戦後70年を迎える 2015年の日中韓関係
2015年02月02日(Mon) 岡崎研究所
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アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)のオースリン日本研究部長が、12月30日付ウォールストリート・ジャーナル紙掲載の論説において、第二次世界大戦終結70周年に当たる2015年に日中韓は今までにない政治手腕をもって歴史問題から解放されるべきである、としつつ、その実現性には悲観的な見通しを示しています。
すなわち、2015年には第二次世界大戦終結70周年を迎えるが、アジアでは歴史問題が厄介の種になり得る。日中韓の関係が近年最悪に冷え込んでいる時に終戦記念日を迎えることになる。長年にわたる相互の悪感情、不信、憎悪の結果、よほどの政治的手腕がなければ、大衆の騒乱、予期せぬ紛争の可能性がある。未解決の領土問題の存在は破局を惹起しかねない。特に日本は、中韓と対立しているので、懸念すべきである。
習近平は12月に南京大虐殺記念日の式典に出席することで、2015年にどういう姿勢をとるか示した。中国当局は、過去の戦争を民族的誇りの中心に据え、今日の日本を事実上の敵国として大衆の心に植え付けている。
日本のナショナリストによる南京大虐殺やそれに類する残虐行為の否定や、日本の過去の戦争犯罪への謝罪の見直しを示唆するような日本政府の曖昧な発言が、中国の民族主義的な指導部を勢いづかせ、日韓関係を凍り付かせている。
70年間、東アジアは歴史の罠に囚われており、果てしなき憎悪に落ち込んでいる。中韓の世論調査は、民主国家日本を最大の脅威と位置付けている。
悪い関係だけでも懸念に値するが、民族主義的情熱が地域の海に溢れ出している。東シナ海では、中国が尖閣への日本の支配に挑戦している。日本海では、日韓が竹島の領有権を争っている。双方の船の衝突のような小規模な事故でも、制御不能になり得る。
2015年に必要なことは、これまで東アジアに欠けていたタイプの政治的手腕であり、各指導者は、感情を鎮静化させ未来志向になるための重要な役割を果たすべきである。
安倍総理は、戦争についての最大限の謝罪をすることを考えるべきである。安倍総理は、日本の戦争犯罪を明確かつ詳細に認めることで、新たなページをめくり、アジアにおける協力強化、市民社会の強化に回帰することができよう。習近平は、自由民主主義の日本がアジアの平和に対する脅威ではないことを認め、新しい協力の時代を約束すれば、東京から好意をもって迎えられよう。韓国の朴槿恵大統領は、日本をアジアの最も緊密なパートナーとして受け入れ、対北朝鮮から日米韓の連携強化に至るまで、中身のある協力にコミットすべきである。
これらはいずれも必要なことだが、どれも実現しそうにない。必要とされる指導力が無ければ、反日暴動、海上での事故、地域的危機が起こったとしても驚くに値しない。憎悪の感情が長く続き過ぎた、と述べています。
出典:Michael Auslin,‘East Asia’s Struggle With the Past’(Wall Street Journal, December 30, 2014)
http://www.wsj.com/articles/michael-auslin-east-asias-struggle-with-the-past-1419960217
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オースリンは、米国のアジア政策では日米同盟を含む日米関係を重視するよう説いている論者であり、その意味で親日的といってよいでしょう。この論説も日本への善意で書かれたものであろうと思います。しかし、この論説には、いくつかの異論があり、日本としては、提言を素直に受け入れることはできません。
第1に、安倍総理が最大限の謝罪をすべきであるという点ですが、日本は既に村山談話をはじめ何度も謝罪しています。一般的に言って、謝罪をすることと、謝罪を受け入れ赦すことを比較すると、後者の方がはるかに困難です。受け入れられない謝罪はあまり意味がありません。アジアにおける歴史問題の難しさは中韓が謝罪を受け入れないことにあり、日本が謝罪しないことにあるのではありません。中韓が受け入れない理由については、政治的事情、文化的事情など諸説がありますが、安倍総理が謝罪すれば事が済むという問題ではないことは確かです。謝罪を受け入れる気がない者に謝罪をしてもさらなる要求を惹起するだけであり、問題は解決しません。慰安婦問題についての河野談話に関連して、「強制性をハルモニの名誉のために認めてほしい。以後追加の問題提起はしない」という条件で、無理をして韓国の要請に応じた結果、かえって問題がややこしくなった経緯もあります。このオースリンの提言は、アジアの歴史問題への誤解に基づいているように思います。
第2に、習近平、朴槿恵がオースリンの言うようなことをする可能性は終戦70周年の年には、ますます期待できません。そういうことをすれば、両国のナショナリストを刺激し、自らの政権に打撃を与えかねません。したがって、オースリンの主張は、根拠なき希望の表明に過ぎないと言ってよいでしょう。
第3に、論説は、歴史問題と地域的危機の勃発を、強く関連付けすぎているようです。歴史問題をうまく処理しないと、小さな漁船の衝突が制御不可能なものになるというのは、いささか論理が飛躍しています。竹島、尖閣での衝突があるとすれば、それは別の要因で起こることでしょう。
歴史観というのは、民族によって異なる上に、日本国内でも各人により異なっています。歴史は「物語」であって、各国、各人がその価値観に基づきそれなりの歴史観を持っているのです。正しい歴史認識などというものはなく、さらに政府が「この歴史認識が正しい」と決めるようなことは自由民主主義ではありえません。したがって、日本政府は歴史問題を学者に任せ、各人に任せるのが正解であり、政府として見解を述べるのは最小限にすべきです。
戦後70周年にあたり安倍談話を出す計画ですが、過去の歴史への謝罪を繰り返す一方、それよりも、日本の平和国家としての歩み、今後の国際平和への貢献を強調する内容になりそうです。談話を出すとすれば、そうしたトーン以外は考えられません。ただ、もっと言えば、10年おきに、このようなことに政治的エネルギーを使うことに意味があるのか、再考してみる必要があるでしょう。
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