日本おとしめるマニラ慰安婦像設置の舞台裏 「歴史委員会」暴走、中韓系の関与あったのか?
産經新聞, 2018.1.2 08:00更新
フィリピンのマニラ湾を臨む遊歩道に、日本軍占領下(1942~45年)の慰安婦を象徴するフィリピン人女性の像が設置された。2017年12月8日の除幕式は、マニラ市や政府機関からも“来賓”を招いて行われた。先の大戦で日米の激戦地となったフィリピン。戦後は日比双方の努力で良好な関係を築き、2016年(平成28年)1月には天皇、皇后両陛下が訪問されきずなを強めた。にもかかわらず、日本人をおとしめる「慰安婦像」がなぜ出現したのか。現地での取材からは、政府機関である「フィリピン国家歴史委員会」の暴走ぶりと、地元の華人組織を駆使した中国の謀略が透けてみえた。(マニラ 吉村英輝、写真も)
碑文「極めて異例」
「マスコミには対応しないよう言われているが、仕方ない。知っていることは話します」
首都圏マニラ市にある政府機関「フィリピン国家歴史委員会」の建物内で17年12月13日、ある委員が匿名を条件に取材に応じた。
中国系メディアだけを集めて行われた慰安婦像の除幕式は8日の金曜。11日の週明け月曜、記者(吉村)はシンガポールから同委員会にメールや電話で何度も問い合わせたが応答がない。翌12日にマニラに飛び、同委員会を直接訪ねたが、事務員から「対応できる委員が外出から戻ったら連絡するから外で待て」と告げられ待った。夜になって再訪すると「もう帰ってしまった」とのこと。13日にこの委員の部屋に押しかけ、ようやくつかまえた。
この委員は、人権団体から慰安婦像への碑文作成要請があったのは17年10月だったと、困惑気味に記憶をたどった。同委員会は、年間約30件の碑文を全国の歴史建築物などに設置しているが、新設の銅像が対象となるのは「きわめて異例だった」としつつ、「マニラ市からの協力要請があったので受けた」と弁明した。
「日本に他意はない。信じて」
日本政府が12月12日に遺憾表明したことで委員会内は「大騒ぎになった。韓国出張中のエスカランテ委員長からは、『自分が帰国後対応するから取材などに応じるな』との指示を受けた。銅像は民間団体からの寄贈で、私たちの責任は碑文のみ。委員会は除幕式にも招かれただけだ。日本に対する他意はない。信じてほしい」と訴えた。
同委員会は、フィリピンの歴史や英雄に関する文化遺産や歴史的記念物の保全を行い、政府内でも独立性が保証されている。だが、委員6人はそれぞれ歴史の専門家。碑文には「慰安婦」との言葉はないものの、「日本占領下の1942~45年に虐待を受けたフィリピン人女性犠牲者の記憶」とある。日本側に相談もせず、外交問題に発展している慰安婦の碑文を安易に作成したことは、軽率のそしりを免れないだろう。
マニラ市「式典呼ばれただけ」
では誰が公共の場への像設置を許可したのか。
除幕式にはマニラ市のエストラーダ市長(元大統領)の代理が出席した。式典に関わる交通整理や周辺清掃を行った同市観光部門の幹部を直撃すると、「私は答える立場にない」としたうえで、「外交に関わる像設置の許可を市の独断で出せるわけがない。式典に呼ばれただけなのはマニラ市の方だ」と反論した。
その証拠として、出席した市長代理は直前まで知らされずに式典へ遅刻して参列し、衣装も用意していなかったのでジーンズ姿だったという。市長代理は、その場にいた歴史委員会幹部に「外務省の許可」を確認したが回答がなかった、ことなどを挙げた。
この幹部によると、遊歩道の管理は確かにマニラ市の管轄で、遊歩道には元大統領などマニラ市が設置した銅像もある。だが、像の新設に関する許認可権は公共事業道路省などにあるという。「外交問題に発展するような銅像設置を政府の頭越しに市が許可できるはずもない。市が除幕式を行うなら日本の関係者も必ず招待する」と主張した。
差出人は歴史委ナンバー2
マニラ市の記録を確認すると、エストラーダ市長に除幕式の招待状が届いたのは11月16日。翌17日には遊歩道を管理する観光部門に招待状が回された。そして、市長了解との“解釈”の下で、市側の準備が進められたという。産経新聞が入手した案内状からは確かに、除幕式は歴史委員会の主催で、市長がトップの来賓として扱われているように見える。
エストラーダ市長への案内状の差出人は、歴史委員会ナンバー2のルドビコ・バドイ事務局長だったと記録されており、一連の像設置に関する舞台裏に関与していた可能性がある。除幕式に出席したエスカランテ委員長の言葉として、中国国営新華社通信(英語版)は12月8日の配信で、「日本の兵士からレイプされた何千人ものフィリピン人女性は特に、戦争の苦痛を味わった」とも述べている。
また、エストラーダ市長の秘書は地元メディアに、像の設置許可申請は、現地の華人団体「トゥライ財団」から出されたが、公共事業道路省やそのほかの政府機関から許可を得るよう指示しただけで、「(市側は)許可していないし、許可することもできない」とし、像は同団体による無許可設置だったとの見方を示した。別の同市幹部は、「(政府機関の)フィリピン国家歴史委員会が(式典に)あるので、政府がすでに承認したと思っていた」とも述べている。
中韓へ出張
関係者の証言からは、外務省を含むほかの政府機関と連絡をせずに慰安婦像設置を推進した、歴史委員会の暴走ぶりが伝わってくる。それにしても、取材を受けた委員も「自分は中国出張中で除幕式には参加しなかった」と語っていた。除幕式直後に委員長は韓国出張に出ており、騒動を予想した“雲隠れ”にも見える。いずれにせよ、フィリピンの歴史を扱うはずの政府組織の歴史委員会委員によるひんぱんな「海外出張」に、外国勢力による懐柔があるのか、検証する必要がありそうだ。
今回のマニラの慰安婦像設置では、海外の華人団体がたびたび“共闘”を組む韓国系団体の姿が、表だっては見られなかった。フィリピンを訪問する外国人で最も多いのは韓国人。フィリピンの各地に「リトル・ソウル」と呼ばれる韓国人コミュニティーも出現している。
公共の場へ「慰安婦像」を設置する反日プロパガンダは、オーストラリアの最大都市シドニー郊外のストラスフィールド市でも2015年、試みられた。この際は、設置の嘆願が現地日系人らの知るところとなって表沙汰となり、同市は地方自治体の判断の範囲外だとして認めなかった。同市の公聴会には、日本をさげすむプラカードを持った韓国系市民が大挙するなど、異様な光景だった。ある日系人は、「慰安婦像設置を試みる華人団体幹部は、『韓国系は感情的になりすぎて、こちらの作戦が日本側に筒抜けになってしまう。もう組みたくない』と嘆いていた」とも語った。
実際、在フィリピンの日本大使館が慰安婦像設置を知ったのは、除幕式翌日の9日だ。2014年から準備が進められていたという慰安婦像設置について、韓国系団体が吹聴していたら、日本政府も対抗策がとれたかもしれない。
華人ネットワークは世界に展開する。背後に透けてみえる中国の反日工作の手が緩むことはなさそうだ。
フィリピンの慰安婦問題 日本とフィリピン両政府は、先の大戦の賠償問題などはサンフランシスコ平和条約で解決済みとしているが、フィリピンで、日本軍占領下(1942~45年)に慰安婦だったという女性らが90年代に名乗り出た。村山内閣当時の95年に発足した「アジア女性基金」が「償い金」などとしてフィリピンの元慰安婦211人に1人320万円を支払った。これを拒否し日本政府に「公式な謝罪と賠償」を求める動きもある。
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