日本人と共に戦った朝鮮人
大日本帝国による韓国併合が「反日ナショナリズム」の淵源なのだろう。しかし、戦時中、少なからぬ朝鮮人が「日本と共に戦いたい」と入隊を希望したのも事実。朝鮮人としての誇りを忘れることなく、日本軍の一員として戦ったのだ。決して「強制」ではなかったことを知ってほしい。
前田守人の視線
朝鮮半島における日本統治時代とは、1910年から45年までの35年間である。俗にいう「日帝35年」だ。いまも日韓で交わらない歴史問題は、従軍慰安婦や戦時徴用工に代表されるが、そもそもは「日韓併合」にまで遡る。
しかし、「日帝35年」は欧米の植民地主義とは違うのではないか。なぜなら、日本が朝鮮半島のインフラを整え、停滞していた李氏朝鮮時代の社会制度を近代化させたのだから。また、日本政府は朝鮮人にも日本軍の幹部を養成する陸軍士官学校への入学を許可した。
朴槿惠大統領の父である朴正煕は、満洲帝国の軍官学校(士官学校)に入隊し、卒業後は帝国陸軍士官学校への留学生となったことはよく知られている。参謀として対日参戦したソ連軍との戦闘にも加わっているのだ。
さらに、日本は当時のエリート養成の帝国大学として東大や京大などに加え、京城帝国大学(ソウル大学校)と台北帝国大学(台湾大学)を開校している(大阪大や名古屋大の前に)。当時、朝鮮人に対して差別がなかったとはいわないが、日本人は同じ国民として接していたはずなのだが……。
命と引き換えに守ろうとしたもの
慰霊碑の行方
先の大戦末期、日本軍の特攻隊員として戦死した韓国人青年を慰霊する「帰郷祈念碑」がやっと“安住”した。ソウル近郊・龍仁市の法輪寺(尼寺)で今週、ゆかりの女優、黒田福美さんなど日韓双方から十数人が寺を訪れ、ささやかな供養が行われた。
祈念碑は「彼らの魂を故郷に帰したい」という黒田福美さんの発案で6年前に完成した。遺族の賛同も得て、設置は当初、彼女が思いをかけた「特攻隊員・光山文博大尉(本名・卓庚鉉)」の故郷に近い南部の泗川市に予定されていたが、反日派の妨害で除幕式ができず実現しなかった。
祈念碑はその後、法輪寺が引き受け境内に設置された。しかし、2年前にまた反日団体が押しかけ倒してしまった。反対の理由は「日本の戦争に協力した者の慰霊は認められない」というものだが、寺では「仏の慈悲に国家や民族の壁はない」と、このほどあらためて設置し直した。
碑は本来、5メートルの高さだが、寺では上部にあった不死鳥を象徴するヤタガラスの造形物と碑石を分離し碑石は縦に寝かせてある。裏面の碑文は見えないものの、そばには日本語と韓国語で由来が表記されている。碑が寝かされたのは反日への妥協だが、これも知恵である。寺への感謝の気持ちでお布施を出させてもらった。(産経新聞ソウル駐在客員論説委員・黒田勝弘、2014年10月4日)
尋常ではない隊員たちへの愛
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「特攻の母」が隊員の前で一度だけ大泣きした日
鹿児島県の知覧で食堂を営み、特攻隊員の“母”と慕われた鳥浜トメは隊員の前で一度だけ大泣きしたことがあるという。1年半ぶりに再会した朝鮮出身の光山文博少尉が故郷の歌を歌ったときのことだった。
朝鮮出身で最高位の将官
日本が韓国を併合する直前、大韓帝国には軍人を養成する武官学校というものがありました。そこから少なからぬ生徒が日本の陸軍士官学校や幼年学校に留学しました。その数は63人といわれています。洪思翊氏もその一人で、併合の2年前に留学しました。彼らは陸士十一期から二十七期にかけて存在しました。洪氏は二十六期です。ちなみに二十六期には硫黄島で戦死した栗林忠道大将、フィリピンで戦死した牧野四郎中将らがいます。
明治43年の日韓併合で、留学生の何人かは帰国し、何人かは抗日闘争に走りましたが、そのまま日本軍人としての道を歩みだした留学生もいました。これら韓国系将校の中で、洪氏は唯一、将官への登竜門である陸軍大学校を卒業、昭和16年には少将となり、歩兵百八旅団長、19年3月にフィリピン俘虜収容所長、9月中将に進級し、12月にはフィリピンの第十四方面軍兵站監となりました。しかし、戦後、俘虜の取り扱いをめぐり連合軍の戦犯法廷から戦犯指名を受け、死刑を言い渡され、21年9月に刑死しました。
韓国系将校の中心的存在で、長身痩躯(そうく)の洪氏に対する評価は極めて高く、その人格、頭脳の明晰(めいせき)さ、指揮能力の高さはよく知られています。
戦犯法廷ではひとことも言葉を発することなく、従容(しょうよう)として最期を迎えたと伝えられています。(産経新聞、2002年10月6日)
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