日本, 韓.日 關係

最悪の日韓関係 「歴史」乗り越えるには

이강기 2021. 2. 17. 17:48

最悪の日韓関係 「歴史」乗り越えるには

 

中国人強制労働で和解実現した内田雅敏弁護士に聞く

 

 

箱田哲也 朝日新聞論説委員

朝日新聞

2021年02月17日

 

 

 

 国交正常化以来、「最悪」などと言われる日本と韓国の政治関係は、その「最悪」のラインをどんどん下げて、記録を更新しているかのような無残な状況にある。日本企業に賠償を命じた徴用工訴訟の判決を乗り越えられず、隣国同士でありながら、首脳の往来すら難しい対立が続いてきた。そんなさなか、今度は元慰安婦らが日本政府に賠償を求めた訴訟で、原告が勝訴した。日本政府は、そもそも訴えられた国家は裁判権からの免除を主張できる「主権免除」の原則があるとして裁判に応じず、判決は確定した。

 日韓の前に立ちはだかる「歴史」をどう乗り越えるべきなのか。戦後補償裁判に長年携わり、中国人強制労働問題で日本企業と被害者の和解を実現してきた内田雅敏弁護士に聞いた。

和解ができた中国人強制労働裁判

内田雅敏弁護士

 

 

和解ができた中国人強制労働裁判

 

 ――日本では、韓国の司法が外交問題に発展する歴史問題に関する判決を相次いで出している、として反発が出ています。

 

 「司法が最初に出てくるわけではありません。政治が解決すべき問題なのに、それをしないから被害者たちは、やむにやまれず訴えたのです。日本でも提訴しましたが、サンフランシスコ講和条約とか、二国間の協定とかを理由に司法は応えなかった。しかし、日本の最高裁は2007年4月、西松建設に損害賠償を求めた中国人強制労働裁判で、原告の請求を棄却しながらも、ある付言を出しました。これが大きかったのです」

 

 ――どんな付言ですか。

 

 「まず『被害者らの被った精神的、肉体的苦痛が極めて大きく、西松建設が強制労働に従事させて利益を受けている』と被害の事実を認めたうえで、その被害にかんがみて『関係者が救済に向けた努力をすることが期待される』としました。この判決に基づき、2年半後、西松建設が、被害者・遺族に謝罪し、2億5千万円を支出して基金を設立し、金銭補償をする条件で被害者側と和解しました」

 

 ――いずれも中国の戦後補償問題ですね。

 

 「今回の慰安婦訴訟にしても、あるいは日本企業に賠償を命じた徴用工にしても、そういう立場で解決することは可能だと思います。日本政府は、中国強制労働被害者と企業の和解で口をはさまなかったのに、韓国の徴用工判決には国際法違反だと反発します。それは中国に対しては贖罪(しょくざい)意識がある一方で、朝鮮には植民地支配に対する認識が欠如しているからだと思います。裁判所や外務省だけでなく、日本社会全体にもそうした認識があるのではないでしょうか。中国人の強制連行問題では、どういう解決方法が良いのかをめぐり裁判所の調査官が外務省側とかなり協議していました。韓国との差は歴然です」

西松建設との和解成立を亡き仲間に報告し、花を手向ける中国人元労働者の邵義誠さん=2009年10月26日、広島県安芸太田町

 

 

1998年「日韓共同宣言」の精神に戻れれば

 

 ――韓国との間でも和解したケースがありますね。

 

 「はい、全体解決でなく、原告団との個別解決ですが、1997年に韓国人元徴用工の遺族たちが日本製鉄を相手取った裁判で、和解が成立しました。日本製鉄が、その企業哲学に基づいて解決したわけです。ドイツのフォルクスワーゲン社などが和解したのも同じ企業哲学に基づくものです」

日韓共同宣言に署名し、握手する小渕恵三首相(右)と金大中大統領=1998年10月8日、東京の迎賓館

 ――外務省が変わったのでしょうか。

 

 「外務省のOBたちの中には、今の外務省のような考えではない人もいます。だから外務省というよりも、むしろ政権でしょう。安倍政権に象徴される世代の歴史認識のなさが原因です。たとえば、1998年に韓国の金大中大統領と出した『日韓共同宣言』で、小渕恵三首相は、植民地支配への『痛切な反省と心からのおわび』を表明しました。金大中大統領は、それを『真摯(しんし)に受け止める』と応えました。金大中大統領は日本の国会で演説し、大きな拍手を得ました。日韓がこの精神に戻れば、解決は可能でしょう」

 

 ――いまも日韓双方は、あの日韓共同宣言を高く評価するのに、現実には関係はどんどん悪化しています。

 

 「日本社会の一般の感覚では、戦後75年もたっているのに、とか、難癖をつけているとか、思うかもしれません。しかし、問題が解決されないまま来たという事実に耳を傾けねばなりません。被害の実態があるということを出発点としないと、なかなか理解できないでしょう」

 

 ――しかし、今回の慰安婦訴訟で日本政府は、国家が外国の裁判権に服することはないとする国際法上の原則「主権免除」を主張し、裁判にも出ませんでした。

 

 「そもそも国際法自体、列強がつくったものです。それに主権免除だって、絶対的なものではありません。たとえ国際司法裁判所(ICJ)に提訴して、何らかの結果が出たとしても、とても最終的な解決には結びつかない」

 

 

和解に必要な三つの要素は

 

 ――歴史問題は裁判で決着をつけるべきではないと主張されていますね。

 

 「そうです。歴史問題というのは裁判の執行ではなく、和解で解決すべきものです。裁判で白黒をつけるなら必ず恨みやしこりが残る。それよりも、お互いが理解しあうということが重要なのです。私は、日中韓の戦後補償裁判として初めての和解となった2000年の鹿島建設による花岡事件(※)や、09年と16年の西松建設と三菱マテリアルの強制労働問題の和解に携わってきました。この3件の和解を通じて実感したことがあります。それは普通なら、和解調書つくっておしまいになるのですが、そうではなくて、和解内容を実現する過程で、後世に伝えるということで理解を深めることが、非常に重要だということです」

※花岡事件:第2次大戦末期、秋田県花岡町(現・大館市)にあった花岡鉱山に986人の中国人が強制連行され、川の改修工事などに従事させられた。労働者は過酷な労働や虐待に耐えかねて1945年6月30日に蜂起し、鎮圧された。事件後の拷問なども含めて1944年8月から45年11月までに中国人419人が亡くなったとされる。当時使用者だった鹿島組(現・鹿島建設)との間で2000年、東京高裁で、鹿島建設が法的にではないものの『責任』を認め、中国紅十字会に5億円の信託金を支払い、関係者の生活支援や追悼にあてることで和解が成立した。

鹿島建設は1990年に花岡事件について企業の責任を認めて謝罪。同事件の生存者である耿諄さん(左)と、当時の村上光春副社長(右)がそろって会見した。耿諄さんの後ろが内田弁護士=1990年7月5日、東京・鹿島建設本社

 

 「和解には三つの要素が不可欠です。それは①加害者が事実と責任を認めて謝罪し、②その証しとして何らかの金銭補償をし、③過ちを繰り返さぬため問題を後世に伝える、ということです。三つのどれも欠かせませんが、特に③がなければ、せっかくの①②の合意を生かすことはできません」

 

 「たとえば花岡や西松の和解では、担当した裁判長がいずれも退官後、追悼式に参加しています。中国から被害者の遺族らもお招きするのですが、市民や裁判長らの参加を見て、『そうか日本人はこういう風に考えているのか』と理解が深まっていく。それが真の和解だと思うのです。③を継続することによって①②の意味も深まるのです」

 

 

日韓合意」に欠けているものは

 

 ――日本政府は15年の慰安婦合意を韓国だけが守っていないと言いますが、少なくとも③の視点は欠けていますね。

 「日韓慰安婦合意の内容を見れば、1993年に当時の河野洋平官房長官が出した『河野談話』を踏襲しています。それをもっと強く前面に出していれば、違った結果になったのではないかと思います。河野談話や日韓共同宣言、それに戦後50年の際に出た村山富市首相談話などは日本と韓国の『平和資源』です。しかし、せっかく積み上げてきたこれらの平和資源を、安倍前政権はことごとく傷つけてしまいました」

 

 「そもそも日韓合意は紙に残していません。ということは後世に残す気がないと受け取られてもしかたがない。それから安倍氏は、自身の言葉で合意内容を語っていません。外相に語らせただけ。しかも安倍氏は『これで子や孫が謝りつづけることはない。終止符を打った』と言う。終止符を打つためでなく、今後もやっていくための合意です。日韓合意を土台に、深めていく。紙に残す。国の代表者が、自身の言葉として語る。そしてその思いをどう届けるかということです。謝ったから、あるいは金を払ったからすべて終わりだ、というような安倍氏の不遜な態度では和解できません。安倍氏は日本国内に向けて、これでおしまいだと言っているけれど、彼が向き合って謝るべきは被害者なのです。順序が逆なのです」

韓国の文在寅大統領=2020年6月8日、東亜日報提供

 

 ――日韓合意に関しては、韓国の文政権も、元慰安婦の名誉回復などにあたる財団を一方的に解散させるなど、事実上、破棄に近い対応をしました。

 

 「韓国政府も合意をうまく活用しなければいけませんでした。文在寅氏が大統領選で、日韓合意の無効化と再交渉を推進すると公約したことがまずかった。弾劾(だんがい)・罷免(ひめん)された朴槿恵・前政権批判と、日韓合意の問題を分けて考えなければいけなかったのに、区別できず、合意を骨抜きにしてしまったのは大きな問題だと思います」

 

 ――韓国では、ずっと以前から、被害者ではなく、支援団体の反応を気にするあまり、和解事業が成功しないという指摘がありますが、どう思われますか。

 

 「まず被害者があり、被害者にとってどうすれば最善なのかを考えないといけません。確かに韓国の支援団体は、民族の尊厳とかをあまりにも強く主張しすぎます。もう生き残っている被害者はわずかです。彼女たちが少しでも気持ちをやわらげるにはどうしたらいいかを考えるべきです。自分たちが目指す、完全な解決まで、批判に終始することは許されません。一定の『解決』を足がかりとしてより完全な解決に結びつけるようなしたたかさが運動の側に求められると思います」

 

 

被害の実態を知り、痛みへの想像力を

2020年6月30日に行われた花岡事件の「中国人殉難者慰霊式」で式辞を述べた福原淳嗣・大館市長=秋田県大館市

 

 ――中国人労働者の和解では、支援団体との関係で同様の問題はなかったのですか。

 

 「ありました。花岡事件の和解の時には、法的責任を認めていないのではないかという批判が支援団体から出ました。しかし、現地の秋田県大館市の運動が支えてくれました。先ほど話したように、花岡ではいまも毎年6月に追悼行事をやり、中国から遺族をお招きしています。法的責任に関しては、最近では『歴史的責任』ということで定着してきました。それは単に言葉の問題ではなく、和解事業という形で定着してきたのです」

 

 「花岡事件の和解があったから西松建設の和解があったし、西松の和解があったから、それが三菱マテリアルにつながったと思います。花岡事件では、故土井たか子・元衆院議長や故後藤田正晴・元副総理ら政治家が動いてくれました。それで先例ができたのです。西松建設も強制労働問題を解決したいと考えていましたが、他の企業の手前どうしようかと思っていた。しかし、最高裁の付言があったから決断できたといいます。三菱マテリアルの和解にいたっては、役員が中国にまで行って直接謝罪して和解したのです。そんな風にだんだんと変わってきました」

 

 ――私たち市民は歴史問題にどう向き合うべきなのでしょうか。

 

 「歴史問題の解決というのは友好のためにやっているのに、それが何か、歴史問題に関与することによって友好を妨げることになっているのではないかというジレンマを感じています。市民同士での交流を深め、被害の実態を知り、その痛みに想像力を働かせるということが大事ではないでしょうか」