(崔 碩栄:ノンフィクション・ライター)
韓国の新型コロナウイルス感染者数の急増が止まらない。2月18日時点で31名とされていたのがわずか2日後の2月20日には100名を超え、そのさらに5日後には900名を超えた。「爆増」とでもいうべき勢いだ。死亡者についても19日に初の死亡者が確認されて以降、6日の間に10名が亡くなった。まさに国家非常事態だ。
感染者数が中国に次いで2番目に多くなったことをうけ、韓国政府は4段階に分類される危機警報レベルを「警戒」から最高レベルである「深刻」にあげた。2009年の新型インフルエンザの世界的流行以来11年ぶりの緊急事態である。
政府に対する批判が起きないわけがない。今韓国政府が最も批判されているのは初期のうちに中国人に対する入国禁止措置を行わなかったことに対してだ。医師協会は初期段階から、武漢地域だけではなく中国全地域からの入国者を制限すべきだと繰り返し主張してきた。それでも政府は入国制限の措置をとることはしなかった。状態が悪化した今、医師協会の勧告を受け入れなかった政府を批判する国民の声が一層高まっている。
とはいえ韓国政府にとって中国人の入国禁止措置は簡単に踏み切れるような問題ではない。中国との関係、特に上半期に予定されていた習近平国家主席の訪韓を控えたこの時期に中国の逆鱗に触れるような対応は絶対に避けるべきだからだ。さらに、中国人に対する差別、嫌悪といった雰囲気が韓国社会に広がる可能性も韓国政府に決断をためらわせた理由の一つだ。
そしてもう一つ指摘しなければならないのは、朴槿惠政権との比較を意識した結果の行き過ぎた「楽観論」のために初期対応をしくじってしまったという一面だ。
MERS騒動の際に感染者拡大を政権攻撃の武器にした文在寅氏
1月初旬、中国でコロナウイルスが拡散しているという報道が流れたとき、多くの韓国人の頭に浮かんだのが2015年5月に起きたMERS騒動だ。この時、韓国では患者の隔離措置における不備や、非常管理体制における混乱などにより186名の感染者、そして38名の死亡者が発生した。
当時、この事態を招いた原因の一つと目され、批判を受けたが、事態を総体的に指揮する機関、いわゆる「コントロールタワー」の不在だった。
実際、これは当時大混乱を招く原因となっていた。学校の休校問題ひとつを例にとってみても政府の部署ごとで異なる見解を示した。教育部長官が休校を想定した措置を指示する一方で、保健福祉部は休校は過剰反応だと反対意見を表明したりした。結果、教育現場は混乱に陥った。あるいは誰が責任者か、どこが担当部署かがはっきりしないケースが出てきたり、政府やソウル市が方針をめぐって衝突するようなケースが起きたりした結果、バラバラな指示に右往左往する国民の姿があちらこちらで目撃された。
この時、朴槿恵政権を誰よりも声高に批判したのが、野党代表であった文在寅現大統領だ。
文氏は当時、朴政権のMERS対応に対して特別声明を出し、「MERSのスーパースプレッダーは朴槿惠政府自身だ」として、政府の無能さと無責任さを糾弾、朴槿惠大統領に心からの謝罪を要求したのだ。もちろん、当時、政府が最も批判を受けていた「コントロールタワー不在」という問題に対しても、「青瓦台がコントロールタワーの役割を果たすべきである」と朴槿惠大統領を強烈に批判した。
朴槿恵政権のMERS対応批判が、新型コロナで特大ブーメランに
その彼が2016年大統領に就任し「攻守交替」、つまり、政府を批判する側から、政府の指揮を執る立場となった。そして2020年初頭に、新型コロナウイルス問題が急浮上してきた。
文大統領としてはMERS騒動の際の自身の発言や世論の動向を意識せずにはいられなかったはずだ。新型コロナに対する現政府の対応が、前政権のMERS対応と比較されることは間違いない。首尾よくここを切り抜けなければ、かつて自分が前政権に対して投げつけた厳しい批判が、自身への特大ブーメランとなって跳ね返ってくることになりかねない。しかも4月の総選挙を目前に控えたこの時期だ。何としても「朴槿惠政権よりはいい」という評価を受けなければならない――文大統領はプレッシャーさえ感じているのではないだろうか。
そんな大統領の心中を垣間見ることができるのが2月5日に文大統領がソウルのある保健所を訪問した時の一場面だ。この時点で明らかになっていた感染者数はまだ19名で政府の隔離措置、統制が功を奏しているとみられていた。
文大統領は同行していた朴元淳ソウル市長(与党)に、「MERSの時と比較してどうですか?」と状況を聞き、朴市長は「経験と学習の効果があるので、はるかに上手く対応している。私たち(市)が提案すれば中央政府がほぼすべて聞き入れてくれる。過去とは比較することができないほど」と応え、朴槿惠政権の対応より改善され、政府とソウル市との協力関係もうまくいっていることを強調した。この会話が、何よりも朴槿惠政権を意識しての対話だったのは明らかだ。
「集団行動の延期や中止は不要」と実行を推奨した政府
以後、政府と与党政権からは「朴槿惠政権とは違う」ことをアピールするかのような自画自賛が相次いだ。
5日 「コロナとの戦争で勝利を掴んだ」(与党院内代表)
12日 「集団行事を延期したりキャンセルする必要性はない。防疫措置を十分に並行しながら集団行事を推進することを勧告する」(政府)
12日 「過度な不安感を振り払って再び日常活動、特に経済活動・消費活動を活発にしてくれることが根本的な対策」(文大統領)
13日 「COVID-19は間もなく終息するだろう」(文大統領)
17日 「WHOが韓国政府にコロナ関連の資料を要請するほど我々の防疫や医療体制、市民意識は世界的水準」(与党代表)
17日 「韓国政府の対応が世界的な模範事例として認証されるだろう」(与党最高委員)
19日 「国際社会も韓国の感染症拡散遮断(対策)に対し相当に効果があると評価している」(法務長官)
まだ事態が鎮静化していない段階でこうした「楽観論」が相次いだのは、「朴槿惠よりダメだ」という世論が形成されるようなことがあればどのような結果が待っているのかを誰よりもよくわかっているが故の焦りの表れだろう。
自分たちが野党時代にやってきたように、現・保守野党と世論が全てを大統領と青瓦台の責任と声を張り上げ、大統領が謝罪しなければならないという批判を受けるようになる事態を避けなければならないという「学習効果」が早急な楽観論を国民の前で語らせたのだ。相次ぐ楽観論は、結果として国民を安心させ、油断させてしまった。
2月12日に行われた集団礼拝を通じ300名以上の感染者を出したキリスト教系の教会は、いま韓国国内で国民から「このような状況でなぜ閉鎖された空間で集団宗教行事を開催したのか」という非難とともに、激しいバッシングに晒されている。それに対して彼らは「我々は最大の被害者」だと声明を出したが、その言い分にも一理あると思われる部分がある。集団行事を延期したりキャンセルしたりせずに、むしろ実行するよう勧告したのは他ならぬ韓国政府だからだ。その教会の信者の中にたまたま感染者がいたために、意図せずに感染が広がってしまっただけであって、他の教会も平常時と変わらず集団行事を執り行い、一般の国民たちも特に危険を感じることもなく生活していたのだ。
つまりは、政府の「自画自賛」が、国民の状況判断を完全に誤らせてしまったのだ。
災い呼ぶ朴槿惠政権に対する過剰な意識
2月20日を過ぎたころから韓国では感染者数と死亡者数が急増し始めたが、そうした事態に直面すると、大統領からも与党の誰からも「MERSの時よりマシ」や「前政権とは違う」という話を聞くことはすっかり無くなった。死亡者数こそまだ少ないが、感染者数でみると明らかにMERSの時よりも悪い状況であるからだ。政権の支持者たちも初期にはMERSの時と比較し、現政権を称賛していたが、彼らもまた、いつしかMERSに言及することをやめた。比較すればするほど現政権に不利に働くことが分かっているのだ。
どんな政権であれ災難に対する対応が完璧であることなどありえない。それゆえに、政権は災難が起こってしまったときには、ある程度の非難や責任論から逃れることはできない。だが、文在寅政権は世論からの批判を恐れ、朴槿惠政権を意識しすぎるあまり、早計な楽観論を繰り返すことで国民に誤ったメッセージを送ってしまった。その判断ミスが、国民の生命を危険にさらし、世論を悪化させるという最悪の結果として跳ね返ってきてしまった。
文政権の朴槿惠政権に対する「意識過剰」は何に由来するのだろうか? ひとつ、思い当たるものがある。現政権は通常の政権交代ではなく、弾劾という非常手段によって政権を握った。その「後ろめたさ」を文政権のメンバーは心の中のどこかでまだ引きずっているのではないだろうか。
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