジョンチュル。朝鮮人でありながら日本人の手先となって朝鮮独立運動を弾圧するわけですからそれだけでも矛盾した立場ですが、このイ・ジョンチュル、かつては独立運動に加わったことがあったんですね。しかもヒガシ部長の指示によりチームを組むことになった日本人のハシモトが、ちっともイ・ジョンチュルを信用していない。日本警察の監視に置かれながら義烈団への接触を試みるという、幾重にも矛盾した任務を強いられることになります。
筋書きだけを見ると勧善懲悪の活劇巨編なんて映画になりそうですが、映画はむしろ極端なくらいにごく静か。日本支配下の京城とか、爆弾入手のため義烈団が潜入する上海とか、街の姿をできるだけ精妙に再現して、そのなかに人間を配置したといえばいいんでしょうか。映画冒頭、日本の警察が義烈団のひとりを追い詰めるシーン、あるいは列車のなかでこれも警察が列車に潜む義烈団を追い詰めるところなど激しいアクションもありますが、あくまで静との対比のなかの動、それもバレエのようにスタイリッシュな動きなので、美しい。ビジュアルだけでも見事な作品です。
そしてイ・ジョンチュルを演じるソン・ガンホが絶品。「シュリ」や「JSA」で日本でもお馴染(なじ)みですが、これほど存在感のある俳優はハリウッドでも日本でもちょっと稀(まれ)でしょう。どんな人なのか、日本と協力しているのか義烈団とつながっているのかを明かすことなくその心情に観客を引き寄せてしまう名演です。キム・ジウン監督の作品としても「悪魔を見た」以来の出来映(できば)えといっていいでしょう。
対日協力者が主人公ですが、だからといって植民地支配を肯定する映画なのかと思ったら間違い。むしろ逆であって、日本支配に協力することが悲しみと怒りを加速するという構図がここにあります。映画としてももちろんですが、植民地として支配された側から見た世界を知るためにお勧めしたい作品です。(東京大教授)
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