少し話を戻して1872年1月23日の夜。
サンフランシスコのグランドホテルで開かれた岩倉使節団歓迎会で、副使の
下級武士だった伊藤は、幕末、長州藩留学生としてイギリスに密航し、半年間、当地で生活しました。伊藤はそこである程度、英語能力を身につけ、同時に攘夷思想を捨て、西洋文明の信奉者になります。
長州の松下村塾で、伊藤の師にあたる吉田松陰が、伊藤を「
留学先のイギリスで、伊藤は、物おじせず外国人と話のできる「コミュニケーション能力」を磨き、帰国後は外国艦隊相手に通訳を務めるなど藩政治で重用されます。伊藤にとって、西洋文明とは、「またとない立身出世の
実際、新政府では、外国事務
そのあと、大蔵
岩倉使節団出発前、イギリス公使館で開かれた晩餐会で、伊藤はすでに
英語で「日の丸演説」
伊藤による英語スピーチからは、新進政治家としての伊藤の自信や自己顕示欲、さらには使節団員の高揚感が伝わってきます。
演説で伊藤は、まず、到着以来のアメリカ側の「
さらに、日本国内では、版籍奉還に続いて、「数百年来
そして演説の最後を伊藤はこう結びました。
「我が国旗の中央に点ぜる赤き丸形は、もはや帝国を封ぜし
これが「日の丸演説」といわれるゆえんです。
「日章旗」が日本国の旗として掲げられたのは、幕末の1855年、薩摩藩主の
ところが、この「日の丸」、外国人から「日本の封蝋」と笑われることもあったようです。伊藤はそんな見方を否定して、日の丸こそ、昇る朝日=「ライジング・サン(rising sun)」のエンブレム(象徴的図案)であって、日本国はこれから、朝日の勢いで、世界の文明諸国の仲間入りをする、との決意表明をしたのでした。
条約改正で大混乱
ところが、伊藤は、それから向かったワシントンで、大失態を演じてしまいます。
当地滞在中の72年3月11日、岩倉大使・副使の計5人と小弁務使(米国駐在の代理公使格)の
彼らは席上、幕府から引き継いだ不平等条約の改正交渉を切り出します。これは使節団の使命にはなかった仕事です。
伊藤や森らは、晩餐会などアメリカ側の歓迎ぶりに得意になり、「米国くみしやすし」と思い違いをしたようです。岩倉ら首脳陣も、伊藤らの交渉の勧めに乗ってしまったのです。
これに対してフィッシュは、元首からの正式の委任状の提示を求めます。しかし、はじめから条約交渉を本務としていない日本側に、その用意はありません。それでも、「我々は天皇の信任を受けている」と食い下がりますが、フィッシュは「万国公法(国際法)上、応じられない」とにべもありません。
このため、使節団は、副使である大久保利通と伊藤博文の2人を帰国させ、全権委任状を整えてくることにします。そこまでするのですから、なお意欲満々、まだ交渉は可能とみていたのでしょう。大久保と伊藤が東京に到着したのは5月1日のことでした。
これに対して、「留守政府」の外務卿・
問題はこじれにこじれて、大久保、伊藤の「割腹」による責任論すら取りざたされます。その際、副島が「切腹の儀は御勝手にせらるべし、
交渉談判中止
双方の反目は続き、約50日が
大久保らが帰国している間、滞米中の岩倉具視や木戸孝允らは、対米交渉を行いますが、壁は厚いうえ、アメリカを相手に条約改正で譲歩した場合、それが自動的に他の締約国にもそのまま適用されることを知って驚き、大いに悔やみます。
委任状の件といい、この最恵国待遇のルールといい、使節団の外交知識の欠如は明白でした。とくに「日の丸演説」で声価を高めた伊藤は、一転、この失策によって使節団内部からも批判にさらされます。
とくに、伊藤の親分格の木戸は、「
また、国内の知人への手紙の中で、「
大久保と伊藤がワシントンに戻った時は、「条約談判中止」は既定路線になっており、岩倉、木戸との間で中止を確認したあと、7月24日、米政府との間で打ち切りが決まります。
アメリカ滞在は予定を大幅に超える6か月半に及びました。その分、ワシントンやフィラデルフィア、ニューヨーク、ボストンなどアメリカ視察は充実しましたが、スケジュール変更は、使節団内部にあつれきを生じさせ、団員には徒労感も漂いました。
<条約は結び損ない/金は捨て/世間へ大使(対し)/何と岩倉>という狂歌も行われました。使節団首脳部の威信は低下し、伊藤は鼻っ柱をへし折られる始末となりました。
岩倉使節団は72年8月、ボストンを発ち、次の訪問国イギリスに向かいます。
明治天皇の国内巡幸
一方、日本国内では、同じ頃、明治天皇の国内巡幸が実施されていました。
天皇が自ら日本の地理、形勢、人民、風土を視察するのが目的で、72(明治5)年6月28日に皇居を出発し、「留守政府」トップの西郷隆盛が随行しました。伊勢神宮、大阪、京都、下関など西日本各地を巡り歩きます。
長崎滞在中、
鹿児島で天皇は、この「世界の大勢」に強く反発している旧薩摩藩主の父、島津久光と会見します。久光は「共和政治の悪弊」を挙げ、旧臣の西郷と大久保の更迭を求めます。久光の根深い怨念は、政界の重責を担うに至った西郷や大久保を精神的にさいなみ続けることになるのです。
国内巡幸は49日間にわたり、天皇は8月15日、帰京しました
ベルとエジソン
岩倉使節団が図らずも長期滞在したアメリカは、1890年頃にかけて、「金ぴか時代」と呼ばれる繁栄期でした。
これは「トム・ソーヤーの冒険」などで知られる作家のマーク・トウェイン(1835~1910年)の共作小説『The Gilded Age』(1873年)の題名に由来しています。「Gilded」とは、
この時代の米大統領の一人、グラント(在任1869~77年)は、金権政治にまみれます。鉄道建設に関連した公金横領事件や、大統領個人秘書が絡むウイスキー業者の不正事件など議員や政府高官らの汚職が続発し、南北戦争の英雄・グラントの名声も地に
他方、この時代のアメリカは、第2次産業革命によって技術革新が進み、夢のある発明が相次ぎます。
スコットランド生まれの物理学者・ベル(1847~1922年)は、難聴者のための学校を開き、音声研究から磁石式電話を発明し、76年6月のアメリカ建国100年大博覧会では、電信電話装置を展示します。
同じく発明家にエジソン(1847~1931年)がいました。新聞の売り子から電信技師となった彼は、タイプライターや謄写版、蓄音機、白熱電球、電気機関車、活動写真などを矢継ぎ早に発明。その特許は1093点にのぼったとされ、その発明品の数々が人々の日常生活を一変させました。
新聞記者に「天才とは何か」と問われて、エジソンは、「99%のパースピレーション(発汗)と1%のインスピレーション(霊感)」と答えました。つまり、大いなる努力とほんのわずかなひらめきが、天才の成功の
カーネギーとロックフェラー
鉄鋼界を代表する企業家・カーネギー(1835~1919年)や、全米石油界に独占的な支配権を確立したロックフェラー(1839~1937年)が活躍したのもこの時代です。
48年にスコットランドからアメリカにやってきたカーネギーは、郵便配達などの職を転々とした後、鋼鉄製レールの生産を始め、大量生産化に成功します。
彼は40歳のころ、進化論を唱えたイギリスの生物学者・ダーウィン(1809~82年)の『種の起原』や、イギリスの社会学者・スペンサー(1820~1903年)の社会進化論にいたく共感したといわれます。
スペンサーの哲学は、金ぴか時代のアメリカで、百万長者も貧者も「自然
また、スペンサーの進歩史観は、日本にも移入され、徳富蘇峰はこれを基礎に名著『将来之日本』(1886年)を書き、ベストセラーになります。
カーネギーは晩年、
また、ロックフェラーも、慈善団体「ロックフェラー財団」の設立などに巨費を投じ、教育・社会事業に力を尽くしました。
一方、大企業の出現や利潤追求を第一とする資本主義の進展は、経営者と労働者との対立を生み、70年代には各地で労働条件の改善をめぐる労使紛争が広がりました。
「労働騎士団」という名の組織が広がり、84年の鉄道ストライキを契機に会員が増加、約70万人に膨らみます。しかし、8時間労働を求める全国ストライキで、無政府主義者が演説中、爆弾テロが発生し、この事件をきっかけとして衰退に向かいました。
騎士団に代わって86年、職能別大組合の連合組織「アメリカ労働総同盟」(AFL)が正式発足し、労働者の地位向上や賃上げなどを目指す現実的な運動を通じて組合員を増やしていくことになります。
アメリカ、世界一の工業国へ
19世紀後半、日米両国でほぼ同時期に起きた、「南北戦争」と「明治維新」を比較したユニークな論文に「明治維新と南北戦争」(佐伯彰一『外から見た近代日本』所収)があります。
それによりますと、当時、日本もアメリカも、類似の国際的環境の下、ヨーロッパ列強の干渉を招いて分裂国家に至る可能性がありました。しかし、両国の指導者はこれを乗り切り、1860年代、「近代化・ナショナリズムという同じ出発点につき、ともに猛烈なスタート・ダッシュで走りつづけ」たというのです。
確かに、アメリカは、鉄鋼生産や石油精製など基幹産業が発展し、80年代を境に農業国から工業国へと大きく転換。19世紀末には、石炭採掘高でも、
日本経済も、この間に発展を遂げ、「産業化、工業化、都市化という経済的な側面と、常備軍の整備、充実という軍事的な側面との、二つについてみるなら、両国の規模の相違は別として、ほぼそっくりの推移、展開」をたどります。
19世紀末、アメリカはスペインとの戦争(1898年)に勝利してフィリピン・グアムを獲得。日本が日清戦争(1894~95年)に勝利して台湾を領有するのも同じ時期のことで、やがて両国は太平洋国家として
【主な参考・引用文献】
▽瀧井一博『伊藤博文―知の政治家』(中公新書)▽伊藤之雄『伊藤博文―近代日本を創った男』(講談社学術文庫)▽田中彰校注『日本近代思想体系1 開国』(岩波書店)▽『尾崎三良自叙略伝 上』(中公文庫)▽毛利敏彦『明治六年政変』(中公新書)▽田中彰『岩倉使節団 米欧回覧実記』(岩波現代文庫)▽ドナルド・キーン『明治天皇(二)』(角地幸男訳、新潮文庫)▽清水博編『世界各国史8 アメリカ史(新版)』(山川出版社)▽清水博『世界の歴史17 アメリカ合衆国の発展』(講談社)▽ビーアド『新版 アメリカ合衆国史』(岩波書店)▽高崎通浩『歴代アメリカ大統領総覧』(中公新書ラクレ)▽谷川稔ほか『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』(中公文庫)▽清水克祐『アメリカ州別文化事典』(名著普及会)▽朝倉治彦・三浦一郎編著『世界人物逸話大事典』(角川書店)▽佐伯彰一『外から見た近代日本』(講談社学術文庫)