佐藤栄作逮捕を「幻」に終わらせた政権と特捜部の隠微な密約
(SAPIO 2015年9月号掲載) 2015年8月20日(木)配信
文=青木理(ジャーナリスト)
“日本の最強権力”検察は、過去数多の政治家を摘発してきた。だが、彼らの振りかざす“正義”にも裏があった。
検察組織と政権の関係は複雑怪奇である。厳密には、検察といっても首相を頂点とする行政機関の一翼にすぎない。ただ、独自の捜査権を持つと同時に公訴権(刑事裁判を求める権限)を掌握する検察は、準司法機関として独立性が担保されている。
検察庁法は、公訴や捜査などの検察事務に関し、法務大臣は検察官を一般に指揮監督できると定めつつ、個々の取り調べや処分については検事総長のみを指揮できる、と制限している。いわゆる指揮権である。
考えてみれば当然だろう。個々の事件捜査にまで法相が口を出せば、政権の思惑で捜査が左右されてしまいかねない。そんな事態を防ぐために担保された独立性の下、検察は歴代政権と緊張関係を保ってきたように見える。時には政権幹部を含む与党の大物を検察が逮捕・起訴したこともある。
だが、それはあくまでも表面的な話。検察といっても所詮は官僚組織でもあり、内部には権謀や打算の思惑が渦をまく。過去の華々しき事件捜査も、一皮めくれば別の貌が浮かぶ。
たとえば1954年初頭、検察の精鋭捜査部隊である東京地検特捜部は沸き立っていた。造船会社などから有力政治家に賄賂が流れたとされる造船疑獄の捜査が進展し、特捜部は当時の与党・自由党の議員らを続々逮捕する。捜査はさらに政界中枢へと伸び、最高検察庁は同年4月20日、自由党幹事長・佐藤栄作の逮捕許諾請求まで決めた。
しかし翌21日、吉田茂政権の法相・犬養健は検事総長に対し、国会で重要法案審議中であることを理由として検察庁法に基づく指揮権を発動、逮捕請求を延期させ佐藤逮捕は頓挫した。法相の指揮権発動は初であり、以後も例がない。汚濁した政界に向けて振り上げられた検察の正義の刃が不当な指揮権で折られ、検事たちは悲嘆にくれたこれが巷間伝えられてきた“正史”である。
だが近年、この正史は歪められたものだ、との見方が出ている。どういうことか。
特捜部は当時、イケイケで突っ走ったものの、実は穴だらけの粗雑な捜査であり、佐藤逮捕に踏み切っても公判維持すら難しかった。そこで当時の検察幹部が政権側に接近し、指揮権発動を誘発して捜査中断を演出した。
にわかには信じ難いかもしれないが、これを裏づける有力な傍証はいくつもある。
代表的なのは吉田政権の副総理・緒方竹虎の日記だ。親族が管理する日記はいまも非公開だが、緒方の伝記を執筆した作家らによって一部紹介されている。
それによれば、当時の東京地検検事正・馬場義続は、まさに捜査の渦中、吉田や緒方と何度も密会していた。東京地検検事正といえば特捜部を率いる捜査現場の最高司令官。その馬場が捜査対象側と密会するなど言語道断。何が話し合われたかはもはや藪の中だが、指揮権発動のわずか1か月前、緒方はこう書き遺している。
〈Bより連絡、漸く問題解決に近く〉
Bは馬場のことであろう。捜査指揮官はなぜ緒方と密会を続けたのか。問題解決とはいったい何か。当時を知る検察関係者はこう明かした。
「捜査が惨めな失敗に終われば特捜部の存亡に関わりかねない。ならば検察の権威を堅持しつつ、勝ち目の薄い戦を収拾したほうが得策。そこで政権側に指揮権を発動させる方向に持っていったんだろう」
事実とすれば、馬場は傑出した策謀家だったことになる。暴走捜査を“外部要因”で幕引きし、検察を“悲劇の被害者”とすることに成功した。
しかも以後、政治が検察をコントロールする術である指揮権はタブー化し、検察の独立性は過剰なほど不磨の大典として保護されることになったのだ。のちに馬場は検事総長に就任、検察に「馬場時代」を築き上げる。
検察と政権の隠微な密約はこれにとどまらない。最近では大阪高検公安部長だった三井環の事件をめぐっても不穏な影がちらついた。検察の組織的な裏金づくりを内部告発しようとした三井に対し、検察は口封じのための強引逮捕に踏み切る。この直前、当時の検察幹部は与党重鎮と密会し、事態収拾のための助けを請うた。
これも真相は不明だが、いずれにせよ検察が「巨悪を討つ正義の機関」などという見方は一面的にすぎる。強大な権限を持つ権力装置であると同時に、権謀と打算うごめく司法官僚組織であることも忘れるべきではない。
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