北韓, 南北關係

北朝鮮の金づるも今は昔、苦境に陥る朝鮮総連に金正恩氏が感じている不安

이강기 2022. 6. 4. 21:23

北朝鮮の金づるも今は昔、苦境に陥る朝鮮総連に金正恩氏が感じている不安

 

朝鮮総連の第25回全体大会に送った長文書簡のその中身

 
 
JB Press, 2022.6.4(土)
 
 

                                                北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長

 

 去る5月28日、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)総書記は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第25回全体大会に、長文の書簡を送った。その内容は、過去、金日成(キム・イルソン)や金正日(キム・ジョンイル)が、朝鮮総連全体大会に送ったものと、あまり違うところはない。

 

 だが、その頃とは世の中が変わり、朝鮮総連の世代交代が進んでいる。


本来であれば、組織の役目も変わるべき状況にあるが、朝鮮総連に対する北朝鮮の態度は以前と全く変わっていない。

 

書簡にも、朝鮮総連を北朝鮮の永遠の傀儡組織として飼い慣らそうとする意図が表われており、怒りを通り越して大爆笑してしまった。

 

 北朝鮮体制の正当性を確立するため、金日成中心に歴史を捏造するのは当然として、朝鮮総連のアイデンティティと、そのルーツも実際のものとはまるで違う話に作り替えられている。その内容を、朝鮮総連の同胞や国際社会がそのまま信じると思っていることが、本当にバカバカしい。

 

 書簡で、金正恩は朝鮮総連のルーツに対し、以下のように言及した。

「顧みれば、革命の聖山、白頭山に根元を置いた在日朝鮮人運動が、主体の軌道に確かに入った、総連結成のその日から、今日に至る長久な旅程には、継承と革新、前進と跳躍の分岐点になった全体大会が、誇り高きものとして刻み込まれている」

 

 浮かび上がった雲をつかむような、抽象的な用語を駆使して綴られた北朝鮮式の宣伝文に慣れていない外部の人々は、これがいったい何の話なのか、わからないだろう。

 

 簡単に説明すれば、「いわゆる北朝鮮の革命とは、金日成が革命の聖山、白頭山から革命運動を始めたという(まやかしの)歴史に始まっている。日本の朝鮮総連も同じように白頭山から始まり、その軌跡は北朝鮮、金日成と共に歩み発展して来た。その活動は北朝鮮の国民に深く認知され刻み込まれている」という意味である。

 

 朝鮮総連は金日成が組織した組織で、北朝鮮の配下として、総連に属する人々が今日まで忠誠を誓っているということを言っている。

 

 

力道山の親戚だった伯父さん

 ただ、私が知る限りでは、朝鮮総連の起源は、白頭山すなわち金日成とは全く関係ない。1945年の終戦と朝鮮半島の解放後に結成されたもので、右も左も関係ない、朝鮮総連の起源は全国在日朝鮮人組織「在日本朝鮮人連盟」である。

 

 しかし、日本の連合軍司令部によって「暴力主義的団体」に指定され、金天海(キム・チョンヘ)や韓徳銖(ハン・ドクス)など、主な幹部が公職追放となり、翌年解散させられた。

 

 それ以降、朝鮮人団体協議会、祖国統一戦線実行委員会などが命脈をつなぎ、1951年、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)が組織され、その行動隊として祖国防衛委員会(祖防委)があったということだ。

 

 私は、このような内容を母方の伯父から直接聞いた。在日朝鮮人の伯父は、1987年から3回故国を訪問し、北朝鮮の咸鏡南道咸興市と故郷である新浦市に立ち寄っている。

 伯父から聞いた朝鮮総連に関する話は、現在、全く同じ内容をインターネットで検索することができる。

 

 伯父の名は、陣溟根(チン・ミョングン)。日本の伝説的なプロレスラーである力道山こと金信洛(キム・シンラク)氏の親戚で、1942年に一緒に日本に渡った同士である。

 

 金信洛氏の唯一の同郷の友として、彼が亡くなるまで、喜怒哀楽をともにした真の親友だ。1980年初めに、力道山がどういう人物かを教えるために『もう一人の力道山の回顧者』という本を私にプレゼントとして持ってきてくれた。

 

 伯父は、故郷訪問時、故郷の親族のうち、唯一の大学教授であった私に、本当に多くの話をしてくれた。

 

 朝鮮半島の解放後、伯父はすぐに朝鮮人の政治的利益を代弁する自然発生的な組織「在日本朝鮮人連盟」を創設するために、熱血青年として昼夜、日本全域を駆け巡り、同胞糾合運動に身を投じた人物であった。

 

 今は故人だが、伯父さんを通じて、私は朝鮮総連の本当のルーツを知った。

 

 

総連が朝鮮労働党統一統戦部225局の下部組織である意味

 解放後、韓国や北朝鮮と同様に対立し、離合集散を繰り返した在日同胞社会ではあったが、1954年8月に、北朝鮮の南日(ナム・イル)外相が「金日成の言葉」として在日朝鮮人を北朝鮮の人間とする韓徳銖を支持する声明を発表。その声明を受け、日本の在日社会も1955年に民戦と祖防委を解体し、その年の5月に、現在の「在日本朝鮮人総連合会」を新たに発足させた。

 

 総連は、創立初期には韓徳銖など6人の集団指導体制だったが、1958年から韓徳銖の一人体制として改編された。

1970年代初頭、金炳植(キム・ビョンシク)副議長が現れたが、1972年に韓徳銖と対立。金日成の介入で失脚して北朝鮮に強制連行された。

 

 1975年以降、在日本大韓民国民団による母国訪問事業により、民団へ転向する事例が増え、2013年以降は、朝鮮労働党統一戦線部の傘下にある第225部(旧対外連絡部)の指導を受けている。

 

 統戦部225局の下部組織ということは、これは、日本に基盤を置いた、典型的なスパイ組織であることを意味している。

 金正恩氏の書簡で、本当に驚いたのは、朝鮮総連による民族教育の基本として、誰が首領で、どこが祖国で、どの民族であるのかを明確に示せと力説した部分だ。海外の僑胞団体に対して、首領に対する忠誠心を強調する例が、世界中のどこの国にあるのかと思う。

 

 もちろん、北朝鮮国内では、首領への忠誠心は、精巧な洗脳と暴圧で実施されているが、それを厳しい生活を強いられている日本の朝鮮総連にも強要しているからだ。

 

 個人の自由を享受できる日本の中で暮らしている総連の若い世代は、この文面を見てどのように受け取るだろうか。

 

 

先細る一方の朝鮮総連

 さらに、金正恩氏は書簡で総連復興の新しい時代を開こうと力説し、そのためには、同胞たちの心をとらえ、彼らの精神をしっかり把握しなければならないと強調した。

 

 過去には、70万人の在日同胞社会を牛耳る朝鮮総連に北朝鮮の思想を植え付ける主体思想化を進めるよう力説した書簡もあったが、今は、北朝鮮の窮状を在日同胞の同情心に訴える以外に方法はない、それができなければ、北朝鮮の経済基盤や国民生活が死活問題になるということを認めたようなものだ。

 

 今日、朝鮮総連は断崖絶壁に立たされており、日本での政治的影響力はほとんどなくなっている。その事実を隠すことができなかったということだろう。

 

 このままでは、年月が経てば経つほど、朝鮮総連は先細りになるだろう。

 理由は、いくつかある。総連は、事実上、北朝鮮当局の下部組織として動いているが、北朝鮮の経済は韓国にますます後れを取っている。北朝鮮の住民とは異なり、この事実を在日同胞は誰もがよく知っている。

 

 また北朝鮮は、核兵器や長距離ミサイルの開発によって、国際的な信用が地に落ち、国連による強度な経済制裁を受けることになった。これにより、本国だけでなく、出先機関である朝鮮総連にも非難が殺到している。総連に対する日本当局の態度は、非常に非協調的だ。

 

 さらに、朝鮮総連の財政状態は完全に破綻しており、資金の調達自体が不可能だと言われている。総連は、過去には毎年、巨額の祖国支援金を北朝鮮に送っていたが、今では逆に、北朝鮮からの工作資金で、細々と運営を維持している状態だという。

 

 朝鮮総連に所属する「朝鮮籍」同胞の数も、毎年減少している。70年代には、日本にいる約60万人の在日朝鮮・韓国人のうち53万人が総連に籍を置いていたが、今ではたったの3万人である。老人だけが残っていると言っても過言ではなかろう。

 

 実際に、日本の法務省が2019年9月に発表した在留外国人統計では、2018年12月現在における「朝鮮籍」人口は2万9559人で、過去3年間で、11.5%、4380人が減少した。

 

 このように、朝鮮総連は既に存続の危機に陥っていて、金正恩氏にとっても、貴重な海外スパイ組織のような存在である総連の存続を心配するのは当然のことかもしれない。

 

 ただ、以前のように総連から寄付を得るのは、夢のまた夢でしかない。

 

 金正恩氏が、今回の書簡で総連復興の新時代について言及したのは、今後、朝鮮総連が北朝鮮との関係を清算し、在日朝鮮人たちの利益を保護し、人権や生存権、発展権を保障する、民主主義的な民族団体に変貌するような、そんな新しい時代が来ることを憂慮したからではないのだろうか。