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日本人は無宗教か多神教か〜正月は神社、葬儀は仏式、結婚式はキリスト教式

이강기 2021. 12. 23. 08:40

日本人は無宗教か多神教か〜正月は神社、葬儀は仏式、結婚式はキリスト教式

 

自然豊かな国の八百万の神と砂漠の一神教

 

 

榊原英資 (財)インド経済研究所理事長、エコノミスト

朝日新聞, 2021年12月21日

 

 日本人は無宗教だと言われることもあれば、八百万の神を信じる多神教だと言われることもある。正月には神社仏閣に参拝に行き、結婚式は神社で行う事も、教会で行う事もあり、クリスマスを祝う、節操のない宗教観と評価されることもある。ただ、日本人が歴史的に有していたのはやはり神道だろう。外国から取り入れたものではなく、日本という国に古くから根づいている宗教だ。

ELUTAS/shutterstock.com

実在した天皇は何代から?

 日本最古の歴史書だとされる「古事記」は天武天皇の名で稗田阿礼が「誦習」していたものを太安万侶が書き記し、編纂したものだと言われている。上巻ではイザナギノミコトとイザナミノミコトが天地を創造し、天照大神がこれを継いでいったとされている。これはすべて「神話」の世界だが、紀元前660年2月11日に神武天皇が初代天皇として即位したとされている。神武天皇が実在したかどうかは疑問を呈されており、実在したのは第10代崇神天皇以降、第15代応神天皇、あるいは第26代継体天皇以降とも諸説が存在する。

 大正時代末期には歴代天皇を確定するための基準が定まり、初代は神武天皇から第26代の継体天皇までがリストアップされた。南朝、北朝と別れた時代もあったが、1392年(明徳3年)南北朝合一が実現し、北朝に属する後花園天皇が践祚(せんそ、天子の位を継ぐこと)して、以降、この皇統が第126代天皇徳仁を含め今日の皇室へと続いている。そして、明治時代につくられた大日本帝国憲法第一条によって、「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」とされたのだった。

牧師だった祖父も神社参拝や仏教葬儀に出席

 いずれにせよ、神道は皇室と深く結びついた宗教だと言えるのだろう。そして6世紀半ばに仏教が伝来した後(日本書紀によれば552年)、いわゆる「神仏習合」によって、神道と仏教は融合して一つの信仰体系として再構成され、明治維新による「神仏判然令(神道を国教化し、神仏習合を禁止した法律)」まで、1000年以上にわたり習合の時代が続いた。そして、神仏習合の長い歴史は日本人が神道と仏教双方を日常に取り入れることに繋がっていった。

 正月に神社にお参りし、葬式等は仏教で行うという事が定着していく。筆者の祖父はキリスト教の牧師だったが、正月の神社の参拝や、仏教式の葬式等に特に抵抗はなかった。要するに、本格的クリスチャンではないという事なのだろう。そして、筆者とて、祖父を特に変わった日本人でもないとも思っている。特定の神を必ずしも奉じないという事は多くの日本人が行っている事なのだから。

砂漠の一神教と自然豊かな国の八百万

 一神教(キリスト教、イスラム教等)は砂漠の宗教だと言われる。モーゼがエジプトを出て砂漠を彷徨って生まれたのがユダヤ教、それが次第にキリスト教やイスラム教に繋がっていったのだ。砂漠で一人神と向かい合い、唯一神を信仰していった。

高野山 Sabino Parente/shutterstock.com

 これに対し、自然豊かな日本では、自然そのものが神と繋がっているのだろう。自然の様々な形、それがある種の憧憬,そして、信仰に繋がっていくのだ。多様な自然、そして神々もまた「八百万」の神という事になるのだ。八百万の神を信じるという事は、必ずしも無宗教という事ではない。ただ、唯一神を信じるキリスト教やイスラム教徒とは大きく異なっているのだ。神々はまさに自然に宿っている。そしてそこには多くの神々が住んでいるのだ。例えば、天台宗の総本山は比叡山延暦寺。比叡山の山奥に神は宿っているという。また、真言宗の総本山の高野山金剛峯寺も然りである。