日本, 韓.日 關係

社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年 - 毎日新聞 社説

이강기 2015. 9. 11. 16:33
社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年 - 毎日新聞 社説    
 

社説 1 :孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年

毎日新聞 2012年04月28日 

 

 30年で1世代というから、60年だと2世代になる。敗戦で尾羽(おは)打ち枯らした日本が独立を取り戻したのは60年前の1952年4月28日だ。この日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効し、日本は国際社会に復帰した。そして今日、3世代目の第一歩を踏み出す。

 講和と安保は、戦後日本の「国のかたち」を決めた。領土の放棄、西側の仲間入り、東京裁判の受諾。その一方、沖縄を米国統治に委ねたのもこの日である。沖縄は本土に復帰し、来月で40年を迎えるが、今も基地問題の重圧に苦しむ。正の部分も負の部分も含め、戦後日本の歴史はこの日から始まったのだ。

 ◇排他的ではない国に

 ともあれ戦争の廃虚の中から立ち上がった日本は、わずか2世代で平和で豊かな国になった。先人たちの努力に頭が下がる思いだ。

 その日本がいま、大きな曲がり角に立たされている。政治のゆらぎ、経済の低迷、人口減による少子化・高齢社会。原発事故処理や今後のエネルギー社会の見直しなど、かつては想定しなかった難題も山積している。なのに先行きが見えない。国が制度疲労を起こしている。

 60年もたてば、国家のシステムにさまざまなほころびが生じるのは当然である。であるなら、必要なのは新しい「国のかたち」のあり方をみんなで考えることだろう。この社説シリーズで、私たちはいくつかの前向きな提言をしてみたい。

そのためにも、まず60年前の原点にもう一度立ち返ってみよう。なぜ私たちは、あのような無謀な戦争をしてしまったのか。再び国を破滅に導かないためどうしたらいいのか。戦争から講和、復興へと続く歴史を振り返ることで、そうした問いへの手がかりが浮かんでくる。

 一つ目は、資源に乏しく、海に囲まれた通商国家として生きていかなければならない日本は、国際的孤立を再び招いてはならない、ということだ。戦前の日本は国際連盟脱退など唯我独尊の軍国主義で世界から孤立し、戦争で滅びた。開かれた国益を国際協調主義で守っていくことにしか、日本の未来はない。

 国際協調を阻害するのは、各国の狭いナショナリズムである。愛国心はむろん大事だが、排他的なナショナリズムは、摩擦と対立しか生まない。協調すれば得られる利益がことごとく失われ、結果的に日本も世界も損をすることになる。

 憲法の前文は「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と記している。世界とつながっていることが、日本の国益になる。これはどの国にもあてはまる真理である。そうした機運をもっと世界に広げたい。

 二つ目は、米国、中国と長期的で安定的な関係を維持できるかどうかが、日本の将来の安全保障を決定的に左右するということだ。

日米中の距離は、歴史的に米中関係の変化によって左右されてきた。「日米関係は米中関係である」と言われるように、米中関係抜きの日米関係も、日中関係もない。

 太平洋をはさむ日米の絆は、日本だけでなく地域全体の安定の礎である。また、中国の成長なくして日本の成長は見込めないのだ。

 ◇日米中の戦略対話を

 中国をアジア太平洋の開放的なネットワークに取り込み、乱より和こそ利だと日中両国が常に確認しあうことが、小さな摩擦を大ごとにしない知恵というものだろう。

 対立をもたらすのは互いの疑心暗鬼と誤解である。その意味で、玄葉光一郎外相が提起した日米中の戦略対話は良いアイデアだ。日米中の首脳定期対話が実現すれば、地域の安定に大きなプラスになる。沖縄の米軍基地問題を、そうした枠組みの中で協議することもできる。

 三つ目は、世界秩序の変革期における政治的リーダーシップの重要性だ。講和と安保に調印したのは「戦後を作った政治家」と呼ばれる吉田茂元首相である。政治指導者が国際情勢認識を誤り、明確なビジョンと判断力を持たなかったら、日本の戦後の繁栄と安定はなかったかもしれない。そして何より、国民が総力を挙げて国の再生に汗を流そうとはならなかったかもしれない。

 今は60年前に匹敵するような、時代の転換期である。民主党も自民党も、内向きの政争にうつつを抜かしている余裕はないはずだ。

講和条約発効の52年、のちに米国務長官となるジョン・フォスター・ダレス氏は、フォーリン・アフェアーズ誌への寄稿論文で、日本をアジア太平洋の集団安全保障体制に組み込むにあたってこう書いた。「米国はそれを日本に強要しているのではない。我々は日本の参加にドアをあけているだけであり、選択の自由は日本そのものの手にある」

 まさに選択の自由は私たちの手にある。世界から孤立せず、日米同盟を基軸に、中国との絆を強め、地域の安定を図る。それが私たちの繁栄の基盤だという確信を、与えられたものではなく、自ら選びとったものとして羅針盤に据えたい。

 

 

社説 2 :国のかたちを考える 議会再生 参院改革が本丸

毎日新聞 2012年04月29日 

 

 イタリア、モンティ内閣の奮闘は財政再建のみならず、私たちに多くのことを問いかける。経済学者の首相以下、政治家が一人も入らぬ「仕事師集団」が増税、年金改革に正面から取り組み、国民からなお一定の支持を得ている。

 日本では、政治のプロのはずの国会議員の閣僚がまたも参院で問責決議を受け、国会は旧態依然の審議拒否騒ぎに翻弄(ほんろう)された。

 政治を動かす歯車がどこか狂っているのではないか。国政進出を目指す「大阪維新の会」が首相公選制導入を主張するなど、統治の姿をめぐる議論がこのところさかんだ。政治の仕組みに対する問題意識の広がりと無縁ではあるまい。

ねじれ常態化に備えよ その中でも、参院のありかたを優先して考えることを提案したい。

 ここ6年連続で日本の首相は交代し、「決められない政治」が続く。すべてをシステムのせいにすることは短絡だ。だが衆参与野党の「ねじれ」が停滞の一因となり、参院の「抑制と補完」のあり方が問われていることは否定できない。

 日本の両院制は衆参両院とも直接選挙で議員が選ばれ、議院内閣制の下で権限が全体的にほぼ同等な点で異色である。

 確かに憲法は首相指名、予算案審議や条約の承認、法案の再議決などで衆院の優位を認めている。逆に言えばそれ以外はほぼ対等で、参院の権限は強い。かつて自民党が参院の政党化を進め「衆院のカーボンコピー」とやゆされるほど衆院との同一化を進めたゆえんである。

ところが89年参院選を境に自民党支配が揺らぎ、やがて参院対策が連立など政権の枠組みを左右するようになった。自民、民主が05年、09年衆院選でそれぞれ圧勝すると次の参院選で揺りもどすような大敗を喫し、政権は「ねじれ」の克服にあえいでいる。

 現在の与党は衆院再議決もままならず、参院が法案の命運を握る。3年ごとの改選で同じ政党が続けて単独過半数を制することは難しく、ねじれは常態化する可能性がある。

 与野党が慣行作りに努力することでかなりの混乱を回避することは可能だ。予算の財源に関する法案、国会同意人事について衆院議決を優先することや、閣僚の問責決議後に審議拒否戦術を用いないルールを合意するだけで国会は様変わりする。

 憲法が定める両院協議会が機能していない点も問題だ。各院議決の多数派だけ出席する方式の見直しや、成案を得る要件を緩和するなどの方策を速やかに講じるべきだ。

 そのうえで腰を据え、衆参両院の役割と機能を議論してはどうか。選出方法が異なるゆえに役割が違うというのが本来、2院制の意義のはずだ。だが、今の日本は逆の悪循環に陥りつつあるようにみえる。

連邦制下のドイツは公選を経ない地方代表で連邦参議院が構成され、州に関する案件に権限を持つ。もちろん日本と事情はことなるが、わが国でも47都道府県を数ブロックに再編する「道州制」論が本格化しつつある。参院に地方代表としての性格を強め、衆院との役割分担を再定義したうえで党議拘束を外す方向もあり得るのではないか。

 現在の衆参両院を前提としても、法案の衆院再議決に必要な多数を「3分の2以上」とする要件の是非も議論に値しよう。

両院の役割再定義を 首相を選ぶ衆院のあり方も論ずべきことは当然だ。違憲状態の「1票の格差」是正をきっかけに浮上した選挙制度見直しに与野党がどうのぞむかが問われている。

 小選挙区比例代表並立制の下、5度の総選挙が行われた。2大政党化が進んだ半面、多くの議員が選挙の生き残りに追われ、骨太な議論がしにくくなった。政党交付金の存在は不自然な離合集散を誘発している。

 小選挙区制の功罪を率直に検証すべき時期だ。中選挙区制復活や、比例代表で中小政党が有利な小選挙区比例代表連用制導入を求める声もある。まず「1票の格差」を是正し、ある程度の数の政党が存立し得る制度を前提に議論すべきだろう。

ねじれが問題だからといって、一足飛びに1院制や参院廃止論などに飛びつくのは乱暴だ。衆参両院の果たすべき役割、選挙制度をしっかりと論じるべきだろう。

 現憲法のGHQ(連合国軍総司令部)案は1院制だった。だが、日本側の意向で修正され、今の衆参両院が形づくられた。

 GHQが制定過程に深く関与したことを改憲理由とする「押しつけ論」は根強い。だが、言わば日本が主導した衆参両院のあり方が論点として意識されていることは示唆的だ。

 一層の国際化、分権が迫られる日本にふさわしい統治のかたちは何か。論憲を通じ主体的に考えることは、将来の世代への責任である。

 

社説 3 :国のかたちを考える, 不信の根源 政党を問い直せ

毎日新聞 2012年04月30日 

 

 「総選挙」といえば、最近は衆院選ではなく、アイドルグループ・AKB48の新曲を歌うメンバーなどを競う「選抜総選挙」を連想する人が若い世代には多いかもしれない。昨年の総投票数は116万票余。もちろん政治と同列には扱えないが、前回参院選(10年7月)での新潟県や長野県の総得票数に匹敵する数と聞けば、その人気に驚く。

 「AKB」の投票権はCD購入者らに与えられ、あざとい商法との批判がある。だが、投じた1票の効果がすぐ形になって表れ、握手会やブログを通じ投票者とメンバーがつながるなど現実の選挙では味わえない充実感があるそうだ。ファンがアイドルを育てているふうでもある。

 ◇まず党首選の見直しを

 芸能界だけに関心が集まる現状を嘆く前に、改めて考えてみたいことがある。今なぜ、政治不信が国民全体に広がっているのかである。

 毎日新聞の直近の世論調査によれば、民主党の支持率は15%、自民党が17%で、「2大政党」といっても合わせて約3割に過ぎない。「支持政党はない」という層は同調査で50%。全党合計しても有権者の半分程度の支持しかない国会の現状は、政党政治の深刻な危機といっていい。

 民主党政権は期待倒れ。不毛な与野党攻防も終わらない。理由は山ほどある。だが、そもそも政党とは何か。その基本がなっていないのではないか。結局、そこに行き着くのではなかろうか。

理想とする国の姿を共有し、政策を練る。政策の実現のためにリーダーを選び、選挙で国民の支持を訴える。政党とは実際に政治、政策を動かすためにある組織だ。

 ところが民主党政権はかつての自民党と同様、次々と党首を代えても一向に結束しない。党内の激論はあっていい。しかし、消費増税をはじめ何度党で決定しても、決めたはなから反対論が噴き出すように党の決定(党議)の仕組みさえあいまいだ。「国の統治」以前に「党の統治」ができていないということだ。

 選挙制度の見直しなど政治改革論議が始まったのはリクルート事件などで自民党に批判が高まった1989年だ。政権与党であり続けることだけが目的化した自民党の「個人の集まり」的体質から脱皮し、どの政策を優先し、実現させるかで競う政策・政党本位の選挙に。政治改革とは実際には政党改革だったはずだ。にもかかわらず小沢一郎民主党元代表をはさんだ「小沢対反小沢」の怨念(おんねん)じみた権力闘争が今もなお続く。

 現状を打破しようというのだろう。橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会が打ち出している首相公選制導入は、古くは中曽根康弘元首相、最近では小泉純一郎元首相が提唱したように決して新しい議論ではない。公選制にすれば有権者の関心が高まり、責任も増す。有権者に直接選ばれた首相ならもっと指導力を発揮できるといった期待がある。

ただし、公選制導入には憲法改正が必要だ。公選首相になった場合、国の元首は誰か、天皇制との関係から反対論がかねてあり、単なる人気投票に陥る懸念もある。さらに一歩進めて大統領制にした場合には、米国にみるように、議会とのねじれが生じる場合もある。与党をきちんと統治し、議会の多数派を握れば、一時期の小泉政権のように議院内閣制下の首相の方が強い権限があるという見方もあるのだ。

 ◇リーダー育てる風土に

 それらを考慮すれば当面は今の憲法の枠内で、まず政党の党首選びを充実させた方が現実的だ。仮に将来公選制になるとしても、その候補を選ぶのは基本的に政党だ。

 例えば09年の政権交代前、鳩山由紀夫氏を首相候補として代表に選んだ民主党の代表選は、小沢元代表の辞任表明のわずか5日後。これでは政策論争し、党の方向性をまとめるのは土台、無理だ。

 当時も党内には「マニフェストに盛り込んだ政策の財源は本当に確保できるのか」という懸念があったが、その後も詰めた論議はされなかった。政権の迷走はここに始まる。

 各党の党首の任期は衆院議員任期に合わせ4年とし、いったん選んだら安易に代えないルールも作る。そのうえで少なくとも1カ月近く党首選を続けてはどうか。メディアにさらされ続けることで候補者も成長するし、有権者が候補者の資質を知る機会にもなる。投票に参加できる党員がもっと拡大すれば事実上の「首相(候補)公選制」になる。

私たちメディアも、そして有権者も、もう少し長い目で政治のリーダーを育てる意識を持ちたい。

 橋下氏らが「政治塾」をつくり、人材発掘や育成に乗り出す一方、経済界や学識経験者らで作る「日本アカデメイア」という団体も今年発足した。既に野田佳彦首相や自民党の谷垣禎一総裁を招いて意見交換し、今後も各党の幹部候補を招く。

 リーダーが育たないのは政党だけの責任ではない。経済界なども政治に文句をつけるだけでなく責任を共有したいとの思いがあるという。こうした動きも定着させていきたい。

 

 

社説 4 :国のかたちを考える, PKOもっと広く深く

毎日新聞 2012年05月01日 

 

 自衛隊の海外活動に対する国民の信頼は、かつてなく高まっている。内閣府が1月に実施した世論調査では、自衛隊の国際平和協力活動について「大いに評価する」が32.0%、「ある程度評価する」は55.4%だった。合計は9割近くになる。

 自衛隊などの国連平和維持活動(PKO)参加を目的とする国際平和協力法(PKO協力法)の成立から20年。国際社会で高い評価を受けたカンボジア、東ティモール、ハイチなどのPKO参加とその成功が、国民的支持の要因だろう。

 このPKOを軸とする平和協力活動、政府開発援助(ODA)を中心とする経済支援を2本柱に、国際貢献をさらに広く、深く展開することが日本外交に求められている。

 ◇「人間の安全保障」掲げ

 国連が「人間の安全保障」という考え方を打ち出したのは1994年だった。キーワードは、紛争や抑圧のない社会を目指す「恐怖からの自由」、経済・社会面の困窮のない状態を指す「欠乏からの自由」である。

 伝統的な「国家の安全保障」と異なり、安全保障の対象は、国家、主権でなく人間の生命、生活、尊厳であり、それを実現する手段は、軍事というより「持続可能な人間開発」のための非軍事を重視する。

 日本政府は、90年代後半から「人間の安全保障」に理解を示すようになり、2000年の国連ミレニアム総会では、当時の森喜朗首相が日本外交の柱にすると宣言した。

しかし、「人間の安全保障」に関する国内の検討は、ODAなど経済支援が中心で、PKOをその視点から考え直す議論は希薄だった。

 冷戦時代、国家間紛争への派遣が過半数を占めたPKOは冷戦後、派遣数が大幅に増加するとともに、国内紛争や破綻国家の紛争処理、紛争・災害後の国造りが中心になった。対象も目的も大きく変化した。

 それに伴い、活動内容は、停戦監視や兵力引き離しなど軍事的活動だけでなく、治安・秩序維持、インフラ整備や選挙支援、社会・経済復興支援など国家建設、人道支援など広い分野にわたるようになった。

 こうした紛争後の国造りに必要な「平和構築」の取り組みには、平和維持に力点を置く旧来型のPKOでなく、個人の生存や生活を脅威から守る「人間の安全保障」の考え方を取り入れたPKOが有効となる。

 憲法上、軍事面の自衛隊の海外活動が制約されている日本にとって、平和を定着させるための復興支援、インフラ整備、行政機構支援などは力の発揮できる分野であり、日本のPKOを「人間の安全保障」の有力な具体策として再定義することは、活動の意義をより明確にし、活動分野の拡大に結びつく。

しかし、活動の一層の展開には、PKOへの参加条件を定めた「5原則」の見直し検討が必要になる。対象国内の対立勢力が多数であれば、すべての勢力の「停戦合意」取り付けや「中立性」確保が難しい場合も考えられる。「受け入れ国の同意」を得ようにも国を代表する政府が存在しない破綻国家であるかもしれない。平和構築の前提となる治安維持を担当する時や、PKO活動にあたる国連職員らの身を守るために、武器使用が必要になることも想定される。議論は、PKOへの積極参加を前提に進めるべきだろう。

 ◇ODAの反転増額を

 日本政府は、03年のODA大綱改定で「人間の安全保障の視点」を基本方針の一つに加えた。ODA政策の立案から実施に至るまで人間中心の考え方を重視することを表明したものだ。重点課題には、貧困削減や持続的成長の支援などのほか、平和構築を盛り込んだ。97年をピークに漸減傾向だったODA額の反転を目指す政府の決意表明でもあった。

 しかし、その後もODAは減り続けた。13年連続の減少となった今年度予算は、ピーク時の48%だ。90年代に世界1位だった支出総額は5位に転落した。国民総所得比では、経済協力開発機構(OECD)の主要国23カ国中20位、日本より下位はギリシャ、イタリア、一昨年に主要国メンバーに加わった韓国である。財政事情に苦しむ英仏両国も増額している中での日本の減額である。

東日本大震災を経験し、途上国を含めた各国の温かい支援の重みを痛感した日本だからこそ、ODAによる途上国支援の先頭に立たねばならない。そして、それらの国々との交易は日本経済の成長にもつながる。人間中心の支援の理念を再確認し、ODA増額に転じるべきだ。

 「人間の安全保障」に基づくPKO、ODAの深化、拡大は、「国家の安全保障」では対処しきれなかった分野の脅威や危険要因に対処するものだが、紛争国や破綻国家、途上国の安定・成長は、日本自身の安全保障の強化にも結びつく。

 「経済大国」の看板を力の源泉としてきた日本外交は、財政悪化と経済停滞によって、その手法に限界を迎えている。「人間の安全保障」の実践は、日本が国際政治で発言力を確保する新たなアプローチを提供することにもなる。