日本, 韓.日 關係

問うべきは雇用契約、本質を突く慰安婦新論文に秘められた価値

이강기 2021. 2. 12. 09:12

問うべきは雇用契約、本質を突く慰安婦新論文に秘められた価値

 

田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)

iRONNA

2021/02/09

 

 

 米ハーバード大ロースクールのJ・マーク・ラムザイヤー教授の論文が国際的な波紋を招いている。「太平洋戦争における性契約」と題された論文で、学術誌「インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」の65巻に掲載予定である。

 

 内容は慰安婦問題に関するものであり、「慰安婦=性奴隷」説に反論し、「慰安婦」を性的サービスの問題として解釈して瑕疵(かし)を明らかにしている。

 

 ラムザイヤー教授の論文は学術的な性格のものである。論文の要旨は産経新聞が的確に要約している。しかし、この論文に対して、ハーバード大の韓国系の学生らが抗議の声をあげたと韓国大手紙の中央日報が報じている

 

 ラムザイヤー教授の業績は、人の経済合理性を基準にして、法、制度、経済政策などを鋭利に分析することで日本でもよく知られている。F・ローゼンブルース教授との共著「日本政治の経済学 政権政党の合理的選択」や、東大名誉教授の三輪芳朗氏との一連の共著で、戦後日本の経済、特に産業政策についての通説を打破したことが著名である。

 

 分析においては、人の合理的な選択を前提にすることに特徴がある。例えば、日本の官僚たちが極めて有能であり、そのリーダシップで日本の産業が戦後「奇跡的な経済復興」を成し遂げたと見なす俗説に立ち向かったことでも明らかである。城山三郎氏の小説「官僚たちの夏」では、そのような有能な官僚による産業政策の「裏側」がフィクションとして提供されている。

 

 民間の企業家たちが、政府や官僚に従属する主体性のないものとして描かれていることにラムザイヤー教授は疑問を呈した。企業も、政治家も、官僚たちも合理的な選択を行うプレーヤーであり、その観点から日本の産業政策を省察することにあった。その結果、官僚たちの役割はむしろ民間の企業の選択をゆがめ、非効率的なものにすることにこそ貢献したという通説の打破につながった。

ソウルの日本大使館前に設置された従軍慰安婦の被害を象徴する少女像=2021年1月8日(共同)

 

 今回の慰安婦論文に関連して筆者が思い出すのは、ラムザイヤー教授による「官僚の天下り」の解釈である。以前、拙著「不謹慎な経済学」(講談社)で紹介したことがある。簡単にいうと、天下りそのものは社会悪ではない、とするものである。

 

 与党政治家と官僚のキャリア形成に関わる一種の「雇用関係」として天下りを見なしている。与党の政治家は、官僚に自分たちの利益にかなうような仕事をしてもらう。官僚たちは現役のときは相対的に低い給料に甘んじながらも、その見返りとして退職後は政府関連機関などで、天下りによるの高所得を享受する。

 

 官僚たちの過酷な労働に見えるものも、生涯報酬の観点からはつじつまが合い、与党政治家も官僚たちもお互いがこの「契約関係」に満足しているというものだ。しかし、ラムザイヤー教授らはこれでいいとは思っていないことに注意が必要だ。

 

 天下り契約自体は効率的なものであっても、その天下りそのものが社会に負担を強いるか否かは別途解明されなければならない。天下り先の政府関連機関が、国民にとって社会悪といっていいような浪費を繰り返すのであれば、それは問題だ。

 

 天下り官僚たちが、特定の人物や集団に利益誘導することで、競争を阻害してしまうことは社会的損失になる。これは先に指摘した、ラムザイヤー教授の産業政策神話への批判につながることは明らかである。

 

 今回の論文は、まず「慰安婦」をそれ以前から日本、そして当時統治下にあった朝鮮の公娼(こうしょう)制度の海外(域外)軍隊バージョンとして位置付けていることに特徴がある。つまり「慰安婦」制度が、日本軍の海外派兵によっていきなり出現したのではなく、それ以前から存在した公娼制度の一類型という認識である。

 

 この解釈は、日本でも話題になった「反日種族主義」(李栄薫・元ソウル大教授編著)での主張と同じである。李氏らが経済史という観点から慰安婦問題を理解し始めたのと同様に、ラムザイヤー教授もまた経済学的手法でこの問題に光をあてようとしていることは注目すべきことだろう。

 

 ラムザイヤー教授も李氏らも「慰安婦=性奴隷」説を否定している。女性らの意思を無視して、強制的に性的労働を課したわけではない。当時の公娼制度の典型的なパターンであるが、本人と慰安所経営者との雇用契約、年季奉公契約をもとに働いていた。

 

 この雇用契約は、本人や親へ前もって支払われた対価(前借金)の返済のため行われていた。もちろん、その雇用契約が、起こりうることを明らかにした上で結ばれる「完備契約」であったかどうかは問われなければいけない。李氏らが主張しているように、当時の韓国の家族内における父親の権威がゆがんで強まっていたことにより、娘たちの選択の自由が奪われていた可能性はある。

 

 また、契約の内容をよく知らないために、意図しない形で慰安婦になってしまったケースもあるだろう。特に慰安婦は、日本や朝鮮とは異なる「外地」であり、戦時中では特にリスクの高い環境で働くことになる。この高いリスクがきちんと慰安婦側に理解されていたかどうかも論点になる。

 

 だが、いずれにせよ「慰安婦=性奴隷」説は間違いだ。多くでは債務を履行するか、契約期間満了のどちらかで、その身体は自由であり、およそ性奴隷的なものではない。また「公娼」の多くは、衣食住や給料の水準でも他の業態に従事する女性たちよりも恵まれていた。当然だが、今日的な観点からは、このような「公娼」制度が認められていいわけはなく、単に当時の歴史的な文脈の中で解説しているにすぎないことをお断りしておく。

 

 産経新聞のラムザイヤー論文の要旨を引用すると、「内務省はすでに売春婦として働いている女性のみ慰安婦として雇うことを募集業者に求め、所轄警察には、女性が自らの意思で応募していることを本人に直接確認するとともに、契約満了後ただちに帰国するよう女性たちに伝えることを指示した」とあった。

ソウル市内で「反日種族主義との闘争」の発刊の記者会見に臨む李栄薫氏(右から3人目)=2020年5月(名村隆寛撮影)

 だが、ラムザイヤー氏はこの契約が、先にも指摘したように「完備契約」ではなかったとする。その理由は、主に雇用者と慰安婦の仲介をした朝鮮での募集業者であった。募集業者が、この雇用契約を「不完備」なものにしていた。きちんとした契約内容を伝えることなく、募集を行っていた業者も多かったのではないか。それがラムザイヤー論文の指摘である。

 

 このとき日本軍、当時の日本政府の「責任」とはなんだろうか。「性奴隷」を生み出したことではないことは、ラムザイヤー論文や李氏らの著作からも明らかであり、現在の日本政府が否定していることでもある。こうした新たな視点を持った論文などを、慰安婦問題を実証的で合理的に検討するための一つの契機にすべきだろう。