女優「李香蘭」(일본명: 야마구치 요시코)は日中にとってどんな存在だったのか
2014年9月19日(金)19時0分配信
The PAGE
「李香蘭」の名で広く知られ、戦後は参院議員もつとめた女優・歌手の山口淑子(やまぐちよしこ)氏が2014年9月7日、94歳で亡くなりました。若い世代の人は、李香蘭という名前を知らないかもしれませんが、かつて日本が満州を支配していた時代には、日中両国において、知らぬ人がいないほどの有名人でした。李香蘭とはどのような人だったのでしょうか。
李香蘭は、日中戦争開戦の翌年、満州の国策映画会社・満洲映画協会(満映)からデビューし、日中両国で大人気となった女優です。美しい容姿とネイティブ並みの中国語能力を持っていた山口氏は、李香蘭の名前で中国人女優としてデビューしたのです(山口氏の父親は満鉄で社員に中国語を教えていた)。
山口氏が李香蘭としてデビューした背景には、大陸に進出しようとしていた当時の日本の国策がありました。日本は満州事変をきっかけに、清朝最後の皇帝溥儀を迎え、満州国を設立しました。日本は軍事力で大陸を支配しようとする一方、文化的な支配も実現しようと試みており、そのために設立されたのが満映という会社でした。
当時の満映理事長には、元陸軍憲兵で、無政府主義者殺害の容疑で服役したこともある甘粕正彦氏が就任していました。日本側は日中の架け橋となるような大女優を求めており、白羽の矢が立ったのが山口氏だったわけです。少し古い映画ですが、溥儀の生涯を描いた「ラストエンペラー」では、音楽家の坂本龍一氏が、音楽を担当すると同時に、甘粕氏の役で出演しています。
軍部の狙い通り、李香蘭は日中で大変な人気となり、次々と映画に出演し、歌も大ヒットします。しかし中国の人は、李香蘭が本当に中国人だと思っていました。このため、日本が無条件降伏を受け入れた際には、日本軍に協力した罪(漢奸罪=国家反逆罪)で起訴されてしまいます。
その後、日本人であることが法廷で証明され、ようやく日本に帰国することができます。帰国後は、日本での芸能活動を経て、自民党から参院選に出馬し、参議院議員を3期つとめています。
山口氏は女優としてデビューすることにあまり乗り気ではありませんでしたが、父親が満鉄の関係者だったこともあり「お国のため」と仕事を引き受けたそうです。しかし、日本人であるにもかかわらず、それを隠して中国人女優として活動してきたことについて、山口氏には相当な葛藤があったといわれています。
女優として有名になり、日本公演のために一時帰国した際には、日本の入国係官から「おい!」と呼び止められ「一等国民である日本人が三等国民である中国人の服など着て恥ずかしくないのか。それでも日本人か」と罵声を浴びせられたと自著に記しています。
日本は大陸進出にあたり「五族協和」というスローガンを掲げ、アジア人が団結して欧米に対抗すべきだと主張していました。しかし、現実は相当かけ離れていたようです。
(The
Capital Tribune Japan)
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