歷史

正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

이강기 2022. 6. 19. 13:05

正しく知ろう、韓中歴史懸案問題

 

1.未だに終わらない歴史紛争

 

 
「東北工程」は事業遂行の初期に高句麗史を集中的に研究した。高句麗史を中国史であると強弁する内容が主流をなしていた。これにより「東北工程」は「中国の高句麗史歪曲」、「高句麗史収奪事業」などとして知られるようになった。そのうえ「東北工程」の内容がより具体的に知られるようになるにつれ、古朝鮮・渤海の歴史まで中国史に編入しようとしていることが明らかになった。さらには、朝鮮半島の情勢変化に備えた歴史的大義名分を用意するための中国の国家的戦略であることも明らかになった。
 

このような点から「東北工程」に対する全国民の関心と懸念が高まるや、政府も長期的な対応策をまとめ、中国政府に公式に問題提起を行った。2004年8月、韓中口頭了解事項の合意により、中国の高句麗史歪曲に対し是正を求めることのできる根拠が用意された。

 

ところが、韓中両国の合意にもかかわらず「東北工程」の結果物が発刊され、「東北工程」の論理が拡散していることが露見した。そのため2006年9月と10月、盧武鉉大統領が中国の温家宝総理と胡錦濤国家主席にこの問題を提起し、是正を求めた。中国の最高指導者は、口頭了解事項を尊重して履行すると回答した。そして2007年2月、5ヵ年計画で推進されていた「東北工程」が表面的には終了した。


韓中口頭了解事項


次の5つの項目に対して合意した。

① 中国政府は高句麗史問題が両国間の重大懸案問題として台頭していることを認識。
② 歴史問題による韓中友好協力関係の 悪化を防止し、全面的協力パートナー関係への発展に向けて努力。
③ 高句麗史問題の公正な解決を図り、必要な措置を講じて政治問題化することを防止。
④ 中国側は中央および地方政府レベルで高句麗史関連の記述に対する韓国側の関心に理解を示し、必要な措置を講じていくことで問題が複雑化することを防止。
⑤ 学術交流を速やかに開催して問題を解決。

 

しかし、中国最高指導層の口頭約束と5年間の「東北工程」研究事業が終了したからといってすべての問題が解決されたわけではない。歴史学では研究の成果が重要な資料として活用され、発刊された研究成果物は、その内容の妥当性の有無に関わらず相当期間存続して影響を与えるものだからである。


「東北工程」の研究成果は学術的な次元にとどまらず、高句麗・渤海遺跡の表示板や博物館の案内文、大学の教材、教養書などにまで収録されている。いまや「東北工程」は専門の学者にとどまらず、学生および一般の中国人らの常識を変えていく段階に至っている。


古朝鮮・高句麗・渤海の歴史を中国史であると思い込むことを広い意味での「東北工程」と表現するなら、「東北工程」は現在も依然として続いており、またいつ終わるかも 分からない状況にあるといえる。東アジアの歴史は遠い過去から互いにからみ合って展開してきており、今後もそうであるため、関連する国々は事実を基にした和解と協力の歴史を綴っていかねばならない。そのためにも我々は、歴史的事実について正確に知っていなくてはならない。そうしてこそ歴史の歪曲に対処し、自国の歴史を守り通すことができる。まさにそれが、我々が「東北工程」の目的と主な主張を分析して問題点を把握し、それに応じた対応策を講じなければならない理由である。

 

2.「東北工程」推進の意図と「東北工程」式歴史認識のこじつけ

 

「東北工程」は2002年2月から5年間、中国社会科学院傘下の中国辺疆史地研究中心と 東北三省が協力し合って推進した中国の国策研究事業である。中国が「東北工程」を推進した理由は、次のようにまとめることができる。
何よりも中国は、今後の朝鮮半島で予想される情勢の変化が中国東北地域に及ぼす政治的・社会的影響とそれによる衝撃を封じて東北地域を安定化させ、北東アジアの国際秩序の変化に積極的に対処する必要があると考えている。

 

そのために中国は、国家主義的歴史観、特に各民族の団結を強調する「統一的多民族国家論」を東北地域に適用し、中国の歴史的アイデンティティを完結しようとしている。と同時に、朝鮮族が中国の国民としてのアイデンティティを固め、動揺したり離脱することのないように前もって防止しようとしている。


そして中国は、「古朝鮮・夫余・高句麗・渤海イコール中国史」という論理を一般化し、「満州は韓民族の故郷」、「古朝鮮・夫余・高句麗・渤海イコール韓国史」という韓国の歴史認識に対抗して、朝鮮半島と中国東北地域間の歴史的関連性を否定しようとしている。


また、「古朝鮮・夫余・高句麗・渤海イコール韓国史」という論理が続いた場合、モンゴルが元史を、中央アジアの一部の国が西域史を、ベトナムが秦・漢時代の百越と南越の歴史を、それぞれ自国の歴史であると主張する状況も起こりうるだろう。そうなれば中国の歴史・民族・国家のあるべき姿が危機に瀕する恐れがあると思われる。したがって中国は、歴史・民族・国家のアイデンティティを確立するためにも、周辺の民族国家の歴史論理に積極的に対処せざるを得ないのだ。

 

「東北工程」は、「中国の高句麗史収奪」というような「学術問題」の次元を超えて、今後の朝鮮半島情勢の変化と直結した戦略問題である。したがって「東北工程」を単に「中国の高句麗史収奪プロジェクト」程度に理解するのは誤った認識であるといえよう。「東北工程」には、今後の朝鮮半島の情勢変化および北東アジア国際関係の変化に対する予測と対応策の整備という、中国政府の積極的な意志が反映されている。こうした点から「東北工程」は、我が民族の現在だけでなく未来とも直接につながっている。


「東北工程」は、「現在」の必要に迫られて過去のイメージを新しく創り上げ、中華民族国家の歴史的淵源を再設定して、国民的統合と領土的統合を完遂しようとする典型的な事例だといえる。さらに、「現在の中国領土内において各民族が成し遂げた歴史的活動はすべて中国史である」という現在の便に供するための歴史観、「現在の中国領土内で活動していたすべての民族は当然のごとく中華民族であり、中国民族である」という民族観、近代以降に形成された「領土」の概念や「国境」の概念を前近代の時期にまで溯及して、不明な領域を現在の視点から恣意的に画定する領土観など、そのすべてが「領土」を基準にしているという点から、「領土至上主義」的歴史認識の産物であるといえる。


それと共に朝貢・冊封関係を根拠に朝貢国を中国の「属国」と規定し、中国が支配した空間を実際のそれよりも広く見ている点、「東北工程」の推進背景である「愛国主義」、「中華民族形成論」などといった「国家主義(中華優越主義)」が強いという点、「統一的多民族国家論」を掲げて周辺民族国家の歴史・文化領域を蚕食する文化的覇権主義の様相を呈している点などを考えると、「東北工程」の論理の中には膨脹主義的中華民族主義が隠されている。


「東北工程」の歴史的論理は、周辺国との学術交流や関連する諸遺跡に対する共同調査などを基に導出された「歴史的事実」に即しているのではなく、現在の中国が処している諸問題を解消するための国家戦略的な目的から生まれたものである。したがって「東北工程」の歴史的論理は、関連する隣接民族国家からの同意を得られず、特に中国と朝鮮半島の間に文化的・政治的葛藤をもたらしている。

 

しかし箕子朝鮮の話は、文献史料の上でも考古学的にも認めることができない。中国側の主張の根拠となっている『尚書大伝』は漢の時代に編纂された史書であり、それ以前の中国の史書にはなかった箕子に関する記録が漢の時代に入ってにわかに登場しはじめたのは、その時代にそれが求められたためである。


仮に人々が集団で移住してきて国を建てたとしたら、物質的な跡が残っていなければならない。しかし、遼東と朝鮮半島地域の青銅器文化は中国とは異なる固有の特徴を持っており、性格の上でも断絶することなくつながっている。一方、殷・周時代の青銅礼器などは、この地域では発見されていない。


琵琶形銅剣・美松里式土器・支石墓のような独自の文化を築いたのは、韓国の歴史書に登場する檀君朝鮮である。後に燕から渡ってきた衛満が政権を奪取したが、これが衛満朝鮮である。しかしこの場合、古朝鮮支配層の一部が交替しただけであって国家のアイデンティティには変化がなかった。朝鮮という国号をそのまま使用し、右渠王한국민족문화대백과のときには、朝鮮相 路人한국민족문화대백과、歴谿卿한국민족문화대백과、尼谿相 参などといった朝鮮人と見られる人々が高位の職務にかなり多く配属されていたことが確認されている。つまり衛満朝鮮も古朝鮮に含まれるという意味だ。一然が著した『三国遺事』において、新しい朝鮮である衛満朝鮮に相対する概念として檀君王倹の朝鮮を古朝鮮と称したのもそのためだ。後日、李成桂が建てた国を朝鮮と称したのも、我々が古朝鮮を受け継いだのだという意味であることは言うまでもない。

 

 

夏商周断代工程


実際の年代が明らかでなかった西周共和元年(B.C. 841年)からそれ以前の夏王朝成立時期までの絶対年代を確定しようとする中国の国家研究プロジェクトで、中国古代王朝の時間的範囲を拡張させる事業である。2000年に夏商周断代工程の成果報告を通じて、夏(B.C. 2070~1600年)、商(B.C. 1600~1300年)、商後期(B.C. 1300~1046年)、西周(B.C. 1046~771年)の年代を確定し、中国が周辺のどの国や民族よりもかなり早い時期に国を形成し、文明を発展させたことを誇示した。それによって民族的な自信と自負心を鼓舞し、民族的求心力を高める効果を挙げたと自評したが、ずさんで客観性に欠ける研究方法のために、国内外からは否定的な評価が幅広く提起されている。

 

断代工程年表

王朝 在位年度(紀元前)
夏王朝   2070~1600年
商王朝 前期 1600~1300年
商王朝 盤庚 1300~?年
小辛  
小乙 ? ~1251年
武丁 1250~1192年
祖庚 119~?年
祖甲  
廩辛  
康丁 ? ~1148年
武乙 1147~1113年
文丁 1112~1102年
帝乙 1101~1076年
帝辛 1075~1046年
西周王朝 武王 1046~1043年
成王 1042~1021年
康王 1020~996年
昭王 995~977年
穆王 976~923年
共王 922~900年
懿王 899~892年
孝王 891~886年
夷王 885~878年
厲王 877~841年
共和 841~828年
宣王 827~782年
幽王 781~771年

 

 
中華文明探源工程

 

夏商周断代工程の研究成果を継承してその研究範囲を時間的・空間的に拡大しようとする、中国古代史・考古学における国家的プロジェクトである。夏商周断代工程で確定した夏王朝時代より以前の文献によって伝わっているいわゆる「 五帝」時代における中国文明の系譜を構築しようとする研究である(紀元前3500∼2000年)。考古学的な証拠に基づいて夏王朝以前の伝説の時代を復元し、中国五千年の文明史を事実として立証しようとするもので、黄河沿辺に炎帝と黄帝に関連する大型の遺跡公園を整備するなど、虚構の歴史を「史実」であるかのように見せようとする試みが各地で展開されている。だが、五帝伝説は戦国時代に創作されたもので、事実とは切り離して理解されるべき神話の類に属する。

 

夏商周断代工程の研究成果を継承してその研究範囲を時間的・空間的に拡大しようとする、中国古代史・考古学における国家的プロジェクトである。夏商周断代工程で確定した夏王朝時代より以前の文献によって伝わっているいわゆる「 五帝」時代における中国文明の系譜を構築しようとする研究である(紀元前3500∼2000年)。考古学的な証拠に基づいて夏王朝以前の伝説の時代を復元し、中国五千年の文明史を事実として立証しようとするもので、黄河沿辺に炎帝と黄帝に関連する大型の遺跡公園を整備するなど、虚構の歴史を「史実」であるかのように見せようとする試みが各地で展開されている。だが、五帝伝説は戦国時代に創作されたもので、事実とは切り離して理解されるべき神話の類に属する。

 

遼河文明論


「遼河文明論」は、遼河地域に誕生した古代文明と文化の発展に関する議論である。そのスタートを飾る紅山文化は一種の新石器文化であり、石材を積み上げた大型の墓と「女神廟」と呼ばれる神殿建築などを相当数残しており、比較的発達した文化を誇っていた。中国の学界ではそれを根拠に、発達した権力と階層化された社会を持つ「文明」がすでにこの時期に登場していたと見なしている。また、この文化が黄河流域の仰韶文化などと交流しながら「中国文明」の原型を創造したと主張し、この文化は中国人が共通の先祖として祭っている黄帝の部族が築き上げた文明であると見ている。遼河流域の紅山文化から推定される発達した文化的要素に基づき、中国初の文明が黄河ではなく遼河流域で成立したことを立証しようとするこの試みは、「文明」の概念のこじつけ的な適用というべきで、多くの論議を呼びそうだ。

 

万里の長城の築造範囲

  • ▶ 秦の始皇帝の長城は大同江まで続いていた。
  • ▶ 長城が、遼河までしか築造されていなかったのは中国の文献や遺物を通じて明らかである。

 

中国では、春秋戦国時代の混乱を統一した 秦の始皇帝が造成した長城が北朝鮮の清川江、さらには大同江の河口にまで達していたと主張している。その結果、中国の歴史教科書や指導集には長城が大同江まで表示されている。
これは古朝鮮の歴史を中国史であるとする主張と軌を一にするもので、古朝鮮の領域範囲を縮小させる明白な歴史歪曲である。


秦の万里の長城に関する最も信頼すべき史料である 『史記』には、秦の長城の東端が遼東にまで及んだとされている。そして『史記正義』には、「遼東郡は遼河の東方にあり、秦の始皇帝が長城を築いて東方の遼河にまで及んだ」とあり、長城が事実上、遼河を越えていなかったことを断言している。それに関して注目すべきことは、長城の遺跡が遼河西側の阜新地域までは明確に現れているが、遼河の東側からは発見されていないという点である。その上、燕と秦が築造した長城であると中国が主張している大寧江一帯の長城は、最近の調査により高麗時代のものであることが明らかとなった。したがって、朝鮮半島西北部地域にまで長城を表示した中国の教科書は修正されてしかるべきである。

 

「万里の長城」の延長問題


2012年6月5日、中国の国家文物局は、中国の「歴代長城)」の総距離が21,196.18kmであると発表した。「歴代長城」および長城関連の遺跡は、東は黒竜江省から西は新疆ウイグル自治区にまで分布しており、長城遺跡は城壁、塹壕、付属する建物、関堡および関連施設を含めて合計43,721ヶ所に達するという。この発表は「長城保護工程」事業から出た結果であり、中国の国家文物局と国家測量局が主管するものであった。

 

中国の長城発表が物議をかもした理由は、その調査結果がこれまで知られていた長城に対する認識からかけ離れていたためである。当初、ユネスコのホームページには中国の長城について、河北省の山海関から甘粛省の嘉峪関に至る総延長6,000kmの軍事的構造物であると定義されていた。この6,000kmというのは約1万里を上回るため、「万里の長城」という名で呼び習わされている。


ところが、中国の発表はこの長城の長さを約4万里にまで引き伸ばしたもので、従来の常識とは大きく異なる。そのためか、中国はこの長城に「万里の長城」という名の代わりに「歴代長城」という新たな名称をつけた。しかしこの「歴代長城」には、漢族以外に前近代の東北アジアで活躍したすべての民族が築いた城が含まれていたため、論争がさらに深まった。


特に韓国の場合、長い歳月に渡って満州を支配していた高句麗・渤海の幾多の城郭まで「歴代長城」に含められることで、韓民族の先祖が残した遺跡が中国の遺跡に成り変ってしまう状況におかれることになった。これまで明らかになったところでは、高句麗が築いた吉林省にある老辺崗土 長城や渤海が築造した黒竜江省にある牧丹江辺牆などが「歴代長城」に含められている。高句麗の「千里長城」は、間近に迫った唐の侵略に対抗するために築造されたと史書は伝えている。その高句麗の長城が、いつの間にか高句麗人が立ち向かった唐の長城へと成り変っている。このような中国の「歴代長城」が歴史的事実と遺跡固有の性格を無視したものであることは言うまでもない。


それなら、中国の「歴代長城」とはどのような背景から出たものなのだろうか。国家文物局の「歴代長城の総長」発表に引き続き、中国のメディアが「歴代長城」という名称の代わりに「万里の長城」に言及していることから、その意図をうかがうことができる。中国人の象徴でありかつ誇りでもある「万里の長城」のイメージを被せながら、「歴代長城」を中華民族の象徴にしようとする試みなのだ。また、「歴代長城」が広がる広大な北方地域が元々中国の領土だったという点を確認させようとする企みがあると見られる。つまり、世界文化遺産の「万里の長城」がいつの間にか「統一的多民族国家論」に符合する象徴物へと変貌しているのである。


「長城保護工程」は「東北工程」とはいえないが、「統一的多民族国家論」という歴史認識が反映された事業であることは明らかである。そのような意味で、「東北工程」は今も引き続き進められているといえるだろう。

 

長城保護工程(2005~2014)


中国各地において深刻な破壊が進む長城遺跡を保護し、その利用を規範化しようとする目的から、現在残っている長城に対する正確な調査と判定を試みる事業である。 国家文物局国家測絵局が主管している。しかしながらその目的が遺跡の保護に留まるものではないという点は、すでに2009年に「明の長城」の長さを新たに確定した前例から確認されている。遺跡保護という大義名分を掲げて「歴代長城」という名を前面に押し出しているが、長城を中華民族の象徴として活用しようとする意図であると把握されている。

 

 

統一的多民族国家論

 

中国は漢族と55の少数民族で構成された多民族国家である。漢族が絶対多数を占めているが、55の少数民族もその規模に関わりなく、戦略的要衝であり資源の宝庫でもある地域に幅広く暮しているため、中国政府の立場からは少数民族の分離的傾向を未然に封じることが課題となっている。そのため中国は、「統一的多民族国家論」という新たなイデオロギーを創り出した。現在中国内に存在するすべての民族が中華民族を構成しており、この中華民族は最近になってはじめて形成されたのではなく、はるか遠い先史時代から現在に至るまでの歴史的経験を通じて自然に形成されてきた実体であると主張する。

 

 

中国は漢族と55の少数民族で構成された多民族国家である。漢族が絶対多数を占めているが、55の少数民族もその規模に関わりなく、戦略的要衝であり資源の宝庫でもある地域に幅広く暮しているため、中国政府の立場からは少数民族の分離的傾向を未然に封じることが課題となっている。そのため中国は、「統一的多民族国家論」という新たなイデオロギーを創り出した。現在中国内に存在するすべての民族が中華民族を構成しており、この中華民族は最近になってはじめて形成されたのではなく、はるか遠い先史時代から現在に至るまでの歴史的経験を通じて自然に形成されてきた実体であると主張する。

 

 

 

夫余族源流

 

夫余族韓民族とはわりもない中国古代からの少数民族のひとつである

夫余古代韓民族源流である濊貊族てたである

 

.中国夫余族山東地域から発源くから中国隷属してきたために中国地方文化一部または鮮卑族文化であると主張しているこれは夫余韓国史との関係断絶させるための東北工程式主張ぎない

 

 

夫余古朝鮮高句麗沃沮東濊などの主流形成していた古代韓民族である濊貊族てたである中国史書である三国志にも夫余濊貊にあり高句麗のことを貊人または濊貊わし言語法則夫余とほぼ夫余別種であると記録しているまた咸鏡道一帯東沃沮人のことを濊民東海岸一帯政治勢力のことを遼東地域には高句麗編入された梁貊がいたというから遼東朝鮮半島北部地域には濊貊族土着民としてしていたことがわかる

 

この々は種族として同一であるのみならず同族としての意識っていた高句麗百済いに自分たちが夫余正当継承者であると主張した高句麗では建国である朱蒙らが夫余れをむことを内外宣言百済427北魏った外交文書において百済高句麗がどちらも夫余から発源したことをらかにしているまた百済王族夫余氏余氏解氏聖王のときは国号扶余えたりもした

 

考古学的にも夫余史中国史ではないことが立証されている夫余地域では中国文化とはまったく独自文化発展した2松花江中流流域において発展した 西団山文化遼東朝鮮半島青銅器文化非常類似している

 

こういった夫余国韓国古代国家であり夫余族古代韓民族である濊貊族であってらかに韓国史であるということを事実である

 

高句麗のルーツ

 

高句麗中国古代民族てた中国古代地方政権である

高句麗種族起源歴史継承意識すべてにわたって韓国史一部であることをしている

 

中国学者らは民族起源というものが国家歴史帰属重要要素であるとなしているこのような見解づいて中国古代民族高句麗建国したのであるから高句麗史中国史であると主張している中国学者らは高句麗民族起源濊貊夫余高夷商人炎帝族めている最近ではこれらすべてと漢族結合して高句麗構成そのでも漢族中心となっていたとの見解ているすなわち濊貊高句麗構成員すべてが中国古代民族であるので高句麗中国古代地方政権であるとの主張である

 

しかし複数歴史書高句麗中原からってきた民族ではなく遼東朝鮮半島中北部一帯土着族である濊貊族てたであると記録されているこの濊貊中国北方活動していた貊族とは存在であり三韓韓族東夷族する

 

そして民族起源よりもさらに重要なのは高句麗人らが歴史的経験にしどのからの継承意識っていたのかというである種族であっても同族意識たず後世々が先祖であるとえないのであればその歴史継承されない高句麗人らを中国人とは存在であるとえており新羅人百済人東夫余人しては同属意識っていた

 

高句麗百済新羅三国いに闘争したり交流したりしながら歴史的経験共有しておりそれがついには統合へとつながっていった新羅統一意識渤海後三国高麗成立高句麗史韓国史するということをらかな証拠である

 

高句麗中国地方政権かそれとも独立国

 

高句麗古代中国領土内において成立発展滅亡したのであるから中国地方政権である

高句麗中国勢力駆逐する過程建国発展した独立国である

 

 

中国では高句麗漢四郡のひとつである玄菟郡区域内建国され何回もの遷都にもかかわらず漢四郡範囲ていないため中国地方政権であると主張している

 

しかし高句麗玄菟郡区域内建国されたのではなく玄菟郡駆逐する過程建国されたのであり成立させたには一度中国領土内したことはなかったしたがって高句麗中国地方政権であるとの主張重大歴史歪曲である

 

高句麗漢四郡とは独立国であったことを立証する史料

 

•『三国志: 玄菟郡東側境界小城その朝服衣幘いておくと歳時来訪してって玄菟郡高句麗境界があったことを意味する朝服いておくと来訪してってったというのは政治的支配関係ではなく高句麗中国領土にある独立国であったことをしている

 

•『三国史記: 高句麗中国との戦争諸記録 高句麗漢四郡領域外にあったことをしている

 

高句麗史登場する朝貢冊封意味

 

高句麗中国朝貢冊封関係んだ地方政権である

朝貢冊封古代外交形式であってそれだけで高句麗中国地方政権だとすることはできない

 

 

.中国学者らは高句麗中国朝貢冊封けたのであるから中国地方政権であると主張している

 

しかし朝貢冊封前近代アジア諸国中国んでいた外交形式であり朝貢冊封けたという事実だけでは属国かどうかを判断する基準とはなりえない

 

周辺々は中国との交流じてられるメリットのために積極的中国朝貢冊封関係んだ中国学者らもその認識中国他国との関係名分上字句上朝貢冊封関係実際状況区分して把握しているところが高句麗してだけは実像歪曲している

 

朝貢冊封定着した中国南北朝時代には高句麗はむしろ南朝北朝対等関係維持していた高句麗両王朝双方とも朝貢冊封関係んだが自国利害関係によって両王朝との関係調整したしかしいずれの王朝高句麗制裁えたり政治的干渉したりすることはできなかったこれは朝貢冊封中国地方政権であることを証明する根拠とはなりないことをしている朝貢冊封関係だけで中国地方政権であるとなすのであれば新羅百済はもちろんのこと日本・ベトナム・高麗朝鮮などの地域時代にするほぼすべてのアジア諸国までもがすべて中国地方政権であるとなければならなくなる

 

 

 

高句麗史登場する朝貢冊封

 

平壌遷都以前までは高句麗中国には平和期間よりも戦争期間冊封われていなかったこれは高句麗中国地方政権ではなく独立国であることを証明している

高句麗北魏との朝貢冊封関係にもかかわらず北魏軍対抗北燕王馮弘送還要求拒絶した北魏敵対していた南朝使節団交換越境外交展開したこれは朝貢冊封関係拘束力というものがどれほどの水準であったのかをしている

 

 

高句麗唐間戦争性格

 

高句麗唐間戦争中国内部統一戦争だった

高句麗唐間戦争国家間われた国際戦争だった

 

東北工程論理では高句麗侵略中国内部統一戦争であり地方政権反乱鎮圧した事件だったと主張しているまた煬帝太宗高句麗侵攻大義名分としてげた詔書内容批判もなくそのまま受容高句麗との臣属関係ったためこれに懲罰えるために高句麗征伐したとして戦争当為性強調している

 

しかし高句麗侵略中原統一後アジア一帯中華社会具現するにあたって障害となる高句麗征服するためにこした侵略戦争である自国中心覇権主義実現しようとし高句麗独自勢力圏保持しようとしたためにいに妥協余地がなくなってしまったそして新羅百済日本突厥などの隣接諸勢力自国利害関係ってどちらか一方加担するにって両勢力間国際戦争へと発展したのである

 

 

高句麗唐間戦争国際戦争であったことを証明する事実

 

南北朝統一した中原統一たしたと宣言 これは高句麗地方政権ではなかったことをめたもの

 

• 『旧唐書新唐書高祖高句麗中国であるのにえて支配する必要があるのか発言した記録っている

 

だけで高句麗征服不可能となるや新羅連合して高句麗滅亡させたのはこの戦争国際戦争であることをすものである

 

高句麗歴史中国史かそれとも韓国史

 

高句麗遺民くが中国人となったのだから高句麗中国史である

歴史継承人数ではなく継承意識復興意志評価される

 

東北工程では高句麗遺民相当数中国流入して漢族吸収されたのであるから高句麗史中国史であると主張する高句麗遺民のうち28千戸余りの々はによって中国内地強制的移住させられ一部高句麗旧都残留して大祚栄渤海建国するとそのについたまた一部遺民支配突厥へと逃亡したり日本渡海したりもした新羅へと移住する々もかった中国では高句麗遺民1/7だけが新羅って韓国人先祖となりそれよりはるかにくの々が中国人になったとして高句麗史中国史であると主張している

 

 

ところがれてかれた々はらの意志とはわりなく強制連行されていったのでありそのその存在ってしまったしかし新羅移住した々は三国間交流じてわれた同類意識づいて新羅選択したのであって高句麗復興意志継承意識っていた高句麗遺民れる立場においても新羅には相違があった高句麗復興防止するために遺民らを強制的集団移住させた一方新羅では遺民れて 報徳国てることを三国統一したことを強調したこれは新羅高句麗百済歴史継承したということを宣言するものであるこのような高句麗継承意識渤海後三国高麗今日々にまでえられている

 

 

 

高句麗史韓国史帰属立証する決定的要素

 

高句麗復興軍活動

高句麗復興国である報徳国存在

三国統一強調した新羅一統三韓意識

高句麗継承国であることを宣言した渤海後高句麗高麗存在

高句麗百済新羅韓国史としてまとめた歴史書存在

 

※ 『三国史記』、『三国遺史』、『帝王韻紀』、『東国李相国集などは高句麗史韓国史帰属韓国史として継承されたことを確実証拠である

 

高麗高句麗継承論議

 

高麗高句麗継承するではない

中国人高麗高句麗継承国であると記録している

 

 

中国学界では高句麗史韓国史との継承関係遮断するために高朱蒙てた高句麗王建てた高麗名前ているだけでいに継承関係のない歴史であるとしている高句麗今日中国人先祖てた中国歴史上だが高麗今日韓国人先祖である新羅末裔てたであるというのだそして、『宋史編纂者高句麗継承した高麗であると記録したこと自体間違った認識からまれた誤謬であると主張している

 

しかし高麗高句麗継承したであることを国号建国初期から高句麗首都であった西京(平壌)重視して北進政策推進した高麗々は高句麗末裔であることをりにしていた徐熙将軍契丹将軍蕭遜寧談判契丹高麗先祖である高句麗占領していることをことかく批判して契丹軍撤収させたという逸話高麗人高句麗継承意識すものである

 

高麗前王朝歴史として高句麗百済新羅歴史をまとめた三国史記編纂した高麗人にとっては高句麗史高麗先代歴史であることが常識だったわけだこのような常識歴代中国歴史学者らもっており1345編纂された宋史高句麗-高麗への継承関係記述その歴史書もそれにっていたそして中国正史では終始高句麗史外国列伝としてっていたしかるにになってその末裔たちが政治的目的から先祖叙述した歴史書までも否定常識えようとしている

 

韓国高麗すなわちコリアである高麗復興させていだ国号もその子孫使用しているのだ古今東西わずわりのない他国国号ぐケースはない高句麗史韓国史するという事実コリアという国号だけをても充分立証できるものである

 

 

 
 
 

渤海のルーツ

 

渤海靺鞨人であるから中国古代少数民族てた地方政権である

渤海高句麗遺民てた高句麗継承する独立国である

 

 

.中国学会建国者である大祚栄のみならず渤海住民靺鞨人であると主張している。『新唐書において渤海はもともと粟末靺鞨であるとした記録根拠にしているまた渤海住民靺鞨人多数めていたという

 

靺鞨人渤海建国渤海住民まれていたのは事実であるだがしかし靺鞨人はあくまでも被支配層であり建国して国政運営した支配層高句麗遺民たちであった。『旧唐書には渤海靺鞨大祚栄高麗別種され高句麗系であったことをらかにしており高句麗遺民中心的役割たしていたことがわかる

 

渤海人とは何人なのかという問題渤海人らの種族系統をいかに認識していたのかをればらかになる渤海日本った国書ではらが高句麗旧跡夫余伝統っていると、「高麗国王あるいは天孫であるとして高句麗継承したことを表現使っている渤海人自身らを高句麗継承者であると認識していたことをらかな証拠である

 

 

 

高句麗遺民渤海建国したことを証明する諸事実

 

• 『旧唐書高麗別種という言葉大祚栄とその建国主体高句麗遺民であったことを意味していること

 

日本った国書において夫余伝統、「高麗国王あるいは天孫していること

 

渤海人姓氏のみならず支配層多数高句麗系だったこと

 

高麗時代李承休による帝王韻紀東国郡王開国年代において渤海韓国史として記述していること

 

 

 

渤海人とは何人なのかという問題渤海人らの種族系統をいかに認識していたのかをればらかになる渤海日本った国書ではらが高句麗旧跡夫余伝統っていると、「高麗国王あるいは天孫であるとして高句麗継承したことを表現使っている渤海人自身らを高句麗継承者であると認識していたことをらかな証拠である

 

 

 

 

渤海中国地方政権かそれとも独立国

 

渤海国王から冊封けていたのだから渤海地方政権である

渤海冊封とはわりなく王位継承われた独立国である

 

 

.中国学者らは渤海忽汗州渤海国王渤海郡王忽汗州都督冊封したことをげて渤海隷属していた地方政権であったとする

 

渤海国王冊封けたという事実渤海地方政権であることを立証する根拠とはなりない渤海じく新羅日本冊封使節派遣して朝貢していた中国学会論理によれば新羅日本地方政権であったとなければならないしかし中国学者らはこのについてはざしている事実かどうかはにして論理的矛盾があるということを認知しているためである

 

渤海国王のことを皇上独自年号使用してその帝国ぶりを内外独立国であったまた留学した渤海人賓貢科(外国人のための科挙試験)けることができた

 

 

 

徐熙柳得恭

 

993(高麗成宗12)契丹蕭遜寧高麗侵入するや高麗内史侍郎である徐熙談判して江東6外交的成果げたその蕭遜寧契丹高句麗旧跡占領しているとし高麗がその一部占拠していると抗議したこれにして徐熙国号高麗として平壌いたという事実こそ高麗高句麗継承したという事実立証していると反駁した

 

柳得恭はその代表的歴史書である渤海考において百済滅亡して高句麗ぶや新羅南方領有してその北方渤海領有したのだからまさに南北国であるとしたしたがって南北国史があってしかるべきなのに高麗がこれを編纂しないのはりであると指摘大氏(大祚栄)高句麗人でありその領有するところの土地高句麗であるとして渤海高句麗継承したことを強調した

 

 

渤海中国地方政権かそれとも独立国

 

渤海国王から冊封けていたのだから渤海地方政権である

渤海冊封とはわりなく王位継承われた独立国である

 

 

.中国学者らは渤海忽汗州渤海国王渤海郡王忽汗州都督冊封したことをげて渤海隷属していた地方政権であったとする

 

渤海国王冊封けたという事実渤海地方政権であることを立証する根拠とはなりない渤海じく新羅日本冊封使節派遣して朝貢していた中国学会論理によれば新羅日本地方政権であったとなければならないしかし中国学者らはこのについてはざしている事実かどうかはにして論理的矛盾があるということを認知しているためである

 

渤海国王のことを皇上独自年号使用してその帝国ぶりを内外独立国であったまた留学した渤海人賓貢科(外国人のための科挙試験)けることができた

 

 

 

渤海文化独自性

 

渤海文化的相違中央地方との相違ぎない

渤海高句麗文化継承した土台文物受容した

 

 

中国学者らは渤海文化のように説明する靺鞨人文化渤海文化基礎形成建国後には文化影響のもとに渤海文化発展した渤海派遣したくの使節じて唐文化輸入めたという事実これを裏付けているまた渤海地方政権であるためその文化国家的相違とはいえず中央地方との相違ぎない

 

渤海文化靺鞨唐文化由来する要素存在するのは事実であるだがしかしより重要なのは高句麗文化影響であるえば渤海首都である上京城日本との交通路にあった現在沿海州クラスキノ土城現存する城壁仏像築造方法やオンドルなどから高句麗との関連性がはっきりとめられる中国吉林省和龍龍海古墳群からは高句麗特有冠帽である鳥羽冠非常によく冠帽発掘され渤海高句麗文化類似性再確認させてくれる

 

渤海にはとの交通路以外新羅道日本道契丹道があった渤海のみならず当時アジア諸国とも交流していたこのことから渤海文化固有のものにえて文化をはじめとするアジア諸国文化いに影響っていたと理解するのが合理的である

 

 

 

渤海文化独自性諸事例

 

可毒夫聖人皇上王妃皇后した

 

3(宣詔省中台省政堂省)6(信部)名称運営方式とはなり渤海特有のものだった

 

貞孝公主墓のようにてる墓制度周辺国ではられない渤海だけの独特文化である

 
 

渤海文化独自性

 

渤海文化的相違中央地方との相違ぎない

渤海高句麗文化継承した土台文物受容した

 

 

中国学者らは渤海文化のように説明する靺鞨人文化渤海文化基礎形成建国後には文化影響のもとに渤海文化発展した渤海派遣したくの使節じて唐文化輸入めたという事実これを裏付けているまた渤海地方政権であるためその文化国家的相違とはいえず中央地方との相違ぎない

渤海文化靺鞨唐文化由来する要素存在するのは事実であるだがしかしより重要なのは高句麗文化影響であるえば渤海首都である上京城日本との交通路にあった現在沿海州クラスキノ土城現存する城壁仏像築造方法やオンドルなどから高句麗との関連性がはっきりとめられる中国吉林省和龍龍海古墳群からは高句麗特有冠帽である鳥羽冠非常によく冠帽発掘され渤海高句麗文化類似性再確認させてくれる

渤海にはとの交通路以外新羅道日本道契丹道があった渤海のみならず当時アジア諸国とも交流していたこのことから渤海文化固有のものにえて文化をはじめとするアジア諸国文化いに影響っていたと理解するのが合理的である

 

 

 

渤海文化独自性諸事例

 

可毒夫聖人皇上王妃皇后した

3(宣詔省中台省政堂省)6(信部)名称運営方式とはなり渤海特有のものだった

貞孝公主墓のようにてる墓制度周辺国ではられない渤海だけの独特文化である

 
 

渤海滅亡復興運動

 

渤海契丹ぼされたのだから渤海史中国史である

 

旧渤海領のあちこちで復興運動相次渤海遺民高麗移住200年間続いたそればかりか渤海遺民受容した高麗渤海継承意識した

 

.中国学者らは渤海ぼされた遺民大多数百姓として生活高麗移住した少数であったという渤海史中国史であると主張している渤海によってぼされ契丹現在中華民族として融和しているのであるから渤海史中国史であるとの立場をとっている

 

渤海最後である大諲譔降伏したものの渤海人らは復興運動こして支配抵抗した渤海遺民らの復興運動記録っているものだけをても後渤海定安国興遼国大渤海などがあり後渤海定安国存続期間数十年にもんでいる渤海遺民らが支配ったことを事例である

 

また渤海皇太子である大光顕두산백과数万戸百姓らをいて高麗移住したという事実渤海人らが高麗のことをどうっていたかを如実らしめるであろう。『高麗史記録には大光顕以外にも渤海遺民高麗移住睿宗11(1116)までいているないときは数十人からには数万人集団的移住継続的いていたのだ

 

高麗渤海遺民する処遇渤海高麗継承関係如実している渤海滅亡後高麗太祖渤海親戚んでおり大光顕には授与先祖祭祀けさせた一方使節わすや渤海ぼした無道として修交った有名萬夫橋事件はこのときにこったものである

 

 

高麗渤海遺民する処遇渤海高麗継承関係如実している渤海滅亡後高麗太祖渤海親戚んでおり大光顕には授与先祖祭祀けさせた一方使節わすや渤海ぼした無道として修交った有名萬夫橋事件はこのときにこったものである

 

白頭山定界碑位置

 

白頭山定界碑小白山にあった

白頭山定界碑てられた当初から1931まで白頭山にあった

 

中国では白頭山定界碑小白山から白頭山したという定界碑移動説主張国境問題たな波紋げかけている。「定界碑移動説によれば当時記録地形境界標示などを綿密検討してみると豆満江まる支流紅丹水であり白頭山定界碑本来位置小白山頂上となる定界碑てた直後朝鮮側官吏らが定界碑白頭山南側定界碑土門江木柵げたげたのような境界標識設置して境界をこしらえたのだという19世紀以降国境会談において白頭山定界碑基準境界めたことをえるとこの論理通りなら白頭山から南側20kmほどった小白山正確国境になるわけだ

 

定界碑移動説はすでに清間での間島問題交渉当時から提起されていた問題最近ではそれをさらに巧妙にして4位置移動があったと主張したりもしているしかし当時記録古地図ると、「定界碑移動説がでっちあげであることが一目でわかる白頭山定界碑建立参加した々の記録白頭山定界碑建立後白頭山途中白頭山定界碑々の記録調べた結果白頭山定界碑位置はおおむね一致している

 

当時々は白頭山るために三池淵小白山檎脂峰経由しており檎脂峰ぎて白頭山途中白頭山定界碑ていたまた白頭山定界碑建立当時かれた白頭山定界碑図とその白頭山一帯いた各種古地図調べてみても白頭山定界碑位置はおおむね一致している古地図には白頭山檎脂峰白頭山定界碑かれておりその分水嶺かれている

 

 

長白山文化

 

中国東北地域経済建設過程において文化事業重要性浮上するにつれ、「長白山文化という用語たに登場した。「長白山文化白山市白頭山地域文化事業推進するために1994開催した長白山文化学術会議において提起されたその2000吉林省主管による長白山文化研究会結成されその活動げることで長白山文化東北文化象徴としてかびがり2008白頭山長白山保護開発区管理委員会長白山文化研究会研究基地設置されるに白頭山開発文化研究一体化した

 

長白山文化重要性認識され研究成果蓄積していくにつれ、「長白山文化内容体系化された。「長白山文化長白山地域における粛慎族系濊貊族系文化中華文化主体として複数民族共同げた地域文化定義、「長白山文化特徴として「①農耕漁猟遊牧結合した物質文化 軍政合一尚武崇実政治文化 素朴自然体乗馬弓術けた民族文化 アニミズム多神崇拝のシャーマニズム文化などが提示されたまた白頭山地域旧石器文化遼河流域新石器文化長白山文化起源とすることで長白山文化悠久性をクローズアップし満州族系統文化重視しながらも多民族文化融合における中華文化主導的位置づけを強調した

 

長白山文化朝鮮半島満州地域していた諸民族文化的要素長白山文化として包括、「統一的多民族国家論適用して長白山文化中華文化起源かつ主要構成要素仕立げることで幾多問題点露呈している。「東北振興させるには東北人目覚めさせよとのスローガンのごとく、「長白山文化中国東北地域々を経済開発主体変貌させると同時これが観光産業文化産業豊富資源として活用されている

 

4.東北工程したものそして々のなすべきこと

 

東北工程2007年初頭5年間事業期間終了しただが問題解決したわけではない。「東北工程結果物事業期間中書籍にまとめられて発刊され今後発刊される予定にあるためだそれらの書籍には東北工程歴史認識まれている一度世歴史書くすことはできないしたがって東北工程現在進行形であると同時未来いていく問題でもあるまた、「東北工程波及けている。「東北工程する現況のとおりである

 

中央主導下にあった研究地方政府機関大学され、「東北工程歴史認識んだ研究けられている2002年以降吉林省には吉林省高句麗研究中心」、「高句麗研究基地」、「高句麗研究院」、「高句麗東北民族研究中心など複数機関設立され遼寧省には中国東北史研究中心けられたこれらの研究機関では古朝鮮史高句麗史渤海史など韓国古代史する研究中心的められている

 

また東北工程論理補完深化させる段階突入しているこれまで韓国古代史研究してきた中国学者らは他国研究成果にはほぼさず韓国三国史記はもちろん外国史書記録参考にしていなかったただひたすららの主張符合する史料だけを一方的主張げる傾向かったしかし最近では韓国をはじめとする他国歴史書研究成果分析批判しながららの主張展開している

 

古朝鮮史高句麗史渤海史研究する学者らがえてきた東北三省られていた過去とは地域的関連のない学者たちも研究参加するようになった新進研究者らの活動えて増加したえば、「東北工程高句麗史をはじめとする東北三省地域する研究成果物増加向上研究者拡大がなされたそしてその過程生産された研究成果物さまざまな学術雑誌じて中国全域拡散している

 

一方中国国民にも東北工程歴史認識まりつつある高句麗渤海遺跡地案内板博物館展示説明文大学教材などにはすでに東北工程認識論理反映されている2006中国共産党中央委員会吉林省委員会建議して採択された吉林省国民経済社会発展第115年計画要綱には、「中華名山長白山」、「世界文化遺産集安高句麗遺跡など吉林省豊富資源活用して観光産業積極的発展させようとの計画まれている関連する遺跡観光地として開発する過程、「東北工程認識はさらにさらなる速度拡散していくことだろう

 

もちろんいまだ韓中間歴史問題についてよくらない中国人いのも事実だが、「東北工程以降これに関心一般人やネットユーザーらの増加しているらのなかには嫌韓感情をあらわにするなくないらによって韓中間歴史的葛藤がさらにまることが懸念される専門家にとどまらず一般人拡散した東北工程非学問的非常識的方向へとれていくれがいといえよう

ではこのような状況々はどう対処すべきだろうか

 

第一、「東北工程関連してすでに発刊若しくは今後発刊される結果物継続的点検、「東北工程主張拡散しないようにしなければならない

 

第二世界々が古朝鮮夫余高句麗渤海歴史韓国史帰属するという厳然たる事実納得できるよう関連研究深化させその論理をさらに開発していかなければならない韓国学会研究をリードしながら中国側恣意的歴史解釈して学問的次元誤謬訂正する作業けていかねばならない

 

第三高句麗史古朝鮮渤海史研究者養成注力しなければならない表面的ると東北工程以降この分野研究者増加したようにえるが意外新進研究者はそれほどえてはいない中国新進研究者数えているだけに々も新進研究者養成れなければならない

 

第四々の研究成果国際社会らしめる必要がある韓国史について知識関心もあまりない外国人場合中国側一方的主張をそのままれる可能性したがって々の研究成果らせしいアジアの歴史観確立させなければならない

第五世代成長して世界々と交流するようになったとき々の歴史をしっかりとれるよう歴史教育強化しなければならないアンデンティティの喪失非常短時間むがそれをそうとするためには時間努力必要となるためだ

 

第六歴史るためには外交的努力えられなければならない歴史歪曲学術見解相違であると同時国家における外交問題でもあるもとより東北工程そのものが学問られた事業ではないだけに々も政府レベルでの持続的体系的対応必要であろう歴史紛争短期戦ではなく長期戦であるだけに忍耐力持久力められる

 

そして最後韓国国民すべてが自国歴史して関心愛情たねばならない々の歴史文化について知識のないまま感情的対処していくだけではらの歴史ることはできない

 

5.東北工程事業内容研究結果物

 

中国社会科学院傘下中国辺彊史地研究中心ホームページの東北工程紹介(東北工程簡介)ると東北工程課題研究類」、「翻訳類」、「公文書資料類分類されている

 

このうち研究類基礎研究応用研究細分される基礎研究とは歴史上学問的理論研究意味応用研究とは基礎研究結果高句麗渤海など特定歴史彊域帰属問題それによって提起されうる国境領土紛争外交関係文化観光戦略など現実的派生する諸問題まれる

 

翻訳類韓国北朝鮮・ロシア・日本西洋研究成果翻訳ロシアの学者による極東地域歴史地理研究論著要約韓国北朝鮮学者による古朝鮮高句麗渤海歴史考古地理研究論著要約韓国北朝鮮学者による韓中関係史における論点翻訳評論

 

公文書資料類東北辺彊関連する公文書史料整理東北辺彊・ロシア・モンゴルに関連する公文書目録整理東北辺彊歴史地図収集整理およびその研究東北辺彊関連する写真収集整理およびその研究まれる

 

東北工程課題遂行するためのガイドラインを調べてみると古代中国彊域についての理論研究東北地方史研究東北民族史研究古朝鮮高句麗渤海史研究韓中関係史研究中国東北辺彊とロシア極東地域政治経済関係史研究東北辺疆社会安定する戦略的研究朝鮮半島情勢変化中国東北辺疆安定ぼす影響についての研究など韓国古代史から現在未来関連するあらゆる問題網羅されていることがわかる

 

このようなガイドラインにって200227課題200315課題20046つの課題する基礎研究具体的内容えられていない応用研究をはじめとする翻訳類14課題公文書整理類4つの課題全国的公募によって選定された東北工程のホームページである中国辺疆在線公開されているさまざまな選定課題高句麗史のみならず渤海史古朝鮮史をはじめとし間島および韓中国境問題など々の歴史直接的間接的わる問題主軸をなしている

 

東北工程課題研究結果現在まで合計25種類発刊されているえば中国社会科学院直営出版社である中国社会科学出版社から東北辺彊研究叢書シリーズとして古代中国高句麗史続論をはじめとする9出版されたまた吉林人民出版社からは簡明高句麗史をはじめとする68発刊されたその香港亜州出版社からは唐代渤海国五京研究』、黒竜江人民出版社からは二十世紀中国東北辺彊文化研究発刊されたこのようなから各地域出版社からも々と個人学者らの研究結果物発刊されるものと予想される

 

 

6.東北工程主要日誌

 

 

年度

内容

 

 

2002

 

1~2

 

東北工程領導小組専門家委員会構成

1次専門家委員会開催(北京)

東北工程正式旗揚

 

 

4

 

高句麗歴史研究学術座談会開催(吉林省長春)

2次専門家委員会開催(北京)高句麗渤海古朝鮮白頭山などの研究課題選定

 

 

7

 

• 「2期東北疆域歴史現状および高句麗学術シンポジウム開催(吉林省長春通化)

- 100名余りの専門家参加70論文発表

- 高句麗渤海古朝鮮白頭山などの研究課題選定

- 広開土王大王碑など中国内高句麗遺跡世界文化遺産登録申請

 

 

2003

 

8

 

3次専門家会議開催(黒竜江省黒河) - 高句麗渤海古朝鮮間島などの研究課題選定

• 「高句麗渤海問題学術シンポジウム開催(吉林省延吉)25専門家参加

 

10

 

• 「高句麗国内城遷都2000周年および3次全国高句麗学術シンポジウム開催(集安)

- 古代中国高句麗歴史続論など東北辺彊叢書6発刊

- 高句麗渤海古朝鮮間島などの研究課題選定

- 高句麗遺跡整備中国史一部として博物館展示改編および遺跡説明板設置

 

 

2004

 

7

 

中国北朝鮮高句麗遺跡世界文化遺産登録

 

8

 

• 「高句麗歴史問題研究シンポジウム開催(延吉) - 50専門家参加

武大偉中国外交部副部長来韓 韓国政府5項目について口頭合意

 

12

 

• 「高句麗文化歴史的価値韓中学術会議開催(北京) - 高句麗研究財団中国社会科学院共同主催

- 高句麗遺跡世界文化遺産登録

- 渤海高麗間島白頭山などの研究課題選定

 

 

2005

8

 

• 「高句麗歴史問題学術研究シンポジウム開催(延吉) - 30専門家参加

 

10

 

• 「高句麗文化歴史的意義韓中学術会議開催(水原) - 高句麗研究財団中国社会科学院共同主催

 

 

2006

 

6

 

• 「唐朝渤海国上京龍泉府遺址保護条例黒竜江省常務委員会審議通過世界文化遺産登録推進

 

8~9

 

• 『渤海国史など東北辺彊叢書3発刊

• 「高句麗問題学術研究シンポジウム開催(延吉)

 

 

10

 

中首脳会談開催(北京) - 温家宝総理2004口頭了解事項尊重立場表明 / 胡錦濤主席2004口頭了解事項履行約束

 

11

 

寧賦魁駐韓中国大使白頭山のユネスコ自然文化遺産への登録推進関連国家との協議推進することに言及

- 渤海国史など東北辺彊叢書3発刊

 

 

2007

 

3

 

中国社会科学院中国辺彊史地研究中心延辺大学東北辺疆地区国情調研基地設立

 

4

 

中首脳会談開催(ソウル) - 温家宝総理、「領土歴史問題政治学術現実学問けてアプローチすべきとの立場再確認

 

6

 

中国、「高麗太祖王建朝鮮半島土着した新羅人子孫ではなく漢族末裔だったという論文発表

 

7

 

• 「東北亜辺彊歴史研究国際学術会議開催(日本福岡)

- 日本九州大学韓国研究センターとアメリカの韓国評議会共同主催

 

9

 

中国、「高句麗28国王王陵はすべて集安にある主張する論文発表

 

10

 

通化師範大学高句麗文化研究基地延辺大学渤海文化研究基地吉林省重点研究基地確定

 

11

 

中国神話研究者、「檀君神話黄帝集団トーテムに起源するという主張提起

 

12

 

渤海中京城発掘報告書西古城-渤海国中京顯德府故址田野考古報告発刊

中総理会談開催(北京) - 歴史問題両国関係発展げないよう東北亜歴史財団中国社会科学院との交流積極的推進することに合意

• 「高句麗初期歴史研究韓中学術会議開催(北京)

- 東北亜歴史財団中国社会科学院共同主催

• 『高句麗王陵通考発刊

 

 

2008

 

7

 

• 『唐代渤海国五京研究発刊

 

8

 

• 「東北工程高句麗国際学術会議開催(バンクーバー)

- 国際高麗学会主催

 

9

 

• 『簡明高句麗史』•『中国歷代朝貢制度硏究』•『中国古代治理東北辺疆思想硏究など68発刊

 

11

 

• 「卒本時期高句麗歴史研究韓中学術会議開催(済州道)

- 東北亜歴史財団中国社会科学院共同主催

 

 

2009

 

5

 

中国のポータルサイト百度、「離於島中国領土主張波紋がるや記事削除

 

7

 

• 「2009年東北辺彊歴史文化学術シンポジウム開催(長春)

- 60専門家参加

- 中国社会科学院吉林省社会科学院主催

 

12

 

• 『東北辺疆歴史与文化研究(吉林省社会科学院学術研究叢書吉林人民出版社2009.12)発刊

 

 

2010

 

7

 

• 「6次長白山文化シンポジウム開催(長春)

- 長白山管理委員会吉林省長白山文化研究会吉林省図書館共同主催

中国鳳凰衛星放送局、「飛躍する中国(騰飛中国)という番組中国領海安全-中韓領海紛争において離於島中国領海200海里排他的経済水域まれると主張

長白山管理委員会、「吉林省長白山文化事業発展規画編成作業開始

- 吉林省社会科学院主管

 

 

2011

 

5

 

3中華文明探源工程開始

- 中国社会科学院考古研究所北京大学考古文博学院中国国家博物館敦煌研究院秦始皇兵馬俑博物館など中国内約30科学研究機構による連合プロジェクト

 

6

 

吉林大学、「吉林省高句麗研究センター2011年計画課題案内

- 高句麗壁画高句麗渤海文献資料整理研究高句麗渤海考古研究夫余歴史文化研究など

中国国務院発表した3次国家級無形文化財リストに延辺州のアリランカヤグム(伽倻琴)芸術朝鮮族回婚礼鉄嶺市朝鮮族パンソリがまれる

 

7

 

• 『中国辺彊史地研究雑誌社陝西師範大学西北民族研究中心共同主催中国疆域理論学術研討会開催(西安)

 

8

 

長春師範学院主管中国社会科学院辺彊史地研究中心協賛、「東北フォーラム: アジアのから東北辺彊研究学術研討会開催(長春)

- 50専門家参加東北辺彊档案文献発掘整理辺彊調査研究方法資料蓄積などについて討論

 

11

 

中国CCTV12から17まで長白山ドキュメンタリー6部作放映

- 渤海帰属問題集中的にクローズアップし朝鮮族農楽舞長白山地域伝統文化のひとつとしてげる中国選定した無形文化遺産であることを強調

吉林大学東北亜研究院北京大学亜太研究院共同主催北京大学韓国学研究センターの協賛により北京大学吉林大学東北亜フォーラム朝鮮半島平和発展周辺大国関係研究シンポジウムを開催(北京)

 

12

 

吉林省社会科学院主管、「東北辺彊歴史文化座談会吉林省社会科学院にて開催(長春)

 

 

6.東北工程主要日誌

 

 

年度

内容

 

 

2002

 

1~2

 

 

東北工程領導小組専門家委員会構成

1次専門家委員会開催(北京)

東北工程正式旗揚

 

 

 

 

 

4

 

 

高句麗歴史研究学術座談会開催(吉林省長春)

2次専門家委員会開催(北京)高句麗渤海古朝鮮白頭山などの研究課題選定

 

 

 

 

 

7

 

 

• 「2期東北疆域歴史現状および高句麗学術シンポジウム開催(吉林省長春通化)

- 100名余りの専門家参加70論文発表

- 高句麗渤海古朝鮮白頭山などの研究課題選定

- 広開土王大王碑など中国内高句麗遺跡世界文化遺産登録申請

 

 

2003

 

 

8

 

 

3次専門家会議開催(黒竜江省黒河) - 高句麗渤海古朝鮮間島などの研究課題選定

• 「高句麗渤海問題学術シンポジウム開催(吉林省延吉)25専門家参加

 

 

 

 

 

10

 

 

• 「高句麗国内城遷都2000周年および3次全国高句麗学術シンポジウム開催(集安)

- 古代中国高句麗歴史続論など東北辺彊叢書6発刊

- 高句麗渤海古朝鮮間島などの研究課題選定

- 高句麗遺跡整備中国史一部として博物館展示改編および遺跡説明板設置

 

 

2004

 

 

7

 

 

中国北朝鮮高句麗遺跡世界文化遺産登録

 

 

 

 

 

8

 

 

• 「高句麗歴史問題研究シンポジウム開催(延吉) - 50専門家参加

武大偉中国外交部副部長来韓 韓国政府5項目について口頭合意

 

 

 

 

 

12

 

 

• 「高句麗文化歴史的価値韓中学術会議開催(北京) - 高句麗研究財団中国社会科学院共同主催

- 高句麗遺跡世界文化遺産登録

- 渤海高麗間島白頭山などの研究課題選定

 

 

2005

 

 

8

 

 

• 「高句麗歴史問題学術研究シンポジウム開催(延吉) - 30専門家参加

 

 

 

 

 

10

 

 

• 「高句麗文化歴史的意義韓中学術会議開催(水原) - 高句麗研究財団中国社会科学院共同主催

 

 

2006

 

 

6

 

 

• 「唐朝渤海国上京龍泉府遺址保護条例黒竜江省常務委員会審議通過世界文化遺産登録推進

 

 

 

 

 

8~9

 

 

• 『渤海国史など東北辺彊叢書3発刊

• 「高句麗問題学術研究シンポジウム開催(延吉)

 

 

 

 

 

10

 

 

中首脳会談開催(北京) - 温家宝総理2004口頭了解事項尊重立場表明 / 胡錦濤主席2004口頭了解事項履行約束

 

 

 

 

 

11

 

 

寧賦魁駐韓中国大使白頭山のユネスコ自然文化遺産への登録推進関連国家との協議推進することに言及

- 渤海国史など東北辺彊叢書3発刊

 

 

2007

 

 

3

 

 

中国社会科学院中国辺彊史地研究中心延辺大学東北辺疆地区国情調研基地設立

 

 

 

 

 

4

 

 

中首脳会談開催(ソウル) - 温家宝総理、「領土歴史問題政治学術現実学問けてアプローチすべきとの立場再確認

 

 

 

 

 

6

 

 

中国、「高麗太祖王建朝鮮半島土着した新羅人子孫ではなく漢族末裔だったという論文発表

 

 

 

 

 

7

 

 

• 「東北亜辺彊歴史研究国際学術会議開催(日本福岡)

- 日本九州大学韓国研究センターとアメリカの韓国評議会共同主催

 

 

 

 

 

9

 

 

中国、「高句麗28国王王陵はすべて集安にある主張する論文発表

 

 

 

 

 

10

 

 

通化師範大学高句麗文化研究基地延辺大学渤海文化研究基地吉林省重点研究基地確定

 

 

 

 

 

11

 

 

中国神話研究者、「檀君神話黄帝集団トーテムに起源するという主張提起

 

 

 

 

 

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渤海中京城発掘報告書西古城-渤海国中京顯德府故址田野考古報告発刊

中総理会談開催(北京) - 歴史問題両国関係発展げないよう東北亜歴史財団中国社会科学院との交流積極的推進することに合意

• 「高句麗初期歴史研究韓中学術会議開催(北京)

- 東北亜歴史財団中国社会科学院共同主催

• 『高句麗王陵通考発刊

 

 

2008

 

 

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• 『唐代渤海国五京研究発刊

 

 

 

 

 

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• 「東北工程高句麗国際学術会議開催(バンクーバー)

- 国際高麗学会主催

 

 

 

 

 

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• 『簡明高句麗史』•『中国歷代朝貢制度硏究』•『中国古代治理東北辺疆思想硏究など68発刊

 

 

 

 

 

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• 「卒本時期高句麗歴史研究韓中学術会議開催(済州道)

- 東北亜歴史財団中国社会科学院共同主催

 

 

2009

 

 

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中国のポータルサイト百度、「離於島中国領土主張波紋がるや記事削除

 

 

 

 

 

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• 「2009年東北辺彊歴史文化学術シンポジウム開催(長春)

- 60専門家参加

- 中国社会科学院吉林省社会科学院主催

 

 

 

 

 

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• 『東北辺疆歴史与文化研究(吉林省社会科学院学術研究叢書吉林人民出版社2009.12)発刊

 

 

2010

 

 

7

 

 

• 「6次長白山文化シンポジウム開催(長春)

- 長白山管理委員会吉林省長白山文化研究会吉林省図書館共同主催

中国鳳凰衛星放送局、「飛躍する中国(騰飛中国)という番組中国領海安全-中韓領海紛争において離於島中国領海200海里排他的経済水域まれると主張

長白山管理委員会、「吉林省長白山文化事業発展規画編成作業開始

- 吉林省社会科学院主管

 

 

2011

 

 

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3中華文明探源工程開始

- 中国社会科学院考古研究所北京大学考古文博学院中国国家博物館敦煌研究院秦始皇兵馬俑博物館など中国内約30科学研究機構による連合プロジェクト

 

 

 

 

 

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吉林大学、「吉林省高句麗研究センター2011年計画課題案内

- 高句麗壁画高句麗渤海文献資料整理研究高句麗渤海考古研究夫余歴史文化研究など

中国国務院発表した3次国家級無形文化財リストに延辺州のアリランカヤグム(伽倻琴)芸術朝鮮族回婚礼鉄嶺市朝鮮族パンソリがまれる

 

 

 

 

 

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• 『中国辺彊史地研究雑誌社陝西師範大学西北民族研究中心共同主催中国疆域理論学術研討会開催(西安)

 

 

 

 

 

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長春師範学院主管中国社会科学院辺彊史地研究中心協賛、「東北フォーラム: アジアのから東北辺彊研究学術研討会開催(長春)

- 50専門家参加東北辺彊档案文献発掘整理辺彊調査研究方法資料蓄積などについて討論

 

 

 

 

 

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中国CCTV12から17まで長白山ドキュメンタリー6部作放映

- 渤海帰属問題集中的にクローズアップし朝鮮族農楽舞長白山地域伝統文化のひとつとしてげる中国選定した無形文化遺産であることを強調

吉林大学東北亜研究院北京大学亜太研究院共同主催北京大学韓国学研究センターの協賛により北京大学吉林大学東北亜フォーラム朝鮮半島平和発展周辺大国関係研究シンポジウムを開催(北京)

 

 

 

 

 

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吉林省社会科学院主管、「東北辺彊歴史文化座談会吉林省社会科学院にて開催(長春)