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ドイツ再統一30年、連帯へ「光と影」語った大統領演説

이강기 2020. 10. 8. 21:17

ドイツ再統一30年、連帯へ「光と影」語った大統領演説

 

ナショナリズム ドイツとは何か/壁崩壊が生んだ「平和革命」想起を呼びかけ

 

藤田直央 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)

朝日新聞 論座

2020年10月08日

 

10月3日、ポツダムでのドイツ統一30年式典で演説するシュタインマイヤー大統領=連邦大統領サイトの動画より

 

【連載】ナショナリズム ドイツとは何か

 

 

 冷戦で東西に分断されていたドイツの再統一から30年になる10月3日、記念式典が首都ベルリン近郊のポツダムで開かれた。シュタインマイヤー大統領は演説で再統一後の光と影に言及。なお残る東西格差や欧州連合(EU)の動揺などの課題に触れつつ、自由と民主主義という観点からドイツの歴史を見つめ直し、未来への指針にしようと呼びかけた。

 

 「ドイツとは何か」を考えるこの連載への理解を深めていただく上で示唆に富む内容であり、番外として全文を紹介したい。ドイツ語での演説を、ドイツ連邦大統領サイトに掲載された英訳から私がさらに和訳したため、意味が通りにくい部分もあるかと思う。ご助言をいただければありがたい。

 


ドイツ連邦大統領のサイトに掲載された統一30年式典演説の英訳

 

「コロナは私たちの誇りを奪えない」

 

 30分にわたる演説は、コロナ禍への言及から始まった。私が取材でドイツを訪れた2月は感染拡大前だったが、今や死者は9500人超。1500人超の日本を大きく上回る。演説を伝える動画は、参加者らが間隔を空けて座る会場の様子も映していた。

 私たちはみな、このドイツ統一30年を別の形で祝いたかった。ポツダムの数々のホールは満員で大きな祭りがあり、ドイツ各地や欧州の近隣諸国から何千もの人々が集まる。ドイツの多様性を現す祭りです。しかし、そうなりませんでした。私たちが慣れてしまったコロナウイルスのためです。統一の日の祭りを含む多くをパンデミック(大流行)が妨げました。

10月3日にポツダムで開かれたドイツ統一30年式典。コロナ対策で着席する参加者の間隔が空いている=連邦大統領サイトの動画より

 大きな祝い事はキャンセルされましたが、統一の日はなお重要です。喜び、回想、そして励ましの重要な瞬間です。私たちは(1990年の再統一をもたらした)平和革命を覚えています。(ベルリンの)壁の崩壊、国境での命を奪いかねない銃撃の終わり、国家(旧東ドイツ)による広範なスパイと指令の終わりを、喜びとともに思い出します。そして、1989年の秋に現れた勇敢な人々に励まされます。冷戦の終わりと新しい時代の幕開けを、感謝とともに振り返ります。
 
 私たちは、ヨーロッパの中心で(旧東ドイツと旧西ドイツが)再び一つになり、自由で民主的な国に向けてともに旅してきた道を振り返ることができます。何という幸運、何という功績でしょう。この日にあたり私たちは誇らしく、この感覚をパンデミックが奪うことはできません。

1990年3月、東ドイツの総選挙で西ドイツとの早期統一を求める勢力が勝ち、東ベルリンで西ドイツの国旗を振って喜ぶ人々=朝日新聞社

 

 会場から拍手が沸いた後、シュタインマイヤー大統領は歴史をさらに遡る。2020年は再統一30年にあたるとともに、近代国家としてドイツが初めて統一されてから約150年になる。そして同じドイツ統一の節目であっても、両者は「全く異なる」と語った。

 

「鉄血政策」の150年前との違い


 偉大な歴史的転換点の祝い事は、ふつう一面的です。しかし、今年の国家統一の記念には二つの顔があります。注目すべき偶然ですが、再統一30年の今年は、150年前の最初のドイツ国民国家(ドイツ帝国)の創設と重なります。この偶然の発生が焦点となります。なぜなら、この二つの出来事は極めて異なり、全く異なる考えによっていたのです。

 1871年の国家統一は近隣との戦争の後、鉄と血による粗暴な力によってもたらされました。それはプロイセンの支配、軍国主義とナショナリズムの上に築かれました。数週間前、私はドレスデンにあるドイツ連邦軍事史博物館を訪れました。無数の古い児童書が長いひもで天井からぶら下がっていました。その本の中で、テーブルの端をやっと見渡せるほどの背丈で、誇らしげに制服を着て、戦争に行く準備を熱心にする小さな男の子たちを見ました。この戦闘的ナショナリズムの栄光、この戦争の栄光と英雄の死は、この子たちが歩けるようになった頃から時代の運命的精神でした。ドイツ帝国の創設は、第一次大戦の大惨事へと間もなくつながります。

 「鉄と血」というのは、このドイツ帝国の首相ビスマルクが進めた「鉄血政策」のことだ。ビスマルクは、いまのドイツ北部からポーランド西部にかけて広がっていたプロイセンの首相だった。軍備拡張を進めてオーストリアやフランスとの戦争で勝ち、小国に別れていたドイツをプロイセンを中心に統一へ導いたことで知られる。

国立ドイツ歴史博物館でのドイツ帝国に関する展示と首相ビスマルクの像の写真=2月、ベルリン。藤田撮影

 

 日本で言えば維新の元勲のような存在だが、そのビスマルクが体現した「戦闘的ナショナリズム」にシュタインマイヤー大統領は否定的だ。演説にあるようにドイツ帝国は第一次大戦で敗れ、帝政が潰える。

 30年前に起こった大きな変化について私たちが共有するイメージは、(ドイツ帝国と)何と異なることか。人々は壁の上で祝い、うれし泣きをし、抱き合います。(東ドイツの)兵士や人民警察の警官が銃を置きます。恐怖の局面は変わりました。国民は命令に従うことを拒み、強かった国家は力を失いました。

 他の変化もありました。1990年の再統一は軍事的な威嚇や征服の戦争によるものではなく、国際交渉から生まれ、合意に基づき、欧州と国際的な平和的秩序によって支えられました。長い冷戦下のあらゆる挫折にかかわらず、何世代にもわたる政治家たちが第二次大戦後にこの秩序を築いたのです。

 ポーランドやソ連との平和条約なしには、(第二次大戦後にドイツ・ポーランド国境となる)オーデル・ナイセ線の国際的な承認なしには、(1975年の全欧安全保障協力会議に始まる東西緊張緩和の)ヘルシンキ・プロセスなしには、NATO(北大西洋条約機構)とEUなしには、再統一はなかっただろうことを常に想起せねばなりません。同様に、近く90歳になる(元ソ連共産党書記長)ミハイル・ゴルバチョフの勇気なしには。このすべてを私たちは忘れず、感謝を述べます。

 また、米国なしには、米国の強くて尊敬される戦後秩序への基本的なコミットメントなしには、米国の欧州統合に対する無条件の支援なしには、今の私たちの再統一はなかったでしょう。この機会に米国に心から感謝を述べます。欧州の友人たちに対してと同様にです。

 軍事力を軸にした1871年の統一と異なり、冷戦下の曲折を経た1990年の再統一が国際的な協力と和解によって実現したと強調する。冷戦の勝者とされる米国だけでなく、冷戦終焉へソ連を導いたゴルバチョフにも感謝を述べるところが興味深い。

1997年、朝日新聞のインタビューに応じるゴルバチョフ元ソ連共産党書記長=モスクワ。朝日新聞社

 

「国際協力を支えることが歴史の教訓」

 

 そして、ドイツに再統一をもたらした国際協力が混沌とするいま、ドイツがそれを支えることが「私たちの歴史から引き出される教訓、義務です」と語る。ドイツの役割としてこの演説で繰り返される主題のひとつだ。

 統一の日は実際、いまの西側社会でも厳しい状況にある国際秩序がいかに貴重かを想起させます。私たちドイツ人は国際協力がより困難になっても支えます。強力で公正な国際秩序のために戦いたい。それは欧州のパートナーたちとともに担う課題です。私たちの歴史から引き出される教訓、義務です。

 1871年の世界が1990年の世界とどれほど根本的に異なっていたか。ドイツ帝国は鉄の手で統治されました。カトリック教徒、社会主義者、ユダヤ人は「帝国の敵」とみなされ、迫害され、疎外され、閉じ込められました。女性の政治参加は許されていませんでした。

 いま再統一された国に住む私たちは、みな同じであるべきだとは期待されません。「私たちは国民だ」とは、「私たちすべてが国民だ」ということを意味します。(ドイツ南部の)バイエルン人、(北部の)海岸に住む人々、そして東部のドイツ人は、それぞれのアイデンティティーを誇りにしています。田舎に暮らす人々は、都市住民とは違う布から切り取られます。キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ人、無神論者はすべて私たちの国の一部です。東ドイツ人、西ドイツ人(という考え方)はまだありますが、この区別は多くの人にとってもう重要ではありません。

 「私たちは国民だ」はドイツ語で”Wir sind das Volk”。もとは1989年、東ドイツ政府が首都ベルリンで建国四十年を祝う中でデモが広がり、壁崩壊に至った際のスローガンで、自由を縛る政府に対し「私たちが国民=主権者だ」と訴えたものだ。その言葉がいま、再統一から三十年で多様性を増した国民を包摂する意味で使われている。

 ドイツが国際社会に貢献できる存在であるためには、国民が一色に染まるのではなく、多様性を認め合わねばならない。シュタインマイヤー大統領は、再統一後のドイツとの対比で取り上げたドイツ帝国での差別を指摘したが、すぐ後で触れるナチス政権「第三帝国」でのホロコースト(大量虐殺)も念頭にあっただろう。そして現代に言及する。

ベルリンの一角に広がる「虐殺された欧州のユダヤ人のための記念碑」=2月。藤田撮影

 

「未来への疑問の答えを過去に探す人々」


 東側と西側がともに成長し、また移民と統合のおかげで、私たちの国は過去30年でますます多様になりました。いま直面する課題は、多くの異なる人々がともに平和に暮らせる方法を見つけることです。簡単なことではありません。しかし(多様性を支える)自由の表現とは、そのために多くの先人が戦い、それなしに私たちが生きようとは思わない、この国の特徴なのです。

 私たちの団結とは、自由と多様性における団結であり、ドイツはそれを常にヨーロッパの文脈で定義せねばなりません。私たちは独りよがりではなく、欧州の中にあるドイツのために決定しました。私たちが歩み続けたい道です。

 しかし、未来への疑問の答えを過去の中に探す人々はいつもいます。民主的に選ばれた(議員からなるベルリンの)連邦議会の前で、1871年のドイツ帝国の黒、白、赤の旗や、帝国の戦争旗を振る人は、何と歴史に無知なことか。彼らは攻撃的なやり方で、権威主義的で取り残されるような別の国家を望んでいます。彼らはこの共和国、私たちのこの民主主義を体現しない伝統に従っています。

今のドイツ国旗とともに、かつてのドイツ帝国旗(中央)を振って練り歩く右翼団体の集会参加者=2019年10月、ベルリン。朝日新聞社

 それは違うのです。いま、私たちは自由への運動の基盤と民主主義の歴史の上にしっかりと立っています。ハンバッハ・フェスト、(フランクフルトの)聖ポール教会、ワイマール共和国の民主主義、基本法(戦後憲法)、平和革命のアイデアを描いています。こうした歴史的ルーツのある自由と民主主義の伝統を誇りに思い、そしてユダヤ人の大量虐殺という底知れぬ闇から目をそらしません。この民主主義の歴史の色は(いまのドイツ国旗の)黒、赤、金――団結と正義と自由の色です。

 私たちの国の三色であり、民主主義の建物の前に示されています。この三色が追いやられ、虐げられ、吸収されることを許しません。私たちの色である黒、赤、金をしっかりと保ちます。

 いまのドイツでは、労働者としての移民に加え、紛争地からの難民への対応が課題だ。多様性を認め合い共存することを「この国の特徴である自由の表現」という言葉で示し、それがドイツの「民主主義の歴史」によって培われたことを説明する。

 

 その例として、第一次大戦後にできたドイツ初の民主制であるワイマール共和国、第二次大戦後に西ドイツの憲法となり再統一ドイツに継がれた基本法、そしてベルリンの壁崩壊から再統一にいたる平和革命を挙げる。

 

 ただ上の写真にあるように、その自由と民主主義を象徴するドイツ国旗(黒、赤、金)が、排外的な右翼団体の集会でドイツ帝国旗(黒、白、赤)とともに掲げられるのが、いまのドイツの一面でもある。

 

東側の疎外感と西側の無関心


 再統一から30年経ち、私たちはいまどこにいるのでしょう。私たちはパラドックスの中にいます。来るべきだったところまでは決して来ていません。しかし、思ったよりも遥かに進んでいます。

 再統一30年を祝ってきたシュタインマイヤー大統領は、「パラドックス」という表現でその光と影に言及する。まず影の部分、なお残る東西格差だ。

 

 それは冷戦に勝利した西側に吸収された東側の人々に疎外感を生んでいる。「国民としてまとまろうとする気持ちや動き」としてのナショナリズムをドイツで考えるこの連載でも取り上げてきた。

 (再統一による)変革は間違いなく、私たちの国の東側の人々を西側の人々よりも不釣り合いに打ちのめしました。その痕跡は、なし遂げられたあらゆる偉大な進歩にかかわらず鮮明です。(東側で)覆された人生や裏切られた希望の例がまだ多すぎます。価値がこれほど失われたとか、若者が未来を見いだせずその世代が丸ごといなくなった場所という例も多い。

 ドイツの東側と西側にはまだ大きな賃金格差があります。エルベ川の東でビジネスを立ち上げた大企業はまだ少なすぎます。企業、大学、省庁、連邦軍の幹部に東ドイツ人はまだほとんどおらず、互いに離れています。私たちは、不遇な環境が世代を超えてしばしば続きうることを過小評価してきました。こうした不遇な環境がなくなるまで、住んでいたのが東か西かが人生の見通しに関係がなくなるまで、私たちは歩みを止めません。

 この東西格差の問題は、私が2月にベルリンで話を聞いたベアーテ・ヴォンデさん(65)も語っていた。連載で紹介したが、旧東ドイツのポーランド国境の街出身。森鷗外記念館で副館長まで務め日独の文化交流を支えてきた。

旧東ドイツの頃を振り返るベアーテ・ヴォンデさん=2月、ベルリンの森鷗外記念館。藤田撮影


ヴォンデさんを紹介した過去の連載

 

 

共産主義が倒したはずのナチズム 統一ドイツの行方は 続・旧東独出身者との対話 - 藤田直�

 ベルリン市街を縫うローカル線が黄昏の高架を行く。線路の軋みが二階の窓越しに響いてくる。 かつての森鷗外の下宿にあるフンボルト大学の森鷗外記念館を2月14日に訪ね、日独の文化�

webronza.asahi.com

 

 シュタインマイヤー大統領は、そうした東側に対する西側の「無関心」ゆえに、「再統一から30年経っても、分裂と団結の歴史を互いに真に共有するという課題は達成されていない」と指摘する。

 私たちはさらに、ともに成長するということは雇用統計や経済データだけで測れないことに気づきました。完全に社会の一部となり、真に平等な存在だとみなされているという感覚は、給料の額だけでは決まりません。互いに寄り添うように育ち、好奇心を持ち、ライフスタイルや世界観を知り、尊重することは、私たちの義務であり続けています。

 (再統一後の)変革はドイツの東側ですべての家族に影響しましたが、西側ではずっと前から経験していたので、しばしば(東側への)無関心を生みました。再統一以来、ドイツでほぼすべての東側の人が西側に旅行しましたが、西側の人の2割は東側に行ったことがありません。東側の人が(ドイツ人としての)自身について話す時、彼らの生活で支配的な存在である西側のことを常に含みます。しかし西側の人の多くの話では東側のことに一言も触れません。西側の視点はドイツ全体の視点だと主張し、澄ましています。東側の生活は(ドイツの)標準からの逸脱ではなく、別の生活だとしました。

 東側からの物語は、私たちの共通のアイデンティティー、歴史の一部に自然にはなっていません。再統一から30年経っても、分裂と団結の歴史を真に共有するという課題は達成されていません。東西どちら側であろうと、間違いや不正を開かれた場で議論し、偽りの神話を否定することが必要です。信頼のファイルが最終的に開かれることが重要です。

 そして、西側出身ながら東側で2009年から連邦議会議員を務め、東側の人々の声に耳を傾けてきたという立場から、「この問題は私たちの民主主義の核心なのです」と訴える。

10月3日、ポツダムでのドイツ統一30年式典で演説するシュタインマイヤー大統領=連邦大統領サイトの動画より

 

「民主主義の核心なのです」


 30年が過ぎたいま、様々な決定が「正しかった」か「間違っていた」か、「他に道はあった」か「合理的だった」かが改めて判断され、議論されるでしょう。(しかし、旧東ドイツ)全体の活動が一掃されてしまったことが心の傷を生んだことに議論の余地はありません。東側の人々にとって、社会的、文化的な構造が解体されたことが何を意味したかです。

 (東側で)このことが、30年も統一ドイツで暮らしてなお多くの人々の見方にどれだけ影響しているか、そして1990年以降に生まれた人々にどれだけ共有されているか。(西側出身の)私は東側で長年にわたり連邦議会議員を務め、理解するようになりました。東側で私が丸い角のテーブルで催す協議で直面し続けています。こうした事実に向き合い、利用可能な資料に基づいて、批判的な話を共有することは、私たちの歴史をともに記し、かつ共通の未来が神話や疑惑の上に築かれないようにする過程においてなされねばなりません。

 これが表面的な問題にとどまらないことを、私は真剣に申し上げます。礼儀や品位の問題ではなく、私たちの民主主義の核心なのです。(東側の)人々が常に無視されていると感じれば、彼らの意見が政治的な議論に全く反映されなければ、彼らが自分の将来を形作る能力への信念を失えば、無関心では対応できません。その時には私たちのまとまりが崩れ始め、政治への信頼が失われ、ポピュリズムと過激な政党の温床がどんどん育つからです。

 この連載でたびたび触れてきた、排外的な新興右翼政党が勢力を伸ばしたことへの警鐘とみられる。この現象については、きっかけとして2015年にドイツ政府が大量の難民受け入れを決めたことが指摘されるが、深層には西側の東側に対する「無関心」があるとまで大統領が述べたことは重い。

 だからこそ、私たちは不正を容認して無視する態度を取ることはできません。改善すべく働き続けましょう。怒りを癒やしましょう。お互いに耳を傾け、学び合いましょう。私たちの国の東側や西側、北側や南側で。

ドイツ再統一30年を祝うモニュメント=9月、ドイツ東部ポツダム。朝日新聞社

 

「西をまねよう」でなく「東がリード」

 

 次にシュタインマイヤー大統領は、再統一30年の光と影について、光の部分を強調する。

 私たちが思ったより遥かに進んでいることも事実です。残るあらゆる課題で多くが達成されてきました。(東側では)ライプチヒとロストックが、いま(西側の)ルール地域の数都市よりも経済的に発展しています。ドイツの西側から移動する人の方向は東側が他よりも多くなっています。東側の多くの大学や研究機関は長くの間、世界中から学生や学者を引きつけています。私はたびたび、起業に成功した印象的な人々に出会います。彼らの新しいアイデアは寂れた街を再び魅力的にし、取り組むすべての挑戦に活力とプラグマティズムをもたらします。私は旅行先で、活気に満ちたダイナミックな国の姿を目にします。下降よりも上昇が目覚ましく、多くの場所でスローガンはもう長いこと「西をまねよう」ではなく、自信を持って"Vorsprung Ost"、「東がリードする」になっています。ザクセン州ツヴィッカウには欧州最大の電気自動車工場ができたばかりです。

 ここ(東側の)ブランデンブルク州、ベルリン近郊にあるグリュンハイデのテスラ・シティーでは、将来のモビリティソリューションのための工場が建設中で、創造的な新興企業やイノベーションハブの群れを引きつけています。ここの失業率はすでに(西側の)ノルトライン・ヴェストファーレン州よりも低い。ブランデンブルク州の人々は、そう簡単にできることではないと知りつつ、「とても簡単です」と言います。

ドイツ東部のライプチヒで電気自動車を組み立てるBMWの工場=2015年。朝日新聞社

 再統一から30年、私たちが目にするものは、ますます増える東側での成功例にとどまりません。何よりもまず、私たちは東西の異なる経験と強みを持ち寄り、協力して多くを成し遂げました。

 英国の歴史家ティモシー・ガートン・アッシュは最近、再統一から30年がドイツ史で最高の30年だったと記しました。これは自分の経験からはあたらないと思う人もいるかもしれません。しかし、平和革命家たちの勇気と推進力なしには、東西からのアイデアの収束と融合なしには、私たちは欧州の中心でこの現代的で成功した国にはならなかったでしょう。

 東側に由来し、統一された国をより良くしたもののリストは、長く多様です。上位には、ラウンドテーブル、市民参加、環境図書館、すべての人のための地域医療、保育、そして東中央欧州に関する特別な知見があります。そして私は個人的な刺激以上に、豊かで癒やされる根本的な経験をしました。例えば、西側のイデオロギー的な議論にいい影響を与えた健康的なプラグマティズムや、西側で停滞した分野への変化のための圧力です。

 それは(東西)共通の望みだったので、私たちの国はより現代的でオープンになりました。思った以上に進んでいるのです。東西の人々の経験を一つにするドイツは、欧州で遠心力が増すいま特に、その中心にある活発な国として特別な役割を果たせます。

「欧州の中心、ドイツの特別な役割」

 

 冷戦下の欧州分断を乗り越えた再統一による光の部分を強調し、だからこそ「欧州の中心にあるドイツが特別な役割を果たせる」と語る。コロナ禍だけでなく「古い同盟関係の衰え」、つまりアメリカ・ファーストを掲げるトランプ政権に象徴される内向きな米国の動向まで示唆し、「私たちが過去30年大事にしてきた確かなことの多くが消え去った」と述べ、内外から変化を迫られる挑戦に対し「勇敢でなければならない」と国民に呼びかける。

保守政治活動会議で演説後、米国旗に抱きつくトランプ大統領=2月、メリーランド州。朝日新聞社

 いま、私たちは本当にいままでで最高のドイツに住んでいます。そうしたドイツを築くことを支えたすべての人々に感謝しましょう。ともに喜びましょう。何よりも、その上に明るい未来を築きましょう。

 明白なのは、私たちの未来は単に成功した現在の続きではないということです。コロナウイルスは私たちに謙虚さを教えました。気候変動は私たちの生活様式に根本的な挑戦をしています。古い同盟関係は衰えています。世界は安全でなくなってきました。私たちが過去30年大事にしてきた確かなことの多くが消え去ったのです。

 しかし、謙虚さは諦めや落胆とは違います。その逆です。私たちはいま勇敢でなければならない。30年前と同様に勇敢であっていいのです。なぜ欧州の中心にあり幸運の寵児である私たちが落胆せねばならないのか。我が国はコロナウイルスによる困苦の中、ともに立ち、強くあり、責任を持って行動していることを示しています。私たちは自信を持っていいのです。パンデミックは私たちの未来を盗むことはできません。

コロナ対策でテレビ向けの演説をするドイツのメルケル首相=3月、独公共放送の番組から。朝日新聞社

 コロナウイルスとの戦いに集中するには注意深くあるべきです。ただし懸念が私たちを麻痺させてはなりません。緊急になすべきことを注視すべきです。ポストコロナの未来へ、いま世界中で交渉がされています。気候やデジタルの分野での変革と結合に乗り出さねばなりません。何をすべきか、いかに速くなすかにおいて適切であり、時には急進的にやり方を再考する備えがないといけません。極地で溶ける氷塊とカリフォルニアで荒れ狂う火災は、未来が待たないことを厳しく想起させます。国際秩序の侵食、統一欧州を引き裂く力、私たちの社会の新たな亀裂――これらすべての挑戦に立ち向かう行動が必要です。

 もちろんその土台には、私たちの経済力や産業、国民にとって何が必要かという感覚と協力への意欲があります。壁が単に崩れたのではなく、よりよい生活のためともに立ち上がった何十万もの個人によって崩されたという、平和革命の経験があります。ひっくり返った人生を新たに始め、学び直し、自身を変えた(旧東ドイツの)1,600万の人々による驚異的な成果があります。いまもその勇気と勢いが必要です。

 

平和革命で「自由と民主主義」想起を

 

 では、ドイツがそうした行動を起こすためにまとまり続けるには、どのような理念が必要なのか。もちろんかつてドイツ帝国をまとめた「戦闘的ナショナリズム」ではない。この連載では、ドイツ帝国が倒れて生まれた戦前の民主主義がナチズムの台頭を許した教訓を、戦後社会が継承する営みを紹介してきた。

 

 再統一30年の節目にシュタインマイヤー大統領が国民に呼びかけたのは、再統一をもたらした平和革命を想起する形での「自由と民主主義」の追求だった。

 ひとつの提案で締めくくりましょう。平和革命が今日の励ましの源になるのであれば、この勇気を記念する場所を作ろうではありませんか。

 確かにドイツ統一記念碑は近くベルリン中心部のシンボルとして建てられるでしょう。そしてすでに、旧東ドイツでの抑圧的な政権、ベルリンの壁、シュタージ(秘密警察)の数々の留置場、再教育センターを想起する多くの場があります。これらの場所を忘れないことは大切です。

ベルリンの壁をキャンバスにしたイースト・サイド・ギャラリーにある「熱いキス」の前に集まる若者たち=2月。藤田撮影

 しかし、自由と民主主義について訴えかける平和革命のアイデアを記念する、記念碑以上の著名な場が必要ではないでしょうか? 果たされた夢もまだ果たされぬ夢も、よりよく正しい未来の夢を記念する場。東側のドイツ人が自分の未来を自分の手に取り、自身を解放したことを想起する場です。

 それは知られている人もそうでない人も含め、ろうそくを手に旧東ドイツ政府に逆らった多くの男女に敬意を表する場となるでしょう。国民の怒りと不満、そして希望を表す顔でありマウスピースだった公民権運動家を記念する場です。

 そうした場がまだ存在しないとても現実的な理由もあります。旧東ドイツでは公民権運動家が個人宅や教会の施設で密かに会っていました。壁の崩壊後、中央円卓会議が様々な場で行われました。

 1848年のドイツ革命運動はフランクフルトの聖ポール教会と密接に結びついています。第一共和国はワイマールで開かれた国民議会と切り離せません。基本法はバイエルン州のヘレンキームゼー城や(旧西ドイツの首都)ボンのケーニッヒ博物館と関係があります。

ワイマール憲法が採択された国民劇場と、その前に建つ当地ゆかりの文豪ゲーテとシラーの像=2月、ドイツ・ワイマール。藤田撮影

 しかし、平和革命に関するそうした著名な場はありません。

 再統一30年は、これをどう変えられるかを考えるにふさわしい機会ではないでしょうか。平和革命が独裁政権を倒した。それは私たちの国の最高潮の一つであり、私たちのドイツの民主主義の歴史で永続的な場を保っています。

 想起すれば終わりではなく、また歴史には終わりがありません。私たちはいま、自由と民主主義のための戦いが世界のどこでも勝てるわけではないという痛々しい結論に直面しています。その戦いは続き、旗を拾うかどうかは私たち次第です。この挑戦を受けましょう。1989年に起こったこと、公民権運動家と平和革命家たちの勇気と決意をすべて受け止めましょう。成し遂げられたすべてを想起し、これから多くの課題に立ち向かう力を引き出しましょう。

壁崩壊から「自信を引き出す国」

 

 この演説では、旧西ドイツ以来の歴代大統領が繰り返してきたナチズムの教訓や、欧州各国を揺さぶる難民への対応について深い言及はなかった。ただ、再統一30年を祝う式典で暗い話題を避けたのではないだろう。東西格差や、東側の疎外感と西側の無関心という、再統一後のドイツが抱える最大の課題に踏み込んでいるのだから。

 

 再統一後のドイツは、シュタインマイヤー大統領が「私たちが過去30年大事にしてきた確かなことの多くが消え去った」と述べるような動乱にもまれた。世代交代が進み移民や難民が増える国内に向け、そうした動乱を乗り越えようと連帯を呼びかけるための古くて新しい共通の記憶として、1989年のベルリンの壁崩壊に始まる平和革命に焦点を絞ったのではないか。

1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊後初めての日曜、西側に回って壁とブランデンブルク門を見ようと集まった東側の市民たち=朝日新聞社

 

 未来へ国民を導く理念を近現代史から紡ぎ出し、国際社会と調和すべくナショナリズムの陶冶に努めてきた戦後ドイツの指導者の姿勢が、演説を締めくくるこの言葉からも伝わってきた。そして、「2020年の日本はどういう国ですか」と日本の指導者や私たちが問われた時、何を語れるだろうかと考えた。

 2020年のドイツ連邦共和国は、東側と西側のドイツ人、そして原住民と移民によって作られた国です。1989年のアイデアの勝利から、いつも責任は統制に勝利し、自由は抑圧に勝利するという自信を引き出す国です。世界と欧州でいま起きていることを考えれば、1989年の遺産がいまほど大切な時はありません。

 どうもありがとう。

 

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