北朝鮮の首都平壌にある金日成広場で行われた軍のパレード(2017年4月16日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / KCNA VIA KNS〔AFPBB News〕
歴史的な米朝会談についてはいろいろ語られているが、ここでは少し論点を変えて北朝鮮の軍人の立場からこの問題を考えてみたい。それは、朝鮮戦争が完全に終結したら、最も困るのは北朝鮮の軍人だからだ。
北朝鮮では「先軍政治」が行われている。これは北朝鮮の公式理念で、なににも増して軍を優先する政治を言う。
先軍政治に基づき、これまで人材や資材の多くを優先的に軍に配分してきた。その結果、シンガポールまで満足に飛べない飛行機しか持っていないにもかかわらず、水爆や大陸間弾道弾を造ることができた。
北朝鮮の兵力は約190万人程度とされる。人口は約2500万人だから、人口の約7%が兵役に就いていることになる。これは異常な数字である。現在の日本の自衛隊員の数は約20万人であり、人口の0.16%に過ぎない。日本は世界の中でも特に軽武装の国であるが、平時であればどんな国でも兵士の数は全人口の1%以下である。
全人口の7%もの人材が兵役に就いていては豊かになれない。戦争を終わりにして兵士を生産部門に移せば、経済成長が期待できるはずだ。
今の北朝鮮は太平洋戦争末期の日本?
ただし、そこで問題になるのが、軍人、特に将校の処遇である。
徴兵されてしかたなく軍隊にいる兵士には帰る場所がある。一般の兵士は朝鮮戦争が名実共に終わり兵役が解除されれば喜ぶ。しかし、軍人を職業にしていた者にとって、それは地獄である。職業軍人にとって戦争状態の終焉はリストラ時代の到来を意味する。
北朝鮮の実情を知ることは難しい。だが、先軍政治の下、軍人が肩で風を切って歩く世の中になっていることは想像に固くない。徴兵で集められた兵士の待遇は悪いとされるが、それでも兵士は一般民衆よりは良い食料を与えられていると報道されている。
北朝鮮の現状は、日本中が物資不足に悩んだ太平洋戦争末期の状況に似ているのだろう。その頃の日本では、「世の中は星に錨(いかり)に闇に顔、馬鹿者のみが行列に立つ」と言う戯れ歌(ざれうた)がはやった。星は陸軍を意味し、錨は海軍を意味する。物資が不足しがちになると、その多くを軍人が優先的に取得する世の中が出現した。一般市民は長い行列にならんで、やっと最小限の配給を手にすることができた。北朝鮮の現状も同じに違いない。
先軍政治の中で、軍人とりわけ将校は特権的な地位についている。中国やベトナムでも軍人は特権的な地位を占めてきた。だが、中国とベトナムが「改革開放路線」(ベトナムでは「ドイモイ」と呼ばれる)に転じた際に、国が戦時状態にあったわけではない。両国で特権的な地位に就いていたのは党官僚であった。彼らは経済において改革開放路線が選択されても困ることはなかった。むしろ歓迎すべきことだった。それは、汚職によって莫大な利益を得ることができるからだ。だから、中国やベトナムでは、政治的な波乱が起きることなく経済改革を推し進めることができた。
一方、軍人が大手を振って歩く北朝鮮において改革は難しい。大砲やミサイルの撃ち方に精通していた者は、平和な世の中になれば、その特権的な地位を失う。軍人のほとんどは改革開放路線についていくことができないだろう。
特権的な地位を持つ軍人の本音
金正恩は軍の支持の上に立って独裁政治を行ってきた。若くして「将軍様」に就任して以来、金正恩が演説中に“あくび”をした程度の理由で多くの大将クラスを粛正したとされる。そんな報道を聞くと、金正恩が軍を完全にコントロールしているようにも聞こえるが、それは早計だ。“あくび”をした高級軍人を粛正できたのは、軍に派閥があるからである。派閥抗争を利用して高級軍人を粛正したのだ。
つまり、ある将軍が失脚しても、その地位に新たな将軍が座る。そうであれば、かなり手荒なことを行っても軍全体が金正恩に歯向かうことはない。そして、若手将校がクーデターを起こすこともない。
大正時代に第1次世界大戦を見聞きした日本陸軍は、装備近代化の必要性を痛感した。しかし、平時において軍事費を増やすことはできない。その費用を捻出するために軍人の数を減らした。それは当時の陸軍大臣の名前をとって「宇垣軍縮」と呼ばれる。この宇垣軍縮は軍人に極めて不人気であり、昭和になって相次ぐクーデターの遠因になった。
先軍政治を推し進めてしまった以上、先軍政治から改革開放路線への変更は大きな混乱なくしてはなし得ない。大量の軍人、特に中堅や若手の将校を大量にリストラすれば、クーデターにつながる。しかし、将校をリストラしなければ、改革開放路線を推し進めることはできない。太平洋戦争に負けなければ、日本陸軍は政治に介入することを止めなかっただろう。
北朝鮮で特権的な地位を持つ軍人にしてみれば、一度核兵器を手にした以上、それを手放さずに済ませたい。現状維持が最も好ましい。そうであるなら、彼らにとって“のらりくらり”と交渉を続けることがベストの選択になる。
内政を意識したトランプ大統領の攻勢が一段落すれば、北朝鮮と米国の関係は元の木阿弥になる可能性が高い。