「韓国不要論」の非リアリズム
亥年に入り日韓関係は一層揺らいでいる。いわゆる元徴用工らに対する韓国最高裁による確定判決の後、昨年末に起きた韓国海軍駆逐艦による日本の哨戒機への火器管制レーダー照射事件が尾を引く。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領によれば、これらの出来事は「不幸な歴史の結果」らしいが、普通に考えれば一連の問題は韓国の常識の欠如に起因する。昭和40(1965)年の日韓基本条約などによる合意を順守せずに国際法をないがしろにし、レーダー照射をめぐっては言い訳を二転三転させ、責任を日本に転嫁する韓国の不誠実さに辟易(へきえき)とするのは筆者だけではあるまい。
今までは竹島の不法占拠、歴史認識、慰安婦像建立などの問題でぎくしゃくしても、両国の安全保障関係が動じることはなかった。それが、文在寅政権が誕生して北朝鮮との接近に前のめりになった途端、好都合な政治的道具としての反日ではなく、南北間の絆を訴える外交手段としての反日へと性質が変容した。ここにきて初めて、日韓の軍事関係も毀損(きそん)するという由々しき事態が生じたのである。
当然だが、日韓の軋轢(あつれき)を深める韓国政府の対応への日本の各紙の見解は軒並み手厳しい。しかし、感情を抑えきれずに一部の保守系メディアへの寄稿の中で「韓国不要論」まで唱えられたことにはいささか違和感を抱いた。なぜなら韓国の一連の行動の根底には、そもそも日本軽視があると理解できるからである。
実際、韓国にとって日本の外交的重要性は決して高くない。経済関係から見れば、1970年代前半において韓国の貿易総額に日本が占める比率は4割近くだったものの、近年は5%にも満たない。経済成長率では民主化後の韓国を日本が上回ったのは1回のみであり、また人口や国内総生産などが示す日韓の国家の規模は相当違うにもかかわらず、国防費においてさして大きな開きはない。