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ソウル梨泰院のハロウィン圧死事故、背景に見える韓国の社会的特性

이강기 2022. 11. 2. 07:37
 

ソウル梨泰院のハロウィン圧死事故、背景に見える韓国の社会的特性

世界の文化と触れ合い、「一体感」に身を委ねたい韓国の若者

 
 
JB Press, 2022.11.1(火) 
                 圧死事故が発生したソウル・梨泰院の坂道の路地(2022年10月31日、写真:ロイター/アフロ)

                (平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授)

 

 

 ソウル・梨泰院(イテウォン)で発生したあまりに痛ましい出来事「ハロウィン圧死事故」が全世界に衝撃を与えた。アメリカのバイデン大統領や日本の岸田首相をはじめ、ローマ教皇まで哀悼の意を表している。

 

 10月31日朝6時時点で死亡者は154名。日本人女性2名も含まれる。負傷者149名中、重体・重症が33名と報じられている。まさに大惨事である。

 

 まずは、亡くなられた方のご冥福と、治療中の方々の一日も早い回復をお祈り申し上げたい。

 

警察による警備、人流コントロールはなかった

 被害の大きさには驚くばかりだが、その一方で、私はこの事故に韓国の社会文化的風潮を感じてしまう。今回はそのことについて書きたい。

 

 というのも、韓流の影響もあり、かなりの日本人が韓国にやってくるようになったからだ。それ自体は悪いことではないが、韓国はなんといっても外国である。外国である以上、その国の特質はある程度知っておいた方がよい。特にこの10年ほどの間、留学などで韓国に長期滞在する日本人も増えている。なので、ちょっと敏感な内容だがあえて書くことにした。

 

 韓国メディアでは、なぜこのような大惨事が起きてしまったのか、多くの専門家が登場して解説したり意見を述べたりしている。

 

 事故が起きたのは、梨泰院駅1番出口からすぐで、東西に走るバス通りから横に入った裏通りである。幅5メートル、長さ50メートルほどのゆるやかな上り坂で、奥は突き当りになっている。現場に足を運んできたばかりだが、150人以上が命を落としたことが信じられないほどの小ささだ。そこにすし詰め状態になるほど多くの人が集まった。コロナ禍で2年ほど自粛されていたハロウィンの集まりが久しぶりに開かれるとあって、梨泰院に足を運んだ人がこれまでに増して多かったという。

 

 また日本の渋谷などでは警察が出動して人流のコントロールにあたっている。だが、梨泰院では、そこまでの警察の出動はなかったとのことだ。

 梨泰院には似たような細い裏通りがいくつもある。そうした通りの奥まったところにまで人員を配置できる余裕は警察にはなかったとも伝えられている。なぜなら、週末はソウルの至る所でデモが行われるからだ。デモの開催は、事前に自治体や警察に届け出が必要で、それに合わせてかなりの数の警察官が動員され、警備にあたる。一方、梨泰院でのハロウィンの集まりは、主催者がいるわけではなく、事前の届け出もなかった。そのため、警察官が警備に動員されることはなかったという。

 

 今までのハロウィンがそうだったように、誰かが主催者として呼びかけたわけではなく、多くの人がこれまで通り自然と梨泰院に押し寄せた。しかも、事故が起きたのは細い坂道の上の方で、水や酒がまかれて滑りやすくなっていたという。そこで数人が転倒し、その余波が坂道を下っていったとみられる。

 

世界の文化と触れ合える梨泰院

 それにしても、不思議な事故だ。ネットに流れている事故直前の動画を見た人ならお分かりだと思うが、すし詰め、おしくらまんじゅうの状態だった。文字通り身動き一つとれないのだ。一体なぜ、あんなに細い通りに人々が押し寄せたのだろうかと、誰もが思うだろう。

 

 2001年に明石花火大会で発生した歩道橋圧死事件を知っている日本人であっても、梨泰院の事件には何か違和感を抱くはずだ。花火大会は花火を見て楽しむというイベントである。だが、梨泰院の場合はそうではない。そこで特別なイベントがあったわけではないのだ。

 

 現時点では、「坂道の下でコスプレをした集団が踊っており見物客が集まった」「有名人が現れたという噂が広まり人が集まった」などいくつかの原因が囁かれている。

 それらの真偽は不明だが、韓国の大学で教鞭を執っている私としては、事故当日に梨泰院に行っていた若者の気持ちが何となくわかる。

 

 私の勤務先の学生もそうなのだが、彼らには自己開発をするための、いくつかのキーワードがある。その1つが、「国際的」だ。梨泰院は近くに米軍基地が置かれてきたため、戦後は国際的な街とされてきた。世界の文化を体験できる「地球村祭り」が毎年開かれるのも、そうした梨泰院の現代史があるからだ。

 

 そのため、梨泰院で集うということは、国際的な風に当たるという意味をかなり含んでいる。実際に今回の犠牲者のなかで6分の1が外国人だ。外国語の習得に熱心な多くの若者にとって、梨泰院のイベントは、国際的で、とりわけアメリカ文化の香りが漂う。その香りの中で自己開発の満足感を得て、さらなる意欲を掻き立てる。

 

「一体感」を求める韓国人のエネルギー

 もう1つのキーワードが「出会い」である。私の教え子も「日本人と出会いたい」という言葉をよく使う。韓国の若者は、知らない人、外国人と出会うことで、未知なる「文化」を体験し、楽しみたいと考えている。ただし、その文化とは深く掘り下げたわけではなく、商品化されたものを指すことが多い。日本で言えば、外国人向けの「浴衣体験」のようなものである。

 

 また韓国人は、国際的な出会いのなかで、人々との「一体感」を求める。韓国語に「ウリ」という言葉がある。“私たち”と訳されることが多いが、それだとちょっと違っていて、実際は“共同体意識”“仲間意識”を表す。そうした知らない人との国際的な「ウリ」を実現する場が、梨泰院のハロウィンである。

 そこには飲食があり、歌があり、踊りがある。韓国の伝統的な祭りも、まったく同じ要素で成り立っている。かつて祭りは「広場(マダン)」で行われてきた。ところが都市化が進むにつれて、広場や、大通りだけでなく、路地も祭りの場になった。

 

「一体感」を求める韓国人のエネルギーは、日本人が想像するよりはるかに大きい。それは祭りのパワーとして昔から培われてきたものだ。一体になれば不思議な快楽を感じる。一方で、一体になれない異質な存在に対しては、強い拒絶反応を示すこともある。日韓関係のもつれは、そうした拒絶感にも由来していると私は考えている。

 

 梨泰院での、あの信じられないほどのすし詰め状態には、一体感を求めるエネルギーもあったのではないかと感じてしまう。だが、コントロールが効いていれば、一体感は楽しみをもたらしてくれるのだが、今回はその範囲を大きく逸脱してしまったのだろう。

 

事故の背景にある、国や地域の文化的特性

 今回の事故を「韓国だから起こった」などと言うつもりはない。もちろん韓国を批判するつもりもない。ただわかってほしいのは、事故というものには、その国や地域の文化的特性があるケースもあるということだ。日本でもまたそうだ。そうした例が不幸にも韓国で起きてしまったのだ。

 

 恐らく韓国では、自国のこうした文化的背景については、あまりにも当然のことなので議論はされないであろう。なので、あえてここで指摘した。

 今後、このような大惨事が世界で二度と起きないよう心より願っている。