北韓, 南北關係

北朝鮮帰国事業は「約束の地」「千年王国」思想だったのか

이강기 2018. 12. 4. 11:01

北朝鮮帰国事業は「約束の地」「千年王国」思想だったのか

12/3(月) 16:00配信

NEWS ポストセブン


「ここにはないどこか…」や「より幸せな場所を探す」、というテーマは現在もポップスソングなどでよく用いられる人気のモチーフだ。これは人類にとって普遍の思いでもあるらしく、世界各地で様々な形になってあらわれている。「北朝鮮帰国事業」を、「千年王国」「約束の地」思想という視点で改めて見る必要について、評論家の呉智英氏が解説する。

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 友人がヤフーニュース特集(十一月十四日付)のプリントを送ってくれた。この夏、日本に住む脱北者五人が北朝鮮政府に五億円の損害賠償を求め、東京地裁に訴状を提出した、という。この人たちは北朝鮮にだまされて帰国したのだ。もっとも、この訴訟に法的効果は期待できないだろう。それでも世論を喚起する意義はある。

 同ニュースにもあったが、来年は在日朝鮮人の帰国開始から六十年になる。そして平成になってから満三十年、天皇の代替りもある。ナショナリズムについての議論が起きるだろう。天皇制をナショナリズムの観点で論じるのは、右側からにしろ左側からにしろおかしくない。しかし、在日朝鮮人の北朝鮮への帰国運動はナショナリズムに似ていて少し違う。これは「約束の地」思想なのではないか。


 北朝鮮帰国は一九五九年に始まり、二十年以上続いた。その数約十万人。特に初めの頃は、異常な熱狂ぶりであった。やがて帰国者から北朝鮮の惨状が秘密裏に伝わるようになったが、それが広く知られるのは一九八四年の金元祚『凍土の共和国』からである。


「約束の地」とは、ユダヤ・キリスト教思想に顕著に見られる思想で、祖国を失った民に神が約束してくれた土地という意味だ。モーゼによる「出エジプトExodus(エクソダス)」は、イスラエル建国・移住の際にも語られた。映画『栄光への脱出』も原題はExodusである。これがナショナリズムと違うのは、祖国と民衆のベクトルの差だ。通常のナショナリズムは、民衆が祖国を愛する。約束の地では、祖国が民衆を愛し受け入れる。どんな受け入れ方かは別にしてだが。


今年はブラジル移民百十周年でもある。入植者の辛苦はさまざまに伝えられているが、第二次大戦終戦期に起きた「カチ組・マケ組」事件は、重大かつ異様な事件でありながら今では二重三重に分かりにくくなっている。


 まず、カチ組とは入植に失敗して「人生に負けた」人たち、マケ組とは入植に成功して「人生に勝った」人たちである。成功者たちは、新聞やラジオで「情報を買う」余裕があり、祖国日本が戦争に負けたことを認識していた。それ故マケ組。反対に、入植失敗者たちは情報を買う余裕はなく、祖国が勝ったと妄信していた。それ故カチ組。この二つのグループが血みどろの争いをくりひろげた。


 カチ組・マケ組騒動は一九六〇年代までは日本でも報道され、狂信的ナショナリズムによるものと考えられた。しかし、一九八二年の前山隆『移民の日本回帰運動』は、全く別の視点を提示した。「千年王国」思想によるものだとする。これは「約束の地」と同種の思想で、苦しむ民衆のために神が準備した千年の平安の国、という意味である。


 約束の地にしろ千年王国にしろ、従来の政治学では論じられない「不条理な政治思想」だが、それがどうも歴史を動かしているらしい。北朝鮮帰国運動の実情解明に、こうした視点も必要になるはずだ。


●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。