1948年岡山県生まれ。1972年共同通信社に入社、経済分野を取材し編集委員などを経て2010年に退職し、現在は経済ジャーナリスト。
有力大学がグローバル戦略で競うも、狙うのは文部科学省から支給される補助金。温室育ちのグローバル人材育成は「アームチェア留学」と揶揄され、人材像に対する企業と大学との間にあるギャップは大きい。
量の早稲田 質の慶應
「全学部生を海外留学」(早稲田、立教、一橋大学)、「留学生倍増」(京都大学)とする華々しい目標を掲げる。
海外に留学する学生の数は、2004年の8万2945人をピークに減少しており、10年には5万8060人にまで落ち込んだ。文部科学省はこの傾向の転換を図るため、14年度から20年度までに留学生数を12万人と倍増させる方針だ。
「トビタテ!
留学JAPAN」と名付けた政策の実現のために77億円の予算を組み、民間企業とも協力して高校生や大学生を海外留学させる新しい奨学金制度を創設した。安倍晋三政権の成長戦略の柱の一つとして位置付けられ、文科省もかつてないほどの力の入れようだ。
1学年の学生数が約1万人の早稲田大学は、12年度に語学研修などを目的とした短期と学業目的の長期を合わせての海外留学人数が1843人だったのを、16年度に4000人、22年度には8000人にまで大幅に増やし、原則として学部生全員を留学経験させるという構想を発表した。
一つの大学が年間8000人もの留学生を送り出すのは容易ではないが、早稲田はこの構想の実現に全力を挙げる。内田勝一・副総長常任理事は「留学したい学生には阻害要因をできるだけ取り除いてやり、海外で経験をしてきてもらいたい」と話す。この4月に大学では最大クラスとなる約900人の日本人学生と外国人留学生が共に寝起きできる11階建ての国際学生寮が東京・中野区に完成、「留学しなくても、多くの外国人留学生と生活を共にすることで多様な価値観に触れることができる」と、寮生活を通じた交流効果を期待する。
これに対して慶應義塾大学の國領二郎・常任理事は「取り立てて数字目標は立てないが、既存の学生交換などを実施している良質な海外の交流パートナーなどを活用しながら、いまある学部を活用して質量とも着実にグローバル化を進める」と述べ、「量」の早稲田に対して「質」の慶應という印象だ。
この数年は高校生の大学進学率の上昇で、進学する学生数は横ばいだったが、今後は少子化の影響で大幅に減少に向かう。このため全国の大学は魅力のある大学にするよう迫られている。地方の一部の私立大学では既に定員割れを起こしつつあり、学生数減少の影響がじわりと出始めている。そうした中で、海外留学が学生を引き付ける有力な手段となりつつある。
半年から1年の交換留学の場合、これまでは授業料は免除され、平均して年間50万円前後の奨学金が給付されてきた。文科省が14年度から募集する官民による新しい海外留学支援制度(採用人数300人)では、月額12万~20万円の奨学金に加えて渡航費用が給付されるなど、相当充実してきている。
これに加えて大学独自の奨学金制度もあり、経済的に苦しくて留学をあきらめるといったケースはなくなりそうだ。
温室育ちの「アームチェア留学」
留学には大きく分けて、語学研修が主たる目的の3カ月から半年程度の短期のものと、海外の大学との交換留学協定に基づいた勉学目的の1年程度の長期と2種類がある。どれも奨学金が充実し、留学に際しては大学があらゆる面倒をみる。
留学先で問題が生じた場合には、大学担当者が間に入って世話をしてくれるなど、至れり尽くせりで、大学丸抱えの実態を「アームチェア(肘掛け椅子)留学」という。まさに日本の学生の海外留学はアームチェアに座っているようなもので、難しい問題はすべて関係者が解決してくれる。九州大学の廣瀬武志・教育国際化推進室特任准教授は「『アームチェア留学』はあたかも『温室育ち』のグローバル人材を育てているようにもみえる。これでは自立したタフな人材は生まれてこないのではないか」と実態を危惧する。
「選ばれた学生が行く海外留学」から「誰でも行ける留学」になることは喜ばしいことだが、それに見合った学力や語学力アップの成果が得られるかどうかが肝心だ。まして税金を使って奨学金補助を行うようになれば、なおさらだ。
留学先で進級できない
学力不足学生の増加
数を追い求める傾向が強まることで、すでに弊害と思われる事例も表面化してきている。ある国立大学の関係者は「文科省に提出する高い目標数字を実現しようと無理をしている大学がある。語学留学の場合は人数を増やそうと思えば、旅行社と提携すればいい。海外ツアーに送るような感覚でいくらでも人数は増やせる」ともらす。
質の高い留学を目指している国立大学協会(会長・松本紘京都大学総長)では、今年1月の国際交流委員会でこうした問題点が指摘され、異文化交流・体験を伴った学業アップという当初の目的を必ずしも達成できていないため、同委員会は留学の実態を分析することを決めた。
関東の私立大学では、数十人単位で同じ大学にまるで海外ツアーに送るようなイメージで留学生を派遣するところもあるという。派遣先では日本人留学生による「日本人村」ができてしまい、大学が期待したほどの成果が挙げられないこともあり得る。留学生の数が少ない現段階では、数を増やすことは重要だが、その手法、内容についても十分点検する必要がある。
2年ほど前にはカナダのバンクーバーにあるブリティッシュ・コロンビア州立大学(UBC)に派遣された日本人留学生の成績が悪く、多くの学生が進学できなくなるトラブルが発生した。この留学生たちは学力が足りなくて落第、UBCは勉学意欲の低い留学生を送り込んだ日本の大学に対して不信感を持ったようで、留学生の受け入れ拒否という事態にもなりかけたという。UBCは大学の世界ランキングでは31位にランクされ、ノーベル賞受賞者を多数輩出するトップクラスの大学だ。日本からは合計318人(13年末)の留学生を派遣している。こうした事態が起きると、日本の大学の評判を落とす結果につながり、「トビタテ!
留学JAPAN」も逆効果を生みかねない。
この数年、文科省は日本人留学生増加と並んで、大学のグローバル化を推進するための柱の一つとして外国人留学生の受け入れ人数を30万人にまで増やす目標を掲げた「グローバル30」という政策を実行してきた。この結果、中国などアジア諸国からの留学生が急増し、トラブルが起きている。ある地方の国立大学では、日本語も英語もできない中国人留学生が増え過ぎて、留学生の生活指導で担当教員が忙殺され、授業にも差し支えるほどになった。
企業が求めるのは「基本の充実」
東大では毎年3000人の合格者の中から、「世界のトップ人材になり得る人材100~300人を生み出し、徐々に拡大する」(吉見俊哉・東大副学長)と話し、14年度から東大で初めてとなるエリート教育を開始する。同時に全体的な学生のレベルアップも目指す。早稲田、慶應、京都大、大阪大などもグローバルリーダーになり得る人材を輩出したいという意向が強い。
「教育の平等」を掲げてきた日本ではエリート教育は受け入れられてこなかったが、大学の国際競争の激化に伴い、そういっていられなくなってきた。
ポイントとなるのは、大学側がこれぞ「グローバル人材」として養成した卒業生が、民間側の期待に応えられるかどうかだ。大手企業はかつて新入社員を企業内部の研修によって戦力に仕立て上げてきたが、日々グローバルな戦いを強いられている企業にはその余裕がなくなっている。企業側は即戦力の社員を求めており、技術畑出身の経営者からは「深刻なのは技術系の学生の層が薄く、資質が伴わないことだ。国立大学の入試科目も減ったことで、基本ができていない」という声も聞こえてくる。1990年代にもてはやされた「ゆとり教育」のおかげで、入試科目が減らされた悪影響がここにも出てきている。理科系なのに数学や物理のイロハが分からなくて、一から説明しなければならないといった新入社員がいるという。企業としてはグローバル人材の養成は歓迎するが、大学4年間で基礎的な勉強もきちんとやってくれないと、仮に英語がしゃべれたとしても、グローバル戦線には立てないというわけだ。
国内の4倍以上の台数の乗用車を海外で販売するまでになったホンダの池史彦会長は、大学教育全体について「国際化以前に基本の教育体系を根本から直さないと日本の地盤沈下はますますひどくなると思う。受験勉強は必死にするが、合格すると4年間は単位さえ取れれば勉強せずとも何とかなってしまう日本の高等教育は見直す必要がある」と訴える。
文科省が大学にぶらさげる補助金
文科省は4月から大学の国際競争力アップを眼目に「スーパーグローバルユニバーシティ」(SGU)と銘打った新規プログラムをスタートさせた。世界のランキングトップ100を目指す力のある大学を『トップ型』として10校、これまでの実績を基にグローバル化を得意な分野で牽引できる『グローバル化牽引型』として20校の合計30の大学を選定し、10年間支援する。
大学の国際化を支援する予算額の推移をみると、08年度までは20億円程度だったのが、11年度には52億円に増加、12年度は103億円と倍増になり、14年度は127億円にまで膨らんでいる。文科省の掲げる人材養成戦略が安倍政権の『成長戦略』に組み込まれ、一気に予算が伸びた形だ。
主要な大学はこの「SGU」プログラムの30大学の中に選ばれようと、これから申請を出す。東大、早稲田、慶應などの有力総合大学はいずれも『トップ型』を目指す方針で、地方の大学や工学系や医学系など特色を生かせる大学は『牽引型』に申請する。どれだけ特色のあるグローバル戦略を掲げているかが選考のポイントで、選定されると毎年数千万円から億円単位の補助金が支給されるだけに、各大学は何とか30校に入ろうと必死だ。学生からの入学金と授業料が主な収入の私立大学は、補助金はのどから手が出るほど欲しい資金で、認められれば大学のブランド力のアップにもつながる。
勢い、大学側は補助金欲しさに、留学生数や外国人留学生の受け入れ数、外国人教師の人数などで欲張った目標を設定しがちになる。民間出身の福田秀樹神戸大学長は「ジャンプ(背伸び)した目標を設定すると、それを達成しようと大学内の要員を増やすなど無理をしがちとなるので、責任のある目標をきちっと提示すべきである」と指摘する。
この数カ月間、全国の主要大学十数校、文科省などを駆け足で取材した。どの大学も「グローバル人材」を育成しようと対策を練っている。目立つのは入学した学生の中から選抜し、特別のコースを短期間に履修させようとするプログラムだ。
大学は口を開けば「多様な人材を育成したい」と繰り返すが、大学が用意しているのは型にはまったカリキュラムで、これでは多様な人材が育つ保証はどこにもない。
結局のところ、補助金狙いのグローバル戦略が各大学にはびこっているのが現状で、文科省は各大学が提出してきた戦略の内容が整合性の取れたものかどうか細かく点検すべきで、留学実態のチェックも日本学生支援機構(JASSO)に丸投げするのでなく、自分の目で確かめる必要がある。