李登輝氏死去 台湾の悲哀と誇り体現
東京新聞
2020年8月1日 07時36分
九十七歳で死去した李登輝氏は晩年、「新・台湾の主張」(PHP新書)の中で、「政治というのは結局、協調である。政権を握ったからといって、与党が政治のいっさいをコントロールするわけにはいかない」と述べている。
台湾政界での国民党から民進党への政権交代をめぐる述懐である。中国共産党の一党支配が続く大陸への批判ではないが、独裁的な統治に断固反対する姿勢こそ、李氏の真骨頂であるといえる。
それが、一九九六年に自ら実施した初の総統直接選挙で54%の得票率で当選し、台湾史上初の民選総統になった原動力だった。
台湾統一を悲願とする中国は、李氏を「台湾独立論者」と痛烈に批判してきたが、李氏は何よりも民意を重んじる政治家であったと評価されるべきであろう。
◆「政治自由化」の扉開く
李氏は旧制台北高校を卒業し、戦前の京都帝国大学や台湾大学で農業経済学を専攻した。七〇年代に蔣経国総統がその学識を高く評価して政務委員として入閣。台北市長、副総統などを歴任した。
蔣経国氏を引き継いで総統になったが、大陸から来た蔣介石、蔣経国が率いた国民党の強権政治を転換させた功績は大きい。
台湾は、八七年に解除されるまで三十八年間戒厳令下にあった。政治活動や言論の自由などは厳しく制限され、「白色テロ」と呼ばれる市民の逮捕・投獄が横行した。
李氏は、総統としては異例の外国人記者との会見を開いて台湾民主化をアピールしたほか、大陸統治時代に選出され改選されずにきた高齢の終身議員を依願退職させるなど議会改革にも踏み込んだ。
台湾で初めて政治改革に乗り出した先見性が、現在、台湾の人たちが享受している政治の自由化への重い扉を押し開いたといえる。
◆日本精神称える親日家
李氏を語る時、忘れてはならないのは「台湾の悲哀と誇り」を自身が強く感じ、その思いを台湾統治に結実させてきた政治家であるという視点であろう。
李氏は九〇年代初め、台湾を訪れた作家の司馬遼太郎氏と対談し「台湾人に生まれた悲哀」に言及した。その悲哀とは、戦前の日本植民地時代には日本人として生まれながら、本土出身の日本人と差別され、祖国復帰後は大陸から来た外来政権が権力を握り、台湾人が抑圧されてきた歴史である。
それだけに、九六年の総統直接選について、李氏は「国民党の総統ではなく、台湾の有権者が選んだ台湾人の総統ということになる」と強調した。この選挙こそ台湾人が誇りを取り戻した第一歩と、李氏は感じたに違いない。
李氏は日本語に堪能で親日家として知られる。「誠実、責任感、勤勉などの日本精神を日本統治時代に学び、台湾人が自らの誇りとした」と称(たた)えたことは、日本人として率直に感謝したい。
だが、東アジアの政治指導者の一人である李氏が若き日、学徒出陣で出征し、旧日本陸軍少尉として名古屋で終戦を迎えた歴史からも目を背けることはできない。
戦前の日本が、アジア諸国を侵略し、李氏の心から終生離れることのなかった「台湾人の悲哀」の一端をつくった責任は否定できない。
李氏自身は批判していないが、こうした負の歴史の教訓を私たちは忘れるべきではない。
九九年に李氏は「(中台の)両岸関係はすでに『特殊な国と国の関係』であるため、いまさら台湾独立を宣言する必要はありません」と発言した。「二国論」と報じられ、中国は「二つの中国をつくるたくらみ」と、批判を強めた。
その李発言から二十年余。民主台湾で教育を受けた若い世代は「自分は中国人ではなく台湾人」「台湾は台湾」と考える。
彼らは生まれながらの「天然独」と呼ばれ、中国が敵視する「老台独(古い台湾独立派)」とは異なる。
台湾人意識を育んできた若い世代が社会の中核になろうとしている。「国際的に摩擦を起こす発言は必要なく、台湾が台湾として存在することが重要」という李氏の訴えに近い台湾が出現している。
◆中国には苦々しい現実
近年の世論調査では、七割以上が中台の政治的「現状維持」を支持している。
中国が台湾統一のため編み出した知恵が「一国二制度」である。だが、その制度を五十年間守ることを約束した香港で中国が国家安全維持法を施行し、自治を踏みにじった事実を、台湾の若者たちも見つめている。
李氏を「台湾独立派」として攻撃してきた中国には苦々しい現実かもしれないが、民主を重んじる若い「天然独」の台湾での台頭を、大陸の指導者は冷静に受け止めるべきであろう。
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