日本, 韓.日 關係

日 산케이, 박대통령에 망언…"암살된 명성황후 연상"

이강기 2015. 10. 9. 11:11

日 산케이, 박대통령에 망언…"암살된 명성황후 연상"

 

TV조선 방송화면 캡처.

박근혜 대통령이 9월 3일 중국 베이징에서 열리는 항일전쟁 70주년 기념행사 열병식에 참석하는 것을 두고 일본 산케이신문이 “한국 외교의 사대주의 유산에서 비롯된 것”이라는 억지 주장을 했다. 이 신문은 박 대통령을 일본인에게 잔혹하게 시해된 명성황후에 비유하면서 명성황후가 “무질서한 사대주의 도착으로 암살됐다”는 망언을 쏟아내기도 했다.

다음은 TV조선 보도 전문.

☞해당 기사를 TV조선 동영상으로 보기

[앵커]
일본 극우 성향 산케이신문이 박근혜 대통령의 중국 항일전승 70주년 기념행사 참석을 두고 강국을 섬기는 한민족의 나쁜 ‘사대주의 DNA’가 한국 외교에 자리잡고 있다는 망언을 쏟아냈습니다. 심지어 박 대통령을 일본에 의해 시해된 명성황후에 비유하며 “사대주의 도착으로 암살됐다”는 경악스러운 주장까지 펼쳤는데, 국제부 기자 연결해 자세한 소식 들어보겠습니다.

이태형 기자! 도대체 산케이가 이번엔 또 어떤 망언을 내놓은 겁니까.

[리포트]
네, 산케이신문은 오늘자 온라인판 프리미엄 뉴스를 통해 ‘미중 사이에서 양다리 외교, 한국민족의 끊기지 않는 나쁜 유산’이란 제목의 칼럼을 게재했습니다.

박근혜 대통령의 중국의 항일전승 70주년 열병식 참가를 두고 “한국외교의 사대주의 유산에서 비롯된 것”이라는 억지주장을 펼친 겁니다.

특히 박 대통령을 1895년 을미사변으로 일본인의 손에 잔혹하게 시해된 명성황후에 비유하며 무질서한 사대주의 도착으로 암살됐다는 망언을 쏟아냈습니다.

산케이는 이와 함께 일본의 제국주의 망령에서 비롯된 청일전쟁과 러일전쟁도 당시 대한제국의 그릇된 외교 탓에 오히려 일본이 위기에 처했던 것이라고 주장했습니다.

문제의 칼럼은 산케이신문 정치부 소속 전문위원인 노구치 히로유키가 쓴 것으로, 그동안 자위대 역할범위 확대와 안보법제 통과 등 아베 정권과 궤를 같이하는 칼럼과 기사로 물의를 빚어왔습니다.

산케이는 반기문 유엔 사무총장의 중국 전승절 열병식 참석에 대해서도 사설을 통해 “유엔의 신뢰를 손상하는 일”이라는 등 비난한 바 있습니다.

지금까지 국제부에서 전해드렸습니다.

 



[출처] 본 기사는 조선닷컴에서 작성된 기사 입니다

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【野口裕之の軍事情勢】

 


米中二股 韓国が断ち切れぬ「民族の悪い遺産」

 

 

軍部隊を訪問して訓示する韓国の朴槿恵大統領。米中二股外交で、民族のDNAとして受け継がれた「事大ブリ」を見事なまでに発揮している=2015年8月21日、韓国・首都ソウル郊外(聯合=共同)

 

 

 

韓国外交を眺めていると、中島みゆきさんの名曲《時代》が、どうしても頭に浮かぶ。

 

 ♪めぐるめぐるよ時代はめぐる 別れと出会いをくり返し

 

 時代を《事大》に置き換えると、韓国外交哀史が鮮やかに浮かび上がる。《事大主義》とは《小》が《大》に《事(つか)える》こと。強国に弱国が付き従う外交形態を指す。

 

「事大主義」が貫く外交

 

 李氏朝鮮(1392~1910年)も末期、清→日本→清→日本→ロシア→日本→ロシア…と、内外情勢変化の度に事大先をコロコロと変えていった。そのDNAを色濃く継承する韓国は、李氏朝鮮の再来を思わせる見事な「事大ブリ」を披露する。最大の貿易相手国・中国が主導する金融秩序には自ら身をささげ、朴槿恵(パク・クネ)・大統領(63)は北京で催される《抗日戦争勝利70年記念》軍事パレードを参観する。いずれも米政府の反対をすり抜けたばかりか、中国の「目」を気にして、米政府の高高度防衛ミサイル配備提案も中ぶらりんにしたまま。

 

ところが、だ。北朝鮮軍の砲撃を受け、米軍には後詰めではなく、共同対処をお願いする始末。まさに《事大》は《めぐる》が、朝鮮が事大先を替える度、わが国は存亡の危機に瀕してきた。日本が独立を促すと、清にすり寄り日清戦争(1894~95年)の火ダネを造った。日本が勝ち、朝鮮を独立させるやロシアにすがり、日露戦争(1904~05年)誘因の一つを造った。朝鮮→韓国が《別れと出会いをくり返》すと、日本は大厄災に遭う。

 

 北朝鮮軍の地雷で韓国軍下士官2名が重傷を負い、韓国軍は拡声器を使った北非難を再開した。これに対し、北朝鮮軍は砲撃してきたが、韓国軍は「7倍返し」で応射。朴氏も、北の挑発には現場指揮官の即断で報復攻撃を実施するROE(交戦規定)を許可した。強気の背景には北の局地的軍事挑発に単独で対抗してきた韓国軍に、在韓米軍が初めて共同対処する方針が決断されたためでもある。

 

 過度な米軍依存の正否は、わが国も検証の必要がある。ただ、日本外交のブレ幅は韓国に比べマシ。外交路線決定は独立国家の権利とはいえ、韓国には米国の頭ごなしに中国と誼を通じることがはばかられる合理・道義的理由が存在する。朝鮮戦争(50~53年休戦)で中国軍はソウルの南まで侵攻。主力の米軍は友軍・韓国軍の弱さも手伝い14万以上の死傷者を出した。韓国にとり中国は侵略者だが、韓国は“国家”ぐるみの倒錯に痛痒を感じない。というか、倒錯への自覚・感覚がない。

 

 

閔妃をめぐる朝鮮倒錯史

 

 李氏朝鮮には、朴大統領のような女性の権力者がいた。第26代王・高宗(1852~1919年)の妃・閔妃(ミンピ、1851~95年)である。以下、かなり“年季”が入っている「朝鮮半島倒錯史」の、ほんの一部をたどってみる。

 

 【第一幕】閔妃は実権を義父・興宣大院君(1820~98年)から奪うや、大院君の攘夷政策を一転、開国路線に舵を切り、欧露に先駆けて真っ先に日本と外交条約を締結。日本は朝鮮を、清の冊封より独立した国家主権を持つ独立国である旨を明記、軍の近代化に協力した。

 

 【第二幕】結果、新旧2種の軍が並列。そこに旧式軍隊の待遇・給与未払い問題が絡み、旧式軍隊と大院君派が呼応して1882年、大規模な反乱《壬午事変》を起こす。閔派は無論、近代化を果たした日本に学び、朝鮮を清から完全独立させ、立憲君主国を目指す開化派、さらに日本人を殺害・駆逐。大院君は復権する。

 

【第三幕】王宮を脱出した閔妃は、朝鮮駐屯の清軍を頼る。清は反乱鎮圧などを口実に漢城(ソウル)に増派し、反乱を指揮したとして大院君を清に幽閉する。閔妃は、清に依存を深めていく。

 

 (-_-) 日本も日本公使館警備に向け条約を結び、朝鮮に派兵し、日清戦争の火ダネとなる。

 

 【第四幕】開化派は閔妃の清服属に反発し84年、クーデター《甲申政変》を決行する。清や妻=閔一族に実権を握られていた王・高宗もクーデターを快諾した。が、閔派の通報を受けた清が1500名を派兵。高宗の求めで、王宮警護に就いていた日本公使館警備部隊150名との間で戦闘となる。結局、3日で制圧される。

 

 日清間で85年、双方の撤兵と、やむを得ず出兵するに当たっての事前通告義務をうたった《天津条約》を締結する。条約により日本は、朝鮮の独立を担保しようと考えたのだ。

 (-_-) 日清開戦は一旦は回避されたものの、第五幕以降も止まぬ混乱の連鎖で、両国の緊張は高まるばかり。

 

皮肉な北の「主体思想」

 

 【第五幕】清の威を借る閔派の事大政策の陰で、高宗はロシア南下を警戒する英国などを牽制すべく、ロシアに積極的に秋波を送る。同時に、欧米に盛んに公使を派遣してもいる。清は警戒を強め、日本の要請もあり、大院君を朝鮮に帰す。

 

 【第六幕】役人の汚職や増税に怒る農民が新宗教と結び付いて94年《甲午農民戦争》を起こす(大院君の陰謀説アリ)。一揆は朝鮮軍を撃破し続け、閔派はまたも清に援軍を求める。

 

 (-_-) もはや一刻の猶予もならなかった。かくして、日清戦争の戦端が開かれる。

 

 【第七幕】戦争直前には、日本の支援で閔派排除のクーデターを起こし開化派+大院君派は政権を樹立。だのに戦時中、大院君は開化派の暗殺をくり返し、前述の新宗教・農民勢力と清軍に工作し、日本軍を挟撃せんとした。

 

 【第八幕】日本の日清戦争勝利で朝鮮は清の冊封体制からようやくはい出る。大院君派が再び力を付け、逆に清という後ろ盾を失った閔派は衰退する。

 

【第九幕】閔派は95年、ロシア軍の支援で権力を奪還するも3カ月後、閔妃は暗殺される。

 

 もう、何が何だか分からない。朴氏の父、朴正煕(パク・チョンヒ)・元大統領(1917~79年)は暗殺される前《民族の悪い遺産》の筆頭に事大主義を挙げ、改革を模索した。皮肉にも、北朝鮮は《悪い遺産》を嫌悪し自主・自立を意味する《主体思想》を看板に、米国と対立するのみならず、中国にも反発し始めた。

 

 ところで、韓国軍は抗日軍事パレード参加を見送るようだ。豊臣秀吉(1537~98年)の朝鮮出兵時、明(中国)軍の一翼として行軍した李氏朝鮮軍と同様の“事大絵巻”が観られないのは、少し残念な気もする。(政治部専門委員 野口裕之/(SANKEI EXPRESS)

 

関連ニュース

【野口裕之の軍事情勢】枢軸国・韓国の「連合国なりすまし」