旅路

世界最北の国グリーンランドで広がるイヌイット・ルネサンス

이강기 2022. 1. 17. 16:24

世界最北の国グリーンランドで広がるイヌイット・ルネサンス

 

イヌイットの精神とデンマークの文化的要素が重なるグリーンランド人の暮らし

 

 

ERIKO モデル・定住旅行家

朝日新聞, 2022年01月16日

 
 
 

 筆者がライフワークにしている「定住旅行」とは、国内外のある地域の家庭に一定期間滞在し、生活を共にしながら、家族らの生活やその土地の文化、習慣を配信するというものである。旅することが目的ではなく、現地の人たちの暮らしを体験するための一つの手段として、旅を活用している。

 

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大でしばらくお休みしていたが2021年秋、数年ぶりに再開させた。今回の定住地に選んだのは、世界最北の島グリーンランド。昨今、地球温暖化や資源開発で注目を集めている国だ。

 

 

 おそらく日本人の多くには馴染みが薄いグリーンランドでは今、若者たちを中心に、グリーンランド人の先祖であるイヌイットの文化価値やアイデンティティを再認識する機運が高まっていた。イヌイット・ルネサンスとでもいうべきこうした動きについて、2回にわけてレポートしたい。まずは、グリーンランドの歴史と現在の暮らしぶりについて。

 

                                                       Anton Balazh/shutterstock.com

 

世界最大の島。人口密度は世界最低

 

 最北の陸地にして世界最大の島であるグリーンランド。この国が近年、世界から大きな注目を浴びたのは、前米大統領のトランプ氏の「グリーンランドを買いたい」という発言によってだろう。これによって、影が薄かったグリーンランドの存在が、世界で広く認知されるようになった(南ヨーロッパやアメリカには、グリーンランドの存在自体を知らない人もいるぐらいだ)。

 

 2021年現在、グリーンランド人口は5万6千人。南西部にある首都のヌークには約1万8千人が暮らしている。国土は、南北約2500km、東西1000km、面積183万㎢と日本の6倍。人口密度は世界最低である。

 

 

 島の大部分は氷床と万年雪と岩山で覆われており、人間はおろか、ホッキョクグマさえ住めない環境が大部分を占める。そのため、人びとは沿岸部に集まって暮らしている。

                                        グリーンランドでは人は海から近い場所で居住する(撮影・ERIKO)
 
 

「緑の島がある」と言った赤毛のエリーク

 

 世に言う「バイキング時代」の982年、ノルウェー・アイスランドの首領にして探検家の赤毛のエリークことエイリーク・ソルヴァルズソンが、ヨーロッパ人として初めてグリーンランドの土地を踏んだ。南部で3年の刑期を過ごすためだったが、彼がグリーンランドに到着した年は、たまたま温暖な気候が長く続いていた時期で、沿岸部が緑に覆われていたという。

 

 国に戻った後、周囲の人びとを入植させる謳(うた)い文句として、「緑の島がある」と言ったことから、「緑の島」(グリーンランド)という名がつけられた。現在、デンマーク語、英語では「緑の島」と呼ばれているが、現地の言語であるカラーリット語での正式名は、「カラーリト・ヌナート」であり、「人の島」を意味する。

 

 

アラスカからやってきたイヌイットの人びと

 

 エリークがやってくるはるか昔から、この土地にはイヌイットと呼ばれる人びとが住み着いていた。グリーンランド人の先祖であるイヌイットは、紀元前10世紀ごろにアラスカ沿岸部で発生し、捕鯨を生業とした人びとであった。(チューレ文化)

     チューレ文化。国立博物館に展示されている古代イヌイットの女性と子どものミイラ(撮影・ERIKO)
 
 

 12~17世紀頃、極北地域の寒冷化により氷が増し、彼らが捕食していたホッキョククジラが生息できる地域が狭くなって数が減ってしまった。その結果、人びとはホッキョククジラ以外を狩猟の対象とせざる終えなくなり、獲物を追った結果、居住地がチュコトカ半島からグリーンランドまで広がったと言われている。

 

 私たちがイヌイットの人びとと言えば思い浮かべる「雪の家に住み、アザラシ猟を行う」という生活様式は、15世紀頃に地球の寒冷化に適応すべく形成されたもので、太古の狩猟民文化ではないのだ。

 

 

 1970年代から使用されるようになった「エスキモー」という表現は、クリー、オジブワの単語で「生肉を食べる輩(やから)」という意味があり、差別的な表現があるとして、イヌイット(人間)という名称にとって代わった。ただ、民俗学者のディヴィッド・ダマスによれば、エスキモーの語源はカナダ東部の先住民の言葉で「カンジキを履く人びと」に由来するという説もあり、差別的表現ではないという意見もあるため、エスキモーという言葉を使用している学者もいる。

 

 現在グリーンランドの人びとは、自分たちのアイデンティティを、イヌイットともエスキモーでもなく、「カラーリット」と表現している。

 

 

静かに進められた「デンマーク化」という“同化政策”

 

 イヌイットの人びとがグリーランドに定住した17世紀以降、イギリス、オランダ、イタリアなどのヨーロッパ諸国の捕鯨船が定期的に訪れるようになったが、彼らが永続的に定住することはなかった。1721年、ノルウェー系デンマーク人の宣教師ハンス・エゲデがキリスト教の普及のために訪れたのを機に、デンマークの植民地支配が始まり、1953年まで続いた。

 

 デンマークによる植民地統治では、アメリカやカナダが先住民やイヌイットの人びとに対して行ったような、強制的な言語統制や伝統文化の規制といった政策は行われなかったものの、キリスト教の宣教や、教育のためにグリーンランド人をデンマークに送ってデンマーク語や文化を理解させる「デンマーク化」など、“静かな同化政策”は確実にに進められた。

 

 

 1975年には自治権を獲得。現在はデンマーク領の一部として、外交、防衛、裁判、警察、通貨はデンマークの管轄下にある。

 

 

 グリーンランドの中には、今も植民地化に対して反抗心を抱いている人びとがいる。ヌーク市内のオールドタウンの小高い丘の上にある、海を見つめるハンス・エゲデの像にはたびたび、「脱植民地化」という言葉や悪意に満ちたペンキが吹き掛けられている。また、デンマークで新政権が発足するたびに、グリーンランドは過去の植民地化に対する謝罪を求めている。

  ヌークの街を見守るようにして立つハンス・エゲデの像。ペンキげ吹き付けられることも(撮影・ERIKO)
 
 
 

ダービセンさん家族の家に滞在

 

 230年もの間、デンマークによる植民地支配を受けたグリーンランドの現在の生活様式や彼らの暮らしは、いかなるものだろうか。今回、滞在させていただいたグリーンランド第三の都市・イルリサットに住むダービセンさん家族を例に見てみよう。

                                       グリーンランド第三の街西部イルリサット(撮影・ERIKO)
 
 

 ダービセン夫婦のジョンさんとリザベスさんは、共に片親がデンマーク人とグリーンランド人の混血である。50代半ばである彼らは、グリーンランドが自治を獲得する以前の、デンマーク色の強い教育を受けて育った世代だ。

 

 幼少期には、9年間の義務教育の間にデンマークへ留学する制度が設けられていた。また、ジョン、リザベスのように、この世代のほとんどの人はデンマーク語の名前を持っているが、それは教会が認めた名前のみしかつけることができなかったと言う歴史的背景がある。

 

 

暮らしに息づくイヌイット文化とデンマーク文化

 

                                    イルリサットで滞在したダービセン家(撮影・ERIKO)
 
 

 今のグリーンランド人の暮らしをみると、彼らの先祖であるイヌイットから脈々と受け継がれている精神と、デンマークの文化的要素が折り重なるようにして存在していることが分かる。

 

 ダービセン家の内装に使われている家具は、北欧のインテリア雑誌でてきそうなものばかりである。しかし、置物や装飾としては、イヌイットの伝統的な家族を守るための仮面や、トゥピラックと呼ばれるカリブーやアザラシの骨で作った悪霊像などが並べられている。

 

 食事はどうだろうか。朝・昼食には小麦やライ麦を原料にした様々な種類のパンやデニッシュ、チーズ、肉加工食品など、デンマークで食べられているものと変わりはない。一方で、一日のメインである夕食には、ダービセンさんが猟で獲得したアザラシ、クジラ、カリブー、樺太ししゃもなどが食卓に並んだ。

                        イヌイットの人びとのビタミン不足を予防してきたアザラシ料理(撮影・ERIKO)
 
 

 グリーンランドは、二つの言語が同時に社会に存在する「ダイグロシア社会」である(東グリーンランドを除く)。日常的には主にカラーリット語が使われているが、政府、医療機関などではデンマーク語が優先的に使用されるなど、相手や状況に応じて、二つの言語を使い分けている。ダービセンさん夫婦のジョンさんは、観光客相手の仕事に従事しており、お客さんと話す時にはデンマーク語を使用していた。

 

 このように、住居、食生活、言語などをみると、先祖代々受け継がれているものと、デンマーク文化に影響を受けている部分とが混ざり合っている。(続く)

 

 ERIKO(エリコ)さんは、国内外のある地域の家庭に一定期間滞在し、生活を共にしながら、家族らの生活やその土地の文化、習慣を配信する「定住旅行」をライフワークにしています。新型コロナの世界的な感染拡大でしばらく休止していたが、2021年秋から数年ぶりに再開しました。今回訪れたのは日本人には馴染みが薄いグリーンランド。ERIKOさんがそこで知ったことは……。 「世界最北の国グリーンランドで広がるイヌイット・ルネサンス(上)」と合わせてお読みください。
                                         ヌークの町と山と海 Vadim Nefedoff/shutterstock.com
 

若者を中心に高まる機運

 

 「世界最北の国グリーンランドで広がるイヌイット・ルネサンス(上)」で紹介したように、グリーンランドの生活には、グリーンランド人の先祖であるイヌイットの習慣と、この地を植民地にしたデンマークの文化的要素が、さまざまに重なり合っている。そんななか、イヌイットの文化価値やアイデンティティを再認識する機運が、若者を中心に高まっている。

 

 本稿では、こうした「イヌイット・ルネッサンス」とでもいうべき潮流に関してグリーランドで筆者が感じたことを、三つの例を挙げてレポートしたい。

 

カラーリット語の継承を重視

 

 一つ目は「言語」である。

 

 デンマークは、グリーンランドを植民地とするうえで、言語統制は行わなかった。そのお陰で、今なお彼らの言語カラーリット語が、途絶えることなく子孫へ継承されている。

 

 

 言語を失った民族はアイデンティを保持することが難しい。言語には彼らの先祖が経験した歴史や、その民族が重きを置く価値観が詰め込まれており、民族がアイデンティティを強く感じる重要な役割を担っているからだ。

 

 

 筆者はかつてジョージアに「定住旅行」をしたことがある。コーカサス山脈やワインで知られるこの国は、これまで幾度となく隣国からの侵略を受け、消滅の危機に貧しながらも、自分たちの言語を守り抜いてきた。現在でもジョージア語は、自身のアイデンティを強く感じる対象であり、民族の誇りを持つための大きなよりどころになっている。

 

 

 グリーンランドの若者たちも、言語を次世代に継承していくことに重きを置いている。最近は子どもにつける名前もカラーリット語が圧倒的に多い。

 

子どもとカラーリット語で話す親たち

 

 首都ヌークに家族4人で暮らすアーニャさんは30代後半。彼女には二人の息子がおり、彼らの教育方針についてこのように語ってくれた。

                                     カラーリットの民族衣装を着たアーニャさん(左)と家族(撮影・ERIKO)
 

 「私の両親は私にデンマークの教育を与えました。幼稚園も学校も全てデンマーク語で行われる教育現場で育ったのです。思春期になったとき、自国の言葉であるカラーリット語があまり理解できないことで、自分のアイデンティはどこにあるのかという悩みに直面しました。それを機にカラーリット語を独学で学び始めました。


 息子たちは公立学校へ通っていますが、授業を担当する教師によって使う言語が異なります。デンマーク語で授業をする先生が多い年があったのですが、子どもたちがカラーリット語を忘れてしまいそうになり、ゾッとした経験があります。子供たちには自国の言葉をしっかりと身につけて欲しいので、家ではカラーリット語しか話さないとルールを決めてコミュニケーションをとっています」

 

 こうしたアーニャさんの方針は決して例外ではなく、子どもを持つグリーンランド人の親たちが、子どもたちとはカラーリット語で話すように心がけている姿をよく目にする。9年間の義務教育中に子どもにデンマークへ留学をさせる親は少なくないが、親たちは子どもたちが新しい経験を積むことを願う反面、カラーリット語を忘れてしまわないか心配になるという。

 

 

自分と先祖のアイデンティティを表現するタトゥー

 

 「イヌイット・ルネッサンス」の二つ目の例はタトゥーである。ここでタトゥーを扱うことに、好意的なグリーンランド人はほとんどいないかもしれない。ただ、著者は最大の敬意を持って彼らの文化を紹介したい。

 

 

 その昔、イヌイットの人たちは、顔や手、太ももなどにタトゥーを入れる習慣を持っていた。それらは、初経を迎えた印(しるし)、赤ん坊を迎えるための装飾、先祖のスピリットとの絆を示す象徴など、多様な役割を果たしていた。

 タトゥーは入れる場所や形によって意味が異なるが、女性が太ももに入れるカラフルな模様は、赤ん坊が産まれてきた時に、この世で一番美しいもものを見せるためだと言われている。また眉間の間に一本の線を入れるのは、人を殺したことのある証拠だったという。

     イヌイットタトゥー。イヌイットの人びとは顔や体にタトゥーを入れることで彼らのアイデンティティを表現して きた(撮影・ERIKO)
 

 タトゥーは、それを入れる行為自体にも大きな意味があると考えられる。それはイヌイットの人びとにとって大切な「穴」と深い関係がある。

 

 

 彼らが食糧とするアザラシやクジラが、穴を通じて生命を繋ぐための呼吸することから、穴は神聖なものの一つとみなされ、スピリットホールとも呼ばれる。彼らの民族衣装に使われているカラフルなビーズにも穴があり、邪気を通過させていく働きがあるという。タトゥーも肌に穴を開けて色を入れていくため、スピリチュアルな行為の一つとされるのである。

 

 

 グリーンランド、特に首都のヌークでは、顔や手などにタトゥーを入れている若い人をよく見かける。彼らにとってタトゥーはファッションなどではなく、自分と自分の先祖のアイデンティティを表現するものである。

 

先祖から繫がる生命のバトンを受け継ぐ意思を込めて

 

 グリーンランドに滞在中、タトゥーを入れた人に会うたびに、それについて詳しく聞こうと話しかけたが、こどごとく断られた。グリーンランド人は相手の気持ちを察しながらコミュニケーションをとる傾向が強く、はっきり意思表示をすることは滅多にない。そんな彼らが「NO」と言い切るのは余程のことだ。タトゥーは、自分たちの先祖の背景が理解できない人と共有できるほどカジュアルなものではないのだと知った。

 

 そんなある日、たまたま別の取材で訪れたヌークのグリーンランド天然資源研究所でヴィクトリア・クートゥックさんと言う女性に出会った。彼女はアラスカ最北の街バローの生まれ。研究所では北極圏の温暖化研究を行っている。

                       グリーンランド天然資源研究所で働くヴィクトリアさん(撮影・ERIKO)
 
 

 指に立派なタトゥーがあった。インタビューを終えた後、彼女はその手に持っているタトゥーについて質問することを快諾してくれた。

 

 「これは私の先祖の物語が刻まれているタトゥーです。私の祖父母は毎年夏に何百キロの距離を移動しながらカリブー猟へ出かけていました。ある年の夏、猟の途中で祖父が体調を崩し、数日間の必死の看病もむなしく、亡くなってしまいました。祖母は子どもたち(ヴィクトリアさんの母)を連れて家まで百キロ以上歩きました。途中で食料が底をつき、生死を彷徨(さまよ)ったのですが、無事辿り着けたんです。


 祖母の強い意志とエネルギーがなかったら、私はここにいません。私は彼女のスピリットをあやかりたい気持ちと、先祖の物語、彼らの繋いだ生命のバトンを受け継ぐ自分の意思をタトゥーに込めました」

 

 静かで小さな彼女の研究室で、魂を揺さぶるような壮大な物語に遭遇し、思わず涙が溢れた。先祖を敬う気持ちを持つ人びとと出会えたことは、グリーンランドで得た大きな“財産”となった。

ヴィクトリアさんが持っているタトゥー。山の中で亡くなった祖父、生命を繋いでくれた祖母の物語が刻まれている(撮影・ERIKO)
 

 

カラーリット文化を体験する観光に

 

 最後に例は観光業である。

 

 パンデミック以前、グリーンランドには年間約14万人の外国人が訪れていた。ほとんどが北欧やヨーロッパ諸国からであるが、ヨーロッパ地域以外では、意外にも日本人観光客が一番多い。

 

 グリーンランドで観光が始まったのは1952年、東グリーンランドのイッカテックだった。その後、南グリーンランドを中心に、アイスランドやヨーロッパからの観光客が訪れるようになる。

 

 観光業の開始から80年代まで、グリーンランドの観光運営の中心にいたのはデンマーク人であった。観光客はグリーンランドに来て、自然を満喫しながら、デンマーク風の建物に宿泊し、デンマークの食事を堪能し、カラーリットの文化に触れる機会はなかった。そんな観光運営のやり方に、一人の女性が疑問を抱いた。グリーンランド人のリシー・エゲデ氏である。

                         カラーリット文化を知ってもらう観光をはじめたリシーさん(撮影・ERIKO)
 

 彼女はグリーンランドへ来た人に、グリーンランドのアイデンティティに触れる機会を提供したいと、デンマーク人男性しかいなかった観光協会に地元出身者の女性として初めて加わり、全てがデンマーク式だったグリーンランドの観光業を、グリーンランド人の手によって変えていった。観光客にカラーリットの文化を体感できるアクティビティ、民芸品の販売、現地の食材を使用した食事の提供などを企画、提案し、実施している。

 

 はじめた当初は、観光客相手にビジネスを行ってきた大半のグリーンランド人が、外国人が自分たちの文化に興味を持ってくれるか疑問を持っていたという。そこで彼女はまず、カラーリット文化の魅力を彼らに伝えることから始めたそうだ。

 

 現在、グリーンランド航空の機内はグリーンランドの神話「海の女神」がモチーフにされており、カラーリット文化を体験するアクティビティや食を提供するレストランも現地で増えている。若い人の間にはこうした観光のあり方に共感する向きが強いという。

リシーさんが経営するレストラン。店内に置いてある書籍も全てカラーリットに関するもの(撮影・ERIKO)
 

 リーシーさんは「私たちの文化をイヌイットとデンマークの融合したものだと表現する人もいますが、それは違います。私たちはのアイデンティティは、イヌイットでもデンマークでもない。カラーリットです。私たちは先祖であるイヌイットのスピリットに、デンマーク的な文化要素を受け入れて、カラーリットという私たち独自のアイデンティティを形成していきました。観光で訪れた人にそれを感じてもらえるようにしたい」と強く主張した。

 

メキシコ「インディへニズム」現象と類似

 

 彼らの直接の先祖であるイヌイットのアイデンティ、それと重なるようにして存在するデンマークの文化。植民地時代を経て、今、若者たちを中心に広がるイヌイット文化価値の再認識と運動ともいえる人びとの行動。それは、スペイン支配からの独立を果たしたメキシコ人たちが、メキシコ革命をきっかけにそのアイデンティティを先住民に求めた「インディへニズム」現象と類似するように思えた。

 

 

 人間というものは、住む場所や環境は違えども、同じような境遇を経れば、似通った変化を辿っていくものかもしれない。それを知ることも、「定住旅行」の醍醐味だと思う。