中国の軍事パレード 実は国民向けのPRだった
中国は第二次世界大戦の勝者であり、国際社会を主導する資格と権利がある
2015年09月09日(Wed)Wedge-Infinity
小原凡司 (おはら・ぼんじ) 東京財団研究員・元駐中国防衛駐在官
1963年生まれ。85年防衛大学校卒業、98年筑波大学大学院修士課程修了。駐中国防衛駐在官(海軍武官)、防衛省海上幕僚監部情報班長、海上自衛隊第21航空隊司令などを歴任。IHS
Jane’sを経て、13年1月より現職。
チャイナ・ウォッチャーの視点
めまぐるしい変貌を遂げる中国。日々さまざまなニュースが飛び込んできますが、そのニュースをどう捉え、どう見ておくべきかを、新進気鋭のジャーナリストや研究者がリアルタイムで提示します。政治・経済・軍事・社会問題・文化などあらゆる視点から、リレー形式で展開する中国時評です。(画像:Thinkstock)
2015年9月3日に北京で挙行された軍事パレードは、中国国外から観る者にとっては矛盾を孕むものだった。中国は、言っていることと、やっていることが違うだろう、ということである。
軍事パレードに先立つ演説で、習近平主席は、「中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張しない」と述べた。中国の平和的台頭を主張しているのだ。国防白書2015「中国の軍事戦略」の前言にも全く同様の表現があるが、実は、この表現は新しいものではない。
「中国は永遠に覇を唱えず、永遠に拡張しない」というフレーズは、2002年の中国共産党第16回全国代表大会において江沢民氏が使用して以降、胡錦濤前主席も使い続けてきた。
米国に対抗できる能力を誇示した
しかし、これまでの中国の南シナ海における行動等を見て、これを簡単に信じる国はないだろう。最近でも、中国は、南シナ海においてサンゴ礁を埋め立てて人工島を建設し、軍事施設と思しき建造物の建設を進めている。
さらに、これは、軍事パレードの場で述べられたのだ。そもそも軍事パレードは、軍の威容を示すものである。しかも、中国が、今回の軍事パレードにおいて、米国に対抗できる能力を誇示したことは明らかだ。
軍事パレードにおける兵器の披露の仕方が、米国を意識したものだったからである。航空部隊を率いたKJ-2000は、南シナ海や東シナ海で活動する米軍機を監視し、戦闘機を管制する。
1機300億円とも言われ、5機しか装備されていないと言われるKJ-2000に対して、KJ-500は価格が安く、大量生産が可能だとされる。機数が揃えば、南シナ海等における監視能力は飛躍的に向上する可能性がある。また、長剣10巡航ミサイルを発射可能なH-6K長距離爆撃機は、中国では、グアム島の米軍基地を制圧できると宣伝される。
J-15戦闘機は、わざわざ、空母着艦時にアレスティング・ワイヤーに引っ掛けるフックを下して飛行した。空母艦載機であることを誇示するためである。中国が、正規空母を運用できることを示したかったのだ。
そして、弾道ミサイル群も、上記の航空機群とともに、西太平洋及びアジア地域における米軍の活動を無力化できることを誇示する、バラエティーに富んだ陣容となった。
射程1000キロメートルとされるDF-16は、第一列島線をターゲットにしていると言われる。沖縄から南西諸島に所在する米軍基地や、自衛隊基地を狙うと言うのだ。
その技術に各国が疑念を抱きつつも、その能力を否定することもできない、DF-21D対艦弾道ミサイルも披露された。
対艦弾道ミサイル「空母キラー」
中国の対艦弾道ミサイル(ASBM:Anti-Ship Ballistic
Missile)は、単純な放物線を描いて飛翔するのではなく、最終段階で飛翔経路を変えられるという。この技術が確立しているとすれば、現有の弾道ミサイル防衛(BMD:Ballistic
Missile Defense)で撃墜することが極めて難しい。「空母キラー」と呼ばれる所以である。
米国の空母打撃群が中国に進攻して来ても、中国本土から1500~3000キロメートル離れた海域で廃滅させる能力を示したのだ。中距離弾道ミサイルDF-26の射程は、3000~4000キロメートルと言われ、日本や韓国に所在する米軍基地を全て射程に収める。
そして、中国では、米国と対等な立場を示すものは、やはり核抑止力だと認識されている。大陸間弾道ミサイル(ICBM:Inter-Continental
Ballistic Missile)である。
中国の大陸間弾道ミサイルの射程は、米国のほぼ全土をカバーできると言われる。TEL(Transporter Erector
Launcher:輸送、起立、発射用車両)に搭載された、巨大なDF-31Aは、ゆっくりと、各国首脳及び代表団が居並ぶ観閲台の前を通り過ぎた。
その後ろを、DF-5B大陸間弾道ミサイルが、トレーラーに搭載されて行進した。DF-5Bは、ミサイル自体は新しいものではなく、液体燃料を使用しているが、多弾頭化され、1基のミサイルに3発の核弾頭を搭載できると言われている。
軍事力を誇示しておきながら、平和を強調することに矛盾を感じるのである。実は、この矛盾は、中国指導部が、異なるメッセージを軍事パレードに込めたから生じたものだ。
中国国民に向けたPR 「中国は発展し、
国際社会のルールを決めていくのは米中両大国だ」
習近平指導部が中国の軍事力を誇示したかったのは、実は中国国民に対してである。一方で、国際社会に対しては、中国が平和の支持者であると示したかった。軍事パレードは、中国国内に向けて、中国が第二次世界大戦の勝者であり、国際社会を主導する資格と権利があり、今や中国にはその能力があると示す場だったのである。
中国国民に、中国の経済発展を信じさせ、社会を安定させるためだ。「これから中国が発展する番なのだ」というイメージを国民に与えることが重要だったのである。
中国が米国の軍事力を意識した兵器を披露したのは、今後、国際社会のルールを決めていくのは米中両大国であると示したかったからだ。
中国は、米国が中国の発展を妨害するのではないかと恐れている。その手段には、軍事力も含まれる。近年、中国が主張している米中「新型大国関係」は、極端に言えば、中国が自由に国益を追求しても、米国が軍事力を行使しない関係である。
中国は、米国との軍事衝突は何としても避けたい。勝てないからだ。中国は、米国が中国に対して軍事力を行使しないぎりぎりの落としどころを探りながら、国際ルールを変えていこうとしているのだとも言える。
しかし、当の米中関係は、中国の思いどおりに進展している訳ではない。5月20日に、米国が、中国の南シナ海における人工島建設の状況をCNNに報道させたのは、中国が力を以て国際規範を変えようとしていることを、世界に知らしめるためだ。
米海軍が監視飛行を繰り返しても、米国と水面下で決着できると考えていた中国にとっては衝撃だっただろう。米中間の問題ではなく、中国が国際社会に挑戦するという構図になってしまうからだ。
米国および周辺各国との対立の構図が鮮明になる中で、中国はその軍事力を誇示することになってしまった。
不安定化した中国社会を安定させ、共産党に対する求心力を高めるために、軍事パレードは、必要なイベントだった。しかし、中国の平和的な台頭を信じられない各国は、ますます警戒感を高める結果になってしまった。
中国が平和の支持者であると主張できるのは
日中関係の改善くらいしかない
習近平主席訪米の際に、米国から種々の問題について非難され、対立ばかりがクローズ・アップされることは、中国にとって好ましい状況ではない。中国は、現在の国際社会に対抗する新しい政治・経済ブロックを構築しようとしている訳ではないのだ。
そうした状況の下で、中国が、平和の支持者であると主張できるのは、日中関係の改善くらいしかない。中国では、8月14日に発表された「安倍談話」は極めて不評である。それでも、非難を抑制したのは、日中関係の改善を期待したからだ。
中国の報道を見れば、9月3日の安倍首相の訪中に期待していたのは明らかである。安倍首相と習主席の首脳会談が実現していれば、習主席が訪米した際にも、東アジアの安定に寄与していると主張することが出来ただろう。
しかし、安倍首相の訪中は中止された。中国は、減速する経済を再浮揚させるためにも日本との関係改善が不可欠であるが、外交面でも大きなダメージである。日本政府には、安保法案の国会審議等、安倍首相が日本を離れられない理由がある。しかし、日中関係は、日中二国間だけの問題ではない。
中国と韓国は、軍事パレードに先立って行われた中韓首脳会談において、日中韓首脳会談の開催を決定した。韓国側から提案したと言われるが、中国は、自らが北東アジアの平和のために努力していると主張するだろう。
また、日中関係には、米国も関わってくる。さらに、もう一国、注目しなければならない国がある。米中二極に対抗して、第三極として生き残るゲームを、アジアで展開しようとするロシアだ。
現在の日本と中国は、ロシアにとって扱いやすい。日中間がほぼ断絶状態だからだ。イランの核開発問題で存在感を見せたロシアに対して、米国は態度を軟化させたと言われる。こうした状況が、ロシアにとって日本の利用価値を下げた。
北方四島返還の議論のテーブルにロシアを着かせるためには、ロシアに、日本が必要だと認識させなければならない。日中が種々の問題について直接協議できるようになれば、中ロ関係にも影響を及ぼし、日本のロシアに対するオプションが増えるかも知れない。
日本は、中国との関係を考える際にも、米国やロシアといった他の大国の意図を見ながら難しいかじ取りを迫られる。中国だけに目を奪われれば、さらに大きな盤でゲームを試みる他の大国に、駒扱いされることになりかねない。