(英フィナンシャル・タイムズ紙 2018年11月23日付)
「どんなふうに破産したのか」
ヘミングウェイの小説『日はまた昇る』の登場人物はそう尋ねた。すると、2通りだなという答えが返ってきた。
「少しずつ、そしていきなり、だ」
少しずつ、そしていきなりというのは、ブレグジットの物語そのものだ。
2016年の国民投票で欧州連合(EU)から離脱するとの結果が出たことで、英国はエネルギーや目的、国際的な影響力を少しずつ奪い取られている。
少しずつだから、気づいていない人も多い。だがここに来て、終点がいきなり視界に入ってきた。破産よりひどい事態になるかもしれない。
ロンドンの官庁街ホワイトホールでは、公務員の委員会がいくつも設けられ、国の非常事態に備えたコンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)の策定に大わらわになっている。
国民保健サービス(NHS)は、薬の在庫がなくなるかもしれないと警告を発している。航空機が着陸させられたり、銀行のトレーディングルームが閉鎖されたりする可能性もある。
食料輸入の入り口として重要なドーバーの港も、ゆっくりと活動を停止するかもしれない。そんなことになったら売り場の棚は数日で空っぽになる、とスーパーは話している。
これらは、英国が「合意なし」でEUから離脱した場合に発生するコストの、ほんの一例にすぎない。
道路を1本隔てたところにあるウェストミンスター(英国議会)の政治家たちは無頓着なようだ。
保守党強硬派の下院議員たちは、自分の党から出ている首相の不信任投票を実現すべく署名を集めて回っている。
彼らカミカゼ離脱派によれば、テリーザ・メイ首相が交渉したEU離脱協定案では英国が「属国」になってしまうらしい。
それなら自分たちの同志を首相に据え、ブリュッセルのEU本部には指を2本立てておさらばし、リスボン条約第50条が定めた期限の到来する2019年3月末をもって一気にEUを離脱する方がましだ、英国は以前、強く自立していたではないか、というわけだ。
(注1=ピースサインを裏返した2本指は、米国などで「中指を立てる」のと同じ侮辱的行為)
立場は異なるものの、労働党のジェレミー・コービン党首も欧州プロジェクトを毛嫌いしている。
コービン氏は、英国で今起こっていることよりも米国主導の西側帝国主義に立ち向かうことの方に関心があり、EUは労働者に対する資本主義者の陰謀だと考えている。本当だ。
EU離脱派は大英帝国への郷愁に、コービン氏は1970年代に自らが掲げた革命的社会主義への郷愁に、それぞれ囚われているのだ。
ことがこれほど深刻でなかったら、笑えるほどばかげた話だ。だが実のところ、そのばかさかげんのせいで事態の深刻さがかすんでしまう危険性が大きくなっている。
英国は、40年以上かけて築き上げてきた欧州大陸との政治的・経済的関係を取り壊そうとしている。
EU加盟国という地位はこの国のあり方にしっかり織り込まれており、外交政策の重要な柱になっている。
メイ氏は以前、ブレグジットだと言ったらブレグジットだと述べたが、いったい何を意味していたのかについて保守党自体がまだ同意できていない。
平時の危機はこれまでにも何度か起きている。1970年代の初めには保守党のエドワード・ヒース首相と労働組合との対決のせいで、週に3日しか工場を操業できない時期があった。
大臣たちはこのとき、歯を磨くときはエネルギー節約のために電気を消すよう有権者に説いた。
その数年後には国が破産の危機に瀕し、労働党のジェームズ・キャラハン首相が国際通貨基金(IMF)の緊縮プログラムをめぐってほかの閣僚と対立した。
その後にやって来た冬には労働争議が多発し、選挙でのマーガレット・サッチャーの勝利と1980年代の経済革命への道を開くこととなった。
ブレグジットは、まるでケタが違う話だ。国民投票は連合王国とその中にあるコミュニティーを分断した。
イングランドの醜いナショナリズムを活気づけ、スコットランド独立派に新たな不満の種をもたらした。
若年層ではEU残留に投票する人が圧倒的に多かった。スコットランド、北アイルランド、ロンドン、イングランドのほかの大都市、そして裕福な専門職の人々の間でも残留派が多かった。
片や高齢者、小さな都市や町に住むあまり裕福でない人々――イングランドとウェールズではこちらが多数派となった――は離脱を支持した。
このときの敵意はまだ鎮まっていない。議会制民主主義は歪められてしまった。
下院議員の過半数はEU残留を支持したのに、今や、彼らが国益に反していると考えているブレグジットの取引を支持するよう要請されているのだ。
メイ氏が示した答えは、25日開催のEU加盟27か国の首脳との会議で最終決定させたいと同氏が望んでいるブレグジットのパッケージ(離脱協定案)である。
実を言えば、これは悪い取引だ。
ブレグジット原理主義者なら、これでは英国とEUの結びつきが緊密すぎると言うだろう。だが、この取引が悪い理由はそれではない。
北アイルランドとアイルランド共和国との国境が開かれ続けることを保証する「バックストップ」が盛り込まれているからでもない。
その理由は、「支配権を取り戻す」という無意味な試みのためにEU加盟国の大きな利点を犠牲にする内容だからだ。
この言葉がもし何かを意味するのであれば、「支配権」とは国益を増進させる能力のことだ。ブレグジットはこの能力を弱めてしまうのだ。
離脱協定案は、経済面では時限的な取り決めしかしていない。1、2年で新たな崖が目前に迫ってくるだろう。
それでも、下院で支持を求めるメイ氏には強力な援軍がついている。
港湾や空港、スーパーの品不足、景気の悪化と言ったカオス(混沌)が急激に迫ってくる恐れがあるという、あの「いきなり」の脅威だ。
気に入らない――それどころか大嫌い――かもしれないが、それを避けたら無秩序なブレグジットしか残っていない、と首相は言う。
その場しのぎの解決か、それとも混沌か。大企業はすでにメイ首相への支持を表明している。
もちろん、この選択肢の組み合わせは間違っている。
英議会はリスボン条約第50条による交渉の延長と、政府によるほかの選択肢の検討を求めることができる。
しかし筆者の政治感覚では、白黒がはっきりするときが近づいているように思える。
もし議会でメイ氏の離脱協定案が否決されれば、両極端の中間を行く、ごまかしながらもどうにか切り抜けるブレグジットを探る試みも終わりを迎える。
おそらく、現状維持か完全離脱かの「オール・オア・ナッシング」になってしまうのだろう。
2016年の国民投票で、英国はEU離脱という結論を出したものの、その後どこに行きたいかは明確にしなかった。
今なら、行く手に何が待ち構えているかが分かっている。ここで国民投票をもう一度実施したら、上記の2つの行き先が選択肢として示される。
その投票は国民を分断するだろうし、ひどい事態にもなるだろう。有権者は自己嫌悪を募らせた揚げ句、崖に突っ込むことを選択するかもしれない。
しかし、「少しずつ」の過程はもう終わりを迎えた。突如、英国は決断を下さねばならなくなったのだ。
[もっと知りたい!続けてお読みください]