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実験国家アメリカ支える寛容の精神

이강기 2015. 12. 14. 11:12

実験国家アメリカ支える寛容の精神

『アメリカのジレンマ 』著者渡辺靖氏インタビュー


Wedge-Infinity

 

 

本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)  ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

オトナの教養 週末の一冊

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アメリカに対するイメージは「憧れ」といったポジティブなものから「格差や貧困」といったネガティブなものまで様々だ。戦後70年を迎えた日本に対し、アメリカはその間いくつもの戦争を経験し、現在も対テロ戦争の真っ只中だ。彼らにとって戦後とはいつを表し、社会はどう変化してきたのか。アメリカから多大な影響を受ける日本の戦後民主主義を考える上でもその社会情勢は示唆に富む。そこで『アメリカのジレンマ』を上梓された慶應大学SFCの渡辺靖教授に話を聞いた。


ーー本書は、様々なジレンマを内包しているアメリカの「戦後民主主義」を理解することにより、日本の戦後をあらためて理解し、現在のアメリカの姿を捉えるという主旨だと思います。

 日本人の中でも、アメリカを憧れや目指すべきモデルとして多くの人達が認識していた世代がいますが、今の若い人達にとっては戦争や格差、貧困などのイメージが強く、世代によってもアメリカに対するイメージはかなり違うかなと思います。

 

渡辺:それはあるかもしれません。たとえば、私が大学生だった約25年前、大学の先生に「僕らが学生の頃は安保闘争や敗戦の記憶など政治化された存在としてアメリカを見なければいけなかった。でも、君たちの世代はアメリカをそうした政治的な好き嫌いで判断しない世代になった」とよく言われました。

 

 戦後の日本では、事が起きた時、一方ではアメリカの反応や出方を真っ先にうかがい、それに沿うように動く人たちと、もう一方ではほとんど条件反射的に目くじらをたてアメリカを批判する人たちがいて、未だにその旧来の発想から抜け出せていないところがあります。加えて、戦後の日本はアメリカ社会の真似をしていれば良いという時代が続きましたが、もはやそういう議論は通じにくくなっています。かと言って、ヨーロッパやアジアなどにアメリカに取って代わる社会のモデルがあるかといえばない。日本独自に新たな社会像を考え、見出していかなければならない。そこは本書でも伝えたかったメッセージのひとつです。

 

 翻って、最近の若い人たちにとって「銃犯罪」や「軍事大国」「進化論を信じていない」などがアメリカに対するイメージとして上位に入った調査がありました。これは以前、アメリカの調査機関が日本の若者にアメリカに対するイメージを調査した時の結果です。この結果にアメリカ大使館員たちが嘆いていたのを思い出します。

 

 また最近の若い人達がアメリカへ留学しないと話題になりますが、そこには学費が高い、日本の企業と就職のタイミングが合わないなど、いろんな理由があります。彼らを見ていると、イラク戦争に対する疑義やリーマンショックなど、良くも悪くもアメリカに対する眼差しが変わり、中国の台頭など多極化している世界のなかでひとつの国に過ぎず、もっと冷静な目で見ているのではないかという気がしますね。そういった部分に、アメリカ観の変化を感じますね。

 

アメリカにとって“戦後”とは

ーーアメリカは日本と違い第2次世界大戦以降も様々な戦争を経験し、現在も戦争のただ中にあるわけですが、アメリカの戦後民主主義を理解するときの戦後とはいつを指すのでしょうか?

 

渡辺:日本人は戦後という言葉を何かと使いますし、70年前の出来事はそれだけ大きな起点となっていると言うことでしょう。

 

 一方、アメリカの場合、第1次世界大戦以降、ほとんどの期間が戦時態勢にあります。イラク戦争後もいわゆる「テロとの戦い」に入りました。この言葉を使うかどうかはともかく、テロは必ずしも明確な形が見えず、終わりも見えづらいため現在も恒常的な戦時体制に置かれています。そういう点を考えると、アメリカの戦後は必ずしも明確ではないのかもしれません。

 

 しかし、アメリカ社会や政治を考える上で、彼らが意識している、いないに関わらず基本的な戦後のイメージとして抱いているのは1950年代です。そのことを良とするか悪しきとするかというせめぎ合いがここ数十年続いていて、現在もその渦中にあると本書では指摘しました。

Getty Images

 

ーー50年代のアメリカと言えば、マイホームや家電、そして専業主婦などかつての日本人がアメリカ映画などで観て憧れた時代ですね。良とするか、悪しきとするかというせめぎ合いとはどんなものでしょうか?

 

渡辺:そうですね。アメリカでは、保守もリベラルもいろんなものを50年代に投影しています。まず、リベラルと言われる民主党にとって、50年代は民主党が行ったニューディール政策(註:フランクリン・ルーズベルト大統領により行われた公共事業への投資による雇用拡大をはじめとする政府の積極的な介入政策のこと)の時代で、どちらかと言えば政府が積極的な役割を果たした「大きな政府」の時代でした。その政策があったらからこそ、経済的に繁栄した「黄金の50年代」があったという見方になる。

 

 一方の保守と言われる共和党からすれば、50年代は公民権運動などマイノリティに関する権利運動が盛んになる前で、白人やキリスト教を中心に社会を動かしていけた時代であったわけです。

 

 だからこそ50年代に対するノスタルジーや、あの時代に戻りたい、戻りたくないといったせめぎ合いが両派の間で今日まで続いているわけです。

 

ーー50年代を起点とすると、2015年までの間にどのような変化がアメリカには見られますか?

 

渡辺:本書では、経済と社会にわけて考察しましたが、両面で変化したことに「個人化」が挙げられます。

 

 まず、経済面では政府が統制や規制することより、もっと個人や民間に委ねるという流れです。要するに市場に委ねる流れが明らかに顕著になってきました。これは「大きな政府」に傾きがちな民主党でさえ逆らえない動きで、この流れは保守、つまり共和党にとって有利な動きですね。

 

 社会面の「個人化」とは、従来型の社会的な規範や縛りから個人がもっと自由に行動していこうという流れです。たとえば結婚に関して言えば、してもしなくても良いし、同性婚も認められるようになりました。また宗教に関しても、12年のピューリサーチセンターの調査によれば無宗教者が約20パーセントに急増しています。これらは過去10年でアメリカ社会の最も大きな変化と言えます。つまり、社会が個人の考え方を重視し、家族関係のあり方を含めて、多くのことが個人の選択に委ねられるようになったのです。社会面では、リベラルな考え方が広がり、これは民主党にとって有利な流れですね。

 

 このように経済面でも社会面でも個人化が進み、それぞれ保守派とリベラル派、あるいは共和党と民主党を利する格好になっています。世論を味方につけるのが共和党と民主党なのかはタクティクスの問題、要するにゲームの一種なので、その意味では来年の大統領選挙が興味深いですね。

 

オバマ政権で変化起きた米国

ーー01年から09年までは保守派とされるジョージ・W・ブッシュ大統領で、その後リベラルとさられるオバマ大統領に変わりました。オバマ政権になって特に変わったことはありますか?

 

渡辺:経済面を見ると、オバマ大統領は、08年のリーマンショック後に、かつてのニューディール政策の時代のように、政府が市場に介入し金融規制を行おうとしましたが出来ませんでした。オバマケアを導入しようとすれば「社会主義者」と罵倒される。経済面での「個人化」のうねりに逆らうことは容易ではないということです。

 

 一方、社会面に目を向けると、同性婚の容認やマイノリティの権利擁護などいわゆるリベラルな政策が目立ちます。オバマ大統領は民主党ですからリベラル派に属するわけですが、社会面での「個人化」、つまり社会全体がリベラル化している点は総じて彼にとって有利に働いています。

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ーー1950年代以降、共和党、民主党の2大政党制のもと政権が代わっていて、経済面、社会面双方で個人化が進んでいると。そうするとアメリカにおける保守とリベラルの対立は、日本人からすると分かりづらいところがあると思うのですが。

 

渡辺:ヨーロッパの重要な3つのイデオロギーについて考えてみます。ひとつは保守主義。この場合の保守主義とは貴族主義で、ヨーロッパにはかつての国王や貴族とつながるような人たちがいて、人間には何百年にもわたってつくられた知恵や秩序があり、多少の格差は致し方ないと。それを強引に改めようとするのではなく、各自がそれぞれの居場所で役割を果たすべきだという、変化を嫌う保守主義があります。逆に、それに真っ向から対立し、より平等・公正な社会を目指そうというマルクス主義があり、その真ん中に政治権力や宗教権力からも自由になりたいという自由主義があります。

 

 アメリカという国は元々貴族を否定した社会だからヨーロッパ流の保守主義はありませんし、大英帝国のような政府の干渉を嫌いますからマルクス主義もないに等しいわけです。そう考えると、自由主義しかありません。その自由主義の中で、政府の役割を多少増やすのか、減らすのか。つまり、自由主義の中の右と左、「コカ・コーラ」か「ペプシ」かの違いくらいしか保守とリベラルの差はありません。だからこそ、相手と差異化を図ろうと、日本人からすると驚くような細かな争点で争いごとが起きたりするんです。

 

 またイギリスや日本のように長い歴史がないがゆえに、逆に短いからこそ「アメリカとはそもそもどういう社会であったか」という歴史認識が重くなり、政治化されやすい。

 

ーー渡辺先生はアメリカへフィールドワークへは何度も訪れていますが、実感として変わったなというのはどういったところでしょうか?

 

渡辺:今年9月に訪米したのですが、アメリカは人工的に作られ、かつ世界で最も多様な人種や民族、宗教で構成された国ですが、その実験を支えなければいけないという市民的な美徳というか、寛容の精神があるなとあらためて思いましたね。これはニュースで報じられる人種差別や重犯罪とは異なる、日常レベルでの実感です。

 

 日本だと小さなミスを責め立てられたり、社会全体としてパーフェクションを求めるところがあります。アメリカは、その辺はおおらかで、誰でもミスはするし、多様な人たちの中でパーフェクションを期待しても成り立たないという共通理解があり、そこは心地良いですね。それは私の好きな表現で「That's all right」であると同時に、「why」ではなく「why not?」という雰囲気がある。あらためてそう感じましたね。アメリカと比較すれば、日本は良くも悪くも部分最適を重んじる社会かもしれません。細部に気を配り繊細だけど、逆に、大きく仕掛けることは苦手というか。

 

さらなる多様化を遂げる米国社会

ーー他にはありましたか?

 

渡辺:数十年前までは、アメリカで会う人の名前は同じような、決まった名前の人が多かったんです。稀に、発音が難しい、移民の方がいました。ところが、最近は逆転し、アメリカ人のファミリーネームはかくも複雑なのかと実感しました。そういった意味では、ますますアメリカは多様化し、社会面での個人化を促していると感じました。

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ーー社会面で個人化するのか、しないのかというのは宗教的な影響が強いのかなとも思います。

 

渡辺:宗教面での基本的な価値観は、個人化を防ぎ、人々を束ねる働きがあるので、個人化が進む反動として宗教的なものに寄依していく傾向は常にあると思います。

 

 ただ、オバマ大統領は09年の就任演説の中で無宗教の人もアメリカ人なんだという肯定的な発言をしています。これは先ほど申し上げたように、無宗教の人が約20パーセントと急増し、無視できない存在になっている背景があります。同性婚についても然りです。

 

 一方では個人化の揺り戻しとして宗教を重んじる人が増えていますが、宗教もあくまで個人の選択の問題と考えて、信じない人も増えているのが現状です。

 

ーー最後に一部アメリカのメディアでは安倍政権に対し「ナショナリスト」という批判もあったと記憶しています。実際にアメリカでシンクタンクや政府関係者と会う機会もあると思いますが、オバマ政権の安倍政権に対する評価、また対日政策での民主党と共和党の差はどんなところでしょうか?

 

渡辺:もともと対日政策に関しては、民主党も共和党もそれほど大きな違いはありません。秘密保護法やTPP、安保法制など、アメリカにとって助けになることを着実に実行してくれているので、いわゆる政策コミュニティの中では民主党、共和党問わず安倍政権への評価は非常に高いです。中国の軍事拡張などへの懸念もあって尚更です。イギリスやイスラエルの首相よりも安倍総理の方がよほど信頼されていると思います。

 

 第1次安倍政権時に、戦後レジームからの脱却を掲げ、東京裁判など戦後アメリカが関与してきたことを否定するような動きが見え隠れした際には警戒心があったかもしれませんが、このところの70年談話などを見て安心しているのではないでしょうか。日米関係は私が知る限り、戦後、最も良好なのではないでしょうか。