日本, 韓.日 關係

日本国籍の私は韓国で排除され、在日2世の母に近づけた気がした

이강기 2020. 4. 25. 14:17

日本国籍の私は韓国で排除され、在日2世の母に近づけた気がした


コロナ対策に立ちはだかる「国籍」。「芸術」への理解。日本も韓国もまだまだだ



藏重優姫 韓国舞踊講師、日本語講師

 『日韓境界人のつぶやき』として、コロナ生活に関しては、今回が第4弾となる。

 日本も韓国も「コロナ19事態」では、社会的・経済的格差や、医療機関の脆弱な部分など、色んなものが露呈してきている。何事も「国家」「国籍」を前提に決められてしまうと、「またか…」とうなだれてしまう。国家がある限り、国籍は絶対的で根底的な決定条件になってしまい、それゆえ、即、外国籍の者は除外される。


 ――当たり前だよ。外国籍なんだから。自分の国に守ってもらえば? 

 と言う人もいるだろう。


 ――じゃあ、そのあなたが持っている国籍は自分が選んで、または、自分の力で勝ち取ったものですか? 偶然その国に生まれたからじゃないの? 

 と、言いたい。


 だから、出自(出身)で差別することは不平等なのだ。運も実力のうちというが、出自(出身)に関しては問題をはき違えている。


 前回『安倍官邸と大違い! 韓国大統領府ホームページの驚異の「民主化」力』に引き続き、「コロナ19事態」における韓国の「災難支援金」について書く。

拡大4月15日の総選挙の投票所。事前投票率歴代最高値である27%、最終的な暫定投票率66%。結果「ともに民主党」をはじめとする与党が190席で過半数を上回った


在日2世の母の胸中

 外国人を含めるかどうかの対象者に関する文言は一転二転した。初めは「韓国籍に限る」と発表され、その後「内国人に限り」という言葉に変わった。


 しかし、詳細が公式に発表された時、結局、居住外国人は「内国人」の範疇に入らなかった。日本国籍の私は、やっぱり除外された。腹が立った。


 私は、日本でも支援金は貰えない。長期海外滞在を見越しているので、日本の住民表は抜いて来ている。


 だいたい「内国人」という言葉自体、無神経で無知識だ! と一瞬頭によぎるものの、「内国人」という言葉は、韓国「内」に住んでいる者という事か? と一抹の希望を私に抱かせた。馬の鼻先に垂らされたニンジンのようだった。


 しかし、それが裏切られたお陰で、昔、色々排除されたことなども思い出され、複雑だった(『日韓境界人が見たコロナ対策「日韓格差」』参照)


 自分のアイデンティティについて、韓国人か? 日本人か? 「在日」か? の民族的カテゴリーによって、他人から振り回されることは もう慣れっこだが、今回、大きく違う事は、国籍でばっさり切り捨てられたことだった(『日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ!』参照)。


 振り返ると、私の在日2世の母も、親戚のほとんども、常に制度的排除を経験してきた。幼いころから、悔しい体験や不条理だと感じている母の気持ちは痛いほどよく分かり、一心同体のように思っていたが、日本国籍の私と韓国籍の母には、絶対的な権利の違いがあった。だから、大好きな母と一緒になりたくて「韓国籍にかえる!」と言って母の表情を曇らせたこともあった。


 今回、ヘンな話だが、国籍で排除されたことによって、少し、母に近づけた気がした。こういう思いの積み重ねを在日はして来たんだと。

拡大An Ming/Shutterstock.com


ひとりではないと思える環境。そんな隣人のいる環境

 正直、周りは当たり前のように貰っていて、自分は貰えないというのは、シンプルに悲しい。同じように税金を払っているという自負もあるし、韓国人の仲良しもいる中で、自分だけが不利な立場であるという事を声に出して言いづらい。孤独感、憂鬱な感じ……このまま支援金がもらえないのはマズイ!という現実的な問題も重なり、いろんなことが頭をグルグル駆け巡った。


 社会的弱者とはこういう事なのだ。だが、せめてもの声を上げられたのが、青瓦台への請願クリックと京畿道への請願クリックであった。(『安倍官邸と大違い! 韓国大統領府ホームページの驚異の「民主化」力』参照)


 実は、この請願のサイトを教えてくれたのは、韓国に住む日本人の知り合いだ。


 彼女らの存在に感謝した。彼女らは勇ましい。正しい歴史認識を……と勉強会を行ったり、人権啓発を行ったり、様々な活動を韓国で日本人を対象に行っている。


 今回、私も彼女らに拠ることができ本当に助かった。そんな彼女らの存在に勇気をもらった。昔はひとり「韓国人」や「在日」だのと、突っ張っていたが、やはりどこかポツンとしていた私は、在日の運動団体やそれに賛同する日本の友だちを心のよりどころにしていたことを思い出した。


 ひとりではないと思える環境。

 そんな隣人のいる環境。

 生きて行く上で、それは本当に大事なことだ。


 「国家」がある以上、「国民」と「それ以外」という絶対的で根底的なカテゴリーができ、それに追随する不条理や格差が発生する。100歩譲って、国籍で分けるとしても、せめて地方参政権でも与えなければ、「居住外国人」は発言すらできない。


 ――その上で成り立つ社会でいいんですか?


 弱者、外国人を犠牲にしながらの安住って、心地良いわけない。良心ある者たちも、いざとなると目をつぶってしまう社会。声をあげることが出来ない社会。日本も韓国もまだまだその点では後進国のように思える。


拡大総選挙の投票所ではマスク着用が義務。使い捨て手袋を配布され、間隔を置いて並んだ
拡大総選挙の投票所では入り口で検温をした


子どもに芸術の良さを本気で説くことが出来る社会か

 韓国では4月19日までに居住外国人に災難支援金を出すと決定した自治体は、一つに過ぎななかった。その自治体は外国人数が人口の10%以上を占めるということが理由らしいが、分母が大きくなる大都市では、外国人の比率は少なくなるわけで……じゃあ、これから私は、外国人比率の高い地方を選ばなくてはいけないのか?など、私の頭も阿保らしい考えで混乱しがちになった。


 混乱と言えば、職業に関する価値観も阿保らしい考えに支配されそうになる。


 ―――こんな事態もあるから、親方安泰の公務員がいいな。

 ――非正規雇用、個人事業主、小規模経営より、やっぱり大企業だよな。


 親として理想の子育てを目指し、芸術など文化的に育てようと思ってはいるが、安泰の職業からはどんどん離れて行く現実。昨日も、子どもと一緒にお風呂に入りながら「芸は身を助けるんやで」と説いていたものの、後で、自分の手をじっと見ると「親方安泰」がちらついた。


 経済的にいつまで自分たちが持ちこたえられるのか、考えただけでも不眠症である。

 私も芸術家の端くれの端くれだが、アートマネージメントに関しては日本も韓国もまだまだだなあと感じること、ホントしばしばである。

拡大韓国でのチャング(韓国伝統打楽器、両面太鼓)教室もマスクでの光景が日常となった


 ヨーロッパ公演に行くと、税関で職業を聞かれる。私が「コリアン・トラディショナル・ダンサーだ」と言うと、「ワオ!ファンタスティック!」と、大げさに言われるので、とても恥ずかしかったものだ。


 かの有名なピナ・バウシュ(ダンサー・演出家)。彼女が空港からタクシーをつかもうとしたところ、タクシーの運転手さんが、ピナ・バウシュだからと料金も貰わず恭しく送迎したという逸話も有名だ。庶民の芸術に対するリスペクトが半端ない。


 ドイツではこのコロナ19事態で、芸術家に対して支援をしたとか。羨ましい。さすがドイツ! 人間誕生以来、ずっと傍らにある歌や踊りは人の暮らしにおいて必須である。


 それを子ども達に思いっきりやっても良いよ、と言えない社会に落胆だ。


 このコロナ19事態を切り抜けたとして、私はまだ子どもに芸術の良さを本気で説くことが出来るのだろうか、揺れるコロナ生活である。



当然の権利」を闘って勝ち取ってきた先人たち


 4月20日現在、私の住む京畿道の道長は、居住外国人にも支援金を支給すると発表した。対象枠を広げた。国家が補償する支援に関しては、まだ外国人は対象ではないが、期待が持てる。


 日本も特別・定住外国人など、一部外国籍者にも補償をするということなので、ひとまず安堵しているが、これらの成果も、当然の権利として昔から闘い勝ち取って来た人たちのおかげであることを、忘れてはいけない。

 当然の権利を闘わなければ得られない社会。子ども達には残したくないものだ。

拡大Chintung Lee/Shutterstock.com






筆者

藏重優姫

藏重優姫(くらしげ・うひ) 韓国舞踊講師、日本語講師

日本人の父と在日コリアン2世の間に生まれる。3歳からバレエ、10歳から韓国舞踊を始め、現在は韓国にて「多文化家庭」の子どもを中心に韓国舞踊を教えている。大阪教育大学在学中、韓国舞踊にさらに没頭し、韓国留学を決意する。政府招請奨学生としてソウル大学教育学部修士課程にて教育人類学を専攻する傍ら、韓国で舞台活動を行う。現在、韓国在住。日々の生活は、二児の子育て、日本語講師、多文化家庭バドミントンクラブの雑用係、韓国舞踊の先生と、キリキリ舞いの生活である。

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