前回の本コラム「中国の爆買いが無くならないのはなぜか」では、「中国の株が暴落したのだから、中国からの爆買いも影響を受けるはずだ」という日本企業の社長さんからの素朴な疑問に対する回答を披露した。
今回は、同じくよく日本企業の社長さんから質問される「中国経済はいずれ崩壊するのではないか?これからの中国ビジネスは拡大か、現状維持か、撤退か?」という問いについて、私と、中国の専門家の見方を披露したい。
30年前から語られる中国経済崩壊説
日本で中国崩壊説が語られ始めてどのくらい経つであろうか? 私が中国に留学していた1984年から1986年の時もすでに語られていたので、少なくとも30年は語られているはずだ。プラザ合意後の円高が1985年以降だから、円高対策としての日本企業の海外進出ラッシュが始まった頃だと思うが、その頃から中国の人口がいくらで将来発展したらすごい事になるけど、一党独裁の政治的な不安定さから崩壊のリスクも見据えなければならない、といった論調があったと記憶している。
その後1989年に天安門事件が発生し、そうした論調が懸念又は期待していた通りの事態が発生した。それ見たことかと。しかしながら、こうした懸念または期待に反し、崩壊には至らなかった。1992年の鄧小平の南巡講和を経て、その後15年間、途中アジア通貨危機など停滞局面もあったものの、高度成長が持続した。
2007年のリーマンショックも中国に一定の影響を与えたが、それでも中国は崩壊しなかった。反対に、中国はこの時に世界経済の牽引役を買って出て、それまで貯めこんだ財力を使って大盤振る舞いの内需拡大を行った。世界は中国を救世主としておだて、余剰供給力のはけ口として頼った。中国はこの時の大盤振る舞いの行き過ぎの後遺症に今でも苦しんでいるが、それでも崩壊せず、紆余曲折を経てなんとか政権交代、移行を実現し、国内に多くの矛盾難題を抱えながらも、引き続き世界の経済と政治情勢に多大な影響力を維持、拡大している。
こうしたなか、日本では台頭する中国脅威論が叫ばれるなか、2012年には尖閣問題で日中は戦後最悪の時期を迎えた。私は、ビジネスマンとしても、今一度東アジアの近現代を勉強しなおす必要性を痛感し、ここ数年東アジアの近現代史の研究会を主催し、歴史学者を招き実業界の経営者たちとともに勉強をしてきた。そこでの先生曰く、日本の出版業界では、中国崩壊物は必ず売れるそうな。
それが20、30年続き、そこに活躍するチャイナウオッチャー、出版業者がある意味「中国崩壊マーケット」と言えるものを形成していると。あるチャイナウオッチャーはこの間ずっと崩壊を言い続け、一向に予言は的中しなくとも著作は売れ続けるそうだ。全く不思議な現象であるが、おそらくは、「中国崩壊物」のフォロワーは、予言が的中することなんて最初から期待していないのかもしれないと最近感じている。
私なりに、そうした日本の実態を上海から見ていて感じるのは以下の諸点。
⒈ 日本で語られる崩壊説が論拠とする中国の問題点とリスクは、中国国内では周知の問題点として、認識されており、そうした問題をどのように解決又は表面化させないかが議論の中心になっている事がほとんど。
⒉ 中国の公式メディアで語られていない事でも、水面下では色々な形で問題提起がされていることが多い。おそらく日本の「中国崩壊マーケット」で活躍するチャイナウオッチャーはこうした情報を面白おかしくまとめて発表しているのではと想像する。そうした問題点が中国国内で認識されていないのであれば、それが本当の危機であるはずで、問題認識がなされている時点で、リスクは相当程度軽減されているはずだ。今後日本のチャイナウオッチャーには、中国国内の論調の受け売りではなく、そうした独自の視点で中国の識者も唸らせるような問題提起を期待したい。
3. こうした崩壊説が何十年も当たらなくとも日本の固定のファンを獲得しているのは、リスクをきちんと分析しようとする健全なニーズもあるのだとは思うが、読者が崩壊を期待している部分もあるのではないかと感じている。その背景は、尖閣問題、歴史問題、反日運動に対する反発心、敵愾心と、日清戦争で芽生えた日本人の中国に対する優越感が、最近の中国の勃興で逆転しそうな状況における日本人のメンタルと関係があるのではないか。
前者については、本当に反発心、敵愾心があるのであれば、孫氏の言葉を借りるまでもなくより冷徹に相手の事を分析すべきであり、何十年も当たらない予想はそろそろ何かがおかしいと考え直したほうがいいのではないか。後者については、優越感が確かにあったのであれば、それと劣等感は表裏一体のものであるはずで、優越感が劣等感に転化しそうな時に、中国の崩壊を期待する日本人の深層心理があるのかもしれない。
いずれにせよ、優越とか劣等とか意識がある限り冷静な判断ができないのが人間の性だとすればそこに留まっているのはいいことではない。そもそも優越感がなければ劣等感もないはずである。今、日本人のメンタル面で調整が必要なのは、日中どちらが優越でも劣等でもなく、それぞれ違った国として認め合い、それぞれの違った生き方を模索し、その上で協力できるところは協力するという心持ちではないか。
情緒的な判断は避けるべき
⒋ この点は以下で紹介する中国の専門家たちの指摘であるが、日本を含めた西側のメディアが伝える中国経済の分析は、近代経済学のセオリーに基づいた分析が多いが、近代経済学が所与の前提とする状況が中国では整っていないために、違った前提条件でいくら危機を唱えても実態とのズレが出てきてしまう。これが中国経済が世界の予想、期待? に反して崩壊しない要因とも言えるのではないか。なお、欧米メディアで発表される分析は大変参考になるものがある反面、意図を持った巧妙なプロパガンダである場合もあるようなので注意が必要のようだ。
⒌ とは言え中国経済が深刻な諸問題を抱えている事実には変わりがない。一党独裁から起こりやすい政府の腐敗、貧富の格差、民族問題、環境問題、労務コストの上昇、元切り上げ圧力、産業高度化への課題、実質的には公定相場制故の歪みの蓄積、国営資本への利権と富の集中、リーマンショック後の大盤振る舞いの後遺症などなど挙げればきりがない。
一方で、楽観要因もある。なんだかんだ言ってもこうした難局面を乗り越えてきた中国共産党の政策運営能力、これまでの高度成長で蓄積した富、圧倒的市場規模、まだまだハングリー精神を持った高度教育を受けた人材層、他国に依存することなく独立した軍隊を維持することによる国際政治的な牽制力(結局、これがあるから急激な元高を回避できているのではないか)、規制緩和、国有資本の独占権益の開放などまだまだある成長の糊代、などなどこちらも色々上げることができる。
⒍ こうしてみてみると我々ビジネスマンが注視しないといけないのは、崩壊するかしないか、いつ崩壊するかといった情緒的な判断ではなく、上記にあるプラスとマイナス面のバランスを見ながら中国経済がどのように推移するのかなのではないか。そもそも崩壊という定義も曖昧だ。日本がバブル崩壊で苦しんだような崩壊を中国が経験することはあり得るかもしれないが、フセイン政権の失脚でイランが崩壊するような事態を中国で想像する人はまずいないのではないか。一方で、中国は相当真剣に日本のバブル崩壊を研究し自らは日本の轍を踏まないよう細心の注意を払っている。
さて、こうした状況につき、中国の専門家はどのように見ているのか、前回の本コラム「中国の爆買いが無くならないのはなぜか」で言及した、日本の大学の企画による上海で行った取材と講演において、中国の株式市場と中国の著名ブロガー(経済の専門家)から聴取した今後の中国経済の見通しについて整理すると以下の通り。ここでも中国経済破綻の可能性について彼らの意見を聴取した。
著名な株式市場の専門家の意見
⒈ 中国経済の現状認識。中国経済が1992年から2007年のリーマンショックまでの15年間もの間高度成長を維持できたのは、輸出主導型の経済運営に成功したからに他ならない。経済学の教科書によれば政府が市場経済に介入する事は経済活力を削ぐ結果になるというのがセオリーであるが、企業の輸出を振興するだけであれば企業は外国の市場で真っ当な市場競争にさらされるので、その企業は健全な競争力を維持する事ができ、上記セオリーが言うデメリットをかろうじて打ち消すことに成功した。この発展のモデルは元々日本が明治維新以降に始めたことで、中国を初めとした東アジアの国々の発展は基本的にこのモデルに沿っている。中国においてはこの間多くの輸出競争力を持った優秀な民間企業が育成される結果となり、こうした企業が又中国の経済発展を支えていた。
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⒉ しかしながら、中国の労働者の権利意識が高まるなかで労働コストが上昇し、また、同時に米国からの元高圧力もあるなかで中国は成功を収め、競争力のある企業群が生まれ定着し、徐々に輸出よりも内需拡大をより重視する方向へ舵取りをし始めた。
本来であれば、内需拡大は経済発展にとって望ましいことであるはずだが、中国においては、政府の経済に対する関与が強すぎるために、内需で勝ち残る企業は結局政府が優遇し多大な権益を有する国有企業と一部の政府のお墨付きを得た一部の民営企業ということになり、公平な競争が実現せず、せっかく15年かかって育成した輸出競争力を持った企業が衰退、廃業する事態に陥った。
この点は、現在、中国の経済がかつての勢いを失った大きな原因の一つであると考えている。2007年に施行された中国の労働契約法は、中国の労働者の権益保護を強化したもので、先進国並みまたはそれ以上に労働者よりのものとなった。これは、一見労働者にとってはいいことであるようであるが、まだまだ産業の高度化が進んでいない中国においては、導入が尚早であったと考えている。これにより中国企業の労務コストは更に高まり、中国の経済成長の足かせとなっている。
⒊ 2007年のリーマンショックの影響は中国にも及び中国は4兆元(56兆円)の公共投資で乗り越えようとした。これは内需拡大の流れに沿ったものであるが、この公共投資は、社会全体としては大きな非効率でそれ以降中国の経済成長は鈍化傾向にあり、それまでの成長基調は転換点を迎えた。もし、この時にこうした政策をとらずに輸出を振興する政策をとっていればここまでの経済の減速はなかったと考えている。内需に舵取ることにより皮肉にも経済学の教科書のセオリー通りの状況が生じてしまった。
⒋ この他、中国経済はある意味日本経済がたどった道のりを後追いしている。経済の高度成長に続く、環境問題、元高圧力、バブルの発生、成長鈍化のなかでの通貨増発、老齢化問題などなど。そうした意味で、中国経済もこれから、成長鈍化の流れはしばらく続きそう。かといって、崩壊するということはあり得ないし、日本への旅行者が減るということもない。それだけの中産階級の蓄積があるということ。何を持って崩壊というのかよくわからないが、日本だってバブルの崩壊とその後の20年間に及ぶ経済の低迷を経ても崩壊せず、日本の人々は幸せな日々を送っているではないか。
多くの中国の人民は、まだまだ慎ましい生活を送っており、今後多少の困難があっても乗り越えることができるものと信じている。個人的には、現政権の執政が続く間はこうした流れは変わらず現状維持、ただ、その後の政権の執政時には、さらなる飛躍が期待できるかもしれないと考えている。
著名ブロガー(経済の専門家)の意見
⒈ 日本を含めた西側のメディアが伝える中国経済の分析は、近代経済学のセオリーに基づいた分析が中心であるが、近代経済学が所与の前提とする状況が中国では整っていないために、違った前提条件でいくら分析しても実態とのズレが出てきてしまう。例えば、近代経済学が前提とする社会というものは、民主主義に根ざした法治社会であり、中国は法治社会を目指してはいるが、局面局面においては、政治が優勢する実態があるので、実態は近代経済学のセオリーとは大きくかけ離れてしまう。
⒉ 自分は、制度経済学の専門家であるが、中国を見る場合はこの視点が重要。制度を少しばかりいじることで経済のアウトプットは全く違うものになってしまう。現在の中国の経済運営が望ましいものとは思えないが、崩壊することも想像はしにくい。なぜならば、もし、経済的な危機に陥ったなら、中国は、まだまだいくらでも経済を上向かせる余力を持っているからである。もっともわかりやすいのは、国有企業が持っている膨大な権益である。国有企業はこの権益を生かして巨万の富を有しているが、それでも大きな非効率があり、この権益を少しでも民間に放出すればGDPが上向くのは明らかなことである。
この2人の専門家は日本のメディアに対して自分の名前を出すことを希望しないので匿名で紹介しているが、民間人ではありながら中国で相当な影響力を持っている識者である事は間違いない。このように現地の専門家の意見を聞いていると、中国経済は様々な難しい局面を抱えているとはいえ、日本で言われるような崩壊というものはなかなか想像しにくく、逆にうまく運営すればまだまだ成長の余力も持っているようだというのが私の結論である。もし崩壊物のフォロワーの方がこの記事を読目にする機会があれば、せめてこういう見方もあるということで参考になれば幸いである。
また、日本企業が、中国ビジネスを拡大か、現状維持か、撤退かを検討するにあたっては、それぞれのポジションによって違った見方が出てくると思われる。いずれにせよ、リスク分析は当然のこととはいえ、情緒的な崩壊論に影響されることなく、冷静に判断することをお勧めしたい。最近、国際金融の専門家と話していて、米国の国際金融資本は、中国からの投資を全く引き上げておらず、逆に増強しているとの分析を耳にしたが、グローバルな政治情勢を冷徹に見極め、時にそれを左右することもある彼らの動きもきちんと横目で眺めておくべきであろう。