プロローグ:
プーチン大統領、年次教書発表
ロシアのV.プーチン大統領(67歳)は2020年1月15日、本人として通算16回目となる大統領年次教書を発表。教書の中でロシア憲法改正案に言及し、2024年以降のプーチン後のロシアの世界を垣間見せてくれました。
大統領年次教書発表直後にD.メドベージェフ首相(54歳)は内閣総辞職を発表。プーチン大統領は直ちに、M.ミシュースチン税務長官(53歳)を新首相候補としてロシア下院(定数450議席)に提案しました。
ロシア下院は翌16日に新首相候補を審議後、賛成383票、反対ゼロ、棄権41票にて首相候補を承認。1月21日には新内閣が発足しました。
驚くばかりのスピード感です。これは事前にシナリオが描かれており、台本通りに物事が進んでいることを示唆しています。
現に1月17日付けロシアの有力日刊紙ヴェドモスチは「メドベージェフ首相は大統領年次教書発表の3日前に、内閣総辞職と後任首相候補をプーチン大統領から知らされた」と報じています。
2月1日に月刊誌『選択』が発刊されました。
『選択』はロシア関係以外では秀逸な記事が多いのですが、ロシア関連はロシアの専門家が書いたとは思えない内容が多く、1月のロシア内閣改造に関しても間違いが多いので、本稿の中で指摘したいと思います。
新生ロシア連邦:
大統領年次教書概観
旧ソ連邦は1991年12月25日に解体されました。旧ソ連邦の盟主ロシア共和国は新生ロシア連邦として誕生、初代大統領にはロシア共和国のB.エリツィン共和国大統領が就任しました。
新生ロシア連邦では1993年12月12日に採択されたロシア憲法に基づき、1994年から大統領年次教書が発表されていますので、本稿ではV.プーチン大統領の大統領年次教書を概観したいと思います。
故B.エリツィン大統領は6回、D.メドベージェフ大統領は4回、大統領年次教書を発表していますが、紙面の関係で本稿ではプーチン大統領の年次教書のみ概観します。
付言すれば、プーチン大統領第1期(2000年5月~2004年5月)と第2期(2004年5月~2008年5月)では大統領任期は4年間でしたが、メドベージェフ大統領の時代に憲法が改正され、次期大統領から大統領任期は6年間になりました。
V.プーチン大統領年次教書
①~④ 第1期
⑤~⑧ 第2期
⑨~⑭ 第3期
⑮、⑯ 第4期
① 2000年7月8日(約50分間):
●基本認識 :「国家は分裂の危機に直面している」
●最終目標 :「強いロシアの実現」
② 2001年4月3日(約55分間):
大統領就任1年間の総括:国家としての統一強化成功
③ 2002年4月18日(約52分間):
国家の目標は不変→民主主義の発展と繁栄した露国家
④ 2003年5月16日(約60分間):
国家10年計画発表;GDP倍増/貧困撲滅/軍改革
⑤ 2004年5月26日(約47分間):
日本の名前とESPOパイプライン建設構想が初めて言及された
⑥ 2005年4月25日(約50分間):
「ソ連邦崩壊は20世紀最大の地政学的大惨事」
⑦ 2006年5月10日(約60分間):
宇宙開発の重要性強調→「宇宙開発は露防衛の楯」
⑧ 2007年4月26日(約75分間):
エリツィン時代を回顧
⑨ 2012年12月12日(約80分間):
「21世紀の露発展のベクトルは東方に向かう」
⑩ 2013年12月12日(約70分間):
シベリア・極東経済特区構想発表
⑪ 2014年12月4日(約70分間):
ウクライナとクリミア併合問題に言及
⑫ 2015年12月3日(約60分間):
露下院選挙対策
⑬ 2016年12月1日(約70分間):
欧米の対露経済制裁措置→輸入代替品促進
⑭ 2018年3月1日(約115分間):
各種新兵器紹介→軍事力強化誇示
⑮ 2019年2月20日(約90分間):
内政中心
⑯ 2020年1月15日(約70分間):
憲法改正提案→教書発表後、内閣総辞職→首相候補指名
プーチン大統領の憲法改正案概観
今回の大統領年次教書は、第4期目の大統領任期が切れる2024年5月以降のロシアの政治体制を示唆する重要な内容になっており、教書最後の部分でロシアの憲法修正案に言及しました。
現在第4期2年目のプーチン大統領の任期は2024年5月までです。2024年以降のプーチン去就に関しては、従来下記3つの選択肢が論じられてきました。
●憲法の大統領連続3選禁止条項を撤廃して、自分が事実上終身大統領になる
●2024年首相職に就き、6年後また大統領に復帰する
●ロシア・ベラルーシ国家連合を創設して、国家連合の大統領に就任する
筆者は、「本人は引退を希望しているので上記3選択肢はいずれもあり得ない。ただしプーチンが大統領でないと困る人が周囲に大勢いるので、院政を敷くことになるだろう」と考えていました。
今年の大統領年次教書は1月15日に発表され、翌16日には75人から成るロシア憲法改正案検討委員会が発足。1月20日には憲法改正案がロシア下院に提出され、下院は1月23日の第1読会にて賛成432票を以て採択。第2読会は2月11日に予定されています。
これは、憲法改正案が事前に用意周到に準備されていたことを物語っており、1月20日下院に提出された改正案では、プーチン院政の方向性が打ち出されたと言えるでしょう。
筆者は、プーチン大統領は自分の子飼いを2024年の大統領選挙に出馬させると予測しており、憲法を改正して大統領権限を縮小し、権力を分散すると云う方向性は想像だにできませんでした。
上述のとおり、現行憲法は1993年12月に制定されました。憲法改正案はロシア下院にて3回審議(第1・第2・第3読会)され、各々2/3以上の賛成票を以て採択されます。
ロシア上院では定数(170人)の3/4以上の賛成を以て承認されます。
プーチン大統領はさらに、国民に民意を問う意向も表明しましたが、国民投票は憲法で明確に規定されているわけではありません。
ご参考までに、プーチン大統領が1月20日下院に提出した憲法改正案骨子は以下の通りです;
●1人の人間の大統領任期を通算2期までに制限する(←現行憲法は「連続3選禁止」)。
●大統領諮問機関の「国家評議会」を憲法に明記して、国家機関とする。
●大統領権限を縮小して、議会(下院・上院)と憲法裁判所の権限を強化する。
ロシア大統領は国家元首です。プーチン大統領は2024年5月以降、ドイツのように名目的な大統領制にして、実権は下院議長や国家評議会議長などに移譲して、院政を敷く体制を目指しているのではないかと推測されます。
なお、プーチン大統領は自分の後継者の目途が立てば、2024年5月の任期切れの前に辞任する可能性もあると、筆者は考えています。
ロシア下院
ミシュースチン首相候補を承認
M.ミシュースチン氏は2020年1月15日、プーチン大統領より新首相候補指名を受けました。
同氏は徴税専門のテクノクラート(技術官僚)です。下院は翌16日、賛成多数(賛成383票/反対ゼロ/棄権41票)で首相候補を承認。下院反対ゼロは新生ロシア連邦で初めての事例になります。
ミシュースチン新首相は直ちに組閣作業に入り、1月21日に新内閣が発足しました。
上述どおり、プーチン大統領はメドベージェフ首相に対し、内閣改造とM.ミシュースチン税務長官を後任の首相候補とする旨を年次教書発表の3日前に伝え、ミシュースチン氏を後任首相候補指名することは内閣総辞職後、本人に伝えた由です。
すなわち、ミシュースチン氏にとっては、文字通り「青天の霹靂」 となりました。
今回の新内閣の顔ぶれを見ますと、ほぼ全員テクノクラート(技術官僚)なので、この中にプーチン後継候補者はいないと思います。
プーチン大統領にとり当面の最大イベントは5月9日の対独戦勝75周年記念軍事パレードであり、その前までに憲法改正を目指しています。
憲法改正を実現し、軍事パレードが終了すれば、後継候補選定準備に入るのではないかと筆者は推測しております。
ロシア新内閣一覧表
ご参考までに、2020年1月21日に発足した新内閣の閣僚は以下の通りです(留任は赤字)。
M.ミシュースチン首相(53歳/出身:モスクワ/前連邦税務庁長官)
A.ベラウーソフ第1副首相(60歳/モスクワ/前プーチン大統領経済担当補佐官)
管掌:財政・経済全般
Yu.ボリソフ副首相(63歳/トヴェリ州)/管掌:軍需・燃料エネルギー産業
T.ゴーリコヴァ副首相(53歳/モスクワ州)/管掌:社会政策
V.アブラムチェンコ副首相(44歳/ハカシア/経済発展省次官)/管掌:農業
Yu.トルトネフ副首相(63歳/ペルミ地方/極東連邦管区大統領代表)
A.アヴェルチューク副首相(55歳/ウクライナ/前連邦税務庁副長官)/管掌:IT産業
M.フスヌルリン副首相(53歳/カザン/前モスクワ副市長=建設担当)/管掌:地域政策・建設
D.チェルヌィシェンコ副首相(51歳/サラトフ/前ガスプロム・メディア総裁)/管掌:文化・スポーツ
D.グリゴレンコ副首相/官房長官(41歳/ニージュニェ・ヴァルトフスク/前連邦税務庁副長官)
S.ラブロフ外相(69歳/モスクワ)
A.シルアノフ財務相(56歳/モスクワ)(財務相留任/前第1副首相)
S.ショイグ国防相(64歳/ティヴァー)
D.カビィルキン天然資源・環境相(48歳/アストラハン州)
A.ノーヴァク・エネルギー相(48歳/ウクライナ)
V.カラコルツェフ内相(58歳/ペンゼンスク州)
E.ジニチェフ非常事態相(53歳/レニングラード州)
K.チュイチェンコ法相(54歳/リーペツク州/前副首相兼官房長官)
D.マントゥ―ロフ産業・商業相(50歳/ムルマンスク州)
M.レシェトニコフ経済発展相(40歳/ペルミ/前ペルミ州知事)
E.ディートリッヒ運輸相(46歳/モスクワ州)
A.コチャコフ労働・社会保護相(39歳/サマーラ/前財務次官)
M.シャダーエフ・デジタル発展・通信・マスコミ相(40歳/モスクワ/前ロステレコム副社長)
D.パートルシェフ農相(42歳/サンクト・ペテルブルク/N.パートルシェフ安保会議書記の息子)
A.コズロフ極東・北極圏開発相(39歳/サハリン州)
O.リュビモヴァ文化相(39歳/モスクワ/前文化省映画局局長)
O.マティツィン・スポーツ相(55歳/モスクワ/前国際学生スポーツ連盟会長)
M.ムラシュコ保健相(53歳/エカチェリンブルク/元連邦健康管理委員会委員長)
V.ファルコフ科学・高等教育相(41歳/チュメニ/前チュメニ国立大学学長)
V.ヤクシェフ建設・住宅・公共事業相(51歳/バシキール)
S.クラツォフ社会啓蒙相(45歳/モスクワ/前軍需監査委員会委員長)
付言すれば、メドベージェフ内閣時代の15人の閣僚は退任しましたが、プーチン大統領は自分の仲間を追放しません。
メドベージェフ前首相には安保会議副議長のポストを新設して、自分の掌中に置いていますので、後日メドベージェフ氏が再度政界の要職に就く道も残されていると言えましょう。
間違いだらけの『選択』
ロシア関連記事(2020年2月号)
ここで、今年『選択』2月号のロシア関連記事に関し以下3点、間違いを指摘したいと思います。
同誌19頁「ロシア新首相もシロビキ」に、以下の記述があります。
タイトル:「ロシア新首相もシロビキ 登用相次ぐアイスホッケー仲間」
冒頭の一句:「プーチン政権を支える二大派閥はシロビキ(治安機関派)とサンクトペテルブルク出身派。1月15日に突如、新首相に指名されたミシュスチン氏は前者だ」。
「1月15日に突如、新首相に指名されたミシュスチン氏は前者だ」と書かれたこの短文の中に、3つの間違いがあります。
上記をお読みいただいた皆様にはすぐお気づきと思いますが、1月15日にプーチン大統領が指名したのは“新首相候補”であり、新首相ではありません。
新首相候補に指名された人は「テクノクラート(技術官僚)」であり、シロビキではありません。
アイスホッケーを通じてシロビキと交流はありますが、もし交流があるからシロビキだと言うのであれば、「暴力団と交流があるから彼は暴力団だ」と言うのと同じ論理になります。
3つ目の間違いは名前です。新首相候補の名前は「ミシュースチン」であり、ミシュスチンではありません。
付言すれば、同頁に「他にアイスホッケー仲間の抜擢で知られるのは、連邦警護庁出身のトゥーラ州知事・ジュミン氏だ」と書いてありますが、ジュミンではなく「ジュ―ミン」です。
ロシア語ではアクセントのある単語は長音になります。
1999年8月にプーチン首相が誕生したとき、西側メディアの反応は「Putin, Who?」でした。
無名のプーチンが突然首相として登場したのですから、無理もありません。この時、日本のメディアの報道は「プーチン首相」と「プチン首相」に分かれました。
ロシア語を解するモスクワ特派員が勤務する新聞社は「プーチン首相」、いない新聞社は「プチン首相」と報じました。
当時サハリン(旧樺太)に駐在していた筆者は「プーチンがプチンならプッチンしてしまう」と本社に報告しました(当時、日本では「プッチン・プリン」が流行っていました)。
エピローグ
露プーチン大統領の評価は?
ロシアに弱い大統領が誕生すると、M.ゴルバチョフ初代ソ連邦大統領や故B.エリツィン初代ロシア連邦大統領の二の舞になり、国が分裂の危機に瀕します。
ソ連邦末期、ブレジネフ書記長時代からの経済停滞を引きずり、社会主義経済が機能不全であることは誰の目にも明らかになりました。
社会主義の衣のまま、資本主義制度を一部取り入れようとしたゴルバチョフ初代ソ連邦大統領の試みは失敗して、1991年12月25日にソ連邦は消滅しました。
ソ連邦末期のゴルバチョフ大統領時代に流行ったロシア小噺(アネクドート)は、「労働者は働くフリをする。国家は給与を支払うフリをする」でした。
新生ロシア連邦のエリツィン大統領末期には、「ロシアは市場経済のフリをする。欧米は信じたフリをして金を貸す」という小噺が流行りました。
さて、後世のロシア人はプーチン大統領にどのようなアネクドートを献上するのでしょうか?