(舛添 要一:国際政治学者)
世界の新型コロナウイルスの感染者が、遂に210万人を超えた。死者も14万人以上となっている。各国とも、国情に合わせた対策を講じているが、ワクチンが開発されない状況では、第二波、第三波を想定せねばならず、水際対策を緩めるわけにはいかない。
日本は、これまで感染増を上手く抑えてきたとされ、世界から評価されてきたが、ここになって感染者が爆発的に増え、世界は日本の対応に疑問を投げかけつつある。4月16日、安倍首相は、緊急事態宣言の対象地域を全国に拡大した。
日本の問題は、PCR検査数を極端に抑えてきたことであり、その愚は、本欄で何度も私が指摘してきた通りである。世界は、日本の発表する数字をもはや信じておらず、中国と五十歩百歩のような評価になっている。
クラスター対策のみに終始し、政府の対策本部もクラスター対策班主導、マスコミも拡声器のようにその宣伝を行ってきた。そのツケが市中感染の増大であり、それは十分に予想できたことではないのか。
感染対策に成功した韓国・文在寅政権
同じような失敗を犯したのが、アメリカであり、保健衛生予算のカットによって、CDCの能力も殺がれ、品質の悪いPCR検査キットを配布するなどしたために、検査に遅れが生じ、今の惨状となっている。感染状況を甘く見積もっていたこと、そして初動体制の遅れが致命的な結果を生んだのである。
トランプ大統領は、自らの責任をWHOに転嫁し、資金拠出の停止を決めたが、今国際協力でウイルスとの戦いを勝ち抜かねばならないときに、このような言動は評価できるものではない。WHOが中国寄りだとして批判しており、日本の安倍応援団の一部も同様な非難を続けているが、WHOの問題点はコロナが収束してから検討すればよい話であって、ウイルス封じ込めという喫緊の課題があるときに、何とも気の抜けた話である。EUが、トランプ大統領のこの方針を批判するのは当然である。
これに対して、ドライブスルー・システムも動員して、PCR検査を徹底的に行った韓国では、一日の感染者が16日には、22人と鎮静化している。15日に投票が行われた総選挙では、コロナ対策が評価されて、文在寅大統領の与党陣営が300議席中180議席以上と圧勝している。今の傾向が続けば、感染者数で日本が韓国を追い抜くのは時間の問題である。
コロナ禍でヨーロッパのポピュリズムが退潮
なぜこうなったのか。日本政府の対策、そしてそれが依拠する専門家会議の見解の問題点を精査すべきである。危機管理を行うときには、2009年の新型インフルエンザ対策のときのように、チームAだけではなく、チームBを作るべきだったのである。異論を排す日本のムラ社会の問題点が浮き彫りになっており、それは空気が支配する総動員・大政翼賛会体制に繋がる。
ヨーロッパでは、排外主義的なポピュリズムが跋扈してきたが、新型コロナウイルスの感染拡大で、影響力が減退している。自分の命にかかわる状況で、極右の扇動に乗る暇などなくなったからである。ところが、日本だけは例外で、極右のポピュリズムがさらに力を増している。
PCR検査の推進に反対したことが間違いだったことは、初期の検査が不十分だったイタリアやアメリカの失敗例を見ても明白である。科学的、疫学的な根拠ではなく、嫌韓だという政治的立場から、韓国が先行的に実施しているPCR検査に反対するという馬鹿げた対応をしてきたのである。
ハーバード大学の研究によると、新型コロナウイルスは、ワクチンが開発されないかぎり、何度も襲ってくるので、2022年までは外出禁止措置が断続的に必要だという。SARSやMERSについては、ワクチンの開発に失敗している。開発に最低1年半かかるとすれば、集団免疫の獲得には最低2年は必要である。それは、ドイツのコッホ研究所の見解でもある。
そうなると、経済・社会活動を元通りに復活させるには、さらに時間が必要であり、世界恐慌といった事態になることも予想される。ハーバード大の研究者は、同時に、完全な都市封鎖は集団免疫の獲得を遅らせるという警告も発している。
アメリカでも、経済重視で都市封鎖の解除に積極的なトランプ大統領と、感染防止の観点から消極的なニューヨーク州のクオモ知事の対立が話題になっている。感染防止と経済活動のバランスをどうとるのか、政治指導者の判断が重い意味を持ってくる。
官邸官僚の入れ知恵なのか、安倍首相は、布製マスク2枚の「アベノマスク」や「アベノコラボ」(星野源との動画)で失笑を買ってしまった。そして、経済対策でも、休業補償などの対応に遅れ、公明党の要請で、補正予算を組み替えて、全国民に10万円の現金支給を行う方針にやっと辿り着いたのである。緊急事態宣言の全国拡大は、この措置を正当化させるためだとも言われている。
今後もまだ迷走を繰り返すであろうが、世界経済を見ると、大きな曲がり角に来ているようである。おそらく1929年の大恐慌以上のインパクトを経済に与えるであろうが、それよりも今の国際秩序や文明に対する影響が極めて大きいものとなろう。
専制政治が持つ強制力が効果発揮した感染症対策
第一は、今後の国際秩序である。個人の自由や基本的人権を守る民主主義社会は、独裁制などの専制と比べると、都市封鎖などの強硬手段の実行に不向きである。中国は、情報の隠蔽によって、初動が遅れたが、その後は強権的にウイルスを抑え込んで、4月8日には、2カ月半ぶりに武漢の閉鎖を解いた。しかも、5Gなどの先端技術を人の移動の監視に使い、一定の効果を上げている。
都市封鎖を成功させるには、ジョージ・オーウェルの『1984』のような専制国家のほうが適していることは確かであるが、民主主義政治体制が、この専制主義に抗して、勝ち抜くことができるのであろうか。イタリアなどのヨーロッパ諸国、そしてアメリカの惨状を見ていると、ポピュリズムに毒された国ほど、感染状況が凄まじいことが分かる。何らかの関連があるのだろうか。
少なくとも言えるのは、大衆が自らの責任で自由な社会を守ろうとしないかぎり、民主主義社会は、権力によって無知な大衆に命令する権威主義社会に敗北するということである。
ウイルス感染の鎮静化に成功した中国は、遅れて感染被害に苦しんでいる諸国に対する支援外交を展開している。パックス・アメリカーナに挑戦する中国は、パックス・シニカを確立すべくさらに攻勢を強めていく。
ウイルスが露わにした民主主義の脆弱性
世界システム論の観点から歴史を振り返ると、30年間にわたる戦争の結果、覇権国が交代する。今は核兵器の存在で大国間の戦争が抑止されているが、病原体との戦争が30年戦争となるのかもしれない。
2002年にSARS、2009年に新型インフルエンザ、20012年にMERSが流行し、そして今2019年から新型コロナウイルスが蔓延している。おそらく、10年後の2030年頃には、また新たな病原体による感染症が世界を襲うことが予想される。そうすると、人類は病原体と30年戦争を繰り返し、その対応をめぐって、世界の大国が競争することになっている。
次なる病原体の攻撃で、アメリカを中心とする民主主義社会が脆弱さを再び示し、中国の強権主義が世界を救うようになると、パックス・シニカもありえないことではない。それは、ディストピアの世界である。日本は、中国の属国になって生きながらえるのであろうか。
第二は、文明への挑戦である。中世のペストの流行が、封建制度を根底から覆したように、今回の新型コロナウイルスの猛威をまた、今私たちが享受している文明を大きく変えようとしている。
たとえば、在宅勤務である。会議もZoomやSkypeを使って行うようになっており、実は予想したほどの不備はない。買い物も通販がますます盛んになっていくし、貨幣を通じた感染防止のために、キャッシュレス化も進んでいく。大量生産・大量消費という生活様式も見直されていくであろう。
有限な地球資源を惜しみなく使ってきた人類の経済活動が地球の温暖化を招き、ウイルスの発生もそれと関係があるのではないかと言われている。コロナ収束後には、地球温暖化へも真剣に取り組まねばならない。そのためには、私たちの生活様式を根本から見直さねばならないであろう。
<お知らせ>
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