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インド「牛肉リンチ事件」に与党の影

이강기 2015. 11. 19. 16:53

インド「牛肉リンチ事件」に与党の影

Secular India Under Threat

 

「神聖な牛を食べた」イスラム教徒が暴行死、ヒンドゥー至上主義の台頭が少数派を追い詰める

 

2015年11月18日(水)15時22分
ニミシャ・ジャイスワル

Newsweek 日本版

 

人命より重い? BJP政権が誕生し牛肉規制が強化される前の牛の解体作業風景 Danish Siddiqui- REUTERS

 インドの首都ニューデリー近郊にあるダドリ地区がにわかに注目を浴びている。同地区のビシャダという村で、50代男性が集団暴行されて死亡した事件が世界的に報じられたせいだ。

 報道によれば、集団暴行の理由は被害者が牛肉を食べたこと。インドのヒンドゥー教徒にとって牛肉を食べることはタブーで、ダドリを含む北部ウッタルプラデシュ州では牛を殺して解体することが禁じられている。しかし住民の話では、本当の理由は牛肉を食べたからではなく、被害者がイスラム教徒だったからかもしれない。

 事件が起きたのは9月末。村のヒンドゥー教寺院で、イスラム教徒のムハンマド・アクラクが子牛を殺して解体し、その肉を家族で食べたという噂が流れた。怒ったヒンドゥー教徒がその夜、アクラクの自宅に大挙して押し掛け、アクラクと20代の息子を引きずり出して暴行。アクラクは死亡、息子は重傷を負った。しかし翌日、遺族の訴えで警察が調べた結果、実際は牛肉ではなく羊肉だったことが分かった。

 この事件は政治家を二分し、非難の嵐を巻き起こしている。デリーでは、若者たちが与党・インド人民党(BJP)本部前で「牛肉ピクニック」と称して牛肉を食べる抗議集会を計画。ツイッターでも牛肉を食べている写真が相次いでアップされた。南部ケララ州では大学生が「牛肉祭り」を開催。参加者は「牛肉を食べているぞ。殺しに来い」と書かれたプラカードを首から下げて牛肉を頬張った。

 ビシャダ村では事件についてさまざまな噂が飛んでいる。一部では「妬みによる犯行」との声もある。「殺されたイスラム教徒の息子は空軍に入ったのにヒンドゥー教徒の息子たちは入れなかった。牛肉がどうこうというのは口実にすぎない」

 その一方で、被害者の遺族が州から受け取った補償金のほうが、戦死したヒンドゥー教徒の兵士や遺族が受け取る補償金より多い、という不満も聞かれる。

 事件の真相が究明されないという状況は、かえって世俗国家インドに恐ろしい問いを突き付ける。ビシャダでの殺人は宗教への冒涜が原因なのか。それとも自分たちが少数派を支配するという多数派の意思表示なのか。

宗教対立を選挙戦に利用

 インドでは宗教対立は珍しくない。だが、昨年5月にナレンドラ・モディ首相率いる右派のBJP政権が誕生して以来、多数派であるヒンドゥー教徒の暴力行為とヘイトスピーチ(差別的表現)は激しさを増している。

 デリーの発展途上社会研究センターのアディティア・ニガム教授(社会・政治理論)によれば、BJPが目指しているのは「文化の均質化、少数派は二級市民であることを思い知らせるヒンドゥー至上主義だ。それが日常的に実践されている」。

 

その形はさまざまだ。牛肉禁止令、ヒンドゥー教徒を改宗させようとする少数派の陰謀の噂、不当な暴行の加害者の肩を持つ政治家、「ヒンドゥー教徒らしくない」行為をめぐってつかみ合いのけんかをする議員......。

 ニガムが指摘するようにインドでは選挙運動中に宗教的憎悪をあおる行為をすれば出馬資格を失うが、選出されてしまえば表現の自由と見なされる。

 インド人は宗教に関係なくヒンドゥー教徒のように暮らすべきだ──そんな考えが90年代以降拡大していると、デリーのジャワハルラル・ネール大学のタンウィール・ファザル准教授(社会学)は指摘する。ヒンドゥー至上主義は過去1年半の間に反主流から主流に転じている。

 過激な原理主義が長期的にはインドの均質化を目指しているにせよ、短期的な狙いはただ1つ──有権者の票だ。「短期的には暴力は常に選挙絡みだ」とニガムは言う。「ヒンドゥー至上主義政党がヒンドゥー教徒を結束させ、イスラム教徒と分裂させたがっていることと関連している」

 対立する住民同士の暴力に身の危険を感じたイスラム教徒は自分たちに味方する政党を支持する。一方、ヒンドゥー教徒は普段はカーストごとに分裂しがちだが、宗教対立が起きると多数派の権利を擁護する政党への支持が高まる。

 ファザルによれば、こうした住民間の暴力が最近特に目立つのは、BJPが2位か僅差で3位につけている選挙区だ。14年の米エール大学の調査では、選挙前年に住民同士の暴力が起きるとBJPの得票率が上昇していた。

 

沈黙に秘められた思惑

 02年のグジャラート州の暴動がいい例だ。同州では当時BJPの支持率は低迷していたが、13年後の今も政権を握っている。ファザルによれば「住民間の暴力に関するインドの社会科学の文献はすべて、それが散発的ではなく常に組織されたものであることを示唆している」。

 インド各地でヒンドゥー系過激派組織がヒンドゥー教の価値観を守るべく目を光らせている。「BJP政権の誕生でこうした勢力は勢いづいている」と、ファザルは言う。「自分たちには追い風が吹いていて、社会を絶えず不安定な状態にしておける、というムードがある」

 こうした状況では、どんなに漠然とした噂も暴力の口実になる。イスラム教徒がヒンドゥー教徒の女性にセクハラをした、コーランが汚された、ヒンドゥー教の像が盗まれた......。

 暴力が収まってから噂が本当だったという証拠が見つかったことはない。インド内務省によれば、13年にはそうした制裁がウッタルプラデシュ州だけで250件近く発生した。

 

ダドリの事件をめぐる非難の応酬のなか、モディは沈黙を守っている。10月半ばにイスラム教徒とヒンドゥー教徒に対し、異教徒でなく貧困と戦うよう呼び掛けたが、ダドリの事件にも少数派の保護といった対策にも触れなかった。一方、北部ジャム・カシミール州議会では、パーティーで牛肉を出したイスラム教徒の議員にBJP議員が暴行を加える事件も起きている。

「モディの沈黙は政治家としての沈黙だ」と、ニガムは言う。「何が起きているか、彼は正確に把握している。いや扇動していると言ってもいい。彼の沈黙は単に無策というより意図的な行為だ」

From GlobalPost.com特約

[2015年11月10日号掲載