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なぜ日本人は三国志が大好きなのか? 「令和の三国志ブーム」を考察

이강기 2022. 4. 4. 13:23

 

なぜ日本人は三国志が大好きなのか? 「令和の三国志ブーム」を考察

 

こんにちは。三国志好きのニッポン放送アナウンサー、箱崎みどりです。今シーズンは、プロ野球中継の「ショウアップナイター」(ラジオのAM1242/FM93や、radikoでお聞きいただけます!)という番組を担当するのですが、球春と同時に、実は、この春、三国志の波も到来中です!

ここ最近、「三国志」という言葉が、どこからか、あなたの耳に入っていませんか?

 

 

令和初頭の三国志ブーム!

2019年から、曹操の墓からの出土品が目玉となった特別展「三国志」が東京国立博物館・九州国立博物館を巡回、2020年末に公開された福田雄一監督・大泉洋さん主演の映画『新解釈・三國志』は、興行収入40億円超の大ヒットを記録し、最近地上波テレビでも放送されました。

 

2020年9月にリリースされた、シミュレーションゲーム「三國志」のシリーズ35周年記念作品「三國志 覇道」(コーエーテクモゲームス)は、スマホで遊べる手軽さもあるためか、2021年11月時点で、月商10億円を超える大ヒットとなっています。

 

昨年2021年秋からラジオ界では、文化放送で「北方謙三 原作 ネオラジオドラマ 三国志」の放送が始まり、この春、歌舞伎座でかかった三月大歌舞伎の第一部は、「新・三国志 関羽篇」。

 

さらに、4月5日から、TVアニメ「パリピ孔明」がスタートします!

 

私は三国志が好きなので、情報をよくチェックしている方だと思うのですが、令和以降に限っても、展覧会・邦画・ラジオドラマ・歌舞伎・TVアニメと、娯楽メディアを眺めると、そこここに「三国志」が顔を覗かせているのです。

 

私は、趣味で、「日本で三国志がどう愛されてきたのか」を常に調べ、考えているのですが、ここ数年は、「令和初頭の三国志ブーム」と言って良い、盛り上がりを見せています。

 

でも、それは、今に限った話ではないのです!

 

実は、日本と三国志の付き合いはとても長く、娯楽に限っても、三国志は江戸時代から日本人に愛されてきた物語なのです。

 

歌舞伎と三国志の深い関係

例えば、この春、歌舞伎座でかかった「新・三国志 関羽篇」。

 

歌舞伎と三国志の関係は深く、江戸時代から続いています。

 

古くは、二代目市川團十郎が、当時流行した小説『通俗三國志』に夢中になって、関羽の絵について俳句を詠んだり、そのものズバリ「関羽」(後の歌舞伎十八番の一つ)という芝居を作ったりした時期があり、後ほど紹介しますが、その後も、歌舞伎の中で、関羽の存在は、脈々と受け継がれてきました。

 

今回の「新・三国志」は、平成11(1999)年に初演された、スーパー歌舞伎「新・三国志」の再演です。

 

初演は、三代目市川猿之助さんが始めた「スーパー歌舞伎」の7作目で、好評を博し、2年半の間に、全国で9か月も公演を行うという、異例のロングランとなりました。さらには、孔明を主人公とした「新・三国志Ⅱ 孔明篇」(2001年)、オリジナルの人物・謳凌(おうりょう)を主役に三国の終焉を描いた「新・三国志Ⅲ 完結篇」(2003年)と、三国時代の終わりまで、「夢みるちから」をめぐる物語が、スーパー歌舞伎という形で紡がれたのです。

 

なぜ、スーパー歌舞伎の題材に「三国志」が選ばれたのでしょうか。当時のパンフレットなどを見ると、漫画家・榎そのさんが、1993年に雑誌『演劇界』に描いた「二〇〇一年 初春大歌舞伎駆けめぐり」という、未来予想の記事がもとになったと、三代目猿之助さんが語っています。

 

榎さんは、同じくパンフレットに寄せた「『三国志』 発想付記」という記事で、予想は編集の秋山勝彦氏と相談しながらだったことを明かしつつ、「(略)中国の壮大なロマン『三国志』は、二一世紀歌舞伎団(・)を率いる猿之助さんにとってまことふさわしいお芝居だと思いました。」と振り返り、京劇など中国での『三国志』演劇を簡単に紹介、『三国志』が日本人に何となく馴染んでいること、NHKの「人形劇三国志」で物語の全体像が広まったことにも触れています。

 

 

スーパー歌舞伎「新・三国志」の3つのポイント

個人的な話になりますが、スーパー歌舞伎「新・三国志」の初演時、小学生だった私は、漏れ聞こえてくる衝撃的な設定に驚きつつ、観たい、観たいと思っても、観に行くことはできませんでした。

 

そこから、今回の歌舞伎座です!

 

23年経って、当時涙を呑んだ子どもも大人になりましたので、ついに観に行くことができました!

 

一度は諦めた「新・三国志」を、この目で観ることができる喜びと共に、感慨深いポイントがたくさんありました。

まず、劇場。

 

スーパー歌舞伎「新・三国志」の初演は新橋演舞場でしたが、この度、初めて歌舞伎座で上演されました。伝え聞くところによると、歌舞伎の伝統に沿わないとの批判も受けたスーパー歌舞伎(*1)が、第1作「ヤマトタケル」から30年以上の時を経て、遂に、歌舞伎の殿堂で演じられたのです。私は、歌舞伎に関して門外漢ながら、先代猿之助、当代猿翁さんの新しい試み、伝統と革新を融合させようという熱意が、実を結んだように感じます。

 

他のスーパー歌舞伎と共に「新・三国志」シリーズは、「猿之助四十八撰」にも選ばれており、初めは挑戦的と思われた作品も、時を経て、新たな伝統となっていくのでしょう。

 

次に、配役。

 

劉備を演じた市川笑也さんは、初演時も、劉備を演じていらっしゃいました。新聞広告で何度も眺めた、美しい劉備の姿は健在。「新・三国志」の物語の要となる劉備の秘密は、笑也さんの男女のあわいを揺蕩う演技で、自然に、すんなりと、涙と共に受け入れることができました。

 

関羽は、先代猿之助さんから、当代猿之助さんに。そして、張飛は、市川中車さんが、圧倒的な存在感で演じていらっしゃいました。関羽の息子・関平役は、中車さんの御子息、市川團子さん。襲名披露の時の可愛らしい姿から大きく成長された立派な若武者姿に、多くの観客の溜息を誘っていました。

 

「新・三国志 関羽篇」は、諸葛孔明役を演じた市川青虎さんの襲名披露にもなっており、くすぐりの台詞に拍手が!

時の流れがあるからこそ観ることができた、再演ならではの配役です。

 

最後に、ストーリー。

 

これまで、歌舞伎の関羽というと、登場していても、“関羽そのもの”ではありませんでした。どういうことかと言うと、「畠山重忠が関羽の姿で馬に乗って登場(「閏月仁景清」)」とか、「関羽がモチーフになった髭の意休(「助六所縁江戸桜」)」とか、登場人物は日本人で、物語の舞台は日本。それでも、二代目市川團十郎をはじめとする作り手が大好きだからか、観客の人気があったからか、日本を舞台にしていても、登場人物に関羽のイメージが重ね合わされてきたのです。

 

ですから、今回、古代中国を舞台に、関羽が関羽として、歌舞伎の世界を生きている姿を、とても感慨深く思いました。日本と三国志の長い関係が、また、時代の変化が、遠く離れた古代中国に生きた人物を、彼自身として、娯楽演劇のお客様に受け容れさせたのです。

 

『新・三国志』の脚本を書いた横内謙介氏も「(略)中国人だけの話というのが歌舞伎にはあり得ないということです。

 

「国性爺合戦」はあるけれども、あれは、エキゾチズムを導入して面白がらせるという手法でしか出ていないわけでしょう? 中国の話を日本翻案もせず、歌舞伎の手法で歌舞伎俳優たちがやる。しかも京劇のものまで歌舞伎の世界のなかに取り入れて、最終的には全部歌舞伎のなかに持ってきたという。この新しさがいわば二十一世紀にまたがる可能性のあるものかなとも思います」と『夢みるちから スーパー歌舞伎という未来』(*2)で述べています。

 

(*1)新聞の劇評では、概ね好意的に受け止められています。(依光孝明「夢残す宙乗り(ステージ)」『読売新聞』1986年2月7日夕刊、「市川猿之助の「ヤマトタケル」(演劇評)」『朝日新聞』1986年2月17日夕刊、「視覚美あふれる舞台 猿之助の野心いかして(娯楽・演劇)」『毎日新聞』1986年2月24日夕刊、「成功した「ヤマトタケル」(文化往来)」『日本経済新聞』1986年4月2日朝刊、「正統もこなす“異端役者”」1986年7月9日『読売新聞』朝刊)

しかし、「伝統の規矩を超えた新しい形が登場したとき、それに批判の声が集まるのは古典芸能の世界でも同様だ。だから市川猿之助の「ヤマトタケル」は、いち早く“スーパーカブキ”の名乗りをあげた。あんなものは伝統歌舞伎ではない、と言われる前に。」(「「上方芸能」編集次長森西真弓さん―正統と破調のせめぎあいこそ―(交差点)」『日本経済新聞』1987年3月12日夕刊)、「「スペクタクル性は豊かだが、深みに欠ける」「ケレン味が鼻につく」という批判もあるが、新歌舞伎が観客の幅を広げたことはまちがいあるまい。(略)劇界切っての国際人である猿之助は異端視にめげず、「あくまで昔のまま形を変えないで滅びるか、生き続けるために形を変えてゆくか――歌舞伎はいま、二者択一を迫られている」と主張する。/伝統と創造の間で模索する、猿之助に声援を送りたい。」(「新歌舞伎(今日の問題)」『朝日新聞』1987年5月28日夕刊)など、称賛、興業の成功と同時に、批判の声もあがっていたことも伺えます。

(*2)(市川猿之助・横内謙介、春秋社、2001年、67ページ)。
 
 

江戸時代の人々の三国志愛

人物のイメージを借りて、舞台を日本にすること——「翻案」は、歌舞伎以外でも、江戸時代に頻繁に行われていました。

 

小説を例に挙げましょう。洒落本・夢中楽介作著『通人三国師』(天明元[1781]年)では、借金まみれになった孔明、諸借金孔明が、借金から逃げるために来日、持ち前の頭の良さで出世するも、遊郭での遊びが過ぎて、というお話です。三国志の人物たちが、江戸で遊ぶという、今風に言えば、「二次創作・現パロ(現代パロディ)」といったところ。

 

同じく洒落本『讃極史』は、寛政年間中(1789~1801年)の刊行で、千代丘草庵主人作。孔明に蜀を任せ、孔明の草廬(そうろ)、臥龍岡(がりゅうこう)に引っ込んだ劉備改め徳玄の許に、雪が降る中、孫権、そして曹操が訪ねてきて、楽しく話し込み、花街に繰り出す、という平和なお話。舞台は三国時代のはずが、話題になるのは江戸の流行りもの。彼らが繰り出す花街も、きっと吉原なのでしょう。

 

洒落本の『通俗子』(昌平菴渡橋作、寛政12[1800]年)では、宴得(劉備)と不侫(関羽)が、花魁・花扇を取り合い、それを妓女・町妃(張飛)がとりなすというお話になっています。『三国志演義』では、荒々しい猪武者というイメージがある張飛が、遊女になっているという、現代でも珍しい、はじけたパロディ。

 

さらには、全編男女逆転三国志、合巻『傾城三国志』(墨川亭雪麿著、歌川国貞画、文政13[1830]~天保5[1834]年)なども。以前の記事、「張飛が艶っぽい遊女に⁉江戸の人々が遊び倒した『三国志』のパロディ」でぜひ。

 

これらの小説類は、いずれも舞台は日本で、身近な世界に三国志の英雄たちを置いてみているのですね。江戸時代の人々の、三国志の登場人物たちへの愛の深さを感じませんか。

 

 

「異世界転生×三国志」の世界

このように、江戸時代には、小説や絵画、川柳、歌舞伎、見世物、山車、玩具などなど、当時の最先端のメディアや流行、人々の生活の中に、三国志が溶け込んでいました。

 

明治以降も、教科書に載り戦前の国民教育に使われたり、日中戦争中にラジオドラマなどで戦意高揚の一助となったりと、日本人のすぐ側にあった三国志。時代の空気と要請に翻弄されているのも、日本での三国志の一つの姿です。

 

三国志は、様々な作り手の想いや思惑を受けつつ、その時代の最先端のメディアに移植され、時代の空気を写しながら、その場にふさわしいエンターテインメントとして最適化され続けているのです。

 

(三国志と日本の関わりについて、もっと詳しくお知りになりたい方は、ぜひ拙著『愛と欲望の三国志』をご笑覧ください)

 

さて、そんな日本における三国志の最先端の一つが、4月5日からアニメ放送が始まる『パリピ孔明』!

 

ここ数年、漫画界・アニメ界を席巻している「異世界転生」という設定に、三国志を掛け合わせたもの。タイトルもさることながら、東京・渋谷に孔明が“異世界転生”するという衝撃の設定が、三国志の物語、孔明の人柄や人生とうまく重なっていく、素晴らしい作品です。思えば、これも、舞台は日本ですね。

 

漫画『パリピ孔明』の素晴らしさについては、以前記事を書きましたので、「三国志が好きだけど、パリピってちょっとどうなのかと思っている」という方は、特に読んでみてください!(笑)

 

 

三国志ブームの根っこにあるもの

なぜ日本では、何度も三国志が娯楽作品に取り入れられ、ブームが起こるのでしょうか。その理由の一つに、江戸時代に花開いた日本での三国志が、一定の三国志好きを再生産してきたこともあると思っています。

 

冒頭にご紹介した、今の三国志ブームの根っこにあるのは、これまでの偉大なコンテンツの数々。吉川英治の小説『三國志』、横山光輝の漫画『三国志』、NHK「人形劇三国志」、光栄のシミュレーションゲーム『三國志』などなど。そして、それらのベースとなっているのは、江戸時代の『三国志演義』の翻訳『通俗三國志』であり、そこから生まれた芸能や文芸、江戸時代以来、庶民の世界に息づいた三国志の世界なのです。

 

三国志や、その派生作品に触れて育った世代が、新たな三国志作品を紡ぎ、愛してきたのではないでしょうか。

 

異世界転生に、パリピ、バディもの、音楽シーンのアレコレなど、今の風俗・流行と、骨太の三国志愛が絡み合うパリピ孔明を、どうぞお見逃しなく!

 

 

<参考文献>
上記の文中で紹介したもの、拙著『愛と欲望の三国志』の参考文献に加えて
新橋演舞場宣伝部編「四・五月ロングラン公演 スーパー歌舞伎 新・三国志(劇場パンフレット)」1999年
市川猿之助『スーパー歌舞伎』(集英社、2003年)
伊達なつめ『猿之助 夢見る姿 スーパー歌舞伎『新・三国志』のできるまで』(中央公論新社、2003年)
井上謙「スーパー歌舞伎―「新・三国志」」完結篇を観る―」(『曙光』vol2 no.1 2003年、62-71ページ)
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