◇弾道ミサイル発射再開、その狙いは?
北朝鮮の核問題の行方はますます不透明になっている。2月のベトナム・ハノイでの米朝首脳会談は、トランプ大統領が要求した「完全な非核化」を金正恩朝鮮労働党委員長が受け入れず、決裂した。
正恩氏は4月下旬にロシア・ウラジオストクでプーチン大統領と初めて会談し、核問題での支援を訴えた。5月に入り短距離弾道ミサイルの発射も再開した。北朝鮮側の狙いは明確で、次の段階の核・ミサイル開発までの「時間稼ぎ」だ。
トランプ氏は交渉継続に意欲を示しており、正恩氏は次の実験を再開するまでは軍事攻撃はないとの言質を事実上得ていることになる。国際情勢は北朝鮮の描くシナリオ通りに動かされている。(東アジア学研究者・映像作家 荒巻正行)
◇米本土に届く「核・ミサイル」の意味するものは?
まず北朝鮮を考える場合に理解しなければならないことは、第2次大戦後の冷戦期に社会主義体制で始まったこの国が、形成過程において独自の目的を持った「民族国家」に変質した事実だ。初代の金日成主席から始まる金一族による統治体制を確立し、それを何世代にもわたって永続的に維持していくことが国家としての最大の目的となった。
冷戦後の国際秩序で、目的実現のために北朝鮮は時間をかけて鎖国し、国内では特別な都市である首都・平壌とそれ以外を明確に分ける統治体制を整備した。封建時代のような身分制を採用し、全体主義化された体制維持の仕組みを作り上げた。そのようにして2018年に北朝鮮はソ連が存続した69年間を越え、建国70年を迎えた。
体制存続という目的を遂行するために、これまで初代と2代目にわたって段階的に積み上げてきた国家構築のプロセスに加えて、3代目の金正恩体制が担う役割は米国本土に届く核・ミサイルシステムの確立だ。これは現体制が生まれた段階で組み込まれたプログラムであり、現体制の存在理由と言ってもよいだろう。このため、もし国際社会が現在北朝鮮が進める核ミサイル開発を止めたいなら、核放棄を迫るだけでは不可能だ。金正恩体制そのものを排除する以外に本質的な解決方法はない。
冷戦崩壊の不条理を体験し生き延びた北朝鮮は米国本土に届く核・ミサイルシステムを完成させれば、一手でオセロ盤の形勢が白から黒に変わるかのごとく、国際環境が北朝鮮にとってすべて優位に転換されるということ、それにより体制維持が可能になるということを構造として理解している。
◇時間稼ぎで「最悪の事態」を回避
実際に北朝鮮は金正恩体制に入ってから核・ミサイル開発に突き進んできた。核やミサイルの実験を繰り返し、自他ともに認められるほどの一定の技術レベルに達するまでになった。北朝鮮という特殊国家が核とミサイルの技術を一定程度確立した瞬間に国際社会における意味が大きく変わったのである。
しかし、その技術も現段階では金正恩体制の最終目的である米国本土を狙うまでには至っていない。一連の実験を終えた北朝鮮はこれにより得たデータを基に分析から開発へ向けた次の研究フェーズに入った。
つまり現在は次の実験までのインターバルの期間にあると考えられる。正恩氏はトランプ氏以外にも、韓国の文在寅大統領、中国の習近平国家主席、ロシアのプーチン大統領ら隣国首脳との直接会談を精力的に行った。対外的な関係構築に力を入れているのは核開発の時間稼ぎが目的だ。対話を続けている限りは、米国からの攻撃という「最悪の事態」を回避できる可能性が高まる。つまり米国からの軍事的な脅威を払拭(ふっしょく)することには成功している。
ここで重要なのは、経済的な制裁解除は現在の金正恩体制が遂行している国家目的の使命からは2次的なものにすぎないということだ。もちろん経済的な利益を得られることに越したことはない。正恩氏もトランプ氏に対し、制裁解除の見返りとして、寧辺の核施設の廃棄を提案した。寧辺の核施設はもはや北朝鮮にとっては必要のない「ゴミ」だ。「ゴミ」と引き換えに最大限の譲歩を画策したが、さすがに米国はだまされなかった。
◇文大統領に不信感、しぼむ韓国の役割
米朝会談の決裂後、金正恩氏は韓国に不信感を抱いたと思われる。昨年に南北首脳会談を開催し、文大統領は米朝の間を仲介した。しかし、米朝首脳会談の結果を受け、正恩氏も韓国が事前に北朝鮮に伝えていたことと、実際の米国の真意は異なることを思い知ったはずだ。
つまり、文大統領が、米国のトランプ大統領と個人的な関係の中で北朝鮮の問題を主導できないだけでなく、希望的観測だけでトランプ大統領の真意を客観的に把握できていないという現実を北朝鮮はようやく把握した。
韓国側でも期待は大きくしぼんだ。文大統領は「北朝鮮の経済が解放されたら、周辺諸国や経済機構、国際資本が参加するだろう。その過程でわれわれが主導権を失わないようにすべきだ」と会談の先を見越した発言をするほどに南北経済協力の再開に前のめりだった。米国から一部制裁の緩和措置を引き出し、南北経済協力をすぐにでも再開したい意向だったが、そうした楽観ムードも米朝会談後に消えている。
文大統領は新たな南北首脳会談の開催に向けて正恩氏に秋波を送っているが、北朝鮮は現時点では袖にしている状態だ。正恩氏がロシアのプーチン大統領と会談し、その直後に日本海へ9発の短距離ミサイルを打ち込むだことなど、すべてが韓国への当てつけにも見える。
◇日本に接近、安倍首相を「利用」か?
トランプ氏が安易な譲歩をせずに「完全な非核化」にこだわった背景には、非核化なしの制裁解除に反対してきた同盟国の日本の存在感が見え隠れする。トランプ氏と安倍晋三首相との個人的な信頼関係がどれだけ米朝交渉に影響したのかは定かではない。仮に米国が制裁解除に動いても「日本は拉致問題が解決されなければ経済援助できない」という首相の一貫した態度が、北朝鮮との交渉における最終的な決断部分で影響したようにも映る。
今の米国はこれまでの政権と違いトランプ氏個人の判断で物事が決定される側面があり、北朝鮮が「トランプ氏に影響力を持つ安倍首相は利用できる」との分析に至ってもおかしくはない。
北朝鮮が韓国へのけん制を強めているのも、米朝の仲介者としての韓国の役割が米朝会談の実現とともに終わったと見ているのかもしれない。もちろん北朝鮮は韓国をいざという時には北朝鮮を身を挺(てい)して守る「民族の盾」の役割ともとらえており、正恩氏はその使命感に燃える文氏を切り捨てることはしないだろう。しかし核・ミサイル実験再開までのインターバル時期の安全保障の維持のためには、日本を通して米国と交渉した方が効果を得られると考える可能性が高い。
自身の政治信念として拉致問題の解決を掲げる安倍首相も「次は私自身が金委員長と向き合わねばならない」と断言している。最近では「条件を付けずに金委員長と会って虚心坦懐(たんかい)に話し合ってみたい」と、さらに一歩踏み込んだ。このような流れの中で日朝関係に何らかの動きが起こってもおかしくはない。
◇米大統領選への影響力視野?
北朝鮮が第3回米朝首脳会談を見据えて、日本に接近する可能性があるが、それも北朝鮮にとっては時間稼ぎの手段でしかない。米国本土に届くミサイル開発にめどがつけば、北朝鮮は一挙に核・ミサイルの実験モードに再度突入することになることだろう。現在進めている米国を中心とした国際協調の約束なども、国際社会でのしがらみのない北朝鮮は自分の都合だけで平然とほごにする。
実際、国連安保理決議違反となる短距離弾道ミサイルの発射実験を再開した。北朝鮮は米国本土を射程に収める核・ミサイルシステムを確立した瞬間に国際環境がすべて自分に優位なものに転換すると考えているのだろう。
第2回の米朝首脳会談で思うような短期的な成果を出せなかった北朝鮮は、国際社会に対する戦略を既に中期戦に切り替えたとみることができる。すぐに経済的な利益が見込めないなら、これから2~3年の時間をかけるという戦略だ。北朝鮮には指導者の「任期と選挙」はないが、米国など民主主義社会にはある。時間を味方につけることができる。
もしこの見立てが当たっているなら、北朝鮮が何らかのアクションを起こし自らの利益を最大化できるタイミングとなるのが、2020年の東京オリンピックの後の9月ごろから、米大統領選が佳境に入る11月ごろの約3カ月間の間にあると考えられる。北朝鮮がこのタイミングで核やミサイルの実験を再開すれば、明らかに再選を狙うトランプ陣営にとって打撃になる。
逆に実験を行うそぶりを見せながら、トランプ氏との関係を重視し、自制する茶番劇が展開されトランプ氏が再選されれば、大きな貸しをつくることができる。次の大統領選挙で北朝鮮が影響力を持つ存在に浮上する可能性がある。あくまで北朝鮮の核・ミサイルの開発が順調に進んだ場合と想定してのことだが。
日米の立場としては、このまま北朝鮮が核やミサイルの野心を無くし、われわれ国際社会の末席に入れるようすり寄って来ることを願っている。しかし北朝鮮の視野には非核化はなく、次世代へつなぐことのできる「金王朝」の体制維持にあるとするなら、今の国際社会は、北朝鮮の目的達成のための技術開発に必要な時間稼ぎの対話路線の相手をさせられているにすぎない。現段階では北朝鮮のシナリオ通りに国際情勢は動いている。