紀元前2世紀ころのエジプトですでに行われていたという女子割礼。今なお世界中で2億人もの女性たちが受けているという。残酷で非合理な通過儀礼はなぜ撲滅されないのか。世界の奇祭や儀式に詳しい杉岡幸徳氏が不可解な性愛の風習を紐解く。(JBpress)
(※)本稿は『世界の性習俗』(杉岡幸徳著、角川新書)より一部抜粋・再編集したものです。
花嫁の絶叫が響くホテル
スーダンのホテルに泊まると、夜中にどこからともなく女性の絶叫が聞こえてくることがあります。これは、新婚初夜の花嫁の叫びです。花嫁は花婿から女性器の切開を受けているのです。
スーダンの女性の多くは、いわゆる「女子割礼」を受けています。これは、クリトリスと大陰唇・小陰唇を切除し、膣を縫い合わせてしまうというものです。
初夜になると、花婿は花嫁の封鎖された膣を開くため、指や男性器を少しずつ挿入していきます。これが苦痛を呼び起こすのです。完全に挿入できるようになるまで数カ月かかることもあるようです。
また、新郎が焦るあまり、ナイフやハサミで膣を切開してしまうこともあります。この膣切開を男一人の力でできないということは、男にとって大変な屈辱なのです。
いま、全世界で2億人もの女性が女子割礼を受けていると言われています。多いのは、アフリカ、中東、アジアなどの地域です。しかし、一口に女子割礼といっても、以下のようなヴァリエーションがあります。
女子割礼のヴァリエーション
① クリトリスの除去
② クリトリスと小陰唇の除去
③ 外性器を除去し、膣を縫い合わせる
④ ①~③に属さないもの。ハーブで小陰唇を伸ばすなど
どのタイプも医学的に必要な手術ではないため、少なからず体にダメージをもたらします。それは、尿保留、尿道や肛門への負担、精神的苦痛、妊娠出産への障害など多岐にわたります。最もダメージが大きいのは③の「陰部封鎖」です。
たとえば、ジブチでのやり方はこうです。まず、剃刀でクリトリス、小陰唇、大陰唇の黒い部分を切除します。その後、アカシアという木の棘で膣を縫い合わせてしまいます。そして少女が脚を動かせないように紐で縛り上げ、一週間ほど放っておきます。これは、傷口を早く癒着させるためです。
秘密結社の儀式
女子割礼は、多くの場合、大人の女性になるための通過儀礼として行われます。アフリカの奴隷が作った国、シエラレオネの場合を見てみましょう。ここでは、ボンドー・ソサエティという女性の秘密結社の入社式として女子割礼を行います。秘密結社と言っても、別に世界征服を目論んでいる集団ではなく、現地の社会生活を構成する一つの団体にすぎません。
そこでは、大人になる前の少女たちをボンドー小屋の中に連れ込み、目隠しをして全裸にし、押さえつけてクリトリスを切除します。もちろん麻酔などはなく、切り取るのも医師免許を持った者ではありません。少女が泣き叫ぼうが、暴れようが、一向にかまいません。こういう儀式はあくまで秘密結社のものなので、外部に漏れないように慎重に隠蔽されます。
割礼を受けた少女は、ボンドーで女性としての嗜みを教わり、花嫁修業をします。これが終わると、少女たちは着飾って集落を練り歩き、自分たちの晴れ姿をお披露目します。
いわば、日本の成人式で女性が晴れ着を着るのと同じです。この日だけは無礼講で、少女たちは歌い踊り、ご馳走や酒をふんだんに振る舞われます。こうして少女たちは大人の女になり、結婚することが許されるのです。
女になるための通過儀礼
女子割礼は、紀元前2世紀ころのエジプトですでに行われていました。この頃に発見されたパピルスにそれらしき記述があることが根拠になっています。現代でも、女子割礼が行われる地域はナイル川流域に集中しているので、発祥の地はこの辺りなのでしょう。
女子割礼はイスラム教の地域で多く行われているので、イスラム教の義務だと思われることが多いのですが、これは正しくありません。そもそも、コーランに女子割礼を命じる記述がないからです。もっとも、これをスンナ(ムスリムの義務)だと考える人々も少なくありません。
では、なぜ女子割礼は行われるのでしょうか。先ほど述べたように、一つは大人になる通過儀礼、という意味が挙げられます。もともと通過儀礼には、女を女らしく、男を男らしくする意味合いがあります。しばしばクリトリスは男性的なものとみなされるので、これを切除することにより、本当の女になるというものです。
これは男性の割礼でも同じで、男性器の包皮はしばしば女性的なものとみなされるので、これを切除することにより、本物の男になるとされているのです。
そのほかに、「女性がレイプされるのを予防するため」「結婚するまで処女を守らせるため」「女の性欲を減退させ男がコントロールしやすいようにするため」といった説もあります。
割礼が無くならない理由
このように、残酷で、肉体的にも精神的にもダメージを与える女子割礼なのですが、 これを完全に撲滅するのは難しい、というのが現状です。
その一つの理由は、「女性自身が割礼を望んでいるから」というものです。女性割礼を、男が女を傷つけるために考え出した陰謀だというのは正しくありません。
前述のように、女性割礼はしばしば通過儀礼と結びつき、割礼をした後は無礼講でご馳走を振る舞われ、ちやほやされるという訳で、割礼を楽しみにしている少女もいるのです。シエラレオネで女子割礼を手がけたある女性は、「処女の割礼なくして、私たちは何を祝って歌い、踊ればよいのですか?」(内海夏子『ドキュメント 女子割礼』)と言っています。
また、幼いころから割礼に憧れ、草むらで割礼ごっこをして遊ぶ少女もいます。中には、割礼を否定する両親に反発して、割礼してもらうために家出する少女まで存在します。彼女たちにとっては、割礼は大人の女性になるための証なのでしょう。それを否定する親は、自分が大人になることを妨害し、家に閉じ込めようとする悪人なのでしょう。
そして、女子割礼の儀式を実行する人々のほとんどが女性なのです。シエラレオネのボンドー・ソサエティは完全に女性だけの秘密結社で、男が関与することは許されません。女性割礼に強く関わってくるのは母親などの親族の女性です。
実際、陰部封鎖までされると、セックスするときの痛みは大変なものでしょう。しかし一方で、この痛みに喜びを覚える女性もいるのです。ここまでして私は夫に満足感を与えてあげているんだ、という優越感を感じるのです。
ここまで来ると、もはや政治やフェミニズムの手が永遠に届くことがない、愛の神秘の領域でしょう。
女性器封鎖で処女になれる
出産後に、自ら病院に赴き、ふたたび膣を縫い合わせてくれと頼む女性もスーダンには多くいます。縫い合わせて膣を小さくすると締まりがよくなり、夫が喜ぶというのです。一種の処女膜再生手術のようなものなのでしょう。
女性器封鎖には、便利な側面もあります。スーダンなどでは、かりに女性がセックスをしてしまっても、ふたたび膣を縫い合わせれば処女だとみなされるのです。
これは、思わず婚前交渉をしてしまったり、レイプされた女性にとっては、極めて有効なシステムと言えるかもしれません。こういう世界では、自由意志でやったはずの婚前交渉もまた罪と見なされるのですから。
こういった事実に対して、「それは女子割礼というシステムを作った男に洗脳されているだけで、女はやはり被害者である」と主張する人もいるでしょう。
しかし、こういう見方こそ、もっとも女性差別的です。女には自分の意思がなく、男に簡単に操られる存在だと言っているに等しいからです。そもそも、女子割礼は男が発したのだという証拠も別にありません。
また、「女子割礼は男子割礼とは根本的に違う」という意見もあります。男子の割礼は男性器の包皮を切り取るだけで大して痛くなく、旧約聖書に男子割礼を命じる記述があるので、宗教的根拠もある、というのです。
一方で、女子の割礼は多大な苦痛を強いる上に、宗教的な根拠も特に見当たらない、ということで女子割礼の正当性を疑問視します。こういう人々は「女子割礼」という言葉は使わずに「女性器切除」などと言いたがります。
苦痛を求めて彷徨う人間
しかし、まず苦痛という点では、そう簡単な話ではありません。たとえば、ニューギニアなどで通過儀礼として行われる男子割礼は、絶対に苦痛の声をあげてはならないのです。顔をしかめることすらタブーです。少しでも痛がるそぶりを見せると、その時点で男らしくないとみなされ、大人の男として扱われません。
集落にいられなくなり、親族まで屈辱的な扱いを受けます。だから、少年は麻酔なしで行われる手術に、涼しい顔で耐えねばならないのです。決して痛みのない鼻歌交じりで乗り切れる儀式ではありません。それに対して、女子の通過儀礼の場合は、たいていは泣いても喚いても許されます。
また、宗教的根拠の有無を持ち出すと、宗教的根拠があるから続けてもよい、という話も出てきてしまいますが、これも無茶な主張でしょう。これを言い出すと、女性差別、LGBT差別、カースト差別など、何でも正当化されることになってしまいます。
なぜ、このような残酷な通過儀礼があるのか。それは、通過儀礼には、大人になる前に子供であった自分を一度殺し、復活するという意味合いがあるからです。通過儀礼は残酷であればあるほど、苦痛が強ければ強いほどいいとも言えます。
もっとも、女子割礼は女性だけではなく、男性にとっても大したメリットはありません。このような非合理なシステムが消滅するのは喜ばしいことですが、非合理なものは必ず消滅するというのは甘すぎる見方でしょう。逆に、非合理だからこそ存続するということもありえます。人間は、しばしば自ら苦痛を求めて彷徨う生き物なのですから。