日本を「中国の映し鏡」ではなく他者としてとらえるべきと気づき始めた一部の中国人のあいだでは、一歩踏み込んで日本研究・日本認識の一新を求める動きもある。
たとえば、もともと知日派の閲覧が多いと言われるポータルサイト『騰訊(テンセント)』のオピニオンコーナー「大家」(「みんな・皆様」の意)に掲載された姜建強氏のエッセイ「君の知っている日本はこのようなものか?」(http://dajia.qq.com/blog/277148103204715) は、日本における司法の独立・学問の独立・表現の自由・権力者の面子にこだわらない現実的な政策立案・不正に対する厳格な社会的制裁・殺到する中国人観光客への「おもてなし」にもぬかりない誠実な職業精神などを列挙する(それは日本に仮託した自国批判とも読める)。そして、日本との暗い歴史も忘れるべきではないが、感情に流されずに日本の歴史と現実を研究しなければならず、「侵略者を知る必要はない」という発想こそ、両国の間に認識上のギャップを生み大問題であると主張する。
「日本は中国の期待通りには動かない」
去る7月に発表されたこのエッセイは大反響を呼び、さっそく上海で姜氏や他の知日派「大家」執筆陣を招いた公開サロンが開催され、極めて熱い討論が展開された(http://dajia.qq.com/blog/453611123475668)。筆者(平野)のみるところ、パネラーの一人・劉檸氏の意見が光っていたので紹介したい。
例えば、宮崎駿氏のアニメ映画『風立ちぬ』は、中国において「尊敬するアニメの神様が何故、軍国主義の象徴=零戦を賛美する映画をつくったのか」という巨大な当惑を引き起こしたという。これについて劉氏は「例えば宮崎監督の場合は飛行機というモノへの思慕が第一。日本は知れば知るほど、自分から遠ざかって行くように見える。そもそも中国人が自分の期待によって日本を捉えようとしても、日本はその通りではないし、期待通りには動かないことをふまえる必要がある」と指摘する。
そして「中国人が日本を賛美、あるいは罵倒する際、実際には心の中で中国を語っていることに気づかなければならない。だからこそ日本を語るときに平常心を失ってしまうのだ」と喝破する。むしろ日本という他者を冷静に、多面的にとらえるべきであり、中国はこのような視線を獲得してはじめて、日本との関係における歴史的な悲劇・トラウマから脱することが出来る、と説く。
筆者も、日本人の期待や反感など先入観から中国をみるのではなく、あくまで中国は中国の論理で動くことをドライに知るべきだと考えるので、このような主張には全く同感である。そして、日本と中国の双方でこのような「作法」が共有されるとき、はじめて真に持続的な共存が成り立つのであって、そうではない方法=うわべや思い込みだけの「友好」、または剥き出しの圧迫は必ず失敗する。
講談社『中国の歴史』が
中国で大ヒットという「事件」
しかし、この境地に至るまでの道は極めて遠い。日本の側にも勿論多くの問題があるが、中国側はとりわけ言論の自由が制約され、日本に関する議論は様々な攻撃にさらされている。中国人の誰もが『騰訊』やその他の開明的なメディアを見ているわけではない。
またそもそも、日本における中国認識の歴史は、中国における日本認識の歴史と比べて圧倒的に長く深い。もちろん、例えば戦前のアジア主義者による日本中心=中国従属論、そして戦後の進歩的知識人による中共賛美など、今から見れば見当違いも甚だしいものも枚挙に暇がないが、少なくとも日本は巨大な西の国家とその文明を冷静に観察しながら自意識を形成してきた長い歴史を持つ。これに対して、圧倒的な「文明」「天下」であった諸帝国は、日本という存在を等身大のものとして捉える経験を欠いてきた。海賊集団「倭寇」や豊臣秀吉のように荒らしに来なければ、絶海の先に浮かぶ日本は朝貢に来なくとも捨て置いて良い、というのが、とくに清代の対日認識の基調であった。
しかし、日清戦争=甲午戦争で日本に敗北を喫したのみならず、欧米日の圧迫の中で「天下」の帝国であることを止め、近代主権国家「中国」として生きて行かなくなければならなくなったとき、「天下の歴史」「皇帝・王朝の歴史」ではない「中国の歴史」を国民に知らしめナショナリズムを創出するためには、日本で歴史上蓄積された「中国史」を直輸入しなければならなかった(梁啓超『中国史叙論』)。したがって、いま中国が称揚する「中国史」とは、日本人が発明したものである。
これだけでも、実は日中両国のソフトパワーは圧倒的に差があることが分かる。これもまた、中国人が日本を知れば知るほど抱くジレンマのもう一つの正体である。
今春、講談社100周年記念出版『中国の歴史』(2004〜2005年に全12巻が発売された) の中国語版が刊行され、日本では各1.5万部程度であったものが中国で10万セット売れたという「事件」が起こった。
基本的に言って、中国文明の歴史において歴史を表現することは、時の国家権力が時間軸を支配し解釈する権利を握ることと一体不可分である。したがって、各王朝ごとの歴史を集大成して通史を刊行するとなれば、国家の関与=圧力のもと謹厳な記述に終始しなければならない。したがって、どの歴史書も往々にして専門的・難解・無難のいずれかに帰着し、社会一般の幅広いリクエストに応えることは難しいという状況がある。それがますます現実の中国社会において人々と歴史を遠ざける(そこに中共の歴史プロパガンダがいとも容易く浸透する)結果もつながる。
しかし日本は良くも悪しくも全く逆である。高度な専門書から分かりやすい概説まで、ハードカバーから新書・文庫まで、実に様々な形態で歴史書が流布し、しかも研究者が一般社会のリクエストに応えて難解な問題を解きほぐして闊達に論じることにも長けている。
とりわけ講談社は『中国の歴史』出版に際し、個々の巻を担当する研究者が自らの研究の視角や妙味を自由闊達に語ることを推奨した。その結果『中国の歴史』は、中国文明において伝統的な「中原中心史観」ではなく、北方・西方・海域との多様な交錯を通じてダイナミックに歴史が動き、多様で魅力ある文化が生起したことを明快に示した。
中国の読者が講談社『中国の歴史』に驚き、大いに歓迎して熱烈に読みふけったのは、まさに中国における諸制約とは関係なく説得力ある論旨が展開され、それによって中国人自身が中国の歴史により広い視野を持ちうるようになったからである。
日本の「中国史」から生まれるジレンマ
しかし同時に、どれほど彼らが日本の中国研究を歓迎しようとも、ある決定的な遺憾が彼らに残ってしまう。
まず、日本では計12巻本であったものが、何故中国では10巻しか出なかったのか。翻訳されなかった『巨龍の胎動 毛沢東vs鄧小平』『日本にとって中国とは何か』はいずれも近現代中国と日中関係をめぐる敏感な問題に言及しているからである。前者を執筆した天児慧・早稲田大学教授は、長年日中関係の改善のために発言を続け、中共党史を内在的に理解しようとしてきたものの、その天児氏の論考ですら翻訳が避けられたこと自体、共産党宣伝部による出版業界への急速な圧力の強まりを示唆するものである。日本人が現代中国をどう認識しているのかを知りたい読者は、そこでまず失望したはずである。
そして、何よりも重大な問題として、日本では極めて説得的な中国論や、中国を題材とした文芸作品の名作が大量に存在しているにもかかわらず、何故中国には日本論・日本研究が長年欠如してきたのかという煩悶が湧き起こる。
中国の代表的日本論といえば、清末の外交官・黄遵憲の『日本国志』や、蒋介石の右腕として活躍した国民党の大幹部・戴季陶の『日本論』しかなく、これらはいずれも彼らの任務上の関心に基づいて書かれたという限界がある。
そして戦中戦後の日本については、主にルース・ベネディクトの『菊と刀』に依拠するのが習わしのようである。しかしこれとて日本の敗戦直後、米国・西洋からみて理解しがたい日本人の行動様式を、在米日本人への聞き取りなどから定型化したものに過ぎず、必ずしも内在的な日本理解とはいえない。
こうなってしまったのは先述の通り、そもそも中国の日本認識史自体が極めて浅いこと (せいぜい100年+α)、ならびにその短い歴史も政治の荒波に翻弄され、腰を落ち着けて等身大の日本を観察する機会を欠いてきたことによる。
日本は現在の中国認識に漫然とするべきではない
総じて長年来、日本は中国についていろいろ知っている。これに対し中国は、「日本の軍国主義」については何でも知っているつもりであったが、実は何も知らないに等しかった。歴史といい現実といい、相手を説明する知識や能力が著しく低ければ、ハードパワー以前にソフトパワーで敗北している。しかもその日本は依然として「集団主義」であり「軍国主義復活中」に見える。それは恐ろしいことである以上、何としてもこの差を埋めなければならない。
しかし、今から日本を虚心坦懐に知ろうとしても、やはり情報量や認識量の落差はあるし、今後も民主化しない限り(かつ、その民主化の結果反日ナショナリズムが加速せず、日本について自由な言論が認められるようにならない限り)いつでも知日の努力が政治の荒波にかき消される可能性もある。このため、知日・対日コンプレックス・反日の微妙な関係は継続しうる。
講談社『中国の歴史』ブームに関連し、上海の新聞『東方早報』の評論員・黄暁峰氏は次のような痛切なコメントを残した (http://www.caijing.com/cn/ajax/print.html)。
「国内で現在、講談社の歴史書に匹敵するような歴史書を出版できないことから、国内の学術水準が低いと説明することはできない。しかし、より遺憾な点は、出版社・学者・読者いずれの視点からみても、体制と個人の双方ともに現状を変えられないことである。日本の出版社にとっては、これは講談社が出版した外国史の著作に過ぎない。しかしもし、我々が国内の学者を組織して日本通史を出版したところで、(水準が日本の日本史研究に到底及ばないために)日本の出版機構がそれを輸入する可能性がないとしたら、それこそもっとも悲しむべきことである」
考えてもみれば、このような不均衡ゆえに多少二国間関係が悪く、あるいは双方にコンプレックスが残るとしても、それは必ずしも悪いことではない。互いに意識して知ろうとする努力が続くからである。
しかし、もし日本の側で「嫌中」が高まる余り、中国をめぐる言説が市場を失い、知識が流布しなくなるとすれば、それこそこれまでの中国と同じ罠に陥る。ハードパワーのみならずソフトパワーでも中国が逆転するならば、それは日本にとって何を意味するのか。しかもその可能性は、「新しい中国人」が大量に海外留学し、貪欲に知識や知見を吸収していることからして明らかである。日本への認識についても、激増した在日中国人は彼らなりに日本を知ろうと懸命であり、その成果はネットや書物を通じて中国国内に流布しはじめている。これに対し、日本人の中国離れは大学での中国語選択者や中国関連学科志望学生の激減として現実化しつつある。数十年後、この激変がソフトパワーの不均衡として日本にダメージを与えないためにも、日本人自身が中国・外国を知る努力は倍加して求められているように思う。