喜びも束の間のソレイマニ殺害
米軍によるイラン革命防衛隊の対外工作を担う精鋭部隊「コッズ部隊」のカセム・ソレイマニ司令官殺害から一夜明けた米国。
何と表現していいか分からないような異様な空気にすっぽりと包まれている。
ドナルド・トランプ大統領に「米国民の生命を守るために奴を殺したのだ」と言われれば、これまでソレイマニ司令官など全く知らなかった米一般大衆も「よくやった」と最初は喜んだふりをしたのだ。
米国人にとって最も重要なことは自分たちの生命と財産を守ってくれる国家であり、軍隊だ。だからタテマエでは誰も軍隊の悪口は言わない。
ところがメディアが「イランは必ず仕返しをするに違いない」と報ずれば、いつまた「悪い奴ら」が米国や自分を襲ってくるか、怖くなってきた。
9・11同時多発テロの恐ろしさは今なお、米一般大衆の記憶に生々しく残っている。
イランという国連の加盟国、れっきとした国家の将軍を殺してしまったからにはイランだけでなく、イランの息のかかった過激派テロ集団がいつ米国人を襲ってくるか分からない。
米国人と見れば、右(保守派)だろうと左(リベラル派)だろうと、「奴ら」は「仇討ち」に出る可能性がある。
トランプ大統領は、「米国民を標的に差し迫った攻撃を企てていたからソレイマニ司令官を殺した」はずなのに「攻撃されるチャンス」は以前よりさらに増してしまった。
米国内に異様な空気が広がっているはそのためだ。
「報復」の標的は何もイラク駐留の米軍だけではない。中東地域、いや世界各地にある米軍施設、米国籍者にまで向けられている。
米国土安全保障省は1月4日、テロ警戒情報を出した。
「イランや親イラン組織が米国内で活動する意欲や能力を誇示している。米国の関連組織を狙ったサイバー攻撃や反米思想に感化された人物が起こす『ホームグローン(国産)』テロにも警戒せよ」
主要紙の社説は批判と支持に二分
2大紙のリベラル派「ニューヨーク・タイムズ」と保守派「ウォールストリート・ジャーナル」とは全く正反対の社説を掲載した。
前者は、「The Game Has Changed」(事態は変わった)との見出しでこうトランプ大統領の強硬策に疑問を呈した。
「ソレイマニ司令官を殺害したことに対する真の質問はそれが正当性のあることかどうかということではなく、賢明な行動だったかどうか、だ」
「まだ今回の攻撃の全容は分かっていないが、このことが不確実な方向への大きな跳躍であることは間違いない」
「ソレイマニ司令官の殺害は、国際テロ組織『アルカイダ』のオサマ・ビンラディンやイスラム教スンニ派過激組織『イスラム国』(IS)のアブバクル・バグダディのような正式な国家組織でないテロリストを殺害するのとは異なる」
「ソレイマニ司令官はイラン革命防衛軍の最高幹部だ。その人物を公に標的にしたのだ。その結果、アメリカとイランという国家間の紛争は今後エスカレートしかねない」
「同司令官を殺害したのは米国人の生命を脅かす状況があったからだというのだが、マイク・ポンペオ国防長官も国防総省もその脅威については一切詳細を明らかにしていない」
「また、同司令官を殺害したことでそうした状況が解消されたかどうかについても説明されていない」
「さらにホワイトハウスはソレイマニ司令官殺害計画について議会のナンシー・ペロシ下院議長はじめ民主党幹部議員には一切事前通告していない(1月4日通告した)のはなぜか」
「攻撃後、国防総省は中東地域に新たに3500人の兵士を派遣、すでに増強させた750人と合わせて4250人派遣となった」
「今年5月には12万人以上の兵士が中東周辺に駐屯することになるが、この兵力は2003年のイラク侵攻時の兵力に匹敵する」
「大統領閣下、終わりなき戦争を終結させるといった貴殿の(国民との)約束はどうなったのか?」
(https://www.nytimes.com/2020/01/03/opinion/iran-trump-suleimani.html)
後者は、「Justice Arrives for Soleimani」(正義はソレイマニに遂行された)との見出しでトランプ大統領の決断を支持した。
「トランプ大統領は『開戦するのではなく、戦争を防ぐために』無人航空機による攻撃を命じたのだと述べた」
「今回の攻撃はいかなる軍事行動も地上戦を意味すると悩んでいた孤立主義的な一部の右派を安堵させるのに役立ったはずだ」
「ロナルド・レーガン第40代大統領は1986年のリビア空爆でアメリカ人に対するテロが抑止できることを示した」
「ソレイマニ司令官を葬り去ったことは北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長にも強い印象を与えたに違いない」
「アメリカに対する革命主義的イランからの挑戦は今後も続くだろう。しかしトランプ大統領の今回の決断力のある行動は、正義とアメリカの国益に対するテロに一撃を加えたことは間違いない」
(https://www.wsj.com/articles/justice-arrives-for-soleimani-11578085286?mod=opinion_lead_pos1)
弾劾裁判から国民の目をそらす狙いか
国内状況で二進も三進もいかなくなった指導者は国民の目を外に向けさせようとする。これは古今東西、時の政権が試みる鉄則ではある。
ただそれで成功するかどうかの保証はない。一層国内状況が悪化し、政権の座から放り出されたケースもある。
トランプ大統領の今回の強硬措置もご多分に漏れない。
1月6日から米議会がクリスマス休暇を終えて再開する。直ちに上院での弾劾裁判めぐる与野党の攻防が始まる。
トランプ大統領のソレイマニ司令官殺害作戦もタイミング的には国民の目が弾劾裁判に集まっているのをそらそうとする戦術であることは想像に難くない。
トランプ大統領の最新(1月2日現在)の各種世論調査平均支持率は45.3%、不支持率は52.3%とその差-7.0ポイント。
外交政策でも支持率は43.0%(19年12月31日)、不支持率は53.3%、とその差は-10.3ポイントだ。
支持率を引き上げるには大統領特権を使える外交政策でアッと驚かせるような奇策が必要だった。
だが、前掲の主要2紙の社説を見てもお分かりの通り、司令官殺害と弾劾裁判との相関関係を論ずることだけは避けている。
それがたとえ本当でも(海外メディアは当然のようにそう指摘している)米メディアにはそう言えない対一般世論へのわだかまりがある。
米主要紙の論説担当記者は、筆者にこう打ち明ける。
「人質が1人出てもそのために軍隊を動かして救出するのが一応米国の国是になっている」
「だからトランプ大統領が『米国民の安全と生命を守るために事前に軍事行動を起こした』と言えば、メディアも政治家も黙らざるを得ない」
「それと弾劾裁判にかけられ、有罪になるか放免されるかどうか、とは次元の異なるアジェンダだのだ」
日本流に、柴又の寅さん的に言えば、「それを言っちゃあ、おしめいよ」というわけだ。
野党・民主党幹部議員もトランプ大統領が議会へ事前通告なしに軍事行動に出たことについては激しく批判はしているが、「弾劾裁判から国民の目をそらそうとしてやったのだろう」とは公然と批判はできない。
「権力を乱用し、立法府をないがしろにする大統領を弾劾することは『国家安全保障』よりも優先課題だ」とは口が裂けても言えない。
山本五十六の殺害に匹敵
政治外交専門家の見方も二分している。
ロサンゼルス近郊にあるレッドランド大学のB教授(西洋哲学史)は開口一番こう吐き捨てるように言った。
「弾劾裁判を粉砕するために打ったギャンブルだ。トランプ大統領は『国の一大事だから上院での弾劾裁判など止めてしまえ』と米国民に言わせようというのだろう」
「報道によると、トランプ大統領はホワイトハウスの一部高官の反対を押し切ってソレイマニ司令官を殺害したらしい。まさに独裁者のやり口だ」
「ソレイマニ司令官はホメイニの超側近。百戦錬磨の将軍だ、米国で言えばパットン将軍のような存在だったらしい」
「それを無人飛行機(ドローン)発射のロケット弾で「敵の将軍」を木っ端みじんに葬り去る」
「軍士官学校を出て、軍歴を重ねてきた職業軍人は、他国の将軍をこんな不名誉な殺し方はしないだろう」
「戦場での戦闘経験のない、徴兵忌避を続けた、金儲けにしか興味のない人間だからこそ、こんなことができたのだろう」
一方、日本でもお馴染みのブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン上級研究員は、ソレイマニ司令官殺害作戦を支持する。
「ソレイマニ司令官を標的にし、殺害したトランプ政権の決定に反対するのは難しい」
「2000年以降中東地域で米軍が戦ってきた反政府分子や過激派分子に爆破装置やその武器弾薬を供与してきた張本人はソレイマニ司令長官だ」
「同司令官をドローン発射のロケット弾で殺害したのは、第2次大戦中に旧日本軍の山本五十六司令官が搭乗していた航空機を撃墜した*1作戦に匹敵するほど軍事的に意味がある」
(米国務省高官も1月3日の記者との質疑応答の中で「ソレイマニ司令官殺害と山本五十六司令長官殺害は匹敵する」と発言している)
(https://www.state.gov/senior-state-department-officials-on-the-situation-in-iraq/)
*1=航空機で前線視察中の旧日本軍連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将が1943年4月15日、米軍機に撃墜された「海軍甲事件」。米側名称は「報復作戦(Operation Vengeance)。
「イランはアメリカ人を平気で殺害してきた。同司令官は1983年のベイルートでもアメリカ人殺害事件や1996年のサウジアラビアのコバー・タワー事件などアメリカ人を標的に暗殺を繰り返してきた」
「信頼できる情報によれば、同司令官はイラクの米軍施設や米軍人に攻撃を仕かけようとしていた」
(https://www.brookings.edu/blog/order-from-chaos/2020/01/03/qassem-soleimani-and-beyond/)
イラン系は米国内に50万~100万人
トランプ政権と民主党、保守系メディアとリベラル系メディア、外交安全保障分野の専門家たちのソレイマニ司令官殺害をめぐる賛否論争はそう簡単には終わりそうもない。
だが、国民レベル目線で見れば、怖いのはイランと親イランのシーア派過激派組織による報復だ。
米大手航空会社に勤務し、世界中を飛び回っているベテランパイロットG氏(45)はこうコメントする。
「星条旗を掲げた米航空機は、これからますますテロに狙われる危険性が増してくるだろう。各航空会社は、これまで以上に搭乗客のチェックを厳しくするなど警備体制の強化を確認し合っている」
「それに聞くところによると、米国内にはイラク系は15万人程度だが、イラン系は50万人から100万人住んでいる」
「この中から『ホームグローン・テロリスト』が出てこないとは限らない。非イラン系のシーア派もいる。国外だけでなく、米国内でも何が起こるか分からない状況になってきた」
今回のトランプ大統領の強硬手段には反対だと言う、サンフランシスコ在住の主婦リンダさん(35)は筆者との電話インタビューにこう答えている。
「殺害事件でイランがどう出るか、それをどう未然に防ぐか、その戦略もなしに独断専行するトランプ大統領の行動にはついていけないわ」
「でも事件直後の、ジョー・バイデン前副大統領ら民主党大統領候補の発言を聞いてもトランプ大統領を批判するだけで具体的にどうするのか見えてこない」
「となれば、トランプ大統領に任せる以外に方法はない。でももしイランが報復すれば、トランプ大統領は本気で戦争を始めかねない」
「何でトランプなんかを大統領にしたのか、すべては2016年の大統領選挙から始まったんだわ」
米国民は「ソレイマニの亡霊」と「トランプの狂気」に怯えている。
金正恩委員長にインパクト与える?
前述のウォールストリート・ジャーナルの社説は、今回の「斬首作戦」を金正恩委員長がどう受け止めたかに触れていた。
これについて米主要シンクタンクで北朝鮮の動向を調査・研究している韓国系研究者の一人は筆者にこうコメントしている。
同氏はソレイマニ司令官殺害後の1月3日付の朝鮮労働党機関紙・労働新聞の社説を引用してこう指摘した。
「社説には以下のような下りがある。『共和国(北朝鮮)の尊厳と生存権を侵害する行為に対しては、迅速かつ強力な打撃を加えるべきだ』」
「北朝鮮はトランプ大統領が弾劾訴追・弾劾裁判を抱えて北朝鮮に軍事行動をとることはないだろうと高をくくっていたはずだ」
「そこに寝耳に水のようなイラン司令官殺害事件が起こった。慌てふためいているはずだ。『共和国の尊厳と生存権』とはずばり金正恩のこと」
「この社説はいわば強がりのようにも読めるが、実は命乞いなのではないのか。近いうちに北朝鮮はミサイル実験は中断して、米朝首脳会談に向けて動き出すのではないだろうか」
決断に際してトランプ大統領が北朝鮮のことまで考える余裕があったかどうか。しかし、金正恩委員長に強烈なインパクトを与えたことだけは間違いなさそうだ。