(舛添要一:国際政治学者)
近代以降、ヨーロッパが中心となって世界を作り替えていった。16世紀はポルトガル、17世紀はオランダ、18・19世紀はイギリスが覇権国として世界を支配した。20世紀になって、いわばヨーロッパの出張所のようなアメリカが巨大化し、2次にわたる世界戦争の結果、覇権国にまでのしあがった。
資本主義が世界を覆い尽くしているが、これは近代ヨーロッパで生まれたものである。市場経済は、今や共産党が支配する中国にまで拡大している。
20世紀はまた社会主義の世紀でもあった。その思想は、サンシモン、マルクスなどヨーロッパの思想家が考え出したが、1917年にロシア革命が起こり、体制としての社会主義が地上に誕生した。ソビエト連邦は、その衛星国とともに、1989年のベルリンの壁崩壊を契機に潰え去る。20世紀は、社会主義の誕生と死を見届けたと言ってもよい。
12年周期で動くヨーロッパ社会の法則
若い頃、フランス、ドイツ、スイスなどでヨーロッパ史の研究に携わったが、社会主義という観点から、第二次世界大戦後の欧州について、私は12年周期という法則性を唱えたことがある。
ドイツは国土を二分されたが、ヨーロッパは自由な西側とソ連圏の東側に分断された。しかし、東欧諸国は、チェコのように、それ以前に自由な民主主義を経験した国もあり、民衆はソ連の軛から逃れ自由を渇望する動きを見せ始める。
1956年2月、本家本元のソ連で、フルシチョフがスターリン批判を行った。これに影響を受けたポーランドでは6月にポズナンで大衆のデモが暴徒化したが、軍によって鎮圧された。10月にはハンガリーで民衆が蜂起するが、ソ連軍が介入して鎮圧し、約25万人が難民として国外に逃亡した。これが、歴史上有名なハンガリー動乱である。
それから12年後の1968年1月、チェコスロヴァキアで共産党第一書記に就任したドプチェクは、事前検閲の廃止、市場経済方式の導入など、「人間の顔をした社会主義」を目指すことにした。しかし、社会主義体制崩壊の危険を感じ取ったソ連のブレジネフは、ワルシャワ機構軍20万人を投入して、この動きを圧殺したのである。「制限主権論」という勝手な議論を盾にとった軍事的弾圧であった。
さらに12年後の1980年、ポーランドでは、賃上げ要求が発端となり、政治的自由を求める労働者の運動が活発になった。これが、ワレサ委員長が率いる自主管理労組「連帯」の動きである。「プラハの春」と同様にソ連軍の戦車による弾圧寸前まで行ったが、ヤルゼルスキ首相は戒厳令をしいて、ワレサを軟禁し、予防的弾圧によってソ連の介入を防いだ。
同じ年、ハンガリーでは、市場原理を取り入れようとする経済改革の試みが始まった。このハンガリーの実験が、その後の東欧諸国の経済改革モデルとなっていくのである。
東欧諸国の経済改革の試みは、ソ連にも影響を与え、1985年3月に政権の座についたゴルバチョフはペレストロイカを開始する。そして、グラスノスチ(情報公開)や民主化を実行していったが、それが東欧諸国の改革に弾みをつけることになり、1989年11月のベルリンの壁崩壊へとつながっていったのである。
1991年12月25日、ソ連邦は崩壊し、ロシア連邦が成立した。1980年からほぼ12年が経過している。
「ベルリンの壁」崩壊で熱狂に包まれた欧州が・・・
今年は、ベルリンの壁崩壊から30年の節目である。当時、ブランデンブルク門近くの壁をハンマーで叩き割りながら、テレビ中継で日本の視聴者に東西冷戦終結の意味を解説したことを思い出す。あの熱狂が嘘のように、今日のヨーロッパでは不安と不満と混乱が広がっている。
イギリスでは、EUからの離脱案がまとまらず「合意なき離脱」となってしまう可能性がある。そうなると、イギリスのみならずEU、そして世界に混乱が広がるだろう。
フランスでは、改革を試みるマクロン政権が、毎週末に繰り返される反政府デモによって改革のテンポを緩めざるをえなくなっている。ドイツでは、メルケル時代が終焉を迎えつつあるが、それに伴って反移民の右派勢力が台頭してきている。イタリアでは、反移民の大衆迎合政権が、ばらまき予算を組んで、EUと緊張関係にある。
反移民、ポピュリズムの波はヨーロッパ全体に波及し、スウェーデンやベルギーでは連立政権の枠組みが決まらない状況が続いている。
以上のような西ヨーロッパや北ヨーロッパについては、日本でも注目されるが、ポーランドやハンガリーのような東欧諸国も今後の民主主義の動向に大きな影響を与えることを忘れてはならない。
東欧に広がる民主主義を葬り去る動き
先述したように、20世紀において社会主義体制の崩壊に果たした東欧諸国の役割は大きい。21世紀になって、東欧諸国などの加盟によって、EUが拡大していった。2004年5月に加盟したのが、チェコ、スロヴァキア、ポーランド、ハンガリー、スロヴェニア、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、キプロスの10カ国である。2007年1月にはブルガリアとルーマニアが加盟している。
イギリスがBREXITを決めた背景の一つはEUに加盟したポーランドからの移民の急増である。これがイギリス人労働者の職を奪い、賃金を下げているという不満が、EUに対して爆発したのである。
ハンガリーでは、米ソ冷戦時代に共産党政権を批判し、ベルリンの壁崩壊への先駈けを造った若き活動家、ビクトル・オルバンが今や首相となって国を統治している。彼は、政権党「フィデス」を率いて、反移民政策などで大衆を煽り、大衆の支持さえあれば民主主義的価値観が損なわれてもよいという「自由でない民主主義(illiberal democracy)」を唱道していることで有名である。
ポーランドでは、極右政党「法と正義」が政権に就いているが、司法に政治介入したり、ナチス占領下でポーランド人が行ったユダヤ人迫害という歴史的事実を否定したり、右寄りの姿勢を強めている。
チェコも同様で、一昨年10月の下院選挙で中道右派の「ANO2011」が勝利し、「チェコのトランプ」の異名を持つ富豪のバビシュが首相に就任した。因みに、日系のトミオ・オカムラ率いる極右政党「自由と直接民主主義」が第3位の議席を獲得し躍進したことも話題を呼んだ。
ソ連に押しつけられた共産主義を打破する先頭に立った東欧諸国が今度は、民主主義を葬り去る動きに先鞭を付けようとしている。東欧から始まった自由化の動きが、30年後に「逆コース」を辿り、ポピュリズムに身を任せようとしている。
大衆民主主義においては、政治家は、善悪二元主義で、敵を作り上げて徹底的に攻撃し、支持率をあげるという安易な手法を採用しがちである。それがまさにポピュリズムであるが、ユダヤ人を諸悪の根源としたヒトラーの大衆操縦法と大同小異である。東欧を含むヨーロッパ諸国の政治の行方は、民主主義の将来を左右しそうである。
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