中國, 韓.中關係

不安定化する中国社会

이강기 2022. 6. 28. 14:55

昨年は12万人が難民申請、習近平体制以降、国外へ逃げ出す人が急増の中国

 
国内の「流民」も激増中、不安定化する中国社会
 
譚 璐美 (作家)
JB Press, 2022.6.28(火)
 

                                                               習近平国家主席(写真:AP/アフロ)

 

 

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は6月16日、「グローバル・トレンド・レポート2021」を発表し、戦争や暴力、迫害、人権侵害によって自宅を追われ、国内外へ避難した人は世界で1億人を超えたと報告した。これは地球上の全人口の78人に1人が避難した計算になる。難民の3分の2以上は、シリア(680万人)、ベネズエラ(460万人)、アフガニスタン(270万人)、南スーダン(240万人)、ミャンマー(120万人)の5カ国の出身者が占めた。

 

 ロシアによるウクライナ侵攻が長期化する今、ウクライナではすでに700万人以上が国内で避難し、600万人以上が海外で難民になっていることから、難民の増加傾向は今後も続くことは明らかだ。

 その一方、中国でも憂慮される事態が起きている。

 

 

年々増加する中国人による難民申請

 UNHCRが同日公表した統計によれば、2021年に難民申請した中国人は12万人近くにのぼり、前年比で10パーセント増加した。2020年も2019年より3.7パーセント増加し、ここ数年で中国人の難民申請数が急増している。この3年間は、中国政府がゼロコロナ政策を実施し、厳しい出国制限を課しているにも関わらず、あの手この手で海外へ脱出して政治的庇護を求める中国人が急増しているのである。

 英国の『エコノミスト』(電子版、2021年7月28日付)が伝えたところによると、UNHCRの統計にみられる顕著な傾向として、習近平体制に入った2012年以降、難民申請者数が急増した。それ以前の胡錦涛政権の時代には、毎年平均で1万5000人~2万人未満で推移していたが、2012年(1万5362人)を境として毎年増加し、2020年には10万7864人に達し、2012年からの8年間に合計61万3000人が難民申請したという。

 

 そうした人々の多くはビジネス用ビザや観光ビザを取得して海外へ渡航後、そのまま所在国で政治避難を求めたことが記録されている。

 

   理由はいくつか考えられる。経済発展によって富裕層がビジネスや観光で海外へ行く機会が増えた一方、その機会を利用して、家族と資産の安全を確保するため、外国国籍を取得しようと願う人々が増えたこと。習近平時代に入り、人民への監視体制が厳格化し、政治的に窮屈な中国から逃れたいと願う人が増えたこと。海外に居住している反体制派の人々に対して、中国政府の圧力が増していることもある。

 

 中国政府のゼロコロナ政策によって厳しく制限され、日常生活すらままならない国家体制に嫌気がさした人々の間では、現在急速に海外志向が強まり、先進諸国では不動産をキャッシュで買おうとする中国人が増加傾向にある。

難民申請先の人気No1はアメリカ

 スペインの人権団体「セーフガード・ディフェンダーズ」がまとめた難民申請先の国をみると、第1位がアメリカ(8万8722人)、第2位がオーストラリアとオセアニア地域(1万5861人)、第3位が南米(5904人)で、以下、英国(2428人)、ヨーロッパ(2323人、英国・ロシアを除く)、アジア(1755人)、カナダ(1318人)と続く。

 アメリカがダントツで多いのは、中国人にとって「憧れの国」であることに加えて、政治難民を庇護することを政治理念とする国だからだろう。

 ただし、1997年の「香港返還」時に「投資移民」としてカナダやオーストラリアへ移住したり、留学後にそのまま就職して現地国籍を取得したりした人々などは含まれず、純然と政治避難を求めて難民申請した人数だという。そうであれば、名目上はどうあれ、本音では政治避難をする目的で移住した人数はさらに膨らむのではないか。

 

「セーフガード・ディフェンダ―ズ」によれば、習近平体制の2021年一年間だけで、胡錦涛時代の8年間の難民申請総数に匹敵するという。

 

国外に逃げ出したのは犯罪がらみの人々なのか?

 ブルームバーグ(2022年1月19日付)の報道によれば、「セーフガード・ディフェンダーズ」が発表した報告書について、中国外交部の趙立堅報道官が定例記者会見で次のようにコメントしたという。

                                                      中国の趙立堅報道官(写真:ロイター/アフロ)
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   「いわゆる報告書は主観的憶測と嘘に満ちている。“人権”を大義名分にして、国外へ逃亡した容疑者を『被害者』だと美化し、腐敗を容認・庇護するものであり、正義と法治に完全に反している。中国政府は引き続き容認しない態度で、腐敗犯を地の果てまでも追いかけ、犯罪者を処罰する」

 

 さらに関係各国に向けてこう主張した。

  「犯罪者や不法資金にとっての“犯罪天国”にならないよう、中国側が提起した司法・法の執行への協力要請に積極的に応じて、国際的責任を果たすべきだ」

 

 無論、汚職逃れのために国外逃亡した者もいるだろう。だが、それ以上に政治的迫害を逃れるために、外国で難民申請する人の方が格段に多いことは明白だろう。

 

 中国は近年、タイ、ネパール、カンボジア、カザフスタン、マレーシア、アルバニアなどの国々から、中国人の強制送還を求めている。

 

 2009年12月、カンボジアは、UNHCRが難民申請を検討している20人のウイグル人を中国に強制送還した。中国政府はカンボジア政府に感謝し、10億米ドルの資金援助とインフラ開発を承認した。ネパールも、中国の強い圧力に屈した形で、ネパールへ亡命したチベット人を送還したり入国を拒否したりしている。

 

香港という「避難場所」を失った中国人、国外逃避を望む人はますます増える見込み

 中国はもともと流民や難民、移民が後を絶たない国だ。

 

 明代に始まる華僑の出自までさかのぼらなくても、1949年に中国共産党政権である中華人民共和国が樹立した際、社会主義体制を嫌った人々が最初の2年間だけで、英国の植民地だった香港へ70万人が流出した。

 60年代から70年代にかけての文化大革命の時期には、鎖国状態の中国から、広東省と目と鼻の先の香港へ海を泳いで脱走しようとする人々が相次ぎ、射殺されたり溺死したりした。「珠江の流れに乗って、パンパンに膨れ上がった遺体が、毎日香港の海岸に流れ着きました」と、当時を知る香港人は回想する。

 

 80年代に鄧小平が経済開放政策を唱えて国内経済が少しずつ向上すると、それに連れて脱走者は減少したが、1989年に起きた天安門事件では、民主化運動のリーダーたちがマフィアの支援を受けて、広東-香港間の地下ルートを通って逃れた。なかには、国境警備を担当する人民解放軍の兵士がひそかに支援してくれたと、亡命した学生リーダーから聞いたことがある。

 

 1997年の「香港返還」では、社会主義体制を恐れた香港人の間で再び「移民ブーム」が起きて、一説には60万人から70万人が海外へ移住したとされている。

 

 近年は気候の温暖化で豪雨や干害、病害虫の大量発生によって、自宅を捨てて中国国内で流民となる人も100万人単位で増え続けている。もはや香港が中国化して「避難場所」を失った現在、一足飛びに外国へ出て避難しようとする人々は、今後もますます増え続けていくにちがいない。

 

 

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