「南京大虐殺30万人説」 日本にも歴史〝ねじ曲げ〟放置した重い責任 元兵士証言から浮かぶ歴史の真実
産經ニュース
2015. 3. 27
昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、約6週間から2カ月間にわたって多数の敗残兵や住民らを殺害したとされる「南京事件」。犠牲者の規模や事件の存否を含めて論争があるが、中国は犠牲者数を30万人と主張、日本軍の〝蛮行〟として声高に喧伝している。しかし、陥落直後の南京にいた日本軍の元兵士に取材すると、「南京大虐殺30万人説」とは異なる様相が浮かび上がる。「陥落後の南京は和やかだった」「虐殺はでっち上げ」-。「反日」という政治的思惑を帯びた中国の攻勢に負けず、元兵士らの証言をはじめ当時の史料や状況を冷静に検証し、歪曲(わいきょく)・誇張に満ちた歴史を是正する必要がある。
「日本を取り戻す」を旗印に政権を奪還した安倍晋三首相は2月、南京事件に対する海外からの誤った批判に正当な理解を得るよう発信していくと明言した。この「歴史戦」に敗れれば、日本の名誉は永遠に汚され続ける。(歴史戦WEST取材班)
「城内に遺体はなかった」
「城内は空っぽでした」。昭和12年12月13日の南京陥落後、南京城に入った城光宣(じょうこうせん)さん(99)に昨秋、城内の様子を尋ねた際の第一声だ。
兵士はおろか、住民の姿さえいない無人地帯だったというのだ。住民たちは、欧米人らでつくる国際委員会が城内に設けた非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。
城さんは熊本で編成された陸軍第6師団歩兵第47連隊に所属する獣医務曹長。第6師団も加わった南京攻略戦の戦闘には直接参加していないが、戦闘部隊と行動をともにし、間近で様子を見てきた。南京は他地域と同様に外敵の侵入を防ぐ目的で周囲を堅固な城壁で囲まれていた。城内の面積は約40平方キロメートルと広大だった。
12年12月10日に始まった南京総攻撃。第6師団は南京城南側から攻撃に加わった。「砲で徹底的に敵をたたいて、収まったころ、壁にはしごをかけて日本の兵隊がよじのぼって占領していったとです」
城さんは77年前の様子を克明に語った。城内で中国軍の遺体を目撃したかどうか尋ねると、首を横に振って否定した。それでも上海から南京まで進軍する途中では道端で中国軍の遺体を目にしたという。「そりゃ交戦しながら進むけん、こっちもあっちにも遺体はありました」
南京への進軍途中にも「日本軍は虐殺行為を働いた」とも言われるが、城さんは「女や子供、年寄りの遺体はみたことはなか」と明確に否定した。
南京攻略時の師団長は戦後の南京軍事法廷で、「南京虐殺の責任者」との罪で戦犯となり、処刑された。虐殺はあったのか否か。同様の質問を繰り返したが城さんは憤りを交え、同じ答えを繰り返した。
「30万人も虐殺したというのはでっち上げですたい。人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」
日本兵相手に商売も
《日本軍は南京占領直後から1カ月で2万の強姦事件を起こし、6週間で20万人を虐殺し、暴行や略奪の限りを尽くした》
戦後の東京裁判判決はこう認定した。さらにこうも断定した。
《何ら口実もないのに中国人男女や子供少なくとも1万2千人を最初の2、3日で殺害し、死体は大通りに散乱した》
元兵士が見た南京はどんな様子だったのか。
「とても戦争中とは思えなかった。南京は誠に和やかに尽きるという印象でした」。占領後最初の6週間の一時期を城内で過ごした元海軍第12航空隊の3等航空兵曹、原田要さん(98)はこう振り返った。
陥落後、城内の飛行場に降り立った原田さんの印象に残るのは、日本兵を相手に露店で商売を始めるなど日常の生活を営む住民らの姿だった。
この証言には重要なポイントがある。陥落後間もない城内では、すでに住民による露店が立っていたという点だ。
南京攻略戦で城内に残った住民らは一時、非武装中立地帯の「安全区」に逃げ込んだが、日がたつにつれ安全区から出てきて平穏さを取り戻している。原田さんの目にはそう映った。
中国が喧伝する「南京大虐殺30万人説」が事実ならば、当時は城内で日本軍による住民への虐殺や暴行、強姦が繰り広げられていたはず。そんな阿鼻叫喚の現場で、和やかに敵兵相手に商売をすることがあり得るだろうか。
平成19年12月、東京で開かれた「南京陥落70年国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」でも、8人の元将兵が同様の証言をしている。
「敵兵は1人もおらず、城内はガランとして人影がなかった。100メートルほど行くと、1人の老婆が紙で作った手製の日の丸でわれわれを歓迎してくれた」(12年12月14日に入城し、すぐに城外で宿営した元陸軍第6師団歩兵第13連隊の伍長、古沢智氏)
「入城して2~3日後、住民の姿をみかけるようになり、時計の修理のため時計屋を訪れた」「3回ほどサイドカーで城内をくまなく見て回ったが、遺体や虐殺の痕跡は目にしなかった」(12月16日に入城した元陸軍第16師団の獣医少尉、稲垣清氏)
「12月14日ごろには(城内に)散髪屋や立ち食いそば屋など、早くも住民が商売を始めていた」(安全区で掃討・警備を担当した元陸軍第9師団歩兵第7連隊の伍長、喜多留治氏)
日本兵を悩ませた「便衣兵」
平穏を取り戻した城内でも、日本兵にとって掃討すべき〝脅威〟があった。民間人に偽装し、隠れ戦闘員として日本兵らを襲った中国の「便衣兵」だ。
3等航空兵曹の原田さんは、便衣兵を処刑する場面を見たことがあった。
休暇で南京城の北を流れる長江(揚子江)の河畔に行ったとき、日本陸軍の兵士らがトラックに乗せてきた中国人の男10人ほどを銃剣で突いたりした。川の中に逃げ込んで撃たれたり、泣きながら命ごいしたりする男もいた。
原田さんは言う。「虐殺と言われれば虐殺かもしれない。でも便衣兵はゲリラだ。日本兵がやられる可能性もあった」
当時、日本軍は南京だけでなく、各地で便衣兵に悩まされた。堺市在住の元海寿祐さん(51)は、日中戦争で出征した父、寿一さん=平成2年に72歳で死去=から便衣兵に出くわした体験談を聞いたことがある。
寿一さんが出征先で仲間と歩いていて、怪しい中国人の男を呼び止めた。男は便衣兵だった。走りながら腋の下から銃口を向け、仲間が撃たれて負傷した-。
元海さんは「父は戦場の現実は悲惨なものだと言っていた」と振り返り、南京事件についてこう話した。
「『大虐殺』で言われるようなことをやればすぐ情報が広まる。(将兵は)処分されるはず、と大虐殺説を否定していた」
「ギャクサツヲ禁ズ」
「南京大虐殺30万人説」で言及される日本軍の残虐性。しかし、軍には厳しい規律があったという数々の証言もある。
「十月五日 大隊長注意 リャクダツ、ザンサツ禁ズ」
昭和12年に日中戦争に参加した元陸軍第5師団歩兵第21連隊の下垣定信さん=平成8年に83歳で死去=が所持していた手帳には、上官からの命令が日付とともに記されている。
「上官も厳しかったし、軍紀も厳しかった。自分勝手は許されなかった」。生前、下垣さんは長男(75)にこう話したという。南京攻略戦には参加していないが、日中戦争勃発(ぼっぱつ)直後に出征した際の体験談だ。
北京近郊の河北省のある城内に駐留していたと思われる同年9月2日の記述がある。「将校注意 便衣隊(兵)ニ注意 衛兵務ム者ハ城門出入者ノ身体検査、但婦人ヲ除ク」
10月1日には、「自ノ銃ヲ以テブタ、ニハトリ等ヲ射殺モ他ニキガイヲオヨボスノオソレアルヲ以テ厳ニ注意ヲ要ス」。
同月4日は「連隊注意 一、現在地付近ハ住民居存有ルニ付キギャクサツヲ禁ズ…」と記されている。
長男は「手帳を見ていると、日本軍は決して無秩序な軍隊ではなかった。父も戦後、『南京大虐殺』を否定していた。今の状況は悔しい」と語る。
中国は毎年12月13日、南京市の南京大虐殺記念館で犠牲者の追悼式典を行ってきたが、習近平政権は昨年、「国家哀悼日」に〝格上げ〟。米国の公立高校の世界史の教科書では、南京事件の犠牲者を「40万人虐殺」と歪曲されていることも明らかになっている。
東京裁判で「自虐史観」すり込まれ
南京攻略戦は東京裁判で突如として「南京大虐殺」に変貌(へんぼう)した。その後、中国側は「30万人を虐殺した」と世界に向けて喧伝し、今も日本をおとしめる格好の材料としている。日本国内で30万人説を支持する声は極めて少ないものの、「虐殺があった」とする説は多く、数百~20万人と幅がある。事件の存在すらないという「否定説」もある。
拓殖大の藤岡信勝客員教授は「当時の記録にもあるように一部の非行兵士による犯罪行為はあったが、日本軍が組織的に民間人らを虐殺したということは事実として確認できていない」と語る。
中国軍が退却時に「敵に糧を与えない」との名目で民家を焼き尽くし、略奪を行う「清野作戦」による被害も多かったと指摘。便衣兵についても「戦闘を放棄した捕虜とは違い、あくまでも戦闘継続中の兵隊だった」と強調する。
これまでに日本側が戦後の歩みの中で、生存者から聞き取りを行うなどして事実を究明し、「南京大虐殺30万人説」に反論して国際社会にもアピールする機会は何度もあったはずだ。しかし、東京裁判によって日本人にすり込まれた「自虐史観」の影響は強く、積極的な検証や反論の動きは鈍かった。結果として誤った史実が国際社会にも広がっている。
もはや当時を知る人たちも多くは鬼籍に入り、健在の人でも100歳を目前にしている。藤岡客員教授は言う。
「歴史のねじ曲げを放置したのは私たち国民、そして政府の責任。戦後70年の今、真摯(しんし)に見つめないと歴史の真実は見えてこない」
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