中國, 韓.中關係

中国と民主化

이강기 2008. 9. 20. 15:25

中国と民主化(1)「豊かになれ…」?(2008/9/11)

 

 

 

鈴置 高史 日本經濟新聞 編集委員

北京五輪・体操男子団体で優勝し、表彰台で祝福に応える中国選手たち(8月12日)
 「中国は果たして民主化するのか」――。こう考え込む人が日本でもアジアでも増えた。北京五輪であますことなくその力を誇って見せた中国。もし、この国が民主化しないのなら、アジアの人々は「隣の大国が権威主義的体制を捨てぬまま、膨らみ続ける」というあまり幸福でない状況に直面する。

 

 

80年代に始まったアジアの民主化

 

 

 20世紀末ごろまで、「中国もいずれは民主化するだろう」と何となく考える人が多かった。80年代半ば以降、アジアの国々が相次いで民主化したからである。

 

 フィリピン、韓国、台湾。90年代に入ってインドネシア。民主化の契機はさまざまだったが、いずれも長期に続いた独裁体制の後に、「公正な選挙」、「言論の自由」と、政治犯の釈放など「人権の保障」が制度的、あるいは実態的に導入された。

 

 これらの中には、初期段階で幼い民主主義が揺れた国もあったが、昔の独裁体制に戻ったケースはない。この事実こそが「アジアでは民主主義が着実に広がっていく」という明るい見通しを下支えした。

 

 

 では、「アジアで民主化が始まった理由」については、どう理解されたのだろうか。これまた何となく信じられてきたのが、「経済成長が民主化を呼んだ」という説明である。

 

 70年代には韓国、台湾などのNICSあるいはNIESと呼ばれた国・地域が工業化をテコに急成長した。80年代にはタイやマレーシアなど東南アジア各国がそれに続いた。「アジアも経済成長できる」という認識が世界に広まった後に「アジアは民主化もできた」ため、「経済成長は民主化をもたらす」という見方が広まった。

 

 

政治的自由を求めた中産階級

 

 

 それは「総論」にとどまらず「各論」でも裏付けられたように見えた。例えば、韓国の民主化(87年)の際にはそのロジックが定説とした語られた。当時、韓国紙のある編集幹部は民主化の原動力に関し、外国人に会うたびにこう説明した。

 

 「経済成長の結果、韓国には中産階級が育った。経済的自由を手に入れた彼らは、今度は政治的自由を求め始めたのだ」

 

 貧しかった韓国で、歴代軍事政権は「豊かになるには自由の制限が必要だ」と言い張ってきた。それはある程度までは国民に受け入れられた。韓国は北朝鮮と軍事的に厳しく対峙しており、国家存続には急速な経済成長が不可欠なことが共通認識になっていたからだ。

 

 だが、独裁を続けるうちに韓国は五輪を開催するまでに豊かになり、独裁政権は独裁を続ける名分を失ってしまった。

 

 台湾でもそれ以外の国々でも、韓国ほど明示的ではないにしろ民主化の背景には「絶望的貧困からの離脱」があった。このため、マズローの欲求段階説にも似た「中産階級が育てば彼らは政治の自由を求める」という説が結構な説得力を持って語られたのだ。

 

なぜ、中国は民主化しないのか

 

 

 では、中産階級が生まれ、五輪を成功するまでに豊かになった中国で、なぜ民主化への志向が起きないのだろうか。いま、北京五輪以降の中国で観察されるのは、五輪を名分とした言論統制や、不公正の是正を求める人への弾圧といった民主化とは明らかに逆行する事実だ。さらに興味深いのは、民主化を求める知識人自体が10年前と比べて減っているように見受けられることだ。

 

 中国の知識人に聞いてみた。「なぜ、中国は豊かになっても民主化しようとしないのか」。

 

 多くの人の答が「豊かになったのは事実だ。しかし、韓国や台湾と異なって中国は国が大きいし多民族国家だ。下手に民主化すると大混乱に陥って国が分解する懸念がある」だった。

 

 これは中国政府の恐れでもあろう。が、知識人も政府のプロパガンダを鸚鵡返しに語っているだけでもなさそうだ。第二次天安門事件当時は独裁体制を厳しく批判し、中国の民主化を求めた人々の中にも、「民主化による混乱への懸念」を語る人が多い。

 

 例えば、「貧しい時代の中国」に育ち、先進国に留学した人たち。彼らは、国を出た当時は先進国の「豊かさ」と「民主主義」を仰ぎ見て、両者を同根のものとして捉えた。だからこそ、「豊かになるためにも民主化を」と考えた。しかし、長い間、海外にでているうちに「民主化されないが豊かな祖国」が出現した。「豊かな祖国を誇らしく思うほどに、それを失いたくない、という心情も増した」のだ。

 

 彼らの意識を見る限り、経済成長は民主化への歯止め効果を持つこともある、と言わざるを得ない。

 

 

成長は民主化を促さない?

 

 

 そもそも、「経済成長が民主化を促す」という仮説は誤りで、両者は関係ないものなのだろうか。あるいは、関係があるとしても、「大きすぎる中国は例外」なのだろうか。あるいは、成長は民主化へのひとつの必要条件に過ぎないのだろうか。

 

 次回以降、アジアに民主化をもたらした「経済」以外の要素について考える。